キラキラネーム

世界の氏名には特徴があるそうで、欧米では姓は多いそうですが、名前の種類は少ないそうです。少ない上に変化が少なく、これも詳しいとは言えませんが中世くらいからそんなに変わっていないかと思っています。少なくとも第二次大戦前ぐらいなら余裕で同じでしょう。英語名ならジョンとか、ジョージとか、ジェーンの世界です。これが中国ぐらいになると逆に姓は比較的少なくて名前が多い関係になるそうです。なにせ一族の家系本があって、一族の先祖代々と同じ名前を避けると聞いています。

これに対し日本は姓も多いし名も多い状態になります。姓に関しては基本数が多いだけでさすがに新奇発明はそうはないでしょうが、名前は激しくトレンドが変わります。私の世代かもう少し上の世代で流行が長かったのは女性なら「子」が付く名前です。これはもともと宮中とか貴族の女性の命名習慣だったそうですが、これが庶民にも広がったってところでしょうか。きっと当時的感覚では「子」がつくのはオシャレで格好良かったんだと思っています。


私の世代で女性の名前で「子」に代わって増え始めていたのは「美」がつく名前であった気がしています。これについては「子」の世代の人間からキャバレーの源氏名みたいで「品が悪い」の評価があったのをどこかで覚えています。勝手な感想ですが、「子」トレンドが終りかけたぐらいから、命名についての自由な発想が広がり始めた気がしています。

我が子の名前ですから少しでも良い名前、格好よい名前を付けたいと思うのは親心です。私だって無い知恵を絞って考えたものです。このうち良い名前については姓名判断みたいなジャンルが頑張っていますし、何をもって良い名前とするのかは定義が難しいところです。もう一方の格好の良い名前については一定のお手本があります。上で触れた源氏名もそうですし、芸能人の芸名もそうです。

命名には古来あやかるの考え方もあり、女の子なら「あの女優さんぐらいに綺麗になって欲しい」とか男の子なら「あの有名人ぐらい活躍して欲しい」の願いを込めるです。これもあんまり凄い名前にあやかると「名前負け」なんて評価をされた時代もありました。「名前負け」なんて言葉も今や死語になっている気がしています。


現在はどうかと言うと、格好が良いはトレンドとして残ってはいるものの、それよりオリジナリティ重視の風潮が濃くなっている気がしています。今でもあるのかな? かつては命名数ベスト10なんてものがあり、その年の流行の名前がランクで示されていました。今はそんなランクがあれば、逆にそこにないものを考え出して命名するのがトレンドの気がしています。

医療で命名最前線に触れる機会の多いのは産科と小児科になります。お蔭で色んな名前に接しさせて頂いていますが、なかなかのものです。さすがに「凸(テトリス)」とか「光宙(ピカチュウ)」はお目にかかっていませんが、「星(キラリ)」ぐらいはゴロゴロいます。ここも補足をしておけばおおよそ10年ぐらい前は読み(音)は「ありきたり」のものが多かった気がします。その代わりに使う漢字にヒネリが多かったとすれば良いでしょうか。言ってみればこの組み合わせで「ゆうき」とは珍しいてな感じです。やたらと画数の多い漢字の使用も多くなっていたと思います。


現在は次の段階に進んでいます。これが名前を読む方にすればムチャクチャ困るのですが

    当て字読み
日本語には当て字読みと言うのがあって、たとえば「飛鳥」は「あすか」と読みます。これはもともと「飛ぶ鳥の明日香」であって明日香の美称が飛鳥であったのがいつしか「飛鳥」だけで「あすか」と呼ぶようになったとされます。「大和」もそうで、これなんか由緒すら不明になっていますが「やまと」と読みます。ですから当て字読みは日本語としてあるのですが、親のオリジナルはやはり読めません。

私は漢字を水準以上に読める自負はありますが、読める範囲は一般的に普及した読みだけです。当て字読みもまた同様です。つか当て字読みなんて、知っているかどうかだけの問題で、誰かがオリジナルで作ったものなど、そもそも読めと言われるほうに無理があります。ただ人名についての当て字読みの自由度と言うか、許容度の広さは無限大の感触があります。つまりどんな漢字をどう読もうと命名者たる親の自由だと言う事です。

極端な事を言えば「太郎」と書いてあっても、これが素直に「たろう」かどうかは何の保証もない時代になっているとすれば良いでしょうか。ヒョットしたら「すすむ」かもしれませんし「ゆたか」かもしれません。いやいや「アムロ」とか「シャー」かもしれません。大穴で「ラーメン」(ローカルのラーメンチェーンで「たろうラーメン」てなものがあります)の可能性も除外できないてなところです。それぐらい一筋縄では行かない時代に突入しています。で読み間違えれば憤怒の目でにらまれるです。

お蔭でと言うか、なんと言うかですが、かつて芸名チックのものは一般庶民の本名としては気恥ずかしくて付け難いもののイメージもありましたが、今は芸名の方が平凡な気がするぐらいです。言ったら悪いですが、あんな読みにくい名前では芸能界ではかえってマイナスぐらいの判断ぐらいかもしれません。芸能界は名前を売るのが基本中の基本ですから、例外的なものを除いて読める名前である事も必要だからだろうと思っています。一種の逆転現象かもしれません。


時代遅れのオッサンの愚痴かもしれませんが、世代的に変化した読み(音)の名前は許容しないといけないと思っています。これについては世代送りだからです。旧世代の感覚で「変な読み(音)の名前」と感じても、自分の子供時代はやはりそう感じられていたと考えるからです。ただ、読めるようにして欲しいとだけ思っています。難読であっても「へぇ、そう読むのか!」ぐらいは良いとしても、「どうやったらそう読めるんだ?」はかなり辛いです。

でも虚しい願いかもしれません。命名のトレンドも一度出来上がると行き着くところまで進み、そこでまた新たなトレンドが起こるまで続くだろうとしか言い様がありません。寿命的に次のトレンドも目にしそうですから、その時には現在のキラキラネームと呼ばれるものが「平凡すぎる」と感じるようになっているかもしれません。それを思うとかなり怖いと密かに思っています。どうにも時代についていくのは歳を重ねる毎に辛くなっています。