集約化

現在産科が象徴的ですし、小児科だって産科の事を言えた義理では無い状態でもあります。産科、小児科以外でもメジャー科とされる内科、外科にも崩壊の危機が確実に迫っているのは、勤務されている先生方が身に沁みてご実感されていると存じます。

現状の危機の打開のために集約化が提唱され進めようとされています。確かに短期的にはこれしか無いという策です。広域に散在して医療するだけの人員が失われたなら、残った人員を1ヶ所にかき集め、センター化し、最後の牙城にするやり方です。

短期的には切り札的政策かもしれませんが、中長期的にはあまり好ましい方策だとは考えていません。現在の国の医療への姿勢は、集約化すれば完了と言う姿勢がチラチラ見えて仕方が無いのです。本来は一次救急、二次救急、三次救急と病院は役割を分担し、医療を構築するのが望ましい方向だと考えるからです。現在提唱されている集約化は、一次から三次まで永久に1ヵ所で賄おうとする様にしか見えません。

集約化はあくまでも緊急避難的な政策で無ければなりません。一次から三次までの医療構築が現在物理的に不可能になっているので、まずセンター病院に集約して崩壊を食いとどめ、食い留めた上で、もう一度人員の充実を待って、望むべき一次から三次までの医療体制の再構築に進んでいく方針でなければならないと考えています。現実から遊離した意見の感もありますが、この点は今後の医療のあり方の重要な点だと考えています。

理想論はさておいて、厚生労働省も国会答弁で「やらねばならない」とは答えています。そういう指示は出していると胸を張っています。ところが現実は遅々として進んでいませんし、進んでいない事にさして危機感を抱いているような感じがしません。

厚生労働省は集約化を都道府県知事に指示しているそうです。指示された都道府県は、都道府県立病院及び各自治体の病院の統廃合を計画する事になります。当然と言えば当然ですが、統合して病院が大きくなる地域の人は何の文句もありません。一方で吸収されて病院が無くなるないしは規模が縮小される地域の人々は反対の声を上げる事になります。

これは地域の住人の個々の声と言うより、自治体挙げての運動になります。市町村長クラスの選挙では、「地域の病院の絶対死守」を公約に当選する首長も出てくるでしょうし、市町村議会選挙でも同様でしょうし、議会の決議でもまさか「縮小閉院やむなし」みたいなものは出てくるとは考えられません。当然の事ながら地元選出の県会議員、国会議員もそこに絡みこんできて政治問題化するのは必至でしょう。政治問題化すると選挙の利害に直接つながるので、事態の打開は進まない構図かと思っています。

選挙が絡んでくると必要な政策であっても、選挙民に苦い政策を行うのにスケープゴートが必要になります。まず毎度毎度ですが、医者がいないから集約化の話が出ているのに、医師の派遣を断った大学医局に責任を負わせようとしたり、医師の偏在化さえ解消すれば集約化は不要のはずだから、僻地や地方に強制的に医師を連行する法案の作成に血道を上げたりします。

集約化には負の側面があります。不利益を蒙る人間が少ない数で無くいます。であればこそより丁寧な説明が必要かと思います。日本の医師の数は本当に足りているのか、足りていても診療科に相応しい数がそろっているのか、病院経営が必ずしもうまく行かない原因は何なのか。切羽詰った状況であるから集約化の話が出ているのに原因については厚生労働省は明言したものはありません。

厚生労働省の見解をまとめると、

  • 医師の数は十分足りており、増やす必要はサラサラ無い。
  • 一部地域の医師不足は医師の偏在によるものだけである。
  • 激務や訴訟率の高さで、医学生や研修医から専攻を嫌われている産科や小児科の不足は遺憾であり、魅力ある診療科にする必要がある。
とりあえず厚生労働省の医療政策は「基本的に無謬であり、無謬なのに医師不足が起こるのは不可思議千万である。不可思議だが医師不足は現実に起こっているので、集約化は仕方が無い」との見解としか理解しようがありません。この程度の説明では、政治問題化する病院の統廃合は遅々として進みません。ごく素朴な疑問である「日本では医者が足りているのに、おらが病院には医者がいないのだ」にも答える事が出来ません。

常々日本の政治には長期ビジョンは無いと感じています。中期ビジョンさえ無い様に思います。あるのは眼前の事態への姑息的対応のみです。今年の初めに話題になった少子化問題も、あっと言う間に少子高齢化問題にすりかわり、さらには高齢者の医療費抑制問題に置き換わっています。

厚生労働省というところは国民の健康を考え、国民が等しく平等な医療を享受できるように考える役所かと思っています。良い方に解釈しての縦割り行政で、財務省財政再建に血眼になろうとも、これとは一線画して、日本の医療の整備に邁進すべきだと考えています。ところが現実は財政再建のための医療費削減に一も二も無く諸手を上げて賛成しています。医療費を削れば、それに比例して医療の量も質も落ちます。落ちれば国民の健康を損なうのに直結します。

政府及び厚生労働省は「医療費を削って財政再建に努め、なおかつ医療の質は落とさない」という二律背反の机上の空案のみを国民に説明し、それが出来そうな幻想を信じ込ませています。でも出来ません。出来ない象徴の一つが集約化であり、その集約化さえ目先の利害で断行できないのであれば、医療は焼け野原になります。

一般の方はもとより、政府や厚生労働省の見解でも医療危機、医療崩壊は自分の世代には起こらないと根拠のない確信を抱いているようです。やはり医師の皆様が仰るとおり、目の前の医療が焼け野原になるまでは、区々たる責任論の押し付け合いと、それさえも出来ない姑息的対応で終始しそうになりそうです。もう少し言えば、空襲で焼け野原になっても「神風が吹いて、神州不滅」と呼号した過去のある国ですから、焼け野原なっても動かないような気もしないではありません。