何を投与したのだろう

6/1付NHKニュースより、

勤務外で救命処置 停職6か月

茨城県石岡市の消防本部の救急救命士の男性が、勤務が休みだったことし4月、交通事故の現場で救命処置を行っていたことが分かりました。法令では、救命処置を勤務時間外に行うことは認められておらず、消防本部は、この救命士を停職6か月の懲戒処分としました。

懲戒処分を受けたのは、石岡市消防本部の救急救命士で54歳の男性です。石岡市消防本部によりますと、救命士の男性は、勤務が休みだったことし4月、静岡県東名高速道路で交通事故の現場に居合わせた際、けがをした男性の腕に注射針を刺すなどの救命処置を行ったということです。法令では、救命処置を勤務時間外に行うことは認められておらず、処置をとる際に本来は必要とされる医師の指示も受けていなかったということです。また、注射針などは、業務以外に持ち出しを禁じられた消防本部の備品だったということです。石岡市消防本部は、法令に抵触する可能性が高いとして、救命士を先月31日付けで停職6か月の懲戒処分にし、男性は依願退職しました。消防本部の調査に対して、救命士は「震災後、同じような事態が起きた際に、すぐに処置できるよう備品を持ち出していた。注射をしたのは、搬送先の病院ですぐに手当てを受けられるようにするためだった」と話しているということです。石岡市消防本部は「人命救助を目的とした行動であっても許されないことで、再発防止に努めていきたい」としています。

とりあえず、この記事で誤解を招きそうな部分は、

    法令では、救命処置を勤務時間外に行うことは認められておらず
一切の救命処置が勤務時間外に禁じられているわけではありません。禁じられているのは、

救命救急士法 44条

 救急救命士は、医師の具体的な指示を受けなければ、厚生労働省令で定める救急救命処置を行ってはならない。

  1. 救急救命士は、救急用自動車その他の重度傷病者を搬送するためのものであって厚生労働省令で定めるもの(以下この項及び第五十三条第二号において「救急用自動車等」という。)以外の場所においてその業務を行ってはならない。ただし、病院又は診療所への搬送のため重度傷病者を救急用自動車等に乗せるまでの間において救急救命処置を行うことが必要と認められる場合は、この限りでない。

救命救急措置として行うことを法令で禁じられているのは

これ以外の救命救急処置はOKです。ほいじゃ、「厚生労働省令で定める救命救急処置」とは具体的になんぞやですが、

救急救命士法施行規則21条

 法第四十四条第一項 の厚生労働省令で定める救急救命処置は、重度傷病者(その症状が著しく悪化するおそれがあり、又はその生命が危険な状態にある傷病者をいう。以下次条において同じ。)のうち心肺機能停止状態の患者に対するものであって、次に掲げるものとする。

  1. 厚生労働大臣の指定する薬剤を用いた静脈路確保のための輸液
  2. 厚生労働大臣の指定する器具による気道確保
  3. 厚生労働大臣の指定する薬剤の投与

つまり心臓マッサージや人工呼吸(これに対する今の見解は置いておきます)、今時ならばAEDとかはもちろんOKです。出血部位の止血なんかも言うまでもありません。つうか救命救急士でなくとも誰が行なっても構いませんし、そうする事が救命率の向上に非常に役立ちます。気になったのは

    けがをした男性の腕に注射針を刺すなどの救命処置を行ったということです
はてなんだろうです。これだけの文章で判断するのは少々危険ですが、おそらく点滴ではなく筋肉注射ではないかと類推されます。だってこの救急救命士が持ち出した薬品は、
    震災後、同じような事態が起きた際に、すぐに処置できるよう備品を持ち出していた。
言い切れませんが、点滴セットを抱えて歩いていたとは、ちょっと思いにくいところです。そうなると持ち出したのは消防本部からですから、当たり前ですが「厚生労働大臣の指定する薬剤」であったはずです。それ以外が消防本部の備品としてあったら、これはこれで少々問題が生じます。

この「厚生労働大臣が指定する薬剤」が具体的にどんなものなかですが、平成21年3月2日付け医政指発0302001号厚生労働省医政局指導課長通知がどうやら最新のもののようです。救急救命処置の範囲については22項目に限定されているのですが、薬剤に関しては2種類(3種類とすべきかな)で、

  • 心臓機能停止状態の患者のための静脈路確保に用いる乳酸リンゲル液
  • 心臓機能停止状態の患者のためのエピネフリン
  • 「処置の対象となる重度傷病者があらかじめ自己注射が可能なエピネフリン製剤を交付されている」時の自己注射が可能なエピネフリン製剤(エピペン)
エピペンについては留意事項も挙げられ、

  1. 自己注射が可能なエピネフリン製剤によるエピネフリンの投与を行う救急救命士においては、当該製剤の添付文書等に記載された使用上の注意、使用方法等を十分に理解するとともに、練習用器具により使用方法等を習熟しておくよう留意されたい。

  2. 重度傷病者が自己注射が可能なエピネフリン製剤を現に携帯している場合は、当該重度傷病者はあらかじめ医師から自己注射が可能なエピネフリン製剤を交付されているものとして取り扱って差し支えない。

どういう事かといえば、エピペンの効能効果を読めばよくわかるのですが、

蜂毒、食物及び薬物等に起因するアナフィラキシー反応に対する補助治療(アナフィラキシーの既往のある人またはアナフィラキシーを発現する危険性の高い人に限る)

こういうアナフィラキシーショックを起こす患者に対して、予め処方して持っておいてもらう薬剤です。それでも実際にアナフィラキシーショックを起こして自己注射できなかったり、たまたま持っていない時には、救命救急士が持参したエピペンを使用しても良いと言う事です。


さてどうもなんですが、救命救急士が使える薬剤はこれだけのようです。もちろん拡大の動きもあって、2010.2.2付MTProには、

救急救命士の業務のあり方等に関する検討会」(座長=杏林大学救急医学教授・島崎修次氏)※の第2回会合が昨日(2月1日),11か月ぶりに開催された。救急救命士の業務拡大の検討対象とされた3項目を検討し,(1)血糖測定と低血糖発作症例へのブドウ糖溶液の投与,(2)重症喘息患者に対する吸入β2刺激薬(SABA)の使用―を了承。(3)心肺機能停止前の静脈路確保と輸液の実施―に関しては,安全性と有効性に対する疑問の声が上がり,議論が白熱。適応条件を詰めた上で,次回会合で再度検討を行うこととなった。

これがどうなったかは良くわかりませんが、検討されていたのは、

  1. 血糖測定と低血糖発作症例へのブドウ糖溶液の投与
  2. 重症喘息患者に対する吸入β2刺激薬(SABA)の使用―を了承
  3. 心肺機能停止前の静脈路確保と輸液の実施
ブトウ糖と吸入のβ刺激剤であったようです。そうなると今回の救命救急士が「男性の腕に注射針を刺す」として投与したのは、エピネフリンであると考えて良さそうです。ちょっと気になるのは救命救急士のコメントで、
    注射をしたのは、搬送先の病院ですぐに手当てを受けられるようにするためだった
これは私の感覚なんですが、「すぐに手当」のための処置なら乳酸リンゲル液によるライン確保の可能性も残ります。ただボトルを携帯していたかは少々疑問の点です。



救命救急士法44条に対する罰則も定められています。

救命救急士法 53条

 次の各号のいずれかに該当する者は、六月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

  1. 第四十四条第一項の規定に違反して、同項の規定に基づく厚生労働省令の規定で定める救急救命処置を行った者
  2. 第四十四条第二項の規定に違反して、救急用自動車等以外の場所で業務を行った者

外形的にはこの罰則にキッチリ当てはまります。それでも44条2項の解釈は若干微妙な点は残りますが、44条1項は確実に該当します。条文にあるように「厚生労働省令の規定で定める救急救命処置を行った者」でも該当します。行った事自体は結果として善行とも言えますが、そもそもなんですが救命救急処置自体が悪行であるはずもなく、それでもやれば罰則と規定されています。

そうなれば起こってくる議論として「見殺しするのか」は当然ありえます。うろ覚えなんですが、法の考え方の一つとして緊急避難行為みたいなものがあったかと思います。ただここも考えれば妙な点があり、今回のような勤務時間外の救命救急行為自体が緊急避難的行為に該当してしまいそうな気がします。そうなれば罰則規定自体がそもそも空文になります。

若干ずれるかもしれませんが、かなり前に話題になった善きサマリア人の法を巡る問題にも広い意味での共通点はありそうな気がします。前提として、すべてを法の規定の下に置くのはそもそも難しい面があり、とくに一刻を争う救命救急の状況でどう考えるかは、色んな意見はあると思います。なかなか課題を残す事件の様に考えています。