マスターピースの夢

 小説を書いている者の野望として、いつか世間をあっと言わせる傑作を書いてやろうがあります。もちろん、傑作が売れることによって夢の印税生活を期待しているのがセットですけど、

 でもまあ、世の中そんなに甘くはありません。文章を書くのにもトレーニングが必要で、処女作が傑作になってベストセラーになることなど妄想に過ぎないと思っています。でも、そんな話が一つぐらい転がっていないかと考えて思いついたのがマーガレット・ミッチェル。彼女はあの名作、

    風と共に去りぬ
の作者です。私の曖昧な記憶なら彼女が発表した作品はこれ一つで、書き上げた作品もこれだけだったはずです。そこでwikipedia程度ですが確認してみます。


 まず彼女が素人かどうかですが、地元の新聞社の日曜版のコラムニストをしています。私だってブログを書きていますが、あっちはプロか・・・ただ、コラムは基本的に短めの記事のはずです。つうか、新聞に紙面を何枚も使った長文記事が掲載されないるとは思えません。

 彼女が執筆のタイミングは踵の骨の骨折の治療のためとなっています。私だって踵にヒビが入った事がありますから、ここは互角(のはずもありませんが・・・)ですが、私があの時に覚えたのは片松葉の使い方なのは大きすぎる差があります。

 そんな目くそ鼻くその差は置いといて、wikipediaより、

彼女は最終章から書き出し、章を飛び飛びに書き進めるなど、独特な執筆手法を取っていた

 彼女が最初に書いたのが最終章なのは知っていましたが、あちこちを断片的に書き進めていたのはかなりの驚きです。これは小説家や作品によって異なるでしょうが、ある程度ストーリーが固まっていても、頭から順に書くことが多いと思うからです。

 そうするのは、書き進めているうちに新たな構想が浮かんできて、どうしても話が変わる部分があるからだと思っています。ラストだって腹案が出来ていても、そのラストに持って行く過程で変わる部分があると思っています。

 そんな芸当が出来るのは、映画的な手法になります。映画はまずシナリオがあり、シナリオに沿って撮影が進められます。順撮りと言って、頭から順番に撮影される事もありますが、ロケとかセットの都合で、様々なシーンをバラバラに撮るのもよくある事です。

 そうなると彼女は執筆前にかなりしっかりしたストーリー、いや映画のシナリオに近い堅牢なものを持っていたことになります。それもですよ、あの長編です。たしか文庫本で5冊ぐらいあったはずです。そんな芸当が出来る小説家もいるでしょうが、私では想像も付きません。(較べるなの声は置いておきます)

 作品自体は三年ぐらいかかったようですが、夫には時々見せたようですが、結局しまい込んで誰にも見せることはなかったようです。また、この作品の後にバリバリ書いたかと言えば、wikipediaより、

1929年にはくるぶしは完治し、小説もほぼ完成していたが、彼女自身は創作活動への意欲を失っていた

 ある種の燃えつき症候群みたいな感じでしょうか。彼女はタイプライターで書いていましたが、その原稿の量は、

小柄な作家の背の高さ以上の分量があった

 すげぇ。それが偶然に偶然が重なった結果、編集者の目にとまり1936年に刊行されています。これも驚いたのですが、

小説は1936年に完成したが、彼女は最後まで第1章を書かなかった。

 なんと書きだしは最後の最後に書かれたようです。この後に彼女が作品を書いたかどうかですが、

生涯で発表した作品は『風と共に去りぬ』のみで、彼女の遺志により未発表の原稿は破棄されたと言われる

 書きかけたものがあったかもしれませんが、すべては失われてしまったようです。

 私も読んだことがありますが、南北戦争を壮麗な絵巻物のような情景描写と、スカーレットから見た細やかな心情描写、生活描写が生き生きと描かれている作品です。映画も名作ですが、原作を読むとダイジェスト版の感じがします。


 私の推測に過ぎませんが、彼女の頭の中には、それまでの人生の中で既に小説は出来上っていたのじゃないかと思います。小説というか、彼女の物語として。それが病気療養というキッカケで小説と言う作品に仕上がったぐらいです。

 悔しいですがこんな芸当は私では無理です。数撃つ内に当りが出るのを期待します。

やりたい事がやれる期間

 春秋のハイキングも私の趣味ですが、いくつもあるコースの中で一、二を争うほどシビアなのが、魚屋道。六甲山横断コースで、阪神の深江駅から、六甲山最高峰を経て、神鉄有馬温泉駅に到るルートです。

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 もちろん、この程度は軽いハイキングにしか感じられない人も多いでしょうが、私にすれば体力の試金石みたいなコースです。今年も無事踏破出来ました。良かった、良かった。

 まだまだ老けこむ歳じゃないのは確かですが、いつまで元気なのかを真剣に考えるようになっています。そう、自分の残り時間の計算です。大きな声では言えませんが、ボチボチとガタがくる兆候が出て来ています。

 そうなると、やりたい事がいつまで出来るかを嫌でも計算してしまいます。十年後も魚屋道を踏破できるぐらい元気の可能性もありますが、そうでなくなっている可能性も段々と高くなっています。この辺は四十代の時と感覚がまったく違います。

 念願の小説も書いてみましたが、これだって加齢による能力の衰えは来るはずです。書けるうちに書いておかないと、いずれ書けなくなります。 他にもいくつかやりたい事というか、いつの日にかチャレンジしたかった事もありますが、既に出来なくなっていることが出て来ています。

    「若いうちに出来ることはチャレンジしておけ」
 この手の言葉を幾度か言われた事がありますが、若ければ若い程、
    「いずれそのうち」
 こう思ったものです。でも人生をここまで過ごすと「そのうち」なんて永遠に来ない気がします。「そのうち」は自分で作って、自分で実行しないと出来ないということです。せいぜいジタバタしたいと思っています。

恩師の訃報

 別に知人の訃報サイトではないのですが、シノブの恋の連載やっている間に新たな訃報が飛び込んで来ました。中三の時の恩師のものです。五月にクラス会を開いときにも、かなり衰えてる感じがありましたので、次回は翌年に開こうかと話していた矢先でした。

 中学の時は蔭で散々悪口言っていたものですが、卒業して社会人になった後は慕われる恩師でした。教育は熱心と思っていたのですが、ある時のクラス会で、

    「あの頃は教師の仕事に行き詰まりを感じていて・・・」
 どうもやる気がイマイチだったと述懐されたのを覚えています。生徒として受けるイメージと恩師の本音にこれだけ温度差があったのに驚かされました。あの時の恩師は全開でなかったようですが、残した実績は立派なものです。

 物差しがベタなもので申し訳ありませんが、中三と言えば進学になりますが、9クラスあった中でダントツとして良いかと思います。田舎なもので、私立進学校に抜けるものが少なく(たぶんあの年はいなかったような)、地元の県立校への進学実績になりますが、他クラスの二倍近かったはずです。

 かくいう私も相当ケツを叩かれた方で、恩師がいなければ合格しなかったかもしれません。そりゃ、もうギリギリの内申でしたから。これは私だけでなく他の旧友も多かれ少なかれあったようで、

    「何度職員室に呼ばれた事か・・・」
 私は呼ばれたことがない優等生だったのですが、
    「あんたの場合は次元が違う!」
 これは恩師でなく、クラスメートからツッコミが激しかった次第です。おかしいな、地味な真面目な生徒だったはずなのに。


 恥ずかしながら恩師のその後の活躍については存じ上げませんが、定年退職後はかなり悠々自適の生活を送られていたようです。何度も海外旅行に出かけられたようで、幾度か開かれたクラス会で、土産話を聞いた旧友もいます。

 それだけでなく、地元に残っている女子のクラスメート(これが多いのですが・・・)の相談役として頼られていたそうです。この辺になると人柄ですね。

 五月のクラス会の後も、六月に一人で大阪に出かけられるぐらいの元気さはあったようですし、最後は入院だったそうですが、最近まで外食を楽しまれていたの話も聞いています。

 年齢からすると大往生でイイと思いますし、最後まで意識もハッキリしていて、寝たきりで動けなくなって苦しむ期間も短かったで良さそうです。なにか最後にこの世からの飛び立ち方の手本を教えて頂いた気さえします。

 もっとも自分がその教え通りに出来るかどうかは運次第ですが、教え子としてあやかりたいぐらいです。日頃の行いが良くないから無理かもしれませんが。

 恩師は年齢からして順送りですが、また一人いなくなりました。先遣隊員が二人ほど天国でお待ちしていますから、後発部隊が到着するのをどうかノンビリお待ちください。それとも天国巡りで張り切られておられるかも・・・

シノブの恋:あとがき

 今回の主人公は久しぶりにシノブ。いっつも留守番役させてたので、そろそろ出してやらないと忘れられそうですし。

 この作品の当初構想は処女作のリベンジ。処女作は一番苦労した作品ですが、処女作だけあって不備がテンコモリで、シリーズからはあえて外してるぐらいです。それでもあの時にやった歴史ムックをもう一度やりたかったのです。

 でもやはり難物。歴史ムックだけで一冊書くには無理がアリアリでした。しかたがないので、途中から馬の話に切り換えてます。こちらの方はストーリーを展開させるのがラクだったのは皮肉です。

 ですから出来上がってから読んでも、歴史ムック部分が本当に必要か疑問になっていますが、あれは書きたかったからでご容赦お願いします。馬だけじゃ一冊大変でしたし。

 話の主題は題名通りにシノブの恋で、話としては、これが実るか、実らないに絞られます。これも白状しておくと、どっちにするか書きながら相当揺れ動いてます。

 この辺は昔から変わらないところがあるのですが、ヒロインを登場させると、思い入れが強くなって、悪女にしきれないところがあるのです。今回もシノブの恋敵を登場させましたが、キャラを書いてるうちにいつもの悪いクセが。

 悪女だけでなく悪人を書くのも苦手で、甲陵倶楽部のメンバーも、もっと高慢で鼻もちならいのにするつもりだったのですが、頑張って、頑張って、あの程度で終わってしまいました、

 この辺は今後の課題としておきます。課題と言えば、年齢設定を厳格にやってる関係で、シノブも急がないといけないのですが、アカネもやばい。そんなことを言ってるうちに、ユッキーも、コトリも寿命が迫って来ます。全部、二回目の宇宙船騒ぎをやらかしたツケなんですが、次の展開をどうしたものやらです。

 そうそう表紙はシノブのイメージを狙ったのですが、どちらかと言うと愛梨に近くなっています。誰か表紙を書いて欲しいと思っています。

シノブの恋:ホワイト・レディの魔力

 いまだに残念な気持ちは残ってるけど、今回のシノブの恋は失恋で終わっちゃった。逆転の可能性は最後まであると期待してたけど、高慢なお姫様と思い込んでいた愛梨が、あんな純情なツンデレ女とは参った、参った。コトリ先輩がユッキー社長のツンデレ愛と競うのを苦手にするのが良くわかったもの。

 あそこまで純情だったら、そうそうは勝てないよ。伊集院さんが魅かれ、最後に愛梨を選んだ気持ちもわかっちゃうものね。伊集院さんにはそんな愛梨が見えてたんだ。でもさぁ、この展開って、やっぱり、

    『ホワイト・レディの呪い』。
 これだよきっと。コトリ先輩の時はユッキー社長まで飛び入り参戦しての大騒ぎになったけど、基本はシオリさんとの一騎打ち。二人に差がなかったのは何回も聞いてるけど、最後の決め手になったのはシオリさんの弱い部分だった気がする。

 ユッキー社長はコトリ先輩にかけられていた不幸の呪いに気づいたからシオリさんを選ばせたと言ってるけど、女神と言えども、そこまで人の心をコントロール出来ないはず。あの時の最後の選択は、やはり山本先生自身の意志だったに違いない。

 迷いに迷った山本先生が選んだのは、シオリさんを放っておけなかった気がするんだよね。一人を選べば、一人が泣くことになるんだけど、コトリ先輩ならなんとかなりそうだけど、あの頃のシオリさんは心配で仕方がなかったぐらい。


 シノブと愛梨の一戦は、ユッキー社長の突然の参戦部分がないだけで、似てる気がするのよね。伊集院さんは愛梨を想いながらも、友だち以上の関係になれない寂しさでいたんだよ。そこにシノブが現れたから、魅かれたんだ。

 途中まではシノブにしようと思ってたに違いない。そうじゃなきゃ、歴史談義から乗馬クラブまであれだけ回数のデートを重ねたりしないはずだもの。愛梨だってドイツに行って留守だったし。

 たぶんだけど、ドイツから帰国した愛梨に伊集院さんは会ったんだ。いや、会ったはず。愛梨のドイツ馬術留学は二人の婚約話の解消のためだから、それがどうなってるかを聞く必要があるものね。その時に伊集院さんはシノブのことも話したんだよ。プライドの高い愛梨のことだから、

    『あら、そう』
 それぐらいの対応をしたと思うけど、きっとその時に愛梨は気づいたんだと思う。どれだけ伊集院さんを愛していたかを。愛梨だけじゃなく、伊集院さんも愛梨の反応に気づいた気がする。

 そこから伊集院さんは悩みに悩んだ末に愛梨を選んだんだよ。決め手は、このままじゃ愛梨は一人ぼっちになってしまうからでイイ気がする。歳も歳だし、長年想い続けた相手だもの。


 そうなると、あのホワイト・レディの真の魔力とは、長年燻っていた男と女の関係に火を着けるものの気がしてきた。それも大騒動付きでね。

 だってさ、だってさ、愛梨と伊集院さんの関係だけど、もしシノブが現れなかったら、下手すりゃ、ずっとあのままだったとしか思えないじゃない。伊集院さんはひたすら待つだけ、愛梨だって、いつまで経っても愛してる事さえ気づかないとしか思えないじゃない。

 シノブが現れたことで、愛梨は自分が誰を愛していて、誰が必要なのかわかり、一遍にあれだけ燃え上がることが出来たに違いないもの。愛梨さえ気づけば、後の二人は一直線ってところだよ。

 コトリ先輩の時はもうちょっと複雑だけど、コトリ先輩が現れ、山本先生との別れがなかったら、シオリさんが山本先生に再び巡り合うことはなかった気がする。だって、あの時にシオリさんが再登場した時は、コトリ先輩と山本先生を引っ付けるためだったって言うじゃない。

 ホワイト・レディの魔力が召喚した女は、燻っていた女の感情への着火剤みたいな役割を与えられるぐらいかな。男は一度は振り向いてくれるけど、最後は振り向き直して、元の鞘に納まるぐらいの展開。そんな事を考えてたらユッキー社長が大きな紙袋を持って現れ、

    「シノブちゃん、ちょっとコレ見てくれる」
    「なんですか?」
    「お見合い写真。どう、この人なんてお勧めよ」

 山と積まれたのはユッキー社長がかき集めて来たお見合い写真で良さそう。

    「けっこうです」
    「コトリもそんなこと言ってたけど、売れ残りの会に入っちゃったよ」
 うるさいわい。まだ今年で三十歳。愛梨だって結婚したのは三十四歳じゃない。それと結婚はしたいけど、これは愛する人との愛の形の一つ。そこまでしっかり結ばれたいの思いの結晶なんだ。

 そう結婚するのが目的じゃなくて、本当に愛することが出来る人を見つけて、結婚と言う形まで持って行きたいだけ。それが恋じゃない。キスするんだって、アレするんだって同じよ。やるのが目的じゃないもの。そしたらコトリ先輩が、

    「ほんじゃあ、売れ残りの会に入る決心がついたとか」
    「そんな気はサラサラありません。次の恋でゲットします」

 でもね、悪い恋じゃなかった。むしろイイ恋だったと思う。これだけドキドキしたのは、ミツルの時以来だものね。今回は実らなかったけど、恋なんて何回してもイイんだ。そう恋花が実るまで何度だって出来るんだよ。それにしても愛梨のノロケは強烈だった。あれだけされると、シノブも強烈に思うよ。

    「イイ男が欲しい」
 そろそろシノブもダイナマイトの炸裂が欲しくなっちゃった。よっしゃ、張り切ってシノブのダイナマイトを爆発させてくれる男を探すぞ。そしてね、もっとイイ恋やるんだ。ただしホワイト・レディを使って男を呼ぶのだけはやめとこう。失恋も恋だけど、やっぱり実る恋の方がイイものね。