ツーリング日和23(第27話)赤穂浪士

 赤穂にまでツーリングに行ったのだから赤穂浪士の遺跡巡りと言うか、赤穂浪士の話もしたかったけど、

「流花は興味がありませんでした」

 歴史に興味があるかないかは純粋の趣味の問題だものな。ボクだってアイドルの話とか、最近のマンガとかアニメの話になるとサッパリわからないし、

「美玖もサッカーとかバスケの話を振られても困惑するところがあります」

 だから流花が赤穂浪士に興味も関心も無いのは仕方がない。二日目に流花の希望できらきら坂に行った時も、

『ダイセキメイザンの松ってなんですか?』

 それは大石名残の松だって。

「忠臣蔵も最近は映画にもドラマにならなくなっています」

 映画にも歴史ドラマにも繰り返し、繰り返し作品化されてたけど、最近は無いものな。あれだけ作られたから誰もが知っているのは当たり前の時代が長かったけど、作られなければ忘れられてしまうかも。

 忠臣蔵は歌舞伎で舞台化されてるけど、あの脚本は良く出来ていると思う。場面、場面でも完結してるし、浪花節的な思い入れがタップリで、クサいと言われようが日本人なら心の琴線をかき鳴らされる名脚本だと思ってる。

「忠臣蔵が良く出来過ぎて、赤穂浪士の実像がわからなくなっています」

 それは思う。発端の刃傷松の廊下にしても、結局のところ原因不明なんだよな。浅野内匠頭が勅使接待の当日に吉良上野介に切りつけたのは史実だけど、その原因が遺恨ってだけで、それ以上はサッパリわからないのが史実で良いと考えてる。

「遺恨からイジメ話が連想されてひたすら肥大化されたいるだけです」

 そもそもって話になると浅野内匠頭のキャラだって不明だ。映画とかドラマなら演出の関係で爽やかな若いお殿様になってるけど、そうしないと後の展開に困る以上の理由が見つからないぐらい。

「敵役の吉良上野介もです」

 討ち入りの時には日本中の恨みを背負い込んでいるぐらいの描かれようだけど、吉良側だって奮戦してるのだよ。討ち入りは完全な奇襲が成立してると見て良いはずなんだ。そうなったら、吉良上野介の人望がなければ蜘蛛の子を散らすように逃げたって不思議ないじゃないか。

「江戸の町人は浅野贔屓だったのは間違いありません」

 それはそうだ。そうでなければ、歌舞伎の忠臣蔵も成立せず、あれだけ繰り返し上演され、さらに映画化とかドラマ化もされないはず。だけど、どこから浅野贔屓に熱中したかも良くわからない。

「やはり討ち入り後ではないかと」

 江戸町人の武家への反発が根底にあったのだろうけど、

「旗本奴と町奴の対立の系譜の名残でしょうか」

 ちょっと時代がずれるんだよな。いつの時代でもお上って鬱陶しい存在だったぐらいの普遍的な理由ぐらいしか思いつかないな。

「大石内蔵助の本当の意図は?」

 浅野内匠頭刃傷の急報を受けて赤穂城で会議があったのは間違いない。でもさぁ、お殿様が江戸の殿中でそこまでの不祥事を起こしたら処分があるのは確定だし、それが改易になるぐらいは大石なら知っていたはず。

「大石じゃなくても知っていたはずです」

 籠城か明け渡しでもめたとなってるけど、

「籠城がいかに無駄かぐらいはわからない方がアホです」

 それでも殺気立つのだっていただろうけど、それを宥め回るぐらいはしただろうな。

「大石の求心力は?」

 身も蓋もないけどカネだろ。赤穂城は無事明け渡されてるけど、大石はこの時にかなりのカネを調達したはずだ。どうやってかは歴史の彼方に消えてるけど、大石がカネを持っていた証拠は四十七人の浪士を討ち入りまで養っていたからだ。

 だってだよ、大石だって浪人してるから収入はないじゃないか。伏見の遊郭で遊んだのは本当かもしれないけど、あれだってどれほどの規模で遊んだのかは不明だ。脚色の手が入りまくってるからな。だけど遊べるだけのカネがあったのは事実として良い。

「大石が借金した話は残されていません」

 浪人に小金ならまだしも、大金を貸すアホはおらんだろ。大石の真意なんて知りようも無いけど、平凡にお家再興だろうな。

「あれは幕府の大失態でしょう」

 ボクもそう思う。松の廊下事件は勅使接待の重要儀式の日にも起こっているから、犯人の内匠頭切腹やお家取り潰しは妥当な処分だと思う。そりゃ、幕府や将軍家に大恥をかかせたような不祥事だもの。

 だがまず拙速だったと思うところはる。ああいう時の常套手段として内匠頭の処分を保留にしながらまず赤穂城を開城させてしまうはずだ。内匠頭は江戸に居るから、赤穂に逃げ戻れるはずもない。

「家康ならそうしていたはず」

 ああそうだ。家康ならもっと老獪だよ。内匠頭を監禁しながら赤穂城を取り上げ、家臣団を解散した上で、内匠頭をどっかの大名の預かりにするとか、

「高野山に追放」

 ポイントはお殿様の内匠頭の利用だ。生かしておけば、家臣たちの暴走を抑えられるの計算だ。たかが五万石程度の大名だから捻り潰すのは容易だけど、武力蜂起をされると余計な手間暇がかかるぐらいの判断だ。

 それと家康なら播州浅野家は潰さなかったはずなんだ。大名としては一度潰すけど、時間を置いてさらに小さくして復活させるとかだ。小さくなっても家が残れば遺臣団は暴挙が出来なくなる。やればせっかく復活した家が滅ぶからね。

「やはり大石の狙いも」

 そうなるはずだの読みは合ったと思う。大石ぐらいなら幕府のそういう時の対応を良く知ってるはずだし、知らなくても懸命になって先例とかを調べたはずだ。

「大石も甘かったになりそうです」

 大石が期待をしていたのが内匠頭の弟の浅野大学になる。まだ内匠頭に息子はいなかったから血筋としてそうなるはず。問題は大石がどの程度の規模のお家再興を計算していたかなんだ。

「だから四十七人も残ったとか」

 そこら辺りの実像がわからなくなってしまっている。忠臣蔵では浪士たちはひたすら主君の仇討ちに逸り立ってるし、そういうのも居たのは否定しないけど、本音では再興された家での再就職狙いも多かったと考えてる。

「やはり大石の計算では大名、それも二万石ぐらいだったのかしれません」

 元が五万石だから最低でも大名の期待はあった気がする。この辺は播州浅野家の本家が芸州浅野家だから、本家から播州浅野家に養子を迎えて支藩としてお家再興なんて期待も計算してたかもしれない。

「幕府も旗本ぐらいで手を打っておけば・・・」

 ボクもそう思う。幕府にそういう意図がどこかにあったか無かったかさえ今となっては不明だけど、浅野大学への処分で大石がお家再興の希望は絶たれたと判断したのはあったと思う。

「そうなると、大石の真価は別になるかもです」

 ボクもそうかもしれないと思い出してる。建前は主君の仇討と大石も他の浪士たちもしていたのだろうけど、本音は再興後のお家への再就職だったとするのが妥当だものな。そんな状態でお家再興の望みが絶たれれば浪士団は散り散りになるしかないはずだ。

 そこから、とにもかくにも四十七人を引き連れて本所松坂町の吉良屋敷に討ち入りをしたのは史実だ。どんなマジックを使ったのか不思議すぎる。

「赤穂浪士の切腹処分は」

 あれ以外にあるか。あんなもの認めてしまえば、話はキリがなくなる。武士のプライドの原理の一つに雪辱がある。雪辱とは恥を雪ぐだけど、その恥の大元なんて言い出せばキリがなくなる。回り回れば徳川幕府に恨みを持つ者なんてゴマンといる。

「考えようによっては幕末の動乱も赤穂浪士的な復讐原理かも」

 長州藩なんてそうかもな。でもさぁ、忠臣蔵は忠臣蔵である種の叙事詩のままで置いとくのもありと思わないか。

「剛紀らしいですが、美玖もそう思います」

 史実を追求するのは歴史学として重要なのは言うまでもない。だけど真実って時に残酷なんだよな。全部引っぺがすとドロドロしたものしか残らないのが多々ある。

「それを美化したものが歴史ロマンとも言えます」

 ボクは専門家でも研究家でもないからドロドロした真相よりロマンが好きだ。