銀河帝国の興亡

 アシモフの大作です。この作品にはかなり影響を受けています。骨格であるギボンのローマ帝国衰亡史については、日本人にはイマイチ馴染がないので置いといて、アシモフの話の作り方、展開のさせ方です。

 これは私がそう受け取っていると予めお断りしておきますが、大きな事件が起こり、登場人物が逃げ場のない危機的状況に陥るものの、ドンパチで解決しないみたいな話の運び方です。裏舞台なりが実はあって、あれほど危機的な状況に見えても実は・・・的なオチにもっていく感じと言えばよいでしょうか。

 この辺はアシモフがSF作家であるだけではなく、ミステリー作家でもあるからと見て良さそうです。ミステリー小説では、事件の謎のキーワードがあちこちに散りばめてあり、そこに早くから気づいた探偵なりが、それが見えない周囲の者を煙に巻きながら事件を解決するのが醍醐味でしょうか。

 作品を読む時に探偵まで見えて楽しめるのか、見えないその他大勢で楽しむのかは読者により変わるでしょうが、どちらでも楽しめるのがミステリーの良いところと思っています。

 ミステリー小説は頭からミステリーと銘打ってありますが、他のジャンルの作品にミステリー的な要素を絡ませると、作品の展開にリズムが出ると思っています。純ミステリー作品ではないので、真相が見えないその他大勢になりやすく、作品の続きをひたすら追いかけたくなる効果を期待できると考えています。

 この手法のネックはミステリーのトリックなり設定を捻くり出すことです。これさえ思いつけば後は書く方もひたすら肉付けして楽しめます。捻くり出せない時は・・・そりゃ、もう、大変。


 少しは作品の方の話をしといた方が良いのですが、いわゆる欧米人的な価値観が強く出ているような気がしています。それぐらい欧米人にとってローマ帝国は栄光の歴史みたいな位置づけなんでしょうが、私にすれば、

    「なんで今さらローマ帝国やねん」
 大昔に滅んだ大帝国ぐらいにしか、どうしても思えないところがあります。そこへの回帰を目指すような話は肌が合わないぐらいです。この辺は歴史的収束がどこに向かうかの考え方かもしれませんが、国が巨大化するといわゆる民主体制では対応できないの考え方が根底にあるような気がしています。

 話を単純化しますが、古代ギリシャの直接民主制が共和制ローマのある種の間接民主制に敗れ、さらに共和制ローマが帝政に移行して長い繁栄を保ったぐらいです。

 銀河帝国とは銀河を支配する大帝国ですから、広義の民主制ではとても運営できないと考え、古代ローマのように共和制から帝国に移行するのが歴史の必然ぐらいの見方のような気がしています。ですから未来型のローマ皇帝が支配する世界になる話になるぐらいです。

 果たしてそうなるのかどうかは、私の寿命のうちに見ることは出来ません。これもSF設定で良くあった21世紀には世界政府が出現するさえ、まだまだ時間がかかりそうだからです。
 

夏への扉

 この作品は世界三大SF作家の一人とされるロバート・A・ハインラインの名作です。日本でハインラインと言えば夏への扉が代表作としてすぐ思い浮かぶほどですが、wikipediaより、

『夏への扉』は特に日本において人気の高い作品であり、SFファンのオールタイム・ベスト投票では、度々ベスト1作品になっている。 しかしアメリカにおいては『月は無慈悲な夜の女王』と『異星の客』がクローズアップされることが多く、『夏への扉』は日本での限定的な人気にとどまっている。

 この辺は感性の違いでしょうか。あんまり書くとネタバレになるので注意が必要なのですが、この作品はタイムトラベル物になります。タイムトラベルとなればタイムマシーンになりますが、設定として面白いのは、未来に行くのは通常技術の延長線であるコールド・スリープを用い、過去に戻るのは一度限りの大冒険にしている点です。

 未来に進むコールド・スリープを用いてのロマンスが後半の伏線でもありますが、ハインラインはロリコンじゃないかと感じたのは白状しておきます。だって男は30歳、女は11歳ですからね。年齢差は巧妙に埋められますが、それ以前があるわけでして。

 その辺は個人の感想ですから置いといて、あれが男女逆だったら成立するかです。当時はしないと思ったものですが、そうでもないのがこの世の中であるぐらいは勉強させて頂きました。色んな形の愛があるぐらいにしておきましょうか。


 それとこれも時効ですから白状しておきますが、この作品を読む前に、この作品をモチーフにした山下達郎の曲を先に知っていました。曲は好きだったのですが、歌詞の世界がイマイチ、いやほとんど理解できなかったのです。

 夏への扉を読んだのも、タイトルが達郎の曲と同じであったのに興味が魅かれただけで、読み終わってやっと、この小説をモチーフにした曲だと初めてわかった次第です。だって曲中で印象的に繰り返される、

    リッキィ・テッキィー・タビー
 これが実は人の名前だったと小説を読んで初めてわかったぐらいです。ついでに曲中で印象的に登場する猫のピートの存在価値も。

 
 他に興味深いところとして、この作品は1956年の発表ですが、面白いのは作品の『現在』の設定が1970年で、そこからの『未来』の設定が30年後の2000年にしている点です。私が読んだのは1970年代の後半ぐらいで、2000年も経験し、もうすぐ2020年です。

 時が過ぎ去るのは早いものだと改めて感じています。

とらえられたスクールバス

 日本のSF作家の草分けは押川春浪や海野十三ですが、さすがに読んだことが・・・一冊ぐらいあるかもしれないぐらいです。やはり戦後に現れたSF第一世代と呼ばれる、星新一、小松左京、筒井康隆以降になります。この世代の作家には他に、半村良、光瀬龍、平井和正、豊田有恒らがずらっと並びます。

 これらに伍して活躍されたのが眉村卓です。作品リストを見ていると、結構読んだものが多いのもわかります。私がSFをよく読んだのは中学から高校ぐらいですが、この頃はSFジュブナイルと呼ばれる中高生向きの作品が多いというか、ブームだったせいもあると思っています。

 この辺は家庭的な事情もあって、これは今でもある程度ある気もしますが、

    マンガ << 小説
 こういう序列が強固としてありまして、うちではマンガを読むことは宗教的禁忌みたいな状態だったのです。その代用品って訳でもありませんが、SFジュブナイルを読んでいたぐらいでしょうか。余談ですが小説のジャンルにも、
    大衆文学 < 純文学
 これが強固にありまして、本を読むのなら純文学を読めとうるさかったものです。この辺は言う親の方が大衆文学も読んでいましたから、禁止にはなりませんでしたが、二言目には、
    「また下らない本を・・・」
 かなりどころでない嫌味を言われ続けたものです。お蔭で純文学と銘打ってあるだけで大嫌いになり、村上春樹は1ページも読んだことがありません。


 そんなことはともかく、眉村卓が先日亡くなられています。これも作品リストを眺めながらの感想ですが、眉村卓は1960年代から活動が始まり、1970年代、1980年代が旬ぐらいで良さそうです。そう私の思春期から青春時代にあたる事になります。

 もちろん2000年代まで息の長い活動を続けられていますが、代表作はなんだろうと漠然と考えていました。どうやら晩年の妻に捧げた1778話の評価が高いようですが、それは司馬遼太郎の代表作を街道を行くにするような違和感があります。

 ずらっと並ぶ作品リストを見ながら改めて思ったのは佳作は多いですが、代表するような大ヒット作は無いような気がしました。これは異論もあると思いますが、小松左京と言えば日本沈没みたいな大ヒット作です。

 小松左京の日本沈没が大ヒットしたのは作品の優秀さもあるでしょうが、映画が大ヒットしたのもあるはずです。たとえば筒井康隆の代表作の一つが、どうしても時をかける少女になるような関係とすれば良いでしょうか。

 そういう意味では、ねらわれた学園が上がって来るのですが、これがなんとも中途半端な気がしています。野生の証明で注目を浴びた薬師丸ひろ子の出演作で、監督は大林宣彦、主題歌は松任谷由実の守ってあげたいです。ヒットしたのは間違いないのですが、今でも多くの人の記憶に残る作品かと言われれば疑問が残ります。

 というのも薬師丸ひろ子の次作があのセーラー服と機関銃になります。大林宣彦作品も尾道三部作が有名ですが、この後の活躍になってしまうからです。


 ですから私は時空の旅人をあげたいところです。こちらに関しては恥ずかしながら映画を先に見ました。竹内まりやの印象的な主題歌もあり、作品としては良く出来ていたと思います。ああいう世界はアニメでないと描き切れない気がしています。

 ただし原作がどれだけ読まれたかはチト疑問が残ります。これも恥ずかしながらですが、時空の旅人の原作が、とらえられたスクールバスであるのを知ったのはかなり後だったからです。この辺は、現在と情報量がかなり違いますからねぇ。

 それと原作はかなりの長編です。私の記憶も怪しいところがありますが、当時で文庫本三冊あったはずです。長編が悪いわけではなく、私も長編小説は好きですが、この作品もSFジュブナイルの範疇で良いはずですから、対象である読者の中高生には少々長い気がします。

 それとSFジュブナイルとしながら、設定というかストーリーがかなり捻ってありまして、途中まで悪と思われていたクタジマ・トシトがラストで、これも一つの善であるみたいなものになっています。

 そういう設定は後のSF作品に多く使われるようになりましたが、当時の中高生に単純に善悪の評価が定まらないというか、その立場によって善にも悪にもなりうる設定は難解じゃなかったかと今なら思っています。

 題名は映画化後に時空の旅人に変わったそうですが、これも今のメディアミックスによる抱き合わせ販売戦術からするとウソみたいに書店に行っても、さほど熱心に売られていた記憶が残っていません。


 それはともかく、日本のSFの黎明期に活躍された偉大な作家の御冥福をお祈りします。彼らの活躍が今に至る日本のSF作品の隆盛の礎になったのは間違いないからです。

百億の昼と千億の夜

 かつてSFジュブナイル(これも昭和の死語になっているようですが・・・)にはまった時期がありまして、その時の勢いで読んだのが「百億の昼と千億の夜」です。たしか中学ぐらいだったはずですが、読んだ感想は、

    なんじゃこりゃ!
 SFジュブナイルの期待を大きく裏切る代物でした。早い話がジュブナイルじゃなかっただけですけどね。とにかく複雑な展開で、古代の幾つもの場所で起った不思議な話というか経験が、現在(というか、設定としての未来)に結びつくものです。

 そこから前半に大きく投げかけられた謎というか、問いに対しての冒険が始まるのですが、初読の時は正直に言うと追い切れませんでした。根性出して文字だけは読み切りましたが、それだけだったで良いと思います。とにかく読めば読むほど気持ちが暗くなるだけでなく、最後まで期待していたカタルシスもなく、

    なんじゃこりゃ!
 中学生には少々難しかったかもしれません。それでも妙に気になる本で、高校の時に何度か読み返して、
    こんな話だったんだ!!
 ようやく全貌を把握した時に茫然としたことを覚えています。あんまり書くとネタバレになるのですが、当時(今でさえそうですが)は難解な物理用語、深遠たる仏教的世界観がサラサラと散りばめられているのに驚かされたものです。

 原作を読まれても良いと思うのですが、これを萩尾望都が漫画化しています。これも調べると私が高校を卒業する頃に一度刊行され、もう一度大学時代に出されています。最初の物は目に付かなかったか、近所の本屋に置いてなかったか、はたまたレディス・コミックに並べられていたのか不明ですが読んでいません。

 二度目の時はなぜか買っていますが、実に良く描けています。最初からこれを読めばわかったと思ったものですが、こればかりはどうしようもありません。興味のある方はマンガから読まれても良い気がします。

 
 さて現在の小説の連載は当分ストックがありますが、ちょっと行き詰まり傾向です。平たく言うと新作が書けなくなっています。月に1作以上のペースで書いてたのが無理があったとも思いますが、何を書いてもそれまでの作品と似たり寄ったりになってしまうのです。

 そんな時にふと思い出したのが、百億の昼と千億の夜です。これをモチーフにして書いてみたのですが難航中。ラストは気に入っていますが、ラストまでの話が書いた自分でさえ、

    難解過ぎてつまらん
 それも長過ぎてつまらないのなら、まだ改善の余地がありますが、これが100ページ程度の短編。相当手間をかけましたが現時点ではお蔵入り。

 話の展開上、量子物理学の話を扱わないといけないのですが、これが手強いったらありゃしないです。小説ですから大づかみぐらいの理解で良いのですが、一番お手軽のはずのwikipediaでさえ尻尾を巻いて逃げたくなる代物です。

 いつの日か練り直したいとは思っていますが、それが出来るかどうかは・・・手を付け直すならお正月休みかな。

続カメラのお話

 カメラを買って楽しんでいます。カメラは子どもの時から親のカメラも含めて使ってますが、当時で言うバカチョン・カメラばかりで、カメラの勉強などロクロクやったことがありません。白状しておくと絞りとシャッター速度の関係の理解も怪しかったぐらいです。

 今のカメラもオート設定はありますが、さすがにそれではつまらないと思い、絞り優先で使う知識をまず仕入れています。これだってF値を決めればカメラが自動的にシャッター速度とISO値を決めてくれますから、セミ・オートみたいなものですが、ちょっとはカメラ好きに見えるかと思っています。

 F値の理解もシンプルで、小さくすれば被写体深度が浅くなり、大きくすれば深くなるぐらいです。被写体深度と言えば格好が良いですが、浅くなればピントの合う範囲が狭くなり、深くなれば広くなると言い換えても良いぐらいでしょうか。

 露出はコンデジにも付いていましたが、この機能を使うには液晶パネル上であれこれする必要があったので、ほとんど使ったことありませんでしたが、今度のカメラはダイヤル一つで使えます。露出ってなんだになりますが、これも数字が大きくすれば画面が明るくなり、小さくすれば暗くなります。 どういうメカニズムかですが、絞り優先ならシャッター速度が変わるようです。

 絞り優先にしてから意外と重宝しているのがMF。近接撮影でボケ写真を撮る時にAFでは時に合わせて欲しいところになかなか合わなかったり、そのためにピントの設定をあれこれイジル必要があるのですが、MF使うとラクな事があります。

 ホワイトバランスも今までなんのための機能かと思ってましたが、写真の風合いのためとやっと知りました。これぐらい機能を覚えたら、あれこれカメラを操作して撮っているように人には見られると思いますから、本格派に見てもらえるかもしれません。たぶんですけどね。


 カメラやレンズを買う前も買った後もネットで情報集めをしていたのですが、なにかデ・ジャ・ブーを見ているようでした。あれこれと同級カメラとの比較が書かれているのですが、昔のカー雑誌とかパソコン雑誌を読んでいるようでした。いわゆるスペック厨の感じです。

 でもどうなんでしょうね。比較記事で血眼になって書いてある差なんてわかる人がどれだけいるかです。それぐらい各メーカーの画質は向上していて、そうそう革命的な差が出ると思いにくいところがあります。上で書いた他にも様々な機能が今どきのカメラにはありますが、まず使いそうにないものばかりです。

 この辺も感性が老化しているのかもしれません。でも、とりあえず今のカメラに満足しています。言うほど使ってはいないのですが、紅葉が綺麗でしたからお目汚しに、

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 ついでにもう一枚、

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