老醜無残

権力の座は人を魅了すると言います。それ故にその座を目指して目指す人は懸命の努力を重ねられます。たぶん自分の人生では縁が無いので関心が薄いのですが、そういうものだと聞いています。日医会長もそういう座の一つです。日医会長もかつては「昔陸軍、今日医」とまで言われた伝説の時代は遥かな話になりましたが、会長の座に付くまでの長い道のりは健在であり、なりたい人はたくさん蠢いています。

日医会長に限らずですが、権力の座に就いたものに求められるのは去り際の潔さです。苦労の末に手に入れた座ですから、これに執着したくなるのは人情でしょうが、去る時には去るのが美学とされます。去る理由は様々でですが、年齢もそうですし、良き後継者が恵まれるもあります、組織よっては慣例として年数を決めているところもあります。

去る理由として他に大きなものに結果責任があります。権力の座にあるものの魅力に、自分の判断で権力を揮えるというのがあります。これが最大の魅力と個人的に思っていますが、判断の結果は常に正しいとは限りません。権力には責任がセットで付いているのがこの世の仕組みで、自らの判断が結果として間違っており、所属している組織に大きな被害を与えた時には責任を逃れられない宿命もあります。

この判断ミスによる結果責任は時に理不尽な時もあります。前任者のツケが回されての引責もありえますが、それでも甘受しなければならないのが権力の座と思っています。厳しすぎるという見方もありますが、権力の座にある者はそれぐらい自らを律して欲しいの願望も込めています。


話は日医会長に戻すのですが、現会長は噂される就任経緯からして自民にベッタリの姿勢であったのは今や周知の事実として良いかと思います。そういう判断の本当の是非はともかく、そういう路線を取った事の結果責任は現会長が負わざるを得ないと考えます。なぜならそういう路線を変更修正する権限を有していたからです。

路線変更の時間が無かったかを考えてみます。現会長が会長に就任した2006年の前年の9月には郵政選挙がありました。この時の選挙結果は御存知の通り自民が歴史的な圧勝を記録しています。小泉政権の絶頂期ともいえる時期で、この時期に与党である自民と協調路線を取る事は、異論はあるとしても一つの選択です。

とくに日本の戦後政治は自民の異例の長期政権がほぼ一貫して続いており、永久与党である自民に協調する事が日医の利益に通じるという考えは一定の説得力があったとは言えます。ただ時代は小泉退陣後に激動の時代を迎える事になります。誰でもわかる物として前回の参議院選挙があります。この選挙で自民は地すべり的大敗を喫し、参議院過半数を自公あわせても大きく割り込む事になります。

前回の参議院選挙から今回の総選挙までの間に2年間あります。この2年間が平穏無事であったとは誰も言えません。構図は衆議院再議決のための2/3を巡る争いで、もし総選挙をやれば2/3は絶対に維持できない呪縛に自民が悶えた2年間と見ることが出来ます。現会長が問われるのは参議院選挙後の2年間の日医の近未来戦略構想になるかと考えられます。

この2年間のうちに自民ベッタリから民主ベッタリに擦り寄れとまで言いませんが、是々非々路線に転換していたら今の日医の惨状はかなり変わっていた可能性はあります。しかしそれをせずに自民ベッタリ路線のままで総選挙に突入してしまいます。


ここで現会長があくまでも自民ベッタリ路線を選択したのは一つの判断です。総選挙の時点でも自民辛勝の可能性は否定できなかったのですから、路線変更を行なわない判断も成立します。先の事は誰にも確実には予想できないのですから、一概には責められないかもしれません。しかし権力の座にあるものは、自らの判断による結果責任も取らざるを得ない立場と考えます。

ここで権力の座にあるものの引き際として、

    オレは自民を選択したが、結果は見ての通りで、辞任して建て直しは後の者に託す
これぐらいなら、結果責任としての批判は出るでしょうが、それでも責任を背負った事でそれなりの評価が為されます。日医会員のほとんどすべては「そうする」と考えていました。焦点としてはせいぜい来春までの任期満了まで居座るか、それとも即刻辞任するかぐらいの差です。ところが現会長はあくまでも三選を目指すそうです。

skyteam様のところで引用されている10/21付Risfax記事を引用しますが、まず

自民党から民主党への政権交代に揺れる日本医師連盟20日、臨時執行委員会を開き、唐澤祥人執行部が総選挙において自民党支持固執した理由を「確信を持って方向転換するには至らなかった」と踏み込んで総括した。

ここは上述した通り、結果責任を問われる部分です。前回参議院選挙後から総選挙までに至る2年間で、現会長の状況判断として自民ベッタリ路線の堅持を選択したわけであり、問われているのは路線転換を行なわなかった理由ではなく、そういう判断の結果であると私は考えます。重大な判断で、現会長の判断結果が正しければ称賛を受けるのですから、正しくなかったら批判は渦巻くと言う事です。

関係者によると、唐澤氏は「総括」と題してまず、「小泉政権による新自由主義による構造改革が地域医療の崩壊を招いた」と位置付けたうえで、それでも自民党を支持し続けた理由を、02年に作成した「支持政党は政権与党である自民党とする」との活動指針にあると説明した。

02年の活動指針があったかもしれませんが、言ったら悪いですが憲法改正ではありませんから、いつでも路線変更は可能であったはずです。もちろん日医会長の独断だけでは無理かもしれませんが、02年の活動指針に手をつけた形跡を私は存じません。えらく絶対視しているようですが、総選挙後に掌を返すように変えられる、02年の活動指針に縛られて身動きが取れなかったとするのは、少々無理があると感じます。

形の上の結果論と言われればそれまでですが、02年の活動指針を無条件に受け入れ、それに縛られていたというより、喜んで乗っかっていただけと言う批判は十分に成立するかと思います。もっともこの活動指針問題は、現会長だけの責任だけではなく、日医代議員すべての責任問題にも通じます。結局誰も修正しようとは思わなかったわけですから、広い意味では同罪です。

 ただ、それでも日医連が自民支持にこだわった背景について「民主党の医療政策はマニフェストが公表されるまで不明確だった」と説明、「確信を持って方向転換するには至らなかった。日頃のロビー活動でも自民党に気遣うあまり、野党である民主党に日医連の医療政策を理解してもらう努力が足りなかった」と踏み込んだ。

マニュフェストに関しては正直なところどっちもどっちで、民主マニュフェストが必ずしも格段に優れていたとは思っていません。それとこの現会長の表現なら、ギリギリまで自民と民主選択に「まるで」揺れ動いていた様に感じられますが、そんな事があったとは俄かに信じ難いものがあります。それにこの発言は02年の活動指針の縛り発言とさえ矛盾します。02年の活動指針の縛りがあるのなら、そもそも民主のマニュフェストを読んで路線転換を検討する余地さえないはずです。


もっともRisfax記事がどれだけ正確に現会長の総括を伝えているか不明です。それでもわかる事は、総選挙の結果に対する何らかの釈明を行ったことだけは間違いないとしてよいかと思います。現会長は釈明により総選挙結果責任を総括(終了)し、これを禊として三選支持の訴えをしたと思われます。総括はこれだけ重大な結果責任をもたらしたわけですからやらざるを得ないでしょうが、どうにも見苦しく感じてなりません。

現会長のやっている事は「敗軍の将、兵を語る」そのものであって、それぐらい重大な結果責任を口先一つで糊塗すれば、醜悪さのみが残ります。去り際の美学とは完全に反したものであることだけは誰でもわかりますし、タイトルにしたように老醜無残の他にどうにも表現のしようがありません。


ちょっと面白いものがありまして、総選挙後の日医執行部の姿勢を示すものとして、2009年10月14日付日医「日本医師会の提言−新政権に期待する−」に例の2200億円の影響をまとめたグラフがあります。

これを見るとまさにブラックジョークです。02年の活動指針で
    「支持政党は政権与党である自民党とする」
こう決定した年から、今に至る2200億円の削減が始まっています。この間に坪井栄孝氏、植松治雄氏さらに現会長と代を重ねています。自民支持を活動指針にまで明記して指示し、公式データでは最大の献金団体として尽くしながら、情け容赦なく2200億円を剥ぎ取られていた事になります。これはお人よしと言うレベルを越えた無能の象徴にしか私は感じません。


組織は危機に陥った時にその真価を問われます。生命力の溢れた組織なら、新たなリーダーが適切に現れ、危機を克服してさらに強固な組織を築く事が出来ます。危機はそれまでの慣習や慣行を容易に打破できますから、動脈硬化を起こしかけている組織を再生するには、見ようによってはチャンスだからです。

逆に寿命の尽きかけた組織であれば、危機に落ち込んだ旧体制をさらに堅持しようと言うわけのわからない行動に出ます。寿命の尽きかけた組織でも改革者は現れますが、旧体制の擁護者に弾き飛ばされるというのもよくあります。また弾き飛ばされなくとも、守旧派と改革派が不毛の消耗戦を繰り広げ、どちらが勝ってもさらに組織が弱体化するなんて現象も珍しくありません。

現会長が三選にやる気マンマンの日医はどうなんでしょう。これでも日医会員ですが、現会長だけではなく、日医自体も老醜無残と目を覆いたくなります。