続政治となると・・・

あまりにも単純な理解ですが、

    医療危機の真の原因は国の医療政策であり、表面に現れている問題の多くは、国が決断して資金注入で解消できる問題である。またそれ以外の問題も最終的には政治解決に委ねなければならないほど問題はこじれており、そういうこじれた問題の解消もまた予算の問題に到達する事が多い。とどのつまりは政治に問題は行き着く。
たとえば福島の大野事件で象徴される第3者審査機関設立の問題も、医師会、学会レベルのものでは法的拘束力が曖昧で、その程度の機関の決定ならそれを振り切って訴訟する人間は出てくるでしょうし、そのうえ医師側が敗訴する懸念も多大にあります。そうなるとその善し悪しは別の論議になるとは思いますが、国が法的拘束力を持つ機関を作らなければ解決にならないと考えます。

無過失保障制度も、刑事免責についても、第3者審査機関が有効に働かないとその効果を十全に発揮する事が難しく、もちろん刑事免責は刑法、医師法の改正が必要でしょうし、無過失保障制度も全国を網羅するとなると国の機関である方が望ましいと言えます。

第3者審査機関、無過失保障制度、刑事免責のいずれもが、医師会や学会レベルでも公式に設立した後の制度運用では影響力を発揮する事は出来ますが、現在そんなものが無い以上、作って欲しいと願えるだけで、作るのは国と言う事になります。

しばしば現場の医者が直面する、現実的には過大すぎると思われる患者側からの要求に対しても、これを医者と患者の2者の対話だけですべて解決するのは非常に困難です。医者と患者の医療に対する認識の相違は埋めがたい溝と言うより、向こう岸が見えない大河のような状況にあり、双方の主張は少々の時間を費やしても、議論がかみ合う段階まで進ませるだけで、膨大な時間と手間がかかり、双方が納得する結論を得る事などは不可能に限りなく近いと考えます。

それに医者と患者の2者といっても、二人しかいないわけではなく、医師側も診療科、勤務医と開業医、勤務医でも病院の勤務条件などで立場が違えば意見は多種多様であり、患者側もそれこそ千差万別の要求があるわけですから、2者が対話すると言う設定をどう組んでも、それに参加し得なかったその他大勢からの不満は解消しない構図があります。医者も患者も漠然とはひとつの塊ですが、実態としての塊はなく、多種多様な意見を持つ集団の統制なき集合体以上のものではありません。

そういう不特定人数の集団の利害調整はやはり政治と言うことになります。綺麗事を信じる歳ではありませんが、代議員制度はそういう利害調整の責任を負うところであり、現実にもそこ以外での最終調整は極めて難しいと考えます。ただし政治の表舞台に医療危機が上がるには、政治問題化する必要があります。それもローカルな問題ではなく、全国規模の選挙の争点ぐらいになる必要があります。そこまで医療危機が政治問題化して初めて、問題解決へ政治が関心もって動いてくれる事になります。

政治問題化するにはどうすれば良いか、もちろん現実に直面している医者が訴えると言うのはあります。医師の間では知る人は知っている事ですが、4/25の参議院厚生労働委員会で、横浜市立大学附属市民総合医療センター母子医療センター産科の奥田美加先生が切々と訴えられています。現状の厳しさ、苦しさを冷静に的確に発言されておられます。医者が読めば現状のあまりの壮絶さに衿を正さずにおられないぐらいですが、正直なところこの発言が世間に与えたインパクトは、限りなく小さいものである事も事実です。大野事件で6000人以上の医師が自発的に署名し抗議し、また産婦人科学会を始めとして、各地の医師会や関係団体が抗議声明を挙げた事も、世間的には知らない人のほうが圧倒的多数でもあります。

結局のところ、どんな医者であっても、どんな医療団体であっても、声を上げても現状では殆どアピール力は無く、医者だけの力では医療危機を政治問題化することが、極めて難しい事が証明されていると解釈せざるを得ません。

そうなると政治問題化するには、もっと不特定多数の一般の方々が声を上げることが必要です。私が執拗にこだわって医療危機問題を追っかけているのは、一人でも一般の方々に理解を求め、声を上げてくれるのを期待している部分はあります。私だけではなく、医療危機の深刻さを思いながらブログを書いている医者もまた、広い意味で似たような目的を抱えている医師も少なくありません。ただしこの作業は賽の河原に石を積む如きもので、遅々として成果が見え難いものでもあります。

医療危機への理想の対処は、現場を熟知している医師が現場の深刻さを一般の方に訴え、多数の人間の共鳴賛同を得て、一つの世論とすることです。その世論が大きくなって社会問題化、さらには政治問題化し、政権の政策の争点にまで発展すれば申し分は無いと考えます。ただし理想に過ぎず、そんな状況が出現するのを期待して待つだけでは、今ある危機に間に合いそうにはありません。

医者からのアピールでは笛吹けど躍らないのであれば、無理やり踊らす方策が必要です。医療機危機に無関心ないし非常に興味が薄い人でも、現実に自分に不便を強いられたら嫌でも関心をもちます。危機への知識の量に関係なく、しごく当然の反応として「なんとかせい」と、方向性はともかく談じ込む事になります。理想論の対処とはまったく同床異夢の流れですが、危機の現実を見ることになります。

医療は身近で、無いと困ることも事実ですから、切羽詰った要求で「すぐにでもなんとかしろ」との声は強硬なものとなり、多数の強硬な声になると日和見マスコミは喜び勇んで加担してくれます。マスコミの大好きな政府の失政であり、叩く政府の目標も直接的には叩きやすい厚生労働省であるからです。漠然と政府そのもであっても叩きやすいと考えます。

ではどれぐらいが世論となり、政治問題化する数になるか。またどれぐらい医療が荒廃すれば関心の無い一般の方々の声が多数意見として世論化するか。医療崩壊が起こる順序は、

    僻地→地方→地方中核都市→大都市
になるでしょう。現段階では僻地と地方の一部に起こりかけていますが、これが地方で広く起こって、一部地方中核都市まで波及した程度で世論化してくれるでしょうか。東北や山陰ではやや近いことが起こりかけていますが、ほとんど影響は見られていません。となれば、世論化するのはかなりの数の地方中核都市で崩壊現象が起こり、一部大都市でも崩壊があるぐらいは必要なんでしょうか。

崩壊の程度は小さければ小さいほど、再建は容易です。たとえば今すぐなら、医療崩壊はほぼ言葉だけで終わります。ところが大都市まで崩壊の影響が及べば再建は容易ではありません。再建となると崩壊の逆で、まず大都市から始まり、地方中核都市クラスの再整備、その次に地方、やっと僻地になります。現在でも僻地や地方の医療は必ずしも十分と言えませんが、大都市まで崩壊が及ぶと地方や僻地が現在の医療水準に回復するまでどれほどの年月を必要とするか、そもそも戻る事はあるのかまでの話になります。ましてや大都市まで崩壊して焼け野原状態になると、戦後すぐと同様に果たして再建など可能なのかレベルになります。

昨日のエントリーにコメント頂いたInoue氏はハードランデイングも致し方なしとありましたし、コメントの意見も、もっともだとは思いました。しかしハードランディングはあくまでも最終手段でしょうし、そこまでの段階でソフトランディングを目指すのが医療のためにはベターのはずです。

医療政策には財界人や財務省の利権がらみの動きがいろいろと取り沙汰されています。その噂がある程度真実であれば、現在の医療政策の流れは不変です。黒幕とされている連中の思惑のシナリオに、医療崩壊による焼け野原状態は入っているのでしょうか。入っていれば日本の医療を利権で弄ぶ非道の行為ですし、入っていなければ自らの利権のために日本の医療を崩壊させた極悪人です。

今日は天気も良いので、気分一新、昨日の話の蒸し返しをしてみたら、やっぱり同じような結論にしかたどり着きませんでした。ごく近未来の医療は焼け野原以外の選択枝は無いのでしょうか。変えられない未来では無いとは思いたいですが。