今日取り上げたいのは、
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国民が知らない間にコッソリ重要な法案が国会を通りました
国会審議は原則として公開で行われます。委員会審議も同様です。さらにどの法案がいつどの委員会で審議されるかも公表されています。さらにさらに、その法案がどんな内容であるかも公開されています。さらにさらにさらに、時間の長い短いはあっても審議時間もあるはずです。審議時間については詳しくはありませんが、少なくとも法案の趣旨説明ぐらいは行なわれるはずです。
私の知る限り国会で可決成立した法案が、秘密会で可決され施行される事はありえないと考えます。そういう状況でコッソリなんて言葉が成立するかどうかは少々疑問です。それでもここは「コッソリ」が与野党の対立少なく迅速な審議で可決されたぐらいはまだ受け取る事は可能かと思います。
ここが一つの大きなポイントで、コッソリのはずの可決はちゃんと報じているわけです。可決を報じれると言う事は、審議があった事も知っているわけであり、さらにどういう法案が審議されるかも知っていたわけです。下手すると可決風景を動画で報じたりもしますから、取材は万全なわけです。ここも突っ込んでおけば可決後に法案の問題点を詳細に解説できるぐらい知っているわけです。
さらにさらに突っ込んでおけば、その手の法案はある日突然浮上して、突然可決されるというケースは稀で、殆んどの場合、その国会が開かれる前から課題法案として存在し、それも知ろうと思えば容易に知れる状態であったとしても良いと思います。
マスコミはマスコミの価値判断で重大法案、問題法案と判断したものは徹底的に報道します。それ自体は悪いとは言いません。マスコミが報道する事で、与野党が基本的に合意して成立しそうな法案でも、マスコミが作った世論により可決が躊躇されたり、修正されたりする事例は確かにありました。いわゆる世論を敵に回しての法案賛成に議員が動揺した結果とすれば良いでしょうか。
コッソリ法案に問題がある事は、当然マスコミも知っていたです。その証拠に可決は注目して拾い上げ報道しているからです。問題点も詳細に解説してくれます。それほど可決成立するのが問題であるのなら何故に可決前に取り上げないです。まるで可決されて逆戻りできない時点を待ってから報道しているように見えて仕方ありません。
そういう行為で導かれる推測として
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国民は反発するだろうが、マスコミ(及びそのスポンサー)にとっては歓迎すべき法案であり、可決されるまではコッソリにしておく必要があった。ただ視聴者(読者)に対しては「怒りの論評」を表示し、マスコミも本音では賛同している事を誤魔化したい。
他の可能性も考えてみます。マスコミも気がつかなかったです。そういう問題法案が存在し、審議され可決されるのにビックリ仰天したです。だから「コッソリ」であるです。国会で審議される法案は多数あり、そこに問題法案が紛れ込んでいるのにマスコミとて見落としたです。人が行うことですから、あり得ないとは言えません。
このコッソリの原因がウッカリ説ですが、これであれば大きな疑問が出てきます。マスコミ、マスコミと表現はしていますが、マスコミは1社ではありません。大きなところだけでも5大紙、さらに大きな通信社が2つあります。NHKや民放キー局も独自取材を行っているはずです。コッソリ報道の時には全マスコミがウッカリしていた事になります。
そんな事がありえるだろうかです。コッソリ報道も珍妙で、しばしば金太郎飴式の横並びコッソリ報道が行なわれます。つまりすべてのマスコミがウッカリから仰天し、こぞってコッソリ報道を行なうです。絶対に無いとは言えませんが、確率的に非常に稀ではないかと私は考えます。マスコミ用語で言うところの「大落ち」が全社そろってになるからです。コッソリ報道が行なわれる頻度はもう少し高いと感じています。
それとウッカリであるなら、これはマスコミの恥辱であるはずです。国会取材はマスコミの華です。主要マスコミは国会報道に大きな力を注いでいます。国会が無いときにも政治報道はニュースの花形であり、大臣の講演会の言葉狩りまで熱心に取材し報道が行なわれます。そこまで力を入れているにも関らずウッカリからコッソリ報道になってしまうのは恥辱以外のなにものでもないと私なら思います。
マスコミの傾向からウッカリがあって見逃してしまったのなら、コッソリ報道を行なうのではなくコッソリとなかった事、ニュースバリューのない物として扱う事がしばしばあります。これを開き直ったようにコッソリ報道を行なう点が非常に不自然に感じてなりません。
コッソリ報道の前提として、
- 問題法案があるのをマスコミは知っていた
- これが国会で可決される情勢にあるのも知っていた
- 可決前に報道すると世論が動きかねないのも知っていた
そんな力が現実にあるかと言われれば編集権です。編集権についてはつい先日もやったので簡単にしますが、ごく単純には経営者が握っています。経営者も具体的には、
編集権を行使するものは経営管理者およびその委託を受けた編集管理者に限られる。新聞企業が法人組織の場合には取締役会、理事会などが経営管理者として編集権行使の主体となる。
取締役会とか理事会と言っても、そこに強大な権力を握るオーナー的経営者がいれば、その人の意志そのものになります。ここまで考えて、ちょっと怖ろしい妄想が湧いています。コッソリ報道に編集権を発動させるには、主要メディアの経営者を篭絡すればOKとなります。直接的には金銭による買収なんかもありますが、そこまではモロすぎるので、なにか肩書き的な名誉の代償によるものぐらいはありえてもおかしくありません。
それでもって何らかの篭絡が行われたとしてそれが犯罪行為に該当するかと言えば疑問です。露見すれば社会的には制裁が加わるかもしれませんが、通常は露見させる側に回るはずのマスコミが編集権行使者によって抑えられれば、これまた安泰と言う訳です。こういう時には内部告発が通常の業界では最後の手段としてありますが、これとて編集権の前では、
内部においても故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害しあるいは定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する。
ここの編集権ですが、よく読んで欲しいのですが排除する対象は「あるいは」で並列で並べられ、
- 故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害もの
- 定められた編集方針に従わぬもの
今日のコッソリ報道の考察の結論として、編集権行使による一種の報道管制が行われた結果と見ます。別に編集権を持ち出さなくとも業務命令でも良いのですが、業務命令の裏書が編集権にあり、社員記者はこれに従うと誓って入社している関係ぐらいの解釈です。ま、現場的にはせめて事後でも問題点の報道が出来た点に胸を張っているんだろうぐらいに想像しています。