研修医をもてあそぶな

20074/4付共同通信記事からです


 日本医師会(日医)の唐沢祥人会長は4日午後、柳沢伯夫厚生労働相厚労省内で会い、深刻化している医師の不足や偏在に関し、研修終了後の新人医師が、医師の少ない地域や小児科、産科で勤務するシステムを行政と連携して構築することを提案した。

 唐沢氏は「医師は毎年3000−4000人増えるが、どうしても専門分野、地域が偏る」と説明。その上で「臨床研修を終えたばかりの若い医師はまだ一人前ではない。もっと全般的な医療について勉強してもらいたい」と述べ、若い医師にとっても研修の機会になるとの考えを示した。

 日医の地域医療対策委員会は3月に、医師の不足している地域での「勤務の義務化を考慮する」とした中間報告書を公表しているが、唐沢氏は会談後、記者団に対し「意欲をもって行ってもらえる評価システムが望ましく、義務化の制度をつくってほしいということまでは言っていない」と述べた。

この地域医療対策委員会の中間報告書の内容については散々書いたので今日は置いておきます。全20ページの中間報告書に唐突に3行分だけ研修医の僻地義務化を強引に割り込ませた黒幕が日医会長であることももう良いでしょう。今日は医師であるはずの日医会長が僻地義務化を主張する愚かさを書きたいと思います。
    臨床研修を終えたばかりの若い医師はまだ一人前ではない。
日本中の医師がそう考えています。とくに新研修医制度になってから、専門とすべき診療科の技量は確実に劣っていると考えています。これは当然至極の事で、従来であれば自分が専門としたい診療科の研修を教える方も学ぶ方も必死なってやる2年間と、あまり熱意をもてない診療科を含む研修を断続的にコマ切れでやる2年間を較べれば差が出て当然です。もちろん広く知識と経験を積んでおく今の制度を評価するには材料が足りませんから、まだ全面否定する気はありませんが、現制度の3年目の医師が、従来の○○科3年目に較べ、○○科の技術経験に関して劣る事は確実です。

医師は一生勉強とは言え、やはり集中的に莫大な経験と知識を取り入れられる時期があります。それは卒業すぐの5年〜10年ほどの間です。医師になった使命感と高揚感、それと先輩医師たちとの技量の余りの差に驚き、一刻も早く追いついて一人前の医師になりたいとひたすら願う時期です。現在の医療制度の奴隷的労働はもちろん否定しますが、この時期の医師はそうしてでも技量経験を身につけたいと思うものです。

GP医という考え方があります。理想を言えばGP医としての基礎の上に専門医としての大建築が建つことでしょうが、現在の医療に求められる専門の知識はそんなに甘いものではありません。細分化された専門分野の一つを身につけるだけでも一生を費やすと言っても過言ではありません。またその技量も医療訴訟激増時代を背景に完璧を越え、神のみにしかできない要求がごく当然のように求められます。

現在の研修制度は私の理解としてまずGP医になる事を要求しているかと考えています。個人的には破格の要求と考えています。現在の医療で要求されるGP医の水準は「全診療科で完璧」です。冗談ではなくて、そうでなければ先輩の叱責ではなく、裁判所が待っています。GP医だからある程度免責などはどこにもないのです。そんな技量を身につけるのは不可能です。マンガのスーパードクターをもってして辛うじて可能かどうかぐらいです。

だから現実的には自分の専門外の患者を診療したときに、自分の技量で手に負えるか、手に負えないかの判断技術がつけば御の字と考えています。2年という期間でそれ以上を望むのは余りにも酷です。それ以上の高い水準のGP医は机上の理想論です。ましてやペーペーの研修医にです。

また時代はGP医ではなく専門医を望んでいます。時代と言う言葉が相応しくないのなら「患者」という言葉に置き換えればしっくり来るかと思います。なんでも中途半端にできる医師ではなく、専門を高度に診療できる医師です。では専門馬鹿ばかりかと言えばそうではありません。医療は専門に細分化されているとは言え、専門の周辺部分は広く他の専門分野と重なり合っています。一つの専門分野に精通すれば、相当な広範囲の他の分野の知識経験も自然に習得しているものなのです。

だからもういい加減、研修医に普通に経験技量を積ませてあげるべきかと考えます。「鉄は熱いうちに打て」は金言かと思います。医師だっていつまでも若くはないのです。どんな手荒い修行であっても耐えられる時期はそんなに長くないです。虚心に指導を聞いていられる時間はいつまでもあるわけではないのです。医師になって時間が過ぎれば、徐々に最初の熱意は落ちてきます。私に言わせれば貴重な最初の2年間をかなり贅沢に使っています。この上、さらに僻地勤務となればさらに時間を空費すると考えます。

もちろん僻地と言っても一概に否定するものではありません。僻地には当たらないかもしれませんが、かつての舞鶴市民病院は卓越した研修システムで人気を呼んでいました。舞鶴の卓越したシステムはしっかりした指導体制が確立されて生まれたものです。それが存在するのなら若手医師の僻地勤務も必ずしも否定するものではありません。ところが日医会長の提言は、わざわざ医師の少ない地域を選ぶと主張しています。

医師の少ない地域に初級のGP医程度の技量の若手医師を送り込んでどうするのですか。彼らに必要なのは次の段階の経験や技量の指導を手厚い体制で的確に与える事です。そうやって乾いた布に水を吸収させるように経験を積ませる事がなにより肝心です。それが医師が少なく、激務で崩壊寸前の病院に送り込んでも成果を期待できるとは思えません。

医師不足に悩む現場は、新研修医制度で足踏みしているように見える今の若手医師が、一刻も早く戦力になる事を切望しています。これ以上回り道をさせてどうすると言うのですか。いつになったら今の研修医がものの役に立つ日が来るというのですか。

それと医療の元締めである厚生労働省は医師は足りていると断言しているのです。厚生労働省がひたすら心配しているのは医師が余剰になることです。小児科も、産科も、麻酔科も「足りている」と結論付けています。足りているのなら、日医会長が口出しするのは僭越かと存じます。一部地域の医師不足は偏在によるものであるとは耳タコぐらい聞かされています。偏在だから不足地域と別に医師過剰地域が確実に存在しているはずです。

医師過剰地域は厚生労働省の最高機密らしく、大臣にすら教えないほどのものですが、厚生労働省はある事を繰り返し主張しています。だから素直にあると受け取れば如何ですか。過剰地域から不足地域への融通は厚生労働省お得意の政策的誘導を行なってもらえれば十分かと存じます。足りているのに足りないと騒ぎ、貴重な勉強時間を若手医師から奪い取る提案をするとはとても医師とは思えません。

最後に誰でも話すだろう言葉を日医会長に捧げたいと思います。

    研修医は日医会員ではありません。