半周遅れ

12/15付読売新聞「医療費抑制 患者の声を」より後半部分一部抜粋、

一段落した時、医師である委員の一人が、「一番大事なのは、日本の医療をどうするのかを考えることだ」と発言した。

 同感だった。ヒアリングで出た患者団体の指摘の多くは、がんに限らず日本の医療全体が抱える問題だ。例えば、化学療法医の不足を解消するには、他の診療科も含めた適正な医師数の見積もりや医学教育のあり方など、医師養成システムそのものの見直しも必要になる。医療スタッフを増やすにも費用がかかる。まずは医療にどれくらいお金をかけるのか、議論して国民が選択しなければならない。

 政府は医療費抑制を政策目標に掲げ続けているが、それで日本の医療は大丈夫だろうか。無駄をなくす必要はあるが、情報提供の充実やチーム医療体制の整備など、医療のあり方が変わる中、「医療費抑制一辺倒では、患者が望む医療の実現なんてできない」という問題意識が患者団体にも芽生えている。

 社会の選択は必ずしも患者の思いと一致しないかもしれない。それでも、現場の実態を広く知らせて問題提起し、医療にどれだけ費用をかけるべきなのかを議論しなければ、安心できる医療は確保できない。これも、体験を踏まえて社会に訴えかけられる患者団体の一つの役割ではないだろうか。

これがこの新聞社全体の意見と思うほどお人よしでもありませんし、この記事自体はがん患者の治療に同情した視線から掘り起こしている面もあるので割り引いて考えるべきですが、マスコミにしては相当マトモな記事でしょう。マトモと言っても私からすればやっとその程度の見識が芽生えてくれたかと思う程度ですが、芽生えないよりははるかにマシです。

それにしても

    「一番大事なのは、日本の医療をどうするのかを考えることだ」
と発言した医師の迫力と言うか説得力はきっと鬼気迫るものがあったと思います。そうでもないと「社会の選択は必ずしも患者の思いと一致しない」と信じ込んでいるこの記者がここまで書くとは思えません。

それでも道は遠そうですね。重複しますが、この記者と言うか新聞社の基本姿勢は、「社会の選択は必ずしも患者の思いと一致しない」と医療費削減路線はそのまま容認していますし、「体験を踏まえて社会に訴えかけられる患者団体の一つの役割」とこの新聞社はこの動きには加担しないスタンスを明確にしています。患者団体が自己責任で勝手にやれと言わんばかりの書き方です。

普通に考えれば誰でもわかる事ですが、ある事業(この場合は医療)にかける予算が減ればそれだけ事業規模は縮小します。予算はドンドン減らしていくが事業内容は同一水準を保持できて当たり前、もしくはより充実したものを求めるなんて不可能です。社会が医療費削減を望むと言う認識を書いていますが、削減されて起される事態を綺麗に隠蔽して、「削減しても無駄な部分を削っただけで受けられる医療は同じですよ」の幻想を振りまいているのは誰かとは分からないようです。

長年の医療費削減のツケは医師に圧し掛かって来ました。医師はじっと耐えていたと思います。それがついに耐えられなくなって今年急展開の様相を見せている医療崩壊が起こっています。耐えていた医師の最後に折れたものは心です。心が折れれば、骨折のようにギブスさえ巻けばすぐに治るものではありません。一生治癒が不能なぐらいの心の傷を負っているのです。

心を折った医師の数はこの一年間にどれだけいたでしょうか。ある医師の集団でほんの数人の心が折れれば、連鎖反応で周囲の医師の心が折れる現象も起こっています。まだ心が折れていない医師も、ギリギリの限界線で耐え忍んでいるものの割合が相当数になっています。そんな事は医師の間では常識ですが、この新聞社もこの記者もまだまだ鈍感です。

まあこの程度の記事に救いを感じるのは酷い扱いをされ続けたためでしょうかね、半周遅れでも気づかないよりマシと喜ぶ被虐者の感情のような気がします。