子供がプロレスを知らない時代

ビフォーアフターって番組を娘が好きなので付き合っていました。今回は新日本プロレスの合宿所のリフォームです。リフォームの内容はちょっと置いておいて、今さらながらに驚いたのは中2の娘はプロレスをまったく知らないことです。覆面選手(獣神サンダー・ライガーだったかな?)が登場していたのですが、

    どうしてマスクを取らないの?
これを聞かれて返事に詰まったってところです。番組内容からプロレスはなんらかのスポーツ、それも格闘技系らしいぐらいは分かったようですが、プロレスと言うスポーツ(と言ってエエのかな?)自体の存在を知らないのです。マスクがなんらかのコスチュームらしいまでは推測できても、試合でもないのになぜにマスクをしているか(それもヘルメットまで被って)不思議だったようです。思い返してみると、そりゃ知らないだろうと思わざるを得なかったってところです。


でもって、なんとか説明しようとしてハタと困りました。とりあえずレスリングを知っているかと聞いたら、国民栄誉賞を受けた女子選手がいる事は知っていたようです。ただなんですが五輪でやっているレスリングとプロレスは似ている部分もありますが全く違います。つうか、私の時代はまったく逆で、先にテレビでプロレスを知り、それのアマチュア版がこの世に存在する事を知った世代だからです。

新日本プロの合宿所は元は猪木の自宅だったものを合宿所として提供したものです。当然ですが私は猪木を知っていますし、猪木がどれだけのレスラーであったかもリアル・タイムで知っている訳です。猪木の初期の必殺技のコブラツイスト、さらに後期に使われた卍固め、晩年の切り札であった延髄切りもよく知っています。でも中2の娘にとってはアントニオ猪木と言われても「それって、だ〜れ?」てなところです。


プロレスはたまにですがうちのブログでも取り上げていますが、本当に昭和は遠くなったとヒシヒシと感じてしまいました。さすがに力道山の時代は存じませんが、日本プロレスが健在な頃にジャイアント馬場アントニオ猪木の二大スターが君臨し、この2人がエエ意味でも、悪い意味でもその後のプロレス界を発展させていったのは良く知られているところです。

いつがプロレスの全盛期であったのかは意見が分かれるかもしれませんが、昭和の末期にも猪木の新日プロも馬場の全日プロもゴールデンタイムに放映枠をもっていました。とくに新日プロにはあの古舘伊知郎が実況アナとして君臨し、大きな人気を誇っていたのは間違いないかと思っています。

ですから子供、いや女の子であってもプロレスを知っているのは常識であり、とくに男の子なら下手なりに技の一つや二つを掛けられて当然でした。言うまでも無くレスラーは著名人で、著名人だったからこそ、その物まねや、仕草を使ったギャグが余裕で成立していたって言っても、今の子供には完全に「???」の気がします。


それにしても今回改めて難しいと思ったのは、

    プロレスってどんなスポーツ?
これがストレートに説明し難いです。ボクシングならある程度簡単で、グローブを使った殴り合いぐらいでまだしも可能です。それにボクシングのタイトルマッチなら今でもテレビで放映されます。辛うじて五輪のレスリングを知っている程度の人間に、プロレスとはなんぞやと言われると本当に立ち往生しました。まあ単純に素手の格闘技ぐらいで良いかもしれませんが、どうにも違うです。

だって相撲とか、柔道みたいなものかと言われると「そうだ!」と答え難いからです。たしか村松友視だったと思いますが、プロレスはプロのレスリングでもなく、ショーでもなく、プロレスであると定義していたと思います。まさしくそんな気がします。あえて言えばショーに近いのですが、それでもショーでないのがプロレスと言った感じです。


本物を見たことがない人に説明するのも難しいですが、一度や二度見た人に説明するのも難しい気がしています。たとえばプロレス技。あれの基本にロープに飛ばすというのがありますが、あれだって飛ばされるのはまだ辛うじてわかるとしても、綺麗に跳ね返って技にかかるのは「おかしいじゃないか」とマジレスされたら困ります。あえて言えば「あれは約束事」としか説明しようがなく、ここで「じゃ、インチキ」と言われるとまた答えに窮するってところです。

プロレス技の複雑なところは、掛けられる方も協力すると言うのがあります。掛ける方、掛けられる方の協力があって、大技が見事に決まるです。なおかつ言えば、掛けられる方がヘタクソなら、非常に危険になります。綺麗に掛かった方があれは安全なんです。安全は言い過ぎかもしれませんが、レスラーの耐えられる範囲で衝撃が収まるぐらいでしょうか。

ですからプロレスの試合と言うのは、双方がある程度技を出し合って、それに対する耐久度を競っている面が確実にあると思っています。あえて喩えれば、2人が向き合って立ち、一発づつノーガードで殴り合い、最後まで立っている方が勝ちみたいなスポーツです。ただこういう見方さえも、非常に一面的で、「それがプロレスだ!」とは絶対に言えません。


思えばかつてのプロレスは、そういう複雑玄妙な本気と八百長、ショーと格闘技の虚実の皮膜一枚の世界を世間に周知させていたのだと感心しています。それこそ「判定はリングアウト負けだが、強い(凄い)のはアイツだ」みたいな見方を誰もが知っていた事になります。そういうプロレスとは「なんぞや」の伝承が、この平成の時代になって断絶してしまった気がします。

もちろん今だって熱心なファンが多数おられるのは知っていますが、昭和の時代なら誰でも知っていた状況とはかなり様変わりしています。だんだん知る人ぞ知る特殊な競技というかジャンルになりつつあるような気がします。もちろん昭和のプロレスであっても常にスポットが当たっていたわけでなく、不人気に苦しんだ時期もあったはずですが、昭和の不人気時代とは質が変わっているように思えてならないのです。

それでもまた盛り返す事が出来るのでしょうか、それとも女子プロレスのように消滅してしまうのでしょうか。はたまた、黄金時代とは桁が違っても減ったなりのファンに支えられて生き延びていくのでしょうか。


リフォームの内容も少しだけ触れておきます。さすがに見事に仕上がっていました。その点は「さすが」と思ったのですが、妙に小奇麗過ぎる点にチョットだけ違和感を感じました。老朽化して痛んでいる個所を補強したり、継ぎ足し増設で不便な点を改良し機能性を高めた点は文句はありません。また大規模リフォーム(建て直しにしか見えない気がするのは置いておきます)に伴って、あちこちが整理され綺麗になっていた点も文句はありません。

ただプロが気合を入れたせいか細かいところに手が行き届きすぎて、ちいとばかりオシャレすぎる仕上がりになっている印象がありました。もうちょっと武骨な感じでも良かったんじゃないかなぁってところです。もっとも所詮は男所帯ですから、どんなにオシャレに仕上げても、嫌でも武骨になっていくとも言えますから、余計な心配とする方が良いかもしれません。

しばらくはどう考えても厳しそうな予想を立てたプロレスですが、練習生の屈託の無い笑顔を見たら希望はありそうに感じています。昭和のプロレスは遠くなったかもしれませんが、今度は今の時代にマッチしたプロレスを作れば良いだけとも言えます。そういう点でプロレスは融通無碍の性質がありますから、オールド・ファンとして期待する事にします。