「無かった」が定説の三木城天守閣ですが、故郷への愛で存在したわずかな可能性を追いかけます。まず別所氏時代はたとえあったとしても、本丸御殿の上に設置された望楼程度であったと考えています。その程度のものを天守閣と呼ぶのかどうかは学問的な分類の…
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