二流と三流

5/8付msn産経記事なんですが、ほんわかと面白味が滲み出る記事です。この記事の目的と趣旨は冒頭に凝縮しています。

 福島第1原子力発電所について東京電力で開かれる記者会見には連日、新聞、テレビから雑誌やフリー、インターネット媒体など多くの顔ぶれが集う。民主党が進める「記者会見の開放」の影響で原則誰でも参加できるからだ。会見のネット中継など存在価値を示す媒体もある一方、会見が混乱したり、糾弾の場と化したりする場面も少なくない。

 東電や原子力安全・保安院など関係機関が一堂に会した統合本部の会見では“出入り禁止”も出てくるなど、「オープン会見」の限界や弊害も見え始めた。

この「オープン会見」の弊害が記事に列挙しているわけで、サラッとピックアップしておくと、

  1. 脈絡なき難詰
  2. タレントの姿
  3. 質問か挑発か、あるいは糾弾か難癖か判然としない質問も目立つ。
  4. 聞き手の居丈高さが際だつ場面も少なくない。
こういう風な質問が乱発され大混乱になったとしています。こういう弊害が目立ったため、

先月25日以降の統合会見は事前登録制となり、内実ある活動実績などの要件を参加者に求めている。質問は簡潔にまとめるように促したり、脈絡なく会見をかき回したりした場合、マイクを取り上げたり、退場を求める措置も始めた。

もちろんこういう制限について肯定的な評価を与えています。具体的には定番の識者のコメントで、

八木秀次高崎経済大学教授の話「記者クラブに問題なしとはしない。東電の責任もある。ただ質問に『聞けばいいというものではない』と不愉快になることがしばしばだ。相手をつるし上げ、黙らせ、謝らせるのが会見の使命ではないのに、会見を見ていると、まるで市民の名のもと、相手に反論を許さない裁き『人民裁判』同然の光景に出くわす。参加機会が広がって一定のメリットはあったのだろうが、無原則な開放がよかったとは思わないし、検証が必要だ」

なるほど

    まるで市民の名のもと、相手に反論を許さない裁き『人民裁判』同然の光景に出くわす
人民裁判」でっか、人民裁判はいけないと私も思います。なんとなく「Omae Ga Iuna」の大合唱が聞こえそうな気がしないでもありませんが、ここはあえて置きます。書いてもいつもの定番で読む方も食傷気味だと思うからです。



今日注目したいのは、順番が前後しますが、おそらく識者のバランス・コメントとして出されているものです。これも食傷気味な面もありますが、

ジャーナリストの門田隆将氏の話「原発の問題は、津波の想定を誤った東電に非がある明らかな人災。被災者の今の暮らしや思いを考えれば会見は国民の怒りを反映するものだ。反核団体が運動の論理を持ち込む恐れがあったり、エキセントリックな光景が混じっているからといって、まともな質問が制約される状況とまではいえず、基本的に容認すべきだ。既存メディアが会見の正しいあり方を説くことには大マスコミのおごりを感じる」

このコメントはオープン会見に肯定的な代表意見として掲載されたと判断しますが、なかなかの趣き深い見解をお持ちのようで、

    被災者の今の暮らしや思いを考えれば会見は国民の怒りを反映するものだ
へぇ、記者会見とは「怒りを反映」するものだそうです。ここも注釈が必要ですが、この識者のコメントも「」付きであってさえ、どれほど識者の真意を伝えているかは不明です。わかるのは産経の編集権を経て表明されている産経の意見であると言う事です。


前から思っているのですが、記者会見とは何かです。記者会見場に臨席している記者の役割は何かです。記者会見場にいる記者はしばしば「国民の代表」とか言うセリフを口にします。私は「国民の代表」と言う考え方自体が間違っていると思います。確かに限られた人数の記者会見場に出席し、そこで得られた情報を広く国民に伝達する役割ですから、代表と言う表現が完全に間違っているとまで言い切れないかもしれませんが、代表と言う言葉に酔いすぎていると考えています。

記者の役割は、あくまでも記者会見場で情報を収集し、これの事実関係を調査整理して情報提供を行うことです。求めているのは技術者としての役割であって、思想者としてではありません。もちろん記事にして公表する段階となれば思想や感情が混じりこむのを防ぎきれませんが、記者会見場では情報を収集することを求められる「国民の代理」であると考えています。

代表じゃなく代理であり、あくまでも主目的は情報収集ですから、その場で自らの思想を開陳したり、感情を吐露する必要性は皆無と言う事です。情報を分析した上での判断で火を吹くような論陣を展開するのはありでしょうが、記者会見場で記者が大噴火するのはおかしいと思います。

震災以来の東電の対応に不満を持つ方は多いとは思います。また出来るものなら東電に怒鳴り込みに行きたいと考えておられる方もおられるかもしれません。しかし自分の代わりに記者会見場で怒鳴って欲しいと考えている方は少ないんじゃないかと思います。怒鳴り込みたい方でも報道に期待するのは、事実の指摘であり、事実に基いた糾弾のはずです。もちろん記者に怒鳴って欲しいと思われる方もおられるでしょうが、それが国民の意見の代表とは言えないと考えています。少なくとも私はそうではありません。

つまり記事で糾弾するのと、記者が怒号を上げるのはイコールでは無いという事です。糾弾記事を書くのに記者の怒号が必須のものとは思えません。そうでなくて冷静に情報を集めるのがまず重要で、あくまでも情報分析の結果が糾弾になると言う事です。そこを完全に履き違えている様に思えてなりません。

情報収集のための「国民の代理」だったはずが、「国民の代表」と勝手に自負されて怒鳴り散らされるのは迷惑な話です。それにだいたいどの国民の代表と自負しているつもりでしょうか。記者は「世論を代表している」と口にする事が多いとされますが、世論が特定の問題で一枚岩になるなんて稀有の事です。どんな問題であっても賛成と反対があるのが世論です。

「国民の代表」として怒鳴った瞬間に、怒鳴って欲しくない国民の代表で無くなっているわけです。エエ加減、記者会見で怒鳴り散らすのはやめられたらと思います。別に国民は記者に怒鳴り散らす「国民の代理」を委託している訳ではありません。欲しいのは情報であり、情報に基く事実です。ついでに「良く考察された」論評ぐらいでしょうか。


ま、記者には「わざと怒らせて本音を引き出す」技法に習熟する事を自慢としている向きがあるようですから、そういう連中が集まれば怒号合戦になるのは不可避なのかもしれませんが、あんまり見られた光景じゃないと常々思っています。それと「わざと怒らせて本音を引き出す」技法はキワモノ技法と勝手に思っていましたが、産経がキワモノ技法の程度の差を力説されているのはとにかく面白味を感じさせる記事です。

言ってみれば二流が三流をこき下ろしているようにしか見えないのですが、一流ってどれぐらいいるのでしょうか。もちろん産経だけが二流なんて失礼な事は決して思っていませんから、誤解なきようにお願いします。



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