とらえられたスクールバス

 日本のSF作家の草分けは押川春浪や海野十三ですが、さすがに読んだことが・・・一冊ぐらいあるかもしれないぐらいです。やはり戦後に現れたSF第一世代と呼ばれる、星新一、小松左京、筒井康隆以降になります。この世代の作家には他に、半村良、光瀬龍、平井和正、豊田有恒らがずらっと並びます。

 これらに伍して活躍されたのが眉村卓です。作品リストを見ていると、結構読んだものが多いのもわかります。私がSFをよく読んだのは中学から高校ぐらいですが、この頃はSFジュブナイルと呼ばれる中高生向きの作品が多いというか、ブームだったせいもあると思っています。

 この辺は家庭的な事情もあって、これは今でもある程度ある気もしますが、

    マンガ << 小説
 こういう序列が強固としてありまして、うちではマンガを読むことは宗教的禁忌みたいな状態だったのです。その代用品って訳でもありませんが、SFジュブナイルを読んでいたぐらいでしょうか。余談ですが小説のジャンルにも、
    大衆文学 < 純文学
 これが強固にありまして、本を読むのなら純文学を読めとうるさかったものです。この辺は言う親の方が大衆文学も読んでいましたから、禁止にはなりませんでしたが、二言目には、
    「また下らない本を・・・」
 かなりどころでない嫌味を言われ続けたものです。お蔭で純文学と銘打ってあるだけで大嫌いになり、村上春樹は1ページも読んだことがありません。


 そんなことはともかく、眉村卓が先日亡くなられています。これも作品リストを眺めながらの感想ですが、眉村卓は1960年代から活動が始まり、1970年代、1980年代が旬ぐらいで良さそうです。そう私の思春期から青春時代にあたる事になります。

 もちろん2000年代まで息の長い活動を続けられていますが、代表作はなんだろうと漠然と考えていました。どうやら晩年の妻に捧げた1778話の評価が高いようですが、それは司馬遼太郎の代表作を街道を行くにするような違和感があります。

 ずらっと並ぶ作品リストを見ながら改めて思ったのは佳作は多いですが、代表するような大ヒット作は無いような気がしました。これは異論もあると思いますが、小松左京と言えば日本沈没みたいな大ヒット作です。

 小松左京の日本沈没が大ヒットしたのは作品の優秀さもあるでしょうが、映画が大ヒットしたのもあるはずです。たとえば筒井康隆の代表作の一つが、どうしても時をかける少女になるような関係とすれば良いでしょうか。

 そういう意味では、ねらわれた学園が上がって来るのですが、これがなんとも中途半端な気がしています。野生の証明で注目を浴びた薬師丸ひろ子の出演作で、監督は大林宣彦、主題歌は松任谷由実の守ってあげたいです。ヒットしたのは間違いないのですが、今でも多くの人の記憶に残る作品かと言われれば疑問が残ります。

 というのも薬師丸ひろ子の次作があのセーラー服と機関銃になります。大林宣彦作品も尾道三部作が有名ですが、この後の活躍になってしまうからです。


 ですから私は時空の旅人をあげたいところです。こちらに関しては恥ずかしながら映画を先に見ました。竹内まりやの印象的な主題歌もあり、作品としては良く出来ていたと思います。ああいう世界はアニメでないと描き切れない気がしています。

 ただし原作がどれだけ読まれたかはチト疑問が残ります。これも恥ずかしながらですが、時空の旅人の原作が、とらえられたスクールバスであるのを知ったのはかなり後だったからです。この辺は、現在と情報量がかなり違いますからねぇ。

 それと原作はかなりの長編です。私の記憶も怪しいところがありますが、当時で文庫本三冊あったはずです。長編が悪いわけではなく、私も長編小説は好きですが、この作品もSFジュブナイルの範疇で良いはずですから、対象である読者の中高生には少々長い気がします。

 それとSFジュブナイルとしながら、設定というかストーリーがかなり捻ってありまして、途中まで悪と思われていたクタジマ・トシトがラストで、これも一つの善であるみたいなものになっています。

 そういう設定は後のSF作品に多く使われるようになりましたが、当時の中高生に単純に善悪の評価が定まらないというか、その立場によって善にも悪にもなりうる設定は難解じゃなかったかと今なら思っています。

 題名は映画化後に時空の旅人に変わったそうですが、これも今のメディアミックスによる抱き合わせ販売戦術からするとウソみたいに書店に行っても、さほど熱心に売られていた記憶が残っていません。


 それはともかく、日本のSFの黎明期に活躍された偉大な作家の御冥福をお祈りします。彼らの活躍が今に至る日本のSF作品の隆盛の礎になったのは間違いないからです。