ツーリング日和(第8話)因島から生口島へ

「まず因島大橋ね」
「行ったらわかるはずや」

 向島の宿は尾道海峡大橋に近いとこやねん。そやから島の南まで走らんとアカン。アカンて言うほど気合もいらんやろけど、まずは西側に走って行ったんよ。海に突き当たったら海岸に沿って南に走っていくねん。

「見えて来たよ」
「さすがに大きいで」

 この辺に来たら案内標識があるはずやねんけど・・・それにしても雄大やな。

「入口まで一・一キロだね」
「そうや」

 橋見上げてて見落としとったみたいや。まだ一キロもあるんか。原付道の入り口の前にバイクを止めて、

「ここだよね」
「そう書いてあるからここやろ」

 こりゃウッカリしとると見落として通り過ぎそうやな。クルマやったらデカデカと案内出てるはずやけど、なんて遠慮深いんよ。遠慮深すぎる気がするわ。クルマのICとはエライ違いや。

 それと道の細いこと。クルマの一車線分ぐらいに無理やりセンターライン引いてるやんか。原付と自転車、後は歩行者しか通らへんのはわかるけんど、さすがにすれ違うんも怖いな。

 それとやけどクネクネ曲がりよるし、結構登るな。当たり前か、あの橋の高さまで登らんと入られへんもんな。なるほどこうなっとるんか、あれっ、料金箱があるはずやけどあらへんやん。まあ、ええか。

「自動車道の下なんだね」

 いやぁ、景色はエエけど柱多くてちょっと見にくいな。

「ここで払うんだね」

 料金箱は出口側にあったんか。ここから下りやけど、また曲がりくねってるな。出口や、これで無事因島に上陸や。えっと因島大橋記念公園に入って、あったあった、

「なるほど! 因島と言えば八朔だ」

 これはコトリも恥ずかしながら知らんかった。因島は村上水軍の根拠地の一つやねんけど、東南アジアまで交易してるんよ。向こうで柑橘類も食べるんやけど、種はペッペッやってんやろ。

 それを踏んづけて因島に持ち込んで育ったんもあったらしいけど、自然に交雑した末に出来上がったの八朔や。最初のが生えたんが浄土寺って寺で幕末の頃らしいわ。言われてみれば江戸時代に八朔なんか聞いたことあらへんかった。

 それはともかく橋見ながらはっさく大福や。大福やけど朝食代わりやから、はっさく甘夏大福、丸ごとみかん大福、豆だらけ大福、ジャンボいちご大福、ぶどう甘夏大福と制覇したった。

「豆だらけ大福って案外いけたね」

 そこから今度は白滝フラワーラインを登るで。登り詰めたら八合目駐車場。ここから歩きや。因島にも八十八か所があるんやな。ここも札所で八栗寺っていうんか。

「五百羅漢だね」
「加西のより立派かもな」

 白滝山の眺望も満喫したら八合目駐車場から少し下ってフラワーセンターの方に下りたんや。さすがにフラワーセンターはパスして、今度は因島水軍城や。さっさと見て回って駐車場で道の確認しとったら、

「どちらから来られたんじゃ?」

 学生やろな。二人連れの若い男の子やった。聞くと、しまなみ海道を四国に行くみたいや。まあナンパやねんけど、気の良さそうな二人やったから、

「ユッキー、コトリはかまへんけど」
「旅は道連れよね」

 ジュシュルはエエんかいな。まあ当分来そうにあらへんもんな。名前を聞くと、

「近藤です」
「土方です」

 沖田がおったら新撰組やんか。声かけて来た理由の一つはバイクも同じか。見た目だけやけどな、

「ブレーキがダブル・ディスクになっとるのを初めてみたけん」

 まあな。見た目はノーマルやけど、中身は化物やからしょうがあらへん。コトリたちの観光希望を言うと、

「精一杯がんばるけん」

 さすがは道知ってるわ、行きたかった本因坊秀策記念館もすんなりやし、大山神社ってところも寄ってくれた。

「自転車の神様だって」
「あれ狛自転車やろか」

 因島大橋の出入り口はちょっと手強い感じがしたから助かったかな。とにかく見たいとこ多いから、ガイド役がおったら助かるねん。あっさり生口橋にも乗れたもんな。自分で迷いながら探すんも楽しいけど、今日は欲張り観光やから、

「こういうのも旅じゃない」
「そやそや」

 生口島のメインはやっぱり耕三寺。

「耕三寺ってやっぱり」
「まあ、こんだけのものを個人で作ったんを褒めるべきやろ」

 それとこの島はあっちこっちにアートが置いてあるのが楽しいのと、とにかくレモンの島なんや。ジェラートもなかなかやってんけど、

「レモン鍋もレモン・ラーメンもあるんじゃよ」

 食べても良かってんけど、なんとなく取り合わせが強引やったからやめといた。平山郁夫美術館もちゃんと見たで。多々羅大橋渡ったら大三島や。

ツーリング日和(第7話)いざ西へ

「行くでユッキー」
「あいよコトリ」

 今回はお泊り付きのロング・ツーリング。ドカンと西に進むで。出発は六時や。これだけ早く出るのは距離もあるけんど、神戸から西に一二五CC走るのは大変なんよ。クルマやったら山陽自動車道で終わりやけど一二五CCでは走られへん。

「姫路に行く時に往生したものね」

 あん時はコトリも油断しとった。山陽自動車道はアカンけど、加古川バイパスから姫路バイパスは走れると思とってん。そしたらアウトやねん。ナビ見ても平気で加古川バイパスや姫路バイパスに誘導するから参ったで。

「無料になってるからで良さそうね」

 ナビもどうしてもクルマ中心やから、有料道路を外して案内するはあっても、原付二種の走れへん道を分けよらへんのや。バイクやからどんな道でも走れる言うものの、加古川とか市川を一二五CCで渡れる橋を見つけるのも難儀やった。

「原付用のナビは高過ぎよ!」

 コトリもそう思たけど、需要が少ないんよ。これは淡路島のマウントおっさんの方が一理あって、ロング・ツーリングするのんは一二五CCじゃ苦しいねん。やっぱり二五〇CCは必要や。それこそ大きければ大きいほどエエのは間違いやない。

 さらにやで一二五CCのロードバイクなんかあんまり売れへん。売れるのはスクーターや。スクーターは通勤・通学・買い物用やからナビなんかいらんのや。一二五CCでロング・ツーリングする奴なんてホンマに少ないねんよ。

 それとやけどナビに頼り過ぎるのはコトリは好かん。仕事やったら必要やろけど、ツーリングは遊びやで。見知らぬ土地に行って、新しい発見をするのが楽しみやんか。道に迷うことで新しい発見をするのも旅やと思うで。

「それは言えるかも。旅ってトラブルがあった方が、かえって思い出に残るケースも多いのよね」

 まあ迷ってばっかりやったら、それはそれで困るんやけど、それなりに準備してても起こってまうトラブルも旅の楽しみになるし、そもそも一遍迷ったら次は間違わへん。

「でも今回は迷ったら致命傷になるよ」

 そやから今回はちゃんと教訓にしとる。まず明石までは淡路島行くときと同じや。そこから西明石まで行くんやけど、そこから国道二五〇号線を使うんよ。国道二五〇号線は国道二号線に対して海沿い走るから浜国道と呼ぶのもおるねん。それと加古川バイパスや姫路バイパスがパンク状態やから、中途半端やけど整備もしてある。

 西明石から高砂までは明姫幹線いうて快適な道で姫路バイパスの高砂西ICまで続いてるんや。そやけど姫路バイパスは一二五CCは走れんから、はりまシーサイド・ロードともいうけど、やっぱり国道二五〇号線を走るんよ。

 市街地走る道やからペースは上がらへんとこやねん。この道も御津のあたりからワインディング・ロードになってきて相生、赤穂と抜けてくんや。

「結構な道だったね」
「峠道もおもろいけど、まだまだ先は長いで」

 それでもやっとこさ兵庫県から岡山に入れた。目指すは岡山ブルーラインの入り口や、ここまでで神戸から百二十キロぐらいやねん。ブルーラインから岡山バイパスを快調に走り抜けて倉敷から今度は国道二号や。

「岡山県はあっさり抜けられたね」
「兵庫県抜けるのが大変過ぎたわ」

 岡山があっさり抜けられて広島県に入れたから、感覚的にもうすぐやってん。エエ加減くたびれとったし。ところがギッチョン甘かった。渋滞や。福山抜けるの一苦労やったし、尾道に入って喜んだけど、なかなか進まんかった。

 途中休憩をたっぷり取ったけど、それでも午後三時には目的地の尾道に到着や。九時間かかったな。

「まだあるの」
「ボヤくな、ボヤくな」

 次はフェリーと言うか渡し船や。尾道の対岸が向島やねんけど、尾道海峡大橋がまたもや通れへんねん。やっぱり二五〇CCにしとくんやったかな。向島に渡って、

「これが今日の宿なの」
「一番安かった。だから早めに着くようにしたんや」

 名前はゲストハウスってなっとるけど、食事抜きの素泊まり宿。部屋は愛想もクソもない四畳半。でもこれで十分に雨風しのげるし、二人やから無問題。チェックインして荷物を運んで一服したら、

「尾道と言えば」
「尾道ラーメン」

 ユッキーもコトリも腹減ってたから、ラーメンにもりもりやきめし、餃子にレバニラ炒めまで食べたった。

「これ尾道市内のより美味しいんじゃない」
「あんだけ走ったからかもしれんけど・・・ラーメンもう一杯」
「わたしも」

 宿に帰って風呂入って寝たわ。神戸から二百五十キロぐらいやけど、よう走ったで。女神は歳とらへんし、体力落ちへんし、とにかくタフやからありがたいで。一晩寝たらスッキリや。

「しまなみ海道楽しみ」
「クルマとは、ちゃうもん見れるはずやで」

 ここまで無理して一二五CCで尾道まで来たのは、しまなみ海道を原付で走るためやねん。しまなみ海道は本四連絡道路やねんけど、ユニークなことに自転車でも原付でも橋は渡れるんよ。

 そやからしまなみ海道はサイクリストの憧れのルートにもなっとる。それとやけど、原付や自転車は橋こそ渡れるけど、橋と橋の間の高速道路は走られへんのよ。どうするかやけど、島の中の道走って次の橋まで行くことになる。

「島ごとの観光も楽しめるのね」
「そやな、クルマが特急やったらバイクは各駅停車や」

 クルマでもICごとに下りて島観光は出来るんやけど、原付や自転車は自動的にそうなるって事や。それにたぶんやけど、島の道はそんなに広ないはずやねん。クルマなら窮屈な走りになるかもしれんが、原付やったら余裕のはずや。

「駐車場も困らないしね」
「どこでも気が向いたら停めれるで」

 これまでも、しまなみ海道はクルマでは何回か走ったことはあるねん。そやけど島巡りをやったことはなかったんよ。そやから、是非やりたかったし、やるなら原付しかないやろ。自転車でも良さそうなもんやけど、

「さすがに時間がかかるものね」

 そうやねん。しまなみ海道は高速走っただけでも尾道から今治まで六十キロぐらいあるねん。その上に島巡りするからもっとになるやんか。一日で見て回るには自転車ではチイと厳しいんよ。そやから少々無理を重ねて神戸から愛車を引っ張って来たわけや。今回はフルで見て回るで。

ツーリング日和(第6話)ペア・キャンプ

 ツーリングやけどソロで走るのも多いんよ。これをソロ・ツーリングって言うんやけど、団体でツーリングするのもある。これをマス・ツーリング、略してマスツーって呼んでるわ、ちょっと妙なのは十人とかの集団やったらマスでエエと思うけど、二人でもマスツーなんよね。

 和製英語やから定着したらそれでエエようなもんやけど、マスツーも大集団を見る事もあるけんど、せいぜい五人ぐらいが多い気がするわ。クルマでもそうやろけど、台数が多すぎるとはぐれやすいんよ。

 ごく単純には信号や。大集団やったら切れてまうこともある。目的地がわかってるから、追い付けば良さそうなものやけど、大集団になるほど道を把握してないメンバーが多いんよな。人任せにしとるから適当に追っかけたら迷子のパターンや。

 クルマやったらスマホで連絡しやすいけんど、バイクでスマホはさすがにな。ナビがあるから、目的地にはそのうち着くけんど、それやったら、つるんで走る意味ないやんか。コトリも集団で走るのは好きやない。そやから基本はユッキーと二人ツーリングや。


 バイク乗りでもキャンプが好きなのもおる。バイクにキャンプ道具一式積み込んでキャンプや。それも一人で行くのもおって、ソロ・キャンプと呼んでるわ。コトリとユッキーの場合は二人やから勝手にペア・キャンプと言っとる。

 ペア・キャンプのメリットは荷物が分担できること。ぶっちゃけ、ソロでもペアでも持ってく荷物はそんなに変わらへんのよね。とはいう物のしょせんはバイクや、クルマに較べたら持って行けるものが限られるんよな。

「そこは創意工夫のゆるキャン」

 そういうこっちゃ。クルマを使うキャンプやったらバーベキューでもラクラクやろうけど、バイクでコンロなんか運んどれんって事や。食い物かってそうで、持ってけば持ってくほど荷物が増える。現地調達できるものは、そっちで買うんよ。

 最低限必要なのがまずテントとグランド・シートで、次がシュラフかな。夏とかやったらいらんと思われそうやけど、床が地面みたいなもんやんか。敷布団代わりにもなるんよね。これもポイントやけど、楽しむキャンプやから快適さも必要ってことや。

 次は焚き火台や。キャンプに焚き火がのうて、なにがキャンプやってところや。これも地面で直火でやらせてくれるところなら省略できるけど、直火禁止のところが殆どやからな。

「ランタンも必要ね」

 一回目の時に焚き火でOKやろと思って持ってかへんかってんけど懲りた。やっぱり暗いわ。これは、トイレに行くときの懐中電灯代わりにもなるしな。そうそう、トイレも必要やから有料キャンプ場にしとる。無料のところのトイレに夜入るなんて、ありゃホラーやと思うで。

「薪も買えるしね」

 後は椅子とテーブルが欲しいな。メシは座って食べたいし、寛ぐのにも必要や。テーブルはキッチン兼食卓やな。この辺はキャンプ場にもよるけど炊事場があるとこもある。

「せっかくじゃない」

 使わんことにしとる。これは好き好きやけど、コトリはキャンプとは制限された条件の中で楽しむもんやと思てるわ。それはユッキーも同じや。日常とちゃうことをするのが楽しいってことや。そっちがやりたいなら、キャンピング・カーでも買ったらエエんやし。


 ゆるキャンやったら、バーナーを持参する者も多いんよ。あれは焚き火台の問題が絡んでくる部分がある。焚き火台もピンキリやけど、大雑把に分けたら、焚き火だけしか出来へんやつと、焚き火の上で焼き網おいて調理できるやつがある。

 調理できるタイプの方が大型になるし、重いし、かさばるぐらいでエエと思うで。クルマやったら無視できるぐらいかもしれんけど、バイクとなると大問題になるぐらいや。そやから焚き火専用の軽いやつと、調理用にバーナー持ってくぐらいや。

 そやけどコトリたちは焚き火だけでやる。それも一番コンパクトな焚き火台でやる。コトリたちが使っているタイプは四本の棒をクロスさせた上にメッシュシートを敷いただけものや。

「そこからが創意工夫よね」

 調理に使うんやったら、どうしても焼き網ぐらいは載せれるならんとあかん。ちなみにトライポッドも持っていかん。荷物になるからな。その代わりに薪で台作る。焚き火台の高さが三十センチぐらいで、薪が四十~四十五センチぐらいやから、ちょうどエエぐらいになる。四方に立てとくんや。

「薪も本当は問題なのよね」

 その通りや。キャンプ場の薪は割高の上に質が悪い。生乾きやったり、大きさもマチマチや。製材所の端材とか使いもんにならんのを仕入れて置いとるようなとこも珍しない。それと殆どが針葉樹や。針葉樹は着火にはエエけど燃えすぎて火持ちが悪いんよな。

 そやからクルマで行く連中はホームセンターで買ったり、通販で買うのが多いみたいや。焚きつけの時は針葉樹使うて、次に広葉樹みたいな順番や。そこにこだわる気持ちはわかるけど、バイクで薪なんか抱えてキャンプなんか出来へんからな。

「着火も火加減も本当は難しいのよね」

 着火もマッチ一本でやる本格派もおる。そのために、焚きつけ用に薪を細う割ってくだけやなく、フェザースティック作ったり、小枝とかを拾い集めるのもおる。着火剤使うにしても、ある程度は細くしておく必要がある。そのためには鉈やナイフが必要になる。

 それと風も困る。エエ焚き火台やったら風よけのために四方を囲むタイプもあるけど、コトリたちのはフル・オープンや。

「女神をやってると便利なことも、たまにはあるのね」

 そういうこっちゃ。あんまり女神の力を使うのは気が乗らへんけど、荷物には代えられん。着火も火加減も、燃え加減も、風ののコントロールも朝飯前や。ついでに言うたら、立てた薪の柱も倒れんようにしとる。

 これもその気やったら、湯も沸かせるし、火を使わんでも焼いたり、温めたりも出来る。コトリは苦手やけど、調味料使わんでも味付けもできる。そやけど、それはやらん。つまらんからな。

「そうよキャンプに行ってるんだもの」

 持って行く調理器具もシンプルや。基本はヤカンと鍋だけや。鍋一つで焼き物も、煮物もやる寸法や。鍋だけにしよかと思たけど、お湯沸かしながら、鍋料理するのは無理があったわ。そやから作る物も大したもんやない。

 最初に行った時なんかヤカンだけ持って行って、カップラーメンにコンビニおにぎりやったもんな。朝食は帰りの喫茶店でモーニングやったし。そうやねん、ゆるキャンってこれぐらいのレベルでやれるもんなんや。

「でも美味しかったよね」

 いつもとちゃうところで食べたら、カップラーメンでも味が全然違うってことなんよ。そうそうキャンプのゴミは持ち帰りやから、それも考えとく必要もあるで。そのゴミやけど、ビールの空き缶の処理がいっつも困る。ほいでも飲みたいしな。

「あれもあんなに美味しくなるなんて」

 キャンプ場の近くにスーパーがあって、そこに串に刺した焼き鳥売っとったから、焚き火で炙り焼きにしたんや。串は燃やしてもたら済むからラクやった。コトリもユッキーも焼き鳥にはウルサイ方やけど、スーパーの焼き鳥でも一流店と余裕でタメはれるわ。

「あれ買おうよ」

 ユッキーが持って行きたがってるのが食パンが焼けるフライパンや。ココロは朝飯に目玉焼きを焼いて、パンに乗せて食べたいぐらいや。次は持って行くつもりや。

「夜が最高」

 ああエエで。星空は綺麗やし、空いとったらホンマに静かやねん。

「こんなキャンプが出来る日が来るなんて夢みたいだね」

 コトリもユッキーもキャンプはベテランやねん。いつやったかって、そりゃエレギオン軍を率いての宿営や。アングマール戦の時は何か月どころか、何年も続けてやったからな。今と較べたら装備は良うあらへんし、雨なんか降られたら最悪やった。

 テントも服も靴も防水機能なんかあらへんから、雨漏りするし、なにもかもビチャビチャになる。着替えもビチャビチャになったし、着替えすらない事も多かったからな。戦争やから着替えより武器や食い物運ぶのが優先なんよ。

 それにいつ敵の襲撃があるかわからんから、夜かって神経ピリピリさせとかなあかん。もちろんやけど、こっちかって夜襲する機会を常に考えとったからな。夜襲がのうても、常に相手の情報を頭に入れなアカンから、斥候が帰ってきたら深夜でも起きて聞かんとこっちがやられる。

 食い物も酷かった。今とちゃうからカチカチの保存食ばっかりや。それも戦争が終盤に向かえば向かうほど質も量も落ちて行った。半分腐ったようなものも普通やったし、食料があるだけありがたいぐらいの感覚や。

 これが負けて敗走するときはもっと辛かった。体一つで逃げるんやけど、あのクソエロ魔王は敗走路にもびっしり伏兵を配置しよるんよ。こっちも勝った時には同じことやっとったから他人のことを言えへんけど、まともに逃げられへんのよ。

 相手の伏兵を読んで、それを避けて逃げるんやが簡単に言うと大回りになる。そやから味方のところに戻るまで、一週間ぐらいかかることはザラやった。テントなんかあらへんから野宿もエエとこやったし、食い物どころか、水かって泥水さえあらへんことも多かったんよ。

 真冬にびしょ濡れになっても焚き火も出来へんかった。火着けたら見つかるからな。そやから朝になったら起きてこられへん部下が次々に出て来たわ。死んだってこっちゃ。そりゃ、そうなるわ。疲労困憊で飲まず食わずでガンガンに冷えたら死なん方が不思議やで。

「お互い、よく生き残れたね」
「そやな。キャンプでワクワク楽しめる時代が来るとは思わんかったで」

 エレギオン王国時代の思い出話なんか滅多にせえへんねんけど、キャンプに来ると思いだしてまうわ。それとやけど、思い出話が出来るのは世界でユッキー一人だけや。今もそうやし、これからもずっとそうや。

「コトリがいたから生きてこれたよ」
「コトリもそうや」

 ユッキー泣いとるやないか。まあええか。あの頃のことを思い出したらそうなるわな。

「ところでコトリ」
「あかんて」
「一度ぐらいイイじゃない。これも女の楽しみよ。怖がる必要なんかないんだから」

 コトリもやった事はあるって。そりゃ、ユッキーは優しうしてもうて、エエ思いをしたみたいやけど、コトリはエライ目に遭わされたんやから。

「だからコトリにも良い思いを教えてあげるから」
「いらんて」

 ユッキーの悪い癖や。寂しくなるとやりたがるんよ。

「寝よか」
「じゃあ、OK」
「そんなわけ、あるはずないやろ」

ツーリング日和(第5話)マウントおじさん

 ツーリングやってる連中に気の良いやつが多いのはホンマや。道ですれ違っただけでも手上げて挨拶するぐらいや。淡路でも何遍か声かけられた。福良の昼飯の時もホントはちょっとだけ並んだんよ。

 コトリたちの前が六人組やってんけど、そんなもん格好見ただけでバイク乗りってわかるやんか。待ってる間に話しとってんけど、すぐに順番が来たんや。空いたんが四人がけのテーブルが二つやってんけど、

『相席で良ければ・・・』

 一緒に食べたんよ。コトリとユッキーがテンコモリ食べてたのに目を丸くしてたけどな。そん時やねんけど、福良言うたら淡路三年とらふぐが有名やんか。その話になったしコトリもお土産にする予定やってん。その連中は淡路によく来るみたいで、

「それやったら」
「せっかくやし」

 どっかに電話かけてくれてん。御飯が済んでから、連れて行かれたのが普通の民家やってんけど、その連中の親戚で三年とらふぐの養殖やってる人やってん。どひゃっとぐらいのフグと、

『この自家製のポン酢醤油が絶対にお勧め』

 ほかにも浅葱やら、白菜やら、菊菜やら、葛切りやら、椎茸とかを全部一式にしてくれたんを売ってくれたんや。

「あのヒレ、立派だったね」

 あんなゴッツイのをコトリは初めて見たわ。そこまでデラックス版やったのに、お値段はウソのように安かってん。そこまでしてくれて、

『じゃあ』

 そうやねん、その連中は反時計回りで淡路島回っとってんよ。気持ちのエエやつやったし、てっちりは最高やったで。

「変なのもいたけどね」
「そやったな」

 バイク乗りに声かけるキッカケに、相手のバイクの事を聞くのはポピュラーやねん。どのバイク乗りも、自分のバイクに愛着があるから、聞かれて悪い気はせえへんねん。多かれ、少なかれカスタムしてるやつが多いからな。良くあるのは、

『そのマフラーって、ひょっとしてヨシムラ』
『変えてみたら、音も気に入ってますし・・・』

 てな感じ。そこからバイク談義とか、ツーリングの経験談とかに広がっていく感じや。あれは道の駅うずしおやった。ユッキーと都志への道の確認をしとってん。ナビ積んでないからな。そしたらおっさんが声かけて来たんよ。

 コトリたちのバイクの話から始まったんやけど、なんか違和感があるんよ。バイク乗りが相手のバイクを話す時は、お互いのバイクをリスペクトするのがマナーみたいなもんやねん。それが、言葉の端々に見下してるとこがあったんよ。そしたら、

『どうして大型に乗らないの』

 ユッキー見たらわかるやろ。

『バイクは大型に乗ってこそだよ』

 適当に流しとったら、

『その体格じゃ無理か。死ぬまでバイクの本当の楽しさ知らずに終わりそうだね』

 大きなお世話やと思たわ。そしたらユッキーが、

『大型って何が良いのですか?』

 ちょっとオモロかったで。そんな質問が出るとは思わんかったんやろ。ちょっと詰まってから、長距離走っても疲れへんとか、一日五百キロぐらいは余裕やなんて言い始めたんよ。ユッキーは、

『毎日五百キロも走られるのですか?』

 おっさんはまたも詰まって年に一回か二回って答えよった。それでも負けたらアカンと思たのか、馬力自慢を始めよった。ユッキーは冷ややかに、

『それだけの馬力はどこで使われるのですか?』

 そういうこっちゃ、スポーツカーも似たようなとこがあるけど、いくら速くても、日本の道で使えるところはないんよね。使たらスピード違反で捕まるだけ。高性能車の限界なんかやって捕まったら、下手すりゃ逮捕で免許は確実に飛んでくで。

『サーキットで走る趣味はありません』

 そりゃ、大型は速いし、長距離走行はラクや。そやけどラクしたいんやったら、飛行機の方が速くてラクやんか。リニアでもそうや。大型が全速力で走っても勝たれへん。バイク乗りは、バイクに乗って走るのが楽しいと思う人の趣味やねん。

 速く走りたいのも趣味やし、長距離走りたいのも趣味や。それと同じようにゆっくり走るのも趣味や。バイクを走らせるのは趣味として共通してても、どう走らせるかは勝手やねん。自分が楽しいと思う走らせ方をすれば良いだけで、走らせ方を強制される筋合いはないんよ。

 バイクはな、小型なら小型の楽しさがあり、大型なら大型の楽しさがある。もちろんやけど、小型にも欠点はあるし、大型にも欠点はある。それも含めて楽しむもんで、大型が最高の地位にいるわけやないとユッキーは冷ややかに話しとったわ。

 ユッキーもわざわざそこまで言うかと思たけど、あれはたぶんやけど、淡路島バーガーを食べ損ねたから機嫌が良くなかったからやと思てる。それで一応終わったんやけど、幸せのパンケーキを出る時に出くわしてもたんよ。

 おっさんは自慢するだけあって、ドッカティのスーパースポーツ・モデルやった。一〇〇〇CCで二百馬力ぐらい出るし、お値段は五百万円するんよね。道の駅うずしおで言い負かされた腹いせやと思うけど、

『そんなちっちゃい、どノーマルでバイクの楽しさがわかるか!』

 捨てセリフ吐きやがってん。

「ドカのおじさんはしつこかったけど、増えてるらしいね」

 その手の連中に絡まれても、バイク乗りは、たいがいは受け流すだけやねん。行きずりやし、論破や喧嘩するのもアホらしいぐらいや。そいでも、マウントされた後はムカムカするんよ。

 そやねん、たかが大型バイク乗っとるだけで、なんであんなにエラそうにされなあかんねんってことや。その上やで、マウント取った方は気持ち良くなりやがってや。そんな気持ちになったらツーリングの楽しい気分はぶち壊しやし、そんな気分で走らせとったら事故するで。

「そうよね。実用性だけだったら、ドゥカティより原付スクーターの方が遥かに上だものね」

 それがバイクの本質や。そやそや、誤解せんとってや、大型に乗ってる人を見下してるわけやないで。いつかは大型に乗ってみたいと思てるバイク乗りも多いからな。それはそれで、全然かまへんねん。

 それとやけど優越感を内心で思うのと、マウント取るのはちょっと違う。そんなとこまで人間は聖人でおられるかいな。

「あれ、逆に格好良かったね」
「あれもマウンティングやろけど」

 百年ぐらい前やけど高速でポルシェ911のオープン走らせてるのを見たことあるんよ。それが走行車線をノンビリ走らせてるんよね。そやからバンバン抜かされるんやけど、気にもせえへんねん。あれは、

『国産の雑魚なんか相手にしない』

 そんな感じで見下してるように見えたわ。そうやねん誰にも迷惑かかっとらんってこと。抜いたやつはポルシェに勝ったぐらいで嬉しがってるかもしれんけど、抜かされた方かって、ちょっとアクセル踏んだら勝つと思うぐらいで満足してるって事や。

「どうして口に出すのかしらね」
「大昔から変わらん、人のサガってやつやろ」

ツーリング日和(第4話)シーサイド・ツーリング

 コトリもユッキーもだいぶバイクに慣れてきたから、長めのツーリングに行くことしたんや。朝は七時にポーアイを出発。バイクは一路西に進むで。国道四十三号線から国道二号線に乗って行くんよ。

「今日は空いてるね」
「ラッキーやな」

 メットに仕込んだインカムもよう出来てるわ。昔やったら考えられへんかった。どんだけ昔やったかは置いとくわ。それでも空いてて良かったわ。国道二号線は昔から渋滞の名所やったからな。

「朝ごはんはやっぱり、ウェザー・レポートなの」
「いつの時代の話をしとるんや。そんなもん、橋が出来た百年前にとっくに潰れとるわい」

 ウェザー・レポートも懐かしいな。あの頃の珠玉のドライブ・スポットやったもんな。若者が一度は行ってみたいと憧れてたんよ。コトリも、あれこそオシャレやと思たけど、今もあったらショボイんやろな。思い出だけにしといた方がエエ店や。

 ポーアイから明石まで二十五キロぐらいやから、順調に走って一時間ぐらいや。明石市内に入って来たな。

「ユッキー、次の交差点で左に曲がるで」
「朝ごはんから玉子焼きなの」
「まだ開いとるか!」

 海まですぐや。おっとここやな、右に曲がったら、あった、あった、ジェノバ・ラインや。今日は淡路島に行くんやけど、明石大橋が出来てから原付や自転車で行きにくうなってもたんよ。橋は高速やから走られへんねん。

 橋が出来ても頑張っとったフェリー会社もあったんやけど、ほとんど潰れた。そりゃ、そうなるわな。昔は西宮から淡路にフェリーがあったなんて言うても覚えてるやつは殆どおらへん気がする。

「甲子園フェリーでしょ」
「深日から洲本に行く大阪湾フェリーもあったもんな」
「須磨からもあったよね」

 それでも生き残っとるんがジェノバ・ラインや。八時過ぎか、エエぐらいや。日曜や休日は一時間に一本で、明石からやったら八時半になるねん。おるおる、あれ乗るんやろ。乗船券とバイクの切符を買って、

「八台しか乗らないのね」
「そんなもんで足りるんやろ」

 へぇ。こうやってバイクを固定するんか。よっこらしょっと。船室に移動して待っとったら出航や。十五分もせんうちに岩屋に到着。ここも橋が出来る前は国道フェリーがあって、フェリー待ちのクルマがテンコモリおったし、それ相手の店もあったんやけどな。

「今日は時計回りで行くで」
「まずは洲本を目指すのね」

 時計回りにしたんは、海がより近いからやねん。さて、のんびり行くか。空いとって気持ちエエわ。淡路島も橋が出来る前は、四国と近畿を結ぶルートやったからトラックも多くて渋滞もようあってんよ。今はそいつら高速走ってるからな。

「朝ごはんはウェスティンで食べるの」
「ツーリングっぽくないやろ」

 コトリもそうやけど、ユッキーも腹減ってんやろな。十分も走ったら、あったあった、東浦ターミナルパークや。

「ここ入るで」
「道の駅なんだ」

 で、で~ん。タコの姿焼きや。生のタコを丸ごと一匹プレスしながら焼いたもんや。コトリも話に聞いてたから食べたかったんよ。

「美味しい! これって最高のタコ料理じゃない」
「歯ごたえと旨味がたまらん」

 タコも淡路の地ダコやから最高やで。ユッキーも気に入ってくれたみたいでパクついてるわ。今日のお土産はこれやな。

「天日干しのカレイも買って帰ろうよ」
「薄いからちょうどエエしな」

 これもバイク乗りの発想かもな。乗せるとこがリア・ボックスしかあらへんから、平べったいものが嬉しいんよ。まあ今日は荷物も多ないから余裕はあるけどな。お腹がタコだらけになったから出発や。洲本まではひたすらシーサイド・ロードを南下。四十分ほど走ると到着。

「イオンのとこを右に曲がるで」
「らじゃ」

 今日は洲本は素通りして二十分程で由良や。由良の市街も狭いんやけどバイクやったら問題なし。

「立川水仙郷まで行くの?」
「今日は変化球や」

 水仙の季節やないからな。これはコトリの趣味やけど歴史スポット巡りや。景色もエエとこのはずやねん。おっと、ここから入るんやな。あった、あった、案内板のとこを登って第二駐車場や。

「あれは二十八サンチ榴弾砲の砲身じゃない・・・そっか由良要塞の跡か」

 さすがにユッキーや。由良、友ヶ島、加太と並んで砲台が作られとってんよ。そこを通ってくる敵の軍艦を沈めてまうためで、鳴門要塞も含めた大要塞やってん。日清戦争の前から作ってたから、

「初期はレンガ作りだったのね」

 その通り。コンクリに変わって行く時代の変遷があってオモロイとこや。ほいでも活躍することはなかったんよ。日露戦争も、第一次大戦も、日中戦争も攻められへんかったからな。ついに攻められた第二次大戦の時には、

「B29は頭の上を飛んで行ったものね」

 そういうこっちゃ。こんなもんは役に立たんで済んで良かったわ。紀望台に回って、

「なるほど紀州を望むだね。成ヶ島の綺麗なこと」

 昔は見張り台やったんやろな。さらに生石鼻灯台から出石神社へ。神社と言うより祠やねんけど、起こりは古いなんてもんやあらへん、垂仁天皇の頃に遡るんよ。天日槍のひ孫に清彦てのがいて、天日槍が新羅から持ってきた宝物の一つを持っとってん。

 これを垂仁天皇が見たいと言われて見せたら、献上させられて石上神社にしまわれてしもてん。ところが石上神社から忽然と消え失せて由良に流れ着き祠に祀られたのが始まりになってるねん。

「出石の刀子ね。清彦はお菓子の神様のお父さんでもある」

 お菓子の神様は田道間守やねんけど、古事記では清彦の弟、日本書記では子になってるな。さすがにこの祠の中に刀子は残ってへんと思うけど、現代まで祠が残ってるのは奥ゆかしいことや。後は展望台を二つほど回って出発や。

「わたしが前を走るね」
「次は福良の道の駅や」

 南淡路水仙ラインと呼ぶんやけど、由良からはちょっとした峠越えや。そこを超えるとガチガチのシーサイド・ロードのはず。

「コトリ、ここ気持ちイイ」
「コトリもや」

 こりゃ楽しいわ。こんな海に近いところを走れるとは予想以上やった。だいぶ走ってから、また山って言うより丘ぐらいの道になるんやけど、こっちはこっちは軽くワインディングしててバイク乗りにはたまらんと思うで。

「また海に出て来たよ」
「福良も近いで」

 道の駅にバイクを置いて。

「どこ行くの」
「えっとやな、あった、あった、あの店や」

 コトリが選んだのは山武水産。魚屋さんやねんけど、食堂もやってるんよ。口コミみたら美味そうやってん。魚屋さんの魚やから美味しいはずやねん。ちょうど席も空いとって良かったで。頼んだんは海鮮丼とウニ丼やってんけど、

「穴子丼も美味しそうだからお願い。それと車エビの塩焼きと、大あさり焼きと、サザエのつぼ焼き」
「アワビの刺身と、アオリイカの刺身とキスの天ぷらもや」

 タコの刺身や天ぷらも美味そうやってんけど朝に一匹食べたからな。二人で食った、食った。ビールがあれば最高やねんけどバイクやから我慢、我慢。食い終わったら今度は道の駅うずしおや、

「それって大鳴門橋記念館」
「拡大版らしい」

 コトリもユッキーも当然やけど大鳴門橋が出来た頃に行ってるねん。福良から二十分もせんうちに到着。

「淡路島バーガーが売れ切れじゃない」
「しゃ~ないやん」

 女神の食事はその気になれば大食い大会で楽勝できるほど食べれるけど、普段はそれなり。今日はテンション上がってるからユッキーも大食いモードやな。コトリもやけど。次は淡路の西海岸を淡路サンセット・ライン使って北上や。

「次は都志で給油や」
「そんなに走ったんだ」
「そうでもないけど、スタンドの都合」

 都志で高田屋嘉兵衛記念館に寄ったのはコトリの趣味で、次は室津の幸せのパンケーキや。パンケーキ屋はテンコモリの満員で行列が出来てたからあきらめたけど、ユッキーと幸せの階段と岬のブランコで記念写真や。

「この階段って天国に通じてるみたいだね」
「そやな。ほいでも、いつになったら行けるのやら」
「その時は一緒よ」
「そやな約束する」

 ホンマにいつになったら死ぬんやろ。ゲシュティンアンナやドゥムジ、ユダはもう一万年やから、そこまでは神の寿命は確実にあるもんな。ま、しばらくはユッキーとツーリング楽しめそうやからエエか。

 だいぶ寄り道したから、室津からはとばして帰ったわ。夜道は怖いからな。夜は夜でこれも福良で買った三年とらふぐの鍋セットで、

「カンパ~イ」

 気持ちのエエ一日やった。天気も最高やったし、淡路島は信号が少ないから快適なんよ。道も細いとこはあったけど、バイクやったら気にもならへん。生きてるのも、たまにはオモロイことはあるよな。