神奈川県立がんセンターの医療事故に関する事故調査委員会報告書

平成20年12月に作成されたソース元はこちらです。まず事件の概要ですが、

  1. 事故発生日:平成20年4月16日(水) 
  2. 事故発生場所:がんセンター 手術室
  3. 患者:40歳代 女性
  4. 事故の内容:乳がん患者の乳房部分切除手術及びセンチネルリンパ節生検の際に、麻酔器の吸気側の蛇管が麻酔器から外れたことに気付くのが遅れ、心停止に至った。

乳がん手術中の事故であった事がわかります。事故の経緯を長いですが引用しておきます。まずトラブルが発生するまでです。














時刻 経過
8:19
  • 麻酔科医が麻酔器の始業点検を行った。蛇管を含む麻酔回路に空気漏れがないことを確認した。麻酔器アラームの設定の変更は行っていない。
8:45
  • 患者が手術室に到着した。
  • 手術室入口で麻酔科医、担当看護師2名が患者確認を行い、器械出し看護師が患者をC室へ案内。外回り看護師は病棟看護師から申し送りを受けた。
8:50
  • 手術台上で器械出し看護師が生体情報モニターの電極等を患者に装着した。
  • 麻酔科医が右前腕に静脈ラインの確保を行った。
  • 器械出し看護師は、申し受けを終えた外回り看護師が戻ったところで交代し、手洗いへ行った。
8:55
  • 麻酔科医は静脈麻酔剤により麻酔導入を開始した。(1%ディプリバン注キット、アルチバ、マスキュレート)
  • SpO2(経皮酸素飽和度)89%で自動記録されている。麻酔科医は、生体情報モニターのアラーム音を聞いている。
9:00
  • 麻酔科医が、患者にラリンジアルマスクエアウェイ(LM) を挿入し、麻酔回路に接続した。
  • 麻酔器モニターの表示は、8時59分まではPAW(気道内圧)が上がっておらず、EtCO2(終末呼気二酸化炭素分圧)が一定になっていない。LM挿入ができていないと判断される。
  • 9時にはEtCO2 36 mmHgと安定し、PAW は19/6 (最高/最低 )hPaとなり、換気ができているデータとなっているので、LM挿入ができ、換気が開始されたと判断する。
  • 麻酔科医が胃管を挿入し、BISモニターを装着した。
  • 外回り看護師はフロートロンガバメント を巻き、保温マット、温風加温器をセットし、固定クッションを入れた。
  • 器械出し看護師が手洗いから戻り、尿道カテーテル挿入の介助を行った。
  • 外回り看護師が尿道カテーテルを挿入した。
  • 執刀医がセンチネルリンパ節生検のマーキングのため、ジアグノグリーン注を皮内注射した。
  • 執刀医と介助医は手洗いへ行った。
  • 麻酔科医は、F室の麻酔導入を援助するため、外回り看護師にF室に行くと伝えてC室を退室した。(F室の麻酔記録から、C室を退室したのは、9時8分頃と推測される。なお、看護師は、麻酔科医は中央に行くと言って退室したと記憶しているが、記憶誤りの可能性が高い。)
9:08 9時8分から異常が判明した9時33分までの間に、行われたことと、順序はほぼ判明したが、時刻は特定できなかった。
  • 執刀医、介助医が手洗いから戻り、外回り看護師は患者の頭左側に立って上肢を把持して挙上し、執刀医が左上肢を消毒した。
  • 執刀医、介助医が器械出し看護師から覆布を受け取り患者に掛けた。
  • 執刀医の指示により手術台を水平に挙上した後、患者の左側を高く保つよう台の角度を調整した。
  • 当初、誰がベッドコントローラーを操作したのか不明であったが、関係者からの聴き取り、前後の状況から判断して外回り看護師が行ったものと考えられる。(ただし、本人にはその記憶がない。)
  • 執刀医が手術開始宣言(タイムアウト)を実施した。(執刀医が患者名を言い、外回り看護師が、血液型、フィルムの名前の確認を行った。)
  • 執刀した。
  • ガンマプローブ(ガンマ線検出器)を使用しながら左腋窩リンパ節1ケを取った後、引き続き、リンパ節2ケを取った
  • 外回り看護師は、リンパ節を受け取り、処理して病理検査へ提出した。
  • 執刀医は乳腺のマーキングのため、インジゴカルミンキシロカインゼリー2%注入を行った。
  • 乳房に皮切を入れた。


非常に簡単には8:55から麻酔導入が始まり、9:08に手術室から退室した事が確認できます。後の話の展開上、2つポイントを指摘しておきますが、
  1. 麻酔器アラームの設定の変更は行っていない
  2. 麻酔科医は、生体情報モニターのアラーム音を聞いている

それでもって9:08から9:33までの正確な時刻経過は不明となっていますが、麻酔器モニター記録と生体情報モニター記録が掲載されています。

時刻 経過
9:12 (麻酔器モニター記録)EtCO2 27mmHg、MV(分時換気量)7L/分、PAW 17/1hPaを表示していることから、この時点では換気が正常に行われていたことが確認できる。
9:16 (麻酔器モニター記録)APNEA(無呼吸)CO2アラーム表示から、麻酔器から蛇管が外れたと考えられる。
9:17 (麻酔器モニター記録)麻酔器モニターは EtCO2 −−(−− は計測不能を表す)、MV 3.5L/分、PAW 0/0 hPaを表示している。麻酔器モニターは、1分間以上計測値に異常が続くと、その時点で異常を数値で表示することから、9時17分の1分前の16分頃に麻酔器から蛇管が外れたことにより、EtCO2に異常が発生したと推測した。誰もアラーム音を聞いていない。
9:19 (生体情報モニター記録)SpO277%を表示している。誰もアラーム音を聞いていない。


この調査報告書によると9:12に異常がなかったものが、9:16に蛇管が外れたと判断されています。当然アラーム音が鳴るはずですが、
    誰もアラーム音を聞いていない
モニターは麻酔器と生体情報の2系統で行われていますが、
    誰もアラーム音を聞いていない
続いて9:33の異常発覚時です。9:16に蛇管が外れてから17分後の事になります。










時刻 経過
9:33
  • 生体情報モニターのアラームが一瞬鳴ったことに気付いた外回り看護師が、モニター画面にSpO2 値が表示されていないことに気付き、クリップの装着箇所を変えたが、依然としてSpO2値が表示されていなかったため、麻酔科医をPHSで呼び出した。
9:34
  • HR(心拍数)44と徐脈になった。
  • F室で麻酔導入を手伝っていた麻酔科医は、すぐにC室に駆け戻り、モニター画面で心拍数40台、房室ブロックを確認、SpO2が測定できていないことを確認した。
  • 麻酔科医は、麻酔器に掛かっていた覆布を避け、用手換気にしてバッグを押した。(後の事情聴取で、「この時点で麻酔器の吸気側の蛇管が外れていたため、すぐに蛇管を再接続し、用手換気を開始した。」と話している。)胸壁挙上の確認、モニターにEtCO2値が表示されていることを確認し、吸入酸素濃度FIO2 を0.45から1.0へ上げ、麻酔薬の点滴投与を中止し、アトロピン硫酸塩アンプルを投与した。
  • 麻酔科医は、他の医師の応援を要請した。
9:36
  • 徐脈から心停止となったのを麻酔科医、外科医、看護師がモニター画面で確認し、心肺蘇生を開始した。応援麻酔科医が到着し、蘇生を手伝った
  • 洞調律、心室細動を繰り返した。
  • ボスミン注、静注用マグネゾール、静注用キシロカイン2%を投与した。
  • LMを抜去し、気管チューブを挿入、心肺蘇生を継続した。
  • 電気的除細動100J1回、200J2回、300J2回 計5回施行した。
9:52
  • 洞調律に戻った。


9:19にはSpO2が77%を記録していたアラームが9:33になりようやく「一瞬」鳴り、これを看護師が聞きつけて大騒ぎになった様子が窺えます。この一瞬なったアラームの後に患者の状態は急変し、徐脈から心停止になり、あとは蘇生作業が懸命に続けられ、9:52になんとか洞調律に戻ったとなっています。麻酔医は9:08に席を離れた後に、9:34に急変を知らされて駆けつけ、9:35には応援要請を行っています。

でもって原因が蛇管が外れたことに気が付いたのがいつかですが、

 外れた蛇管が再接続されたのは、後の調査で判明した次の理由から、9時34分から35分の間と推測される。

 C室に巡回に来ていた看護師が9時34分頃と35分頃、心電図を手動で記録した間に、麻酔科医が接続しているのを見たと記憶していること、9時37分の麻酔器モニターはEtCO2 15 mmHg、MV 8.1L/分、PAW 25/1 hPa と表示されていることから、この時点では換気がされていることが確認できる。そのため、蛇管は、心電図の記録を手動で行った間に再接続されたと推測した。

 事故発見当時は、9時32分に麻酔器モニターが EtCO217 mmHg 、MV 3.5L/分、PAW 0/0 hPaを表示していることから、外れた蛇管がこの時点で再接続されたものと推測した。しかしながら、この時点のPAWが 0/0 hPaであり、1分後のEtCO2 が−− に戻っていることから、自発呼吸によってEtCO217 mmHg を検知した可能性が高く、事故調査委員会では、この時点ではまだ蛇管は再接続されていないと判断した。

このあたりの時間経過をピックアップしておくと、

時刻 経過
9:33 看護師が生体情報モニターのアラーム音に気付き、異常に気が付く
9:34 麻酔医が駆けつけ、蛇管を接続する
9:37 麻酔器モニターがEtCO2の記録が改善


どうも麻酔医は駆けつけてすぐに蛇管が外れているのに気が付いたとしてよさそうです。


さてなんですが、この報告書を信じるならば、最大のポイントは何故にモニター音に誰も気が付かなかったかになります。意見として麻酔医が不在にしたのは良くないは当然あると思いますが、今日はあえて避けています。軽視とか無視している訳ではなく、そこを論じると今日は終わってしまうからです。並列麻酔、鵜飼い麻酔の問題は簡単には論じられないからです。

調査報告書のモニター音に関するところを引用します。まずですが、

 麻酔器から蛇管が外れた際に、本来機能するはずのモニター類が今回は有効に機能しなかった。事故後の検証では、麻酔器のアラームは初期設定では緊迫感のある大きな音ではなく、電気メスやガンマプローブから生じる機械音や室内の他の音にまぎれてしまい、手術とガンマプローブの音に集中していた外科医、看護師は聞こえなかった可能性があることが確認された。

 また、生体情報モニターについても看護師はアラームが一瞬鳴ったと話しているが、他の者には聞こえていなかった。

う〜ん、「アラーム音が穏やかで大きな音でなかった」から誰も聞こえなかったとの結論のようです。ようやく聞こえたとされるアラーム音も、

    看護師はアラームが一瞬鳴ったと話しているが、他の者には聞こえていなかった。
さらにこれに推測が加えられています。

  • 麻酔器のアラームに気づかなかった。
  • 生体情報モニターのアラームが鳴らなかった。
  • 生体情報モニターのアラームは鳴っていたが気づかなかった。
  • 生体情報モニターの設定が次のように変更されていた。


    • 途中でSpO2のみアラームを消音設定にした。
    • 途中でアラームを全部、消音設定にした。
    • 生体情報モニターの記録紙カセットを途中で外して再び嵌めた。
    • 生体情報モニターの消音ボタンをアラームが鳴る度に3、4回連続して押した。


  • 覆布が蛇管を被っていた。

御注意頂きたいのですが、これらは推測であって確認されたものではありません。あくまでも私は小児科医であって、手術室はそんなに身近な仕事場ではありません。とくに開業してからは完全に縁がなくなっていますが、なんとなく釈然としない報告書のように何故か感じます。これは事故の経緯の冒頭に書かれているのですが、

 がんセンターでは、手術中の記録は、通常、主に手術担当麻酔科医(以下、「麻酔科医」という。)が行い、看護師は、看護記録を術後に記載している。今回の手術では、担当麻酔科医が事故発生前後の時間、手術室を不在にしていたため、事故発生時前後の出来事を逐次、記録している者がおらず、事実経過に関する正確な時刻の記録が少ない。

 事故調査委員会では、麻酔器、生体情報モニター、BISモニターの内部記録、カルテの記録、関係者の記憶、実地検証の際の計測時間を参考にし、事故の経緯をまとめた。

なんとなく釈然としないとはしましたが、あくまでも「なんとなく」であり、今回の事件は私の手に少々余ります。宜しければ現場の皆様の御意見を伺えれば幸いです。