赤ひげ論

山本周五郎原作の赤ひげ診療譚。読んだのは学生時代だったと思いますので、記憶は鮮明とはお世辞にも言えません。読み直そうかと思いましたが、何回かあった引越しで本自体が行方不明。買いなおすのも考えましたが、記憶に頼って書いてみます。それと今回のエントリーのモトネタは7/19のコメントの焼きなおしですのでご了解ください。(「新ネタを考えんかい!」との怒りの声が来そうですが、夏枯れ、ネタガレ、ゴメンナサイ。)

赤ひげとは山本周五郎が作り出した架空の人物です。モデルになる人物がいたかどうかも知りません。おそらく山本周五郎の創作だと考えています。もちろんお話自体も実話に基づいたと言うより創作で、元になるような実話があるかどうかも知りません。完全なフィクションと考えて良いと思います。フィクションが悪いと言う話ではありません。フィクションであるが故に、この作品を読んで読者はより自由に想像の翼を広げられると思うのです。つまり今日の赤ひげ論とは私の赤ひげ論です。

医療の危機が叫ばれるなか、赤ひげ待望論の声が聞こえます。島根県知事がとくに熱心だったような気がします。待望論者の言う赤ひげ像とはどんなものなのでしょうか。直接待望論者に聞いたことがありませんし、伝えられる話は「赤ひげのような医者」以上の内容はあまりないので、あくまでも私の想像のうちと思ってください。

待望論者の赤ひげ像は

    「困っている患者がいれば、どんなに条件が悪くとも、どんなところでも、医者の使命として欣然とその職務を進んで行なう医者」
ぐらいのような気がしています。待望論者の赤ひげ像も全く同じではないでしょうが、どうもその辺の事を意識して赤ひげを引き合いに出しているような気がします。ところが私が覚えている赤ひげ像は色合いが違うのです。待望論者の赤ひげ像を全否定するわけではありませんが、私が読後に印象に残っている赤ひげはそれだけをテーマに医療していたとは思えないのです。

赤ひげは当時の基準で名医の設定になっています。しかし当時の医療水準は決して高いものではありませんでした。赤ひげの時代設定はややぼかしてあるので断言できませんが、杉田玄白以降、シーボルト以前ぐらいじゃないかと思っています。別にポンペ以降でも大差はありませんが、当時の最新医学とみなされた蘭方でも、病気を治療するレベルに達していないものです。医学が劇的に進化したのはもう少し後のパスツール、コッホ以後となります。

赤ひげは江戸でも指折りの名医とされましたが、彼はその力の限界を悲しいぐらい良く知っていました。事実上医者が治せる病気は殆んどないのだと。治るのは患者本人の力であって、医者はほんの手助けぐらいのことしか出来ないのだと。そのため貪欲なまでに医学知識を欲します。その現れは冒頭に近い部分である長崎帰りの保本の留学の成果を無造作に取り上げるエピソードに出ています。当時の医学伝授はあくまでも個人や家の秘伝であり、無闇に他人に教えるもので無いというのが常識でした。まだまだヒポクラテスの誓いなんて物さえ縁遠い時代の話です。

彼が保本の留学の成果を無造作に取り上げた目的は、医者がもっと病気を治したいとの一念です。自らの手で治せる病気を一つでも増やしたい、できればすべての病気を治したいという願望から出ています。この精神は今でも全く変わらずすべての医者に受け継がれています。世界中の医者が一つでも多くの病気を治し、いまだ治療法が見つからない病気の研究を日夜行なっているのがそれです。

また赤ひげは貧富の差で医療さえ受けられないものが多数いる事に深い怒りを感じていました。お金があるないだけで救える命に差が出ることに怒りを隠していません。当時の医療は当然と言えば当然の自由診療の自費医療。当時の主流であった漢方薬は大変高価なものであり、診察料に加えて、薬代ともなると医療の恩恵を受けられるものはほんの一握りの人間に限られました。

そういう社会に赤ひげは憤慨します。これは赤ひげであまりにも有名なエピソードである、富商から法外ともいえる診察料を取り、底辺に喘ぐ庶民を治療を行うと言う行為に現れています。これは赤ひげが無料で診察をするのが好きと言う訳ではなく、貧しい者への医療を考えない政治への批判と私は考えます。

つまり赤ひげが望んだ医療は、医者が一つでも多くの病気を治せるようになる事と、貧富の差なく、誰でも公平に必要な医療を受けられるような世界が来ることではないでしょうか。少なくとも私の赤ひげ像はそうです。

では現在の医療は赤ひげが望んだ世界をどれほど実現したでしょうか。これは個人の物指しで変わるでしょうが、かなり近いところまで近づいていると思います。医療は赤ひげ時代から長足の進歩を遂げています。まだまだ不治とされる病気は数多く残りますが、相当な部分まで治ることがさして不思議でない時代となっています。

赤ひげが憤慨して止まなかった、医療の公平性も驚くべくレベルで実現しています。赤ひげは個人的に富商から料金を高く取って、貧しいものへの治療の資金としましたが、これを全国民まで広げたのが皆保険制度です。今の世の中で貧であるが故に十分な医療を受けることができない人は、居るだけで社会的事件になります。

赤ひげのエピソードの中で現在の医療にそのまま通じるエピソードがあります。赤ひげが勤める小石川療養所の経費が幕府の財政難から削減されると言う通達が来ます。これに対しどれほど赤ひげが怒ったかはこの作品を読まれた方ならよく知ってられると思います。もし現在に赤ひげがいても、医療費削減による医療荒廃を見れば憤慨するのは間違いありません。

ましてや規制改革・民間開放推進会議議長様の

    国民がもっとさまざまな医療を受けたければ「健康保険はここまでですよ」、後は「自分でお払いください」というかたちです。金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう。
この言葉を赤ひげが聞けばどれだけの怒りを持つかは容易に想像がつきます。

私の赤ひげ像はより高度の医療をあくことなく追及し、その医療を万人に遍く公平に施そうとする医療体制を作ろうとした者と考えます。赤ひげは自分の無力さを嘆き、公平な医療が出来る社会を作ろうとしない政治への怒りに溢れていたのではないでしょうか。