日曜閑話28

プロレスラーの三沢光晴さんがリング上で亡くなられたとのニュースを聞きました。謹んで故人の御冥福をお祈りします。これに因むと言うのは故人に失礼かもしれませんが、今日のお題は「プロレス」です。

プロレスファンは多いので申し訳ないと思うのですが、三沢光晴さんについては殆んど存じ上げません。私の関心がプロレスから去って活躍されたレスラーで、現役時代の勇姿は残念ながら存じ上げません。ただ時にプロレスの喩えをエントリーに持ち出すことがあるので、プロレスに関する思い出話を雑談風にさせて頂きます。

日本のプロレスは力道山によって切り開かれましたが、さすがに力道山は知りません。私の記憶のスタートは力道山の愛弟子であり、後継者であったジャイアント馬場アントニオ猪木から始まります。つうてもこの二人のリング上の勇姿に熱狂したというより、当時の人気アニメ「タイガーマスク(初代)」から入ったと言えます。もっともアニメの中の超人的な動きや強さに較べると、プロレス中継のご本人との間の落差に子供心にかなり戸惑いがあったのは確かです。

当時のプロレスはこれを真剣勝負と見ていました。そのために今の大相撲並みに「プロレスは八百長ではないか」みたいな議論が行なわれていました。タイガーマスクでプロレスに関心を持った私もまた「プロレスは真剣勝負」と無邪気に信じ込み、ヒール役の外人レスラーの反則に憤慨し、ベビーフェース役の日本人レスラーに熱い声援を送った牧歌時代でした。

その後プロレスは馬場が率いる全日本プロレスと、猪木率いる新日本プロレスの時代に複雑な経過を持ちながら変遷していくのですが、そのあたりはポッカリ記憶から抜け落ちています。たぶん見ていなかったのでしょう。当時の断片的な記憶のプロレスといえば、「猪木 vs アリ」の世紀の対決ぐらいです。

そういう無関心時代が長かったのですが、どんなきっかけか忘れましたが、急にプロレスへの関心が高まりました。たぶん当時の旧友の影響かと思うのですが、すっかり忘れてしまいました。そういう時期に手にした本が村松友視の「私、プロレスの味方です」です。内容は御存知の方も多いと思いますが、乱暴に要約すれば、

    プロレスはプロのレスリングでもショーでもなくプロレスである
かつての「プロレスは真剣勝負」の中途半端な幻想を綺麗に拭い去ってくれた本でした。真剣勝負でもあり、ショーでもある格闘技エンターテイメントであるプロレスに関心が向いたと言えばよいでしょうか。当時熱心に見ていたのは猪木率いる新日本プロレスです。今から思えば夢のようですが、猪木の新日本プロも馬場が率いる全日本プロもプライムタイムに放映枠を握っており、なおかつなかなかの人気番組でした。

新日本プロの実況を担当したのが、プロレス中継に新たな境地を切り開いたと言われる古舘伊知郎です。当時の古舘の実況中継は本当に光り輝いていたかと思います。古舘にしても最良の時代であった様に思っています。

なにぶん古いお話なので、記憶が曖昧ですし間違いもあるかとは思うのですが、当時のプロレスには画期的な新基軸が持ち込まれます。それまでのプロレスの基本構図は「悪役外人 vs 善玉日本人」です。変形のバリエーションは多彩でしたが、基本構図はあくまでも「悪役 vs 善玉」であったはずです。ところがここに日本人同士の抗争という新基軸が導入される事になります。

プロレスの試合は単なる組み合わせではなく、戦う二人にドラマがある方が盛り上がります。アマチュアでも自然に出来上がったドラマと言うか、因縁対決が起こりうる事はありますが、プロレスではこれを人為的に作り盛り上げます。「悪玉 vs 善玉」もその図式で、いかにも凶悪そうで実際にも陰湿な反則技を繰り返す外人レスラーを、正義の日本人レスラーがフェア・プレーで打ち破る勧善懲悪がドラマの基本です。

全日本プロはあんまり見ていなかったので新日本プロの話が中心になりますが、新日本プロで打ち出された路線は長州力の反乱と言うものです。構図としては猪木の後継者路線のお話になり、藤波辰巳を後継者にする路線に長州力が反乱を起したみたいに理解すれば良いでしょうか。長州力も単独で反旗を翻した訳ではなく、同調者も引き連れての抗争劇です。

この路線の新味は、

  1. 日本人同士が因縁をもって戦う動機付けの説明が容易かつ繰り返し使える
  2. 従来の悪玉・善玉の役目分けではなく、どっちが強いかの格闘技路線の味付けをアピールできる
この路線変更は大ヒットし、さらにこの路線の影響で「外人レスラー = 悪役」もまた歴史の中に封じ込められたと言っても良いかと思います。

あの時代のプロレスは個人的には面白かったのですが、現在のプロレス衰退の遠因になっているような気がしています。悪玉・善玉がいなくなったプロレスは当然の様に「どっちが強いか」に興味の中心が移ります。「どっちが強いか」路線はコアなプロレスファンだけではなく、格闘技愛好者も惹き付ける結果をもたらしたと思っています。それがあの時代と思っています。

「どっちが強いか」をプロレス的文脈で判定している間は繁栄を謳歌しましたが、「どっちが強いか」の判定をプロレス的文脈で判定するのでは飽き足りない層が出てきます。プロレスファンにはコアなプロレスファンと格闘技ファンがいるのですが、格闘技ファンの方が「本当にどっちが強いか」をもっと鮮明に判定できる試合を望む様になったと考えています。

馬場は基本的に悪玉・善玉を取り去った、格闘技の味付けが濃い路線を嫌っていたと聞きます。おそろく「どっちが強いか」路線を推し進めると、プロレスファンのうち格闘技を重視しているファン層が離れると考えていたのではないかと思っています。プロレスはコアなファン層だけでは支えきれず、格闘技ファンを巧妙に取り込んでおかなければならないと考えたかと見ています。

プロレスは村松友視の語るとおり、ボクシングのような単純な「どっちが強いか」を一発勝負でアピールする興行ではなく、どちらかと言うと大相撲の様に人気のある選手が繰り返し、繰り返し対決するのを楽しむ興行に近いと思っています。一発勝負で無いのでドローはありますし、負けても「次の復讐戦」が延々と続く図式です。

さらに言うと「どっちが強いか」を可能な限りぼかす必要さえあると考えています。善玉・悪玉時代なら「卑怯な反則さえ無ければ日本人が強い」みたいな説明を加えながら、無限に次に興味を引きずっていく手法です。勝敗をプロレス的な文脈で解釈するのなら、試合を通じての、選手の強さ、アピール度、試合のコントロール能力を評価して、「アイツのほうが格上だ」みたいな評価をするといえば良いのでしょうか。

馬場は「どっちが強いか」路線の隆盛は、極めて曖昧なレスラー間の強弱の明白なランク付けにつながり、格闘技でもありショーでもあるからこそ惹きつけているファン層の分離を恐れたと考えています。路線としてショー的要素の方に重みを置いたプロレス路線の方がプロレスのためであるみたいな感じでしょうか。この辺は私個人の感想と言うかプロレス観になり、山ほどの異論反論はあると思いますが、閑話と言う事でお目こぼしお願いします。

しかし馬場とて新しい処方箋があったわけではなく、全日本プロも新日本プロに引きづられる様に類似の路線になっていきます。そしてついに生まれてしまったのが現在隆盛を極めるK-1を始めとする「本当にどっちが強いか」の格闘技路線です。これは格闘技ファンだけではなく相当数のプロレスファンさえ吸引してしまったのではないかと思っています。


格闘技とプロレスがジャンルとして分かれてしまった後は、プロレスの苦闘時代と言うか長期低落時代が始まります。コアなプロレスファンの関心をつなぎとめ、なんとか格闘技に流れたファンを呼び戻し、新たなファン層を開拓しようとの時代です。

実は見ていないので知りませんが、最近のプロレスラーの選手寿命が短くなった様な気がしますし、負傷も多くなったような印象があります。昔のプロレスラーは殆んど怪我などしなかったように思います。怪我は昔もあったかもしれませんが、興行に差し支えるような怪我はまずなかったかと思います。これはプロレスと言うほぼ連日の興行が必要とされるものには必須の条件であったかと思います。

プロレス技は派手ですが、言うまでもありませんが、あれは相手の協力無しでは成立しません。それはプロレスの約束事ですから問題は無いのですが、プロレス衰退の背景を受けて、より派手に見せる必要性にレスラーたちは迫られたのではないかと思っています。いくら合意の上のプロレス技でもダメージはあります。かつては小技の積み重ねの上での大技一発でフィニッシュで観客が満足していましたが、これが徐々にエスカレートします。

フィニッシュが大技の応酬程度のうちはまだ良かったのですが、試合自体が大技の応酬合戦になればレスラーとは言え消耗するかと思います。それでもプロレス人気の衰退を防ぐために彼らは繰り出さざるを得なくなったかと推測しています。それと大技はかける者、かけられる者に阿吽の呼吸と高度な技術が必要です。大技は綺麗に決まった時よりも、呼吸が合わずに崩れたときの方が危険で、怪我も多くなると聞きます。


かつて日本には女子プロレスが存在し、絶大な人気を誇った事があります。ビューティ・ペアの時代を思い浮かべると良いかもしれません。しかし現在は見る影もなく衰退しています。力道山以来の伝統を誇る男子プロレスとて同じ道を歩まないとは限りません。そうはさせまいと奮闘していたのが三沢光晴さんだったのではないかと思っています。

年齢からし三沢光晴さんも、プロレス華やかなりし頃を知っているはずですから、現状にさぞ切歯扼腕し、かつての輝きを何とか取り戻したいと念じて戦っていたはずです。大したプロレスファンではありませんが、もう一度御冥福をお祈りします。