医者は10年

医者という職業はいろんな見られ方をしますが、やっている者の実感として職人の世界に近いのではないかと思っています。職人は徒弟生活で技術を盗み、経験を積み上げて一流となります。医者も正直なところ同様です。医者が一人前と見なされるのは卒業して10年ぐらいしてからです。もちろん5年でも、6年でも優秀な医者はいくらでもいますが、医者世界では診療科に関わらず経験10年がひとつの目安として昔から言われ、今でもそう思われています。

私も医者になってからそういわれたのですが、その時は「まだ10年もかかるのか」と先の長さに眩暈がしそうでした。しかし10年を過ぎてからその意味が理解できるような気がしています。医者が備える条件で重要なのは知識と技術と経験です。このうち知識と技術は個人の努力や資質により身につける年数は短縮可能です。ところが経験だけはこれを縮める事は難しく、かつこれが医者の技量をもっとも大きく左右します。いくら知識と基本的な技術があっても実際に経験しないと生かすことができないと言う事です。

世の中には病気の種類はそれこそゴマンとあります。ありふれたものから、一生のうちに経験するかしないかの稀なものまで様々です。非常に稀なものはともかく、かなり稀なものぐらいは医者は経験しないと一人前と言えないのです。医者が一人前と言われるためには、何年かに一人出るかで出ないかの病気をひと通り経験する必要があります。これを経験するためにはやはり10年ぐらいは必要です。

かなり稀な病気はプログラム通りには出現しません。これが医学部の学習と研修医の差で、いかに綿密な研修計画を組もうとも、病気の種類はでたとこ勝負にならざるを得ません。つまり促成栽培をするには限界があると言う事です。中堅クラス以上の医者は「よくぞ」というぐらい稀な病気の経験があります。ベテランクラスになると「とんでもない」と思うような病気の経験があります。

それとよく覚えています。一度経験するというのは、それぐらい得がたい学習の場になるのです。私にもいくつか近い経験があるのですが、稀な病気を診断治療するには、稀であるだけによく似た周辺の病気に至るまでの膨大な知識が必要です。それを調べ上げ、診断を下し、治療に取り掛かるには非常な学習を要します。その苦労は一度やったらそうそう忘れるものではなく、確実に身につき技量の幅を広げます。

こういう経験は直接的には同じ疾患にめぐり合ったときに見逃さない効用がありますし、間接的には「これはどうも普通の病気ではない」と言う第六感を養う事になります。第六感とは曖昧な表現ですが、病気は教科書どおりに進行するものでは無いということです。教科書に書かれている病気はその特徴を記載していますが、必ずしもその特徴どおりに現れません。特徴どおりに現れませんが、経験するとその気配を感じることが出来るようになります。また教科書では豊富な検査値を記載していますが、実際の現場ではもちろんそのすべてを必ずしも行なえるわけではなく、ほとんどが断片的な検査を寄せ集めて診断し治療方針を決める必要があります。

診断を下し治療方針を決める時、類似の病気の経験が多いほど幅をもった診療が行えます。診断の下に治療を進めて、思うような結果が得られないときに「ひょっとしたら別の病気」を疑う感性です。ひょっとしたらの候補のうちに珍しい稀な病気の経験が多いほど、症状の変化に応じて柔軟な対応が出来ます。

病気は十人十色で症状が万華鏡のように変わり、万華鏡のように変わる症状を診ながら臨機応変にひと通り対応できるまでは10年かかると言う事です。10年してもひと通りです。私如きではまだまだ見たことも無い病気が数え切れないぐらいあります。医者が死ぬまで勉強が必要なのはその診療技術に永遠に完成が無いからだと思っています。

さあ、今日もがんばろう。