シオリの冒険:エレギオンへ

 エレギオンHDの全面支援を受けて第三次発掘調査の準備は急ピッチに整えられて行きました。雪乃は、

    「香坂さんに任せておけば心配ないわ」
 香坂さんは第一次調査の時の準備も担当していたそうですが、雪乃の言う通り、まさに水も漏らさぬ万全の準備が見る見る進められます。機材の調達・輸送や宿舎確保、往復の交通手段は香坂さんにお任せするとして、問題はどこを掘るかです。

 エレギオン発掘調査は港都大が第二次調査を行ってからも各国の調査隊が断続的に行っており、今や古代エレギオンの都市の全貌もほぼ明らかになっています。ただですがエレギオンからはこれ以上の新発見は難しいのではないかの見方がもっぱらです。

 そのためか、現在のホットな関心は、ボクが解明した大叙事詩の裏付けです。叙事詩にあるアングマールとの戦争自体は他の資料にも断片的に書かれており、戦争の存在自体は認められていますが、叙事詩に歌われている程の壮大な規模なのかは議論が沸騰状態ってところです。

 ボクはコトリから聞いた話なので、実話に近いと主張していますが、そもそもエレギオン通商同盟の他の都市さえ発見されておらず、学会では悔しい思いをしていました。流れが変わり始めたのは、アメリカの調査隊がベラテ、リューオンを発見し、さらにハマを見つけ出したことです。

 これは通商同盟が本当に存在していた証拠と見なされ、現在の焦点はハムノン高原都市の発見競争になっています。ハマまで特定出来たらシャウスは隣だろうと思うのですが、調査の結果、叙事詩の時代に較べて大きく地形が変わっているのがわかって来たのです。

 叙事詩ではエルグ平原とハムノン高原はセトロンの断崖で区切られ、この二つの地域を結ぶのはシャウスの道だけだったとなっていますが、セトロンの断崖が後世の地震で大きく崩れてしまっているのです。そのために叙事詩あるキボン川、ペラト川の流れも大きく変わり、ラウスの大瀑布も今は存在していないこともわかってきてます。

 地形の変化はハムノン高原だけではなくクル・ガル山脈にもあったようで、叙事詩に何度も謳われ、アングマールとの戦いで焦点になったズダン峠さえも行方不明になっています。

 ズダン峠の特定が出来ていない事もあり、対戦国のアングマールの所在となると杳としてわからず、各国調査隊が様々な仮説を立てて調べていますが発見どころか手がかりも見つかっていません。こういう状況で月夜野君ならぬコトリにも相談しているのですが、

    「そうねぇ、今回はユウタの叙事詩に関連するものを見つけてもらおうかな」
    「たとえば」
    「都市ならシャウスとマウサルムはどうかな。メッサ橋の遺構が見つかったら大きいんじゃない」

 シャウス攻略戦、メッサ橋の戦いは叙事詩のクライマックスの一つです。とくにメッサ橋は叙事詩で歌われている規模があまりに大きく、実在はともかく、もっと小規模だったと考えられています。

    「アングマールは?」
    「遠いよ。今回はあきらめて」
 ただコトリでも、後は実際に行ってみないとわからないとしてました。壮行会を経て発掘調査隊はエレギオンに向かいます。三十六年前のことを思いだしていましたが、エレギオンはやはり遠いところです。あの時より年も取っていますから、ズオン村に着いた頃にはヘトヘトでした。

 一方で時差ボケに弱いコトリですが、ズオン村に着いた瞬間から精気がみなぎってる気がします。ズオン村について驚いたのはヘリポートまで作られていることです。コトリは、

    「ここからエレギオンまでの道は悪いし、今回はシャウスやマウサルムも目指すんだから、クルマじゃ不便すぎる」

 ズオン村からエレギオンの調査基地までヘリでひとっ飛びはラクチンでした。さすがはエレギオンHDの全面支援です。ボクたち本隊が到着して歓迎会が開かれましたが、三十六年前と同じカレーにしてます。この意味を知ってる者はもういないと思ってましたが、隣でコトリが笑ってました。そうだった、そうだった、、コトリは四十六年前の第一次調査も知っているのです。

    「月夜野君、宣言は」
    「そうねぇ、学生だからみんなの前でやるのはやめとく」

 第一次・第二次調査の時はコトリが調査隊長でしたが、今回はあくまでも学生でボクへのアドバイス役です。

    「その代りだけど、明日は大神殿で一人にして欲しい」
    「なにをするの」
    「次座の女神の祭祀だから邪魔しないでね」
 そう言ってコトリは大神殿に一人で向かいました。これは邪魔をしてはならないのは良くわかりました。ボクの方は各国の調査隊の発見成果の確認に努めました。こうやって現地で確認すると叙事詩に歌われる古代エレギオンはそのままであったと改めて思います。

 首座の女神が建てたとされる大城壁はなくなっていますが、その基礎の土塁はある程度確認されています。また大城壁の内側にそって掘られたとされる内堀も、一部が底まで掘り返されて確認されており、あの時代にここまでの工事が行われていた事に感嘆します。

 コトリは翌日から地形の再確認に入り精力的に動き回っています。そこで三十六年前に見た光景が再現されます。時々立ち止まり、膝をついて祈りを捧げる姿です。懐かしさと神々しさがないまぜになっています。そんな時に、はるか城外に連れて行かれ、

    「ユウタ、ここだよ」

 そこには石の壁の基礎らしいものわずかに顔を出しています。

    「四座の女神の一撃が吹っ飛ばしたアングマール軍の本営の跡」

 ここがエレギオン第三次包囲戦でコトリが使者に立ち、アングマールの魔王に一撃を喰らわせた場所かと思うと感慨無量です。翌日には、

    「ここを掘って欲しい」

 そこには巨大な石碑が埋まっていました。石碑にはエレギオン文字がビッシリと刻まれており、

    「ユウタなら読めるだろ。これはアングマール戦で戦死した士官の名前を刻んだものなのよ」

 数えきれないぐらいの名前がありますが、どうやら戦いと、そこでの戦死者の名前の形式のようです。

    「ほら、ここ」

 そこにはリュース次席士官、イッサ次席士官、ウレ三席士官が読み取れます。

    「これは女神のゲラス・・・」
    「そうだよ。こっちにはメイスがあるよ」
    「それはセラの戦い」
    「こっちはバド・・・」

 叙事詩に登場する人物たちの名前がたしかにあります。ボクがザッと目にしただけで、マシュダ将軍、シャラック将軍、パリフ将軍、エルル将軍・・・

    「みんなイイ男だったよ。エレギオンの勝利を願ってみんな死んじゃったけどね」

 これは途方もなく価値がある石碑です。そこには戦死した士官の名前だけではなく、戦いの名前、さらにエレギオン暦による年月日まで記されており、アングマール戦の年表みたいなものになるからです。叙事詩が事実に基づくものである動かぬ証拠になります。

    「ユウタの研究に役立つだろ。この石碑はデイオルタスに追われる前に埋めといたんだ。これだけは穢されたくなかったからね」
    「書いたのはやはり」
    「そうだよ、二千年ぶりの御対面ってところ」

 発掘調査はアメリカ調査隊が発見したベラテ、リューオンを巡ってハマに、

    「コトリ、ハマがわかればイスヘテもわかるはずだが」

 コトリは地形を何度も確認した後に。

    「イスヘテはあそこよ」

 崩れた岩による大きな斜面が形成されているのがハマから見えます、

    「あの岩の下にイスヘテがあり、シャウスの道が続いていたわ。これならシャウスも一緒に崩れてしまったと見て良さそう」

 そこからヘリでハムノン高原に。ここでコトリは懸命になって昔の記憶と現在の地形を重ね合わせてるようでした。それぐらい変わっているということでしょう。何日か周囲の山とかの位置関係を確かめた後に、

    「ここはザラスのはず。そうなるとメッサ橋は・・・」

 コトリの指定する場所を掘ってみると巨大な橋脚が幾つも幾つも。それだけでなく欄干を飾っていたレリーフの残骸も大量に散らばっています。

    「これが古代エレギオンで最大かつ、もっとも美しいとされたメッサ橋なのか」
    「そうよ。ここもセトロンの断崖が崩れた時に崩壊したみたいね」

 コトリが確認する限りで言えば、セトロンの断崖の崩壊は大規模だったようで、おそらくレッサウやパライア、イートスも崩壊に巻き込まれた可能性があるとしてました。メッサ橋遺跡の確認調査を進めながらマウサルムを目指します。コトリが数ある高原都市の中でマウサルムを選んだのは、

    「三回ぐらいしか奪い返されていないから、比較的残ってる可能性があるわ」

 エレギオンとアングマールは高原都市の争奪戦を延々と行い、たとえば北部の交通の要衝であるクラナリスなどは十五回以上も争奪戦が繰り返されたそうです。あまりに激しい争奪戦であったが故に、都市を相手方の拠点とさせないために、双方の都市の破壊合戦になったとしています。この辺は首座の女神である小山社長に聞いたことがあります。

    「それでもシャウスとマウサルムは補給拠点として最後まで都市の姿は残してたの」

 アングマール戦の終盤の前線はクラナリスからズダン峠になり、そのためにマウサルムは戦略的破壊を免れたぐらいでしょうか。それでも、

    「お宝どころか、日常品さえ見つけるは難しいよ。当時は貴重品扱いで、使えるものはすべてエレギオンに運び込んだから」
 アングマール戦は消耗戦の側面が濃厚で、戦いが長引けば長引くほど日常生活物資さえ事欠くようになったとされています。これは物だけでなく人口もそうで、アングマールを滅ぼした後のエレギオンには若い男どころか若い女さえ、大幅に減少していたと小山社長は話していました。

 戦後の復興でも高原都市は愚か、エルグ平原都市のリューオンやベラテさえ再建出来なかったと小山社長に聞いていますが、マウサルムもまた放棄され、放棄時に糸一本さえ残さず回収してエレギオンに運び込んだとコトリは話します。

 これはアメリカ隊が行ったリューオンやベラテの調査でも裏付けられていて、いくら探しても日常品のカケラさえ見つかっていません。いくら歳月による風化があるにせよ、あまりの何も無さに、どうしてそうなったかの学会での議論があるぐらいです。

 メッサ橋、マウサルムの発掘は順調に進みましたが、ある日、コトリはボクを連れてヘリを飛ばさせました。着陸したところから、コトリは何度も何度も地形を確認しています。やがて小高い丘の上に立ち、

    「この方角にクラナリスはあったのよ。そしてズダン峠はあそこ」

 コトリの指し示す方向には大規模な崖崩れの跡ではないかと思わせるものがあります。

    「おそらく山岳三都市はあの崖崩れに巻き込まれて崩壊したで良さそうよ」

 山岳三都市とはカレム、モスラン、ウノスになります。

    「そしてね。ここがゲラスなの。コトリはここに本営を置いてたわ」
 コトリがアングマール王と決戦を挑んだ地がここなんだ。コトリは目を瞑っていました。あの決戦のことを思いだしているに違いありません。コトリはここで自分の男であるリュースだけでなく、首座の女神の男であるイッサまで失う惨敗を喫しています。やがて跪いたコトリは静かに祈りを捧げていました。


 第三次発掘調査は第一次や第二次に較べると財宝の発見は無く、粘土板も少数しか発見されませんでしたが、それでも初めて高原都市を発見したこと、メッサ橋を発見しその規模を確認したこと、なにより大きかったのはあの石碑です。

 叙事詩には二百五十年にわたる戦争が描かれているのですが、これまであまりに長すぎるとされていました。実際はもっと短いか、二百五十年続いたとしても五月雨式じゃないかが定説でした。

 ところが石碑には、毎年のように繰り返された合戦の年月日が刻まれているだけではなく、その合戦の戦死士官の名も確認できます。これはほとんど叙事詩の記述と一致します。それとエレギオン包囲戦でのアングマール軍本営跡の発見と、ゲラスの野の比定は大きな反響を呼んでいます。第三次エレギオン発掘調査も成功裏に終わったとしても良いと思います。


 発掘調査の二年後にコトリは月夜野君として博士論文を書き上げて提出しています。テーマは、

    『女神印の変遷』

 女神印についてはあちこちに書かれていますが、その実態は不明でしたがコトリは見事に論証しているはずです。と言うのも、とにかく読むのが大変でお手上げ状態なのです。実は初代の天城教授の時から、博士論文はエレギオン語でもOKの内規があります。これについて雪乃も当時は准教授でしたから、

    「当時は今より解読が進んでなくて、いつかエレギオン語で論文が書けるレベルになれば嬉しいなぐらいの願望で作ったんだけど・・・」
 なんとコトリはやってのけてしまったのです。というかコトリならネイティブであり、古代エレギオンで最高峰の知識と経験を持っていますから、これぐらいはお茶の子さいさいレベルです。

 文章は『たぶん』闊達にして流麗。これも『おそらく』ですが、当時の決まり言葉や、比喩をふんだんに用いられてると考えられます。でも、だから読めないのです、

    「あなた、これはコトリさんからの置き土産よ」
    「わかるけど、あれはおそらく神式のエレギオン韻を踏んだもので、読むのが一番難しい形式なんだ。それもだよ、最晩期ののエレギオン語で書いてると思うんだ。そこの比較資料は極めて乏しいんだ」

 神式のエレギオン韻は祭祀の文章の事で、これは未だに難読を以て知られています。これを定年までにすべて解読できるかどうかは自信がありません。でも内容はエレギオン学にとって重要な物産の変動も事細かく記されているはずです。

    「研究者、いや准教授として残ってくれないかな」
    「それは無理よ」
    「やっぱりボクが雪乃を選んだから?」

 雪乃はニッコリ笑って、

    「今のコトリさんには現代のエレギオンがあり、帰るとことがあるのよ。そこには次座の女神の帰りを待ちわびている人がいるの。博士課程まで付き合ってくれただけでも感謝しなくちゃ」

 博士号はもちろん認めました。教授会で少しもめましたが、世界中でこれを読める者は二人しかいませんし、さらに内規を盾に認めさせました。

    「また会えるかな」
    「もう会えないかも」
 バニーガール姿での博士号贈呈式が忘れられそうにありません。

シオリの冒険:ユウタ教授

 港都大学院の教授の定年は六十五歳。それでもってボクは六十歳。五十三歳の時に妻の雪乃から教授職を受け継いでます。天城名誉教授、妻の雪乃に次いでエレギオン学科の三代目教授です。

 ボクの教授になった時の目標はエレギオン第三次発掘調査を行うこと。雪乃時代も企画だけはあったのですが、所在国のクーデター騒ぎがあったりして出来ていません。もっとも雪乃は、

    「エレギオン発掘調査成功のカギはエレギオンの女神の協力が得られるかどうかなのよ。ユウタが私を選んだ時点で、私の時代にしょせんは無理だった」

 それでも発掘調査はエレギオン学を志す者に取って夢なのです。でも取りかかってみると、それ以外にも難題はテンコモリで雪乃に言わすと、

    「エレギオンに行くのは大変よ」

 雪乃は第一次調査の前の予備調査まで参加経験があり、その時は野宿そのものだったと話してくれます。第一次調査の成功は女神の協力だけでなくクレイエールの全面支援があったからだとも口癖のように話します。ボクは第二次調査しか参加経験はありませんが、

    「あの時も大がかりだったけど、第一次調査はそれ以上だったの」
 遠征調査ですから費用の概算から入るのですが、三十五年前の第二次調査の会計報告書を見ただけでゲッソリ気分です。三十五年前でこの費用ですから、発掘機材の調達、その輸送費用、現地作業員への賃金、もちろん食費・・・今ならいくらになるかです。

 大学からの研究費ではお話にもなりません。そうなると企業からの協賛を募らないといけないのですが、第二次調査の時とは様相が異なっています。あの時はエレギオン・ブームがあって、どこもホイホイと協力してくれたと雪乃は言ってますが、今じゃどこも渋い顔。もちろん自前でも資金集めをしていますが、これも雪乃曰く、

    「あの時は講演会やテレビ出演の依頼が目白押しだったけど・・・」

 今だってありますが、較べるのもアホらしいぐらいです。教授に就任してから七年になりますがエレギオンの遠さにため息が出ます。それでもギリギリぐらいで行けそうな段階まで漕ぎ着けていますが雪乃は、

    「これだけの資金を集めて空振りだったら大変よ」

 そう最初の問題であるエレギオンの女神の協力問題です。これだってボクも思い切ってコトリへの連絡を試みようとしました。しかしその矢先にニュースとして飛び込んできたのが、

    『エレギオンHD副社長、立花小鳥氏が亡くなる』
 目の前が真っ暗になる気分でした。エレギオンHDではコトリ以外にも小山社長も存じているとはいうものの、やはりコトリとの一件以来疎遠になっています。会議では来春予定の発掘調査を決行するか否かで小田原評定状態です。

 少し話が変わりますが、気になる学生がいます。ちょうど雪乃の退官の年に入学した月夜野うさぎ君です。とにかく派手というか、突拍子がないというか、軽いというかで、ウサギ耳のカチューシャがトレードマークで、

    「は~い、ウサギだよ」

 このノリだものですから学内一の人気者として良いかと思います。ウサギのカチューシャも最初の頃は問題になりかけたのですが、とにかくあの笑顔で、

    「えっ、ダメなの。これはウサギのアイデンティなのに・・・」
 いつしか黙認されてます。噂では学長にバニーガール・スタイルで許可を迫ったなんて話もありますが、とにかく今は講義であれ、なんであれ、月夜野君のウサギ耳は公認みたいなものです。

 この月夜野君のバニーガール・スタイルも有名で、さすがに講義には着て来ない、いや来たこともあるそうですが、飲み会とかになると必ずと言って良いぐらいです。それでもって、これが実によく似合う。だから飲み会系には呼ばれまくりですし、参加しただけで大盛り上がりです。

 そうそう月夜野君のバニーガール姿で有名なのは学祭でのたこ焼き屋。そりゃ月夜野君がバニーガール姿で焼いてるだけで人気が出るのは当然そうですが、このたこ焼きがまさに絶品。

 焼いてるのも玉子焼きとか明石焼きと呼ばれるもので、普通のたこ焼きと違います。ボクもそれほど詳しくないのですが、生地に小麦粉だけでなく浮き粉も使うので非常に柔らかく、ソースじゃなく出汁に浸して食べます。もちろんソースも用意されていて、どちらでもOKです。

 焼鍋も普通のたこ焼き鍋より浅いだけでなく銅製で、千枚通しではなく菜箸でひっくり返して焼き、焼きあがれば上板にひっくり返して出されます。それだけの道具を用意するのも大変だと思いますが、手際も実に鮮やかです。

 学祭の目玉の一つとされてて、必ず長蛇の列が出来るものですから、月夜野君はバニースタイル姿で朝から夜遅くまで焼きまくります。ボクも好きですが雪乃も好きで、月夜野君が大学院に進学してくれて喜んだ連中は少なくなかったと思います。


 エレギオン学とは古代エレギオンの文化や歴史を調べる学問ですが、その資料は発掘調査で見つかった膨大な出土品になります。とくに粘土板に記された文字の解読・研究は重要なのですが、そのエレギオン文字の修得が厄介です。

 エレギオン語はエラム語・シュメール語の流れを汲みますが、独自に発達している部分が多く、未だに解読できない部分も数多くあります。教える方がそのレベルなもので、学生にとっても高いハードルになり、ここで挫折してしまう学生も少なからずいます。

 月夜野君は修士二年、博士四年コースなのですが、まず修士論文が必要です。エレギオン学科では語学力をテストもかねて、アブストラクトの部分をエレギオン語に訳してもらっています。これは学生には地獄と呼ばれるぐらい苦痛になっています。

 修士論文もいきなり教授会にかける訳じゃなく、まず教授のボクが予備審査を行います。順番に学生を呼び出して、論文の足りないところ、書き直した方が良いところの指摘をします。例のエレギオン語への翻訳はこの時に持って来させています。

    「月夜野君、こ、これは」

 目が点になりそうでした。月夜野君はなにを勘違いしたのか全文を翻訳して持って来ているのです。

    「今日は講義じゃないです」

 仰天したのはもう一つあって、それは月夜野君の格好、なんとバニーガール姿のです。講義の時は控えるとなってますが、今日は講義じゃなく論文の予備審査だから問題ないはずとしているのが、月夜野君の返答です。

    「いや、そうだけど、そうじゃなくて、君は何者なんだ」

 ボクが聞きたいのは、どうしてここまでエレギオン語が出来るのかでしたが、

    「は~い、ウサギだよ」

 月夜野君は自分がウサギだからバニーガール姿をしているとの返答になってしまいました。噛みあわない会話に続いて、バニーガール姿を咎めようか、エレギオン語の修得能力を褒めようか悩んでるうちに、

    「ウサギは合格ですか」
    「うむ、そうだが・・」
    「やったぁ」

 大喜びで小躍りして教授室から出られてしまいました。そんな月夜野君ですが第三次調査には強い関心があるようです。もっとも、

    「大旅行じゃん、秘境の旅じゃん、温泉はあるのかな。そうそうエレギオン調査用のウサギ耳も考えなくっちゃ。もちろんバニースーツも新調しなくっちゃ」
 こんなノリでしたが、ある日折り入って個人的な相談があると持ちかけられたのです。教授は学生の相談役も仕事のうちと考えています。学業に関わる部分はもちろんですが、卒業後の進路相談もありますし、時にはもっと個人的な用件もあったりします。

 ただ月夜野君に関しては、月夜野君が入学して初めてのことです。月夜野君は人気者の上に社交家で、准教授や講師、助手連中とは親しくしていますが、なぜか教授のボクとは一線を引いてる感じで、これまで個人的な会話とか、相談とかされたことがなかったのです。珍しいこともあるとは思いましたが、

    「一杯、飲みながら聞こうか」
    「ありがとうございます。でも、宜しければ教授のお宅で相談に乗って頂ければ嬉しいのですが」

 まさかボクに襲われるのを警戒してだと思えませんが、家でなら安くなるので雪乃に連絡して準備させました。ボクの家は大学の官舎。天城名誉教授も使われていましたが、相当どころか年季の入った建物です。

    『ピンポン』

 ひょっとしてバニーガール姿で来るのではないかと心配していましたが、なんとトレードマークのウサギ耳がありません。それだけでなく、いつもの派手でチャラチャラした格好ではなく、華やかではありますがグッと落ち着いた装いです。玄関を開けた瞬間は誰だか一瞬わからなかったぐらい、実に美しくて魅力的な女性がそこにいます。雪乃も挨拶に出たのですが、

    「相本教授、お久しぶりです」
    「もう十年ぶりぐらいかしら」

 えっ、どういうこと。月夜野君が大学に入った時の教授は雪乃ですから、顔ぐらい覚えていても不思議ないのですが、十年前とはどういうこと。十年前なら月夜野君はまだ高校生のはず。そこからは食事になったのですが、

    「柴川教授、来春に予定されているエレギオン発掘調査ですが」
    「うむ、月夜野君も行きたいそうだね」

 やはり、その相談か。ボクも院生の時にエレギオンに行くことで研究者の道に目覚めたようなものですから、学生も希望者は連れて行ってやりたいのですが、行くとなれば相当な費用が必要です。現状では学生だからと言って、ほとんど補助も出せない状態です。

    「来春には是非行って頂きます」
    「予定はそうだが、調査隊派遣までまだ解決していない相談が残ってて・・・」
    「問題はすぐに解消させます」

 何を言ってるのだ。費用だってまだ十分とは言えないのに、

    「費用についての御心配はありません」
    「なにを言っているのだ」

 そしたら月夜野君は雪乃の方に向き、

    「いろいろ思われるところがあるかもしれませんが、是非ご承諾ください」
    「かまいませんよ。私がこだわっちゃってる部分ですもの。月夜野さんがそれで宜しければ異存はありません。あの地はエレギオン学にとって聖地です。もちろんあなたは私たちなんかより遥かにそうでしょうが」

 なんの話をしてるんだ。雪乃は何を知ってるんだ、

    「柴川教授、話は決まりました」
    「君に何が出来ると言うのかね」
    「エレギオンHDの全面支援の取り付けです」
    「そんな事が出来ると言うのか」
    「もちろんです」

 一介の学生があのエレギオンHDを動かせるはずがないと思いながら、月夜野君の自信に満ちた口ぶりに気圧されています。

    「もう一つの問題ですが・・・」

 まさか、あの問題を月夜野君が知っていると言うのか、

    「・・・小山社長の参加は無理です」
    「どうしてそれを・・・」
    「その代りに私が行きます」

 えっ、えっ、えっ、月夜野君の修士論文が突然思い出されました。そしたら雪乃が、

    「あなた、鈍すぎるわよ。それじゃ、エレギオン学の教授として失格よ」
    「それじゃあ、月夜野君は・・・」
    「昔の恋人ぐらい覚えておきなさい。大叙事詩解明の大恩人でもあるのに」

 月夜野君はニッコリ笑って、

    「ゴメンね、ユウタ。出来れば伏せときたかったの。やっぱりイヤでしょ。でも、どうしてもエレギオンに行く用事が出来ちゃったのよ。今の調子じゃ来春だって危ないじゃない。だからシャシャリ出ざるを得なくなったのよ」

 間違いないコトリだ。

    「雪乃、いつから気づいてたんだ」
    「学祭でたこ焼き食べた時。女の勘は鋭いのよ」

 そこから第一次、第二次発掘調査時代の思い出話に花が咲きました。

    「・・・ユウタはね、究極の選択をしたのよ。首座と次座の女神を両天秤にかけた男はユウタ以外にはセカぐらいしかいないよ」
    「いや、あの、その・・・」
    「その上だよ、次座の女神を捨て去ったんだ。どれだけ泣き暮らしたことか」
    「それは逆じゃ・・・」

 そしたら雪乃が、

    「あら、嬉しい。私はエレギオンの女神より魅力的だったのかしら」
    「ユウタの趣味的にはそうなる」

 二人から突っ込まれっぱなしで、もう大変。

    「それだけじゃないよ。ユッキーもプリプリ怒ってた。
    『コトリを捨てたのは許すけど、わたしに見向きもしないってどういうこと』
    あの時はた~いへん。しばらくエレギオンHDに顔を出さなかったのは正解よ。ユッキーは怒ると怖いのよ」

 あれこれ話があった後、

    「ミサキちゃんに会いに行ってね。話は通ってるから」
    「まだ退職されていないのですか」
    「元気だよ。まだ覚えてるでしょ、今は常務さんだよ」

 数日後にアポを取って訪ねると、香坂常務が現れたのですが、

    「お久しぶりです柴川教授」
    「こ、香坂さんですよね」
    「話は伺っております。当社は出来る限りの支援を行わせて頂きます」

 もうビックリしたなんてものじゃありません。香坂さんに最後に会ったのは、まだコトリと付き合っていた頃。それなのに全然変わっていません。コトリのお蔭で話はスムーズに進んだのですが、突然ドアが開き、

    「ユウタ、見つけたぞ。コトリに聞いたと思うけど、今回は悪いけど行けないよ。だからと言って、コトリと浮気なんかしたら、相本教授は家に入れてくれないだろうから気を付けてね」
    「こ、小山社長」

 雪乃の言う通りです。ボクのエレギオン学はまだまだ未熟でした。女神は不死でこそないものの、不老なのは知識として知っていましたが、それを改めて思い知らされた気分です。小山社長も最後にバーで会った時からまったく変わっていません。

    「ミサキちゃん、バッチリ頼むよ。手抜きすると後でコトリがウルサイから」
    「ホテルでも建てますか」
    「後の処分が厄介だからホテルはやめといて」
    「かしこまりました」

 エレギオン学教室が立てていた計画が、子どもの砂遊びに見えるほど壮大かつ充実した計画が出来上がっていきます。

    「そういえば月夜野君、いや立花副社長の時差ボケは」
    「相変わらずじゃないかな。でもね、エレギオンに行けるのなら、それぐらいは苦にもしないよ。わたしも行きたいんだけど、こっちの仕事が手を抜けなくて」

シオリの冒険:月夜野うさぎ

    『カランカラン』

 このバーも久しぶりやねん。なんかエライ注目浴びてるけどなんでやろ。こんな若い娘がバーに独りで入って来たから場違い感ってなところかな。

    「いらしゃいませ」

 おっ、マスター生きてるやん。

    「お久しぶりです」
    「あれ、ここは初めてやけど」
    「はい、存じております。何にいたしましょう」

 なんか変やな、

    「う~んと、シンガポール・スリング」
    「青の方で宜しいですか」
    「今日はオレンジにする」

 さすがに付き合い長いわ、マスターにはわかるんかな。まるで神並や。

    「お待たせしました」
    「ありがとう」
    「ところで副社長でよろしいですか」
    「バリバリの大学院生の月夜野うさぎよ」
    「へぇ、こんどはウサギですか・・・なるほど」

 なんで名前が『うさぎ』ってしたら『なるほど』になるんやろ。まあエエか。

    「お待たせコトリ」

 今日はユッキーからの呼び出し。コトリが宿主代わりしてから二度目の御対面。今度の宿主代わりは、前回の時にやりそこなった港都大考古学部に入ったった。入学して二年目にユウタが教授なのはワロタけど立派になってて、ちょっと惜しかったと思たわ。ま、それはしゃ~ない。大学卒業してからもユッキーに無理言うて大学院に進学、今は博士号過程の二年目。とりあえず、

    「カンパ~イ」

 それにしても何の用事やろ。

    「シオリは順調よ」
    「みたいやな、なにしろ『光の魔術師』麻吹つばさで飛ぶ鳥を落とす勢いやんか」
 宿主代わりのトラブルを聞いたら、やっぱりあったみたいや。それでも星野君をシゴキ倒したり、東京の写真家に喧嘩売った程度やったら穏やかなもんや。これまでやったら、ああはいかへんもんな。

 そやなぁ、星野君やったらノイローゼで入院するぐらいで済んだらマシな方で、大抵は廃人になるもんな。ホテル浦島での喧嘩だってバットぐらい振り回して追いかけ回すぐらいは最低やるし、その後だって相手が破滅するまで執念深く攻撃するし。

    「やっぱりシオリちゃんは主女神に合ってる気がするわ。あんなに馴染みのエエのは見たことないもん。一緒に来てくれて感謝せなアカンな」
    「そうなんだけど・・・」

 ユッキーがわざわざコトリを呼び出したのは、やっぱり主女神問題やった。シオリちゃんが穏やかに馴染んでくれてるのはエエことやねんけど、

    「そんなに!」
    「そうなのよ、時間の問題でわたしじゃ手に負えなくなる」

 かつて主女神の宿主代わりの不安定期に暴れ出したら、コトリとユッキーの力で抑え込んでた。口先じゃどうしようもないのが神と神の関係やったから。

    「でも穏やかに済んでるし、もうそろそろ不安定期も終るやん」
    「でも、どうしてだろう?」

 これはコトリとユッキーで主女神の記憶の継承を一部復活させた時の違和感。もう四千年以上も変わらなかった主女神のパワーがアップしてるんよ。

    「ペースは?」
    「ユックリだけど同じ、止まる様子は今のところはないわ」

 主女神のフル・パワーはおおよそユッキーの二倍。おそらく現存している神でダントツで最強。もし匹敵するのがいるとしたらユダが抱えているイエスぐらい。

    「ユッキーさぁ、主女神は眠らしてもてんけど、眠った主女神はどうなってるんやろ」
    「そうねぇ、あれもよくわからないのよね。シオリが記憶を継承できたのが、よく考えると不思議なのよ」
    「やっぱりそう思うか。そりゃ、二人で出来そうと思ったのは確かやし、やったら出来たんは間違いないけど、やっぱりおかしいもんな」
 あんまり他人には言いたくないけど、記憶を継承してるのは神の意識やねん。あの時に懸念しとったんは、記憶の継承を行うわせようとすると、主女神、つまりイナンナが目覚める事やってんよ。だって、人では記憶の継承は出来へんはずやねん。

 それでも人であるシオリちゃんに出来そうに見えたんは間違いないんよ。それも主女神が目覚めずにや。とにかく神はわからんところが多いから困るんやけど。

    「ユッキー、知ってる範囲で言うたら、記憶の継承が出来た時点でシオリちゃんは神になってるはずやんか」
    「やっぱりコトリもそう考えるよね。もしそうだったら、主女神の力が増大しているのも筋だけは通るのよ」
    「でも問題は主女神というか、イナンナはどこに行ってもたかになるやんか」

 ユッキーがコトリを呼び出してまで相談したくなる気持ちはようわかるわ。そりゃ、ユッキーはシオリちゃんに定期的に会って、その力が大きくなってるのを見せつけられているからね。ユッキーだって不安になってくるやろ。

    「シオリちゃんの神の自覚はどうなん?」
    「今のところはなさそうよ。あれだけの力がありながら神が見えてるとは思えないもの」
    「能力は?」
    「人としての能力は加納志織以上なのは間違いないよ。だって、たった五年で加納志織の評価越えちゃってるんだよ」

 それは聞いてる。売れ出した時は加納志織の劣化コピーなんて評価もあったけど、写真の質は、あっと言う間に凌いでしまってるんや。今の写真界は麻吹つばさがどこまで大きくなるかで話題沸騰みたいなものやんか。とにかく新しい作品が出るたびに、

    『新たな境地を切り開く』

 ぐらいの評価はもう三年前ぐらいの話で今では、

    『追随者なき麻吹つばさワールド』

 こうまで書かれてるぐらいやし。これは主女神の力の増大がシオリちゃんの人としての能力向上に比例しているとしか考えられへんもの。

    「ユッキー、これは仮説やで。前にクルーズやった時に主女神はイナンナで、主女神は自らの手で記憶の継承を封印したって考えたやんか」
    「そうだよ」
    「主女神は目覚めとった時代も記憶の継承出来へんかったやん。あれは力が半分になったから、フル・パワーでやった封印が解けへんかったぐらいと見とったけど・・・」
    「そうじゃないの。記憶の封印を解こうとした目覚めたる主女神はたくさんいたもの」

 目覚めたる主女神時代はコトリとユッキーが記憶の継承が出来たから、主女神もこれを回復して対抗しようとするのがゴマンといた。いや全員がそうやったと見て良い。当時は封印してたと思ってなかったから、自分も記憶の継承をさせようと躍起だったとするのが正確かな。

    「えっ、コトリ、そうなると・・・」
    「初代の主女神は記憶の継承の封印をしたんやなく、記憶の継承能力自体を消去してもたのかもしれへん。だから後の目覚めたる主女神がどんなに足掻いても、記憶の継承能力は復活せえへんかったんちゃうやろか」

 ユッキーはじっと考えてから、

    「コトリの意見が正しい気がする。目覚めたる主女神が全力でやっても無理だった記憶の継承が、わたしとコトリでポイと出来ちゃったのも、おかしいと言えばおかしいもの」
    「なにか主女神は仕掛けを残しとったんちゃうやろか」

 ここでコトリもユッキーも考え込んでしもたんよ。やがてユッキーが、

    「シオリは目覚めたる主女神として完全復活するのかな」
    「そこまでは予測しようがあらへん。でもやで、もし初代主女神がそこまで手の込んだ細工をしてるのなら、何か理由があるはずや」

 こりゃ難問やで。何が起ると言うんや。

    「コトリ、来春だったよね」
    「その予定で動いてるわ」
    「あれが読めないかな」
    「無茶言われても困る。二人で何回チャレンジしたと思てるねん」

 『あれ』とは初代主女神が書き残した粘土板。これがエラム語でもなく、シュメール語でもない不思議な文字で書かれとって、ユッキーと二人がかりでもサッパリ読めなかった代物。

    「あれって思うのだけど、統一エラン語以前の滅び去ったエラン文字で書かれてる気がするのよ」
    「だとしても読めないのは一緒やないか」
    「そうなんだけど、イナンナといえどもそんな古い言葉が使えると思えないの」

 アラの話でもエラン語が統一されたのは、一万五千年前ぐらいってしてたから、イナンナなら統一語以前の文字を知っとる可能性はある。

    「だから文字はそうでも、音だけ借りてる可能性があると思うの」
    「あれか、アルファベットで日本語書いてるようなものか」
    「可能性だけだけど」

 それやったら簡単な暗号みたいなもんやから、解読できる可能性はあるかも。

    「だから写真に撮って帰ってきて欲しいの」
    「それはなんとか出来ると思うけど、発掘調査の予算確保がちょっと苦戦気味みたいやねん」

 エレギオン第二次調査が行われたのが三十五年前になるのよねぇ。あの時はエレギオン・ブームでいくらでも協賛が集まったけど、今はそんなブームがあるわけじゃないからユウタ教授も大苦戦ってところやねん。

    「クレイエールも行ったみたいやけど、かつての担当者なんかおらへんから、ユニフォームどころかやっとこさスタッフのTシャツしか協賛してくれへんかったみたい」
    「どうしてエレギオンHDに来ないのかなぁ。ユウタはミサキちゃんやシノブちゃんも知ってるし、わたしも知ってるじゃない」
    「たぶんやけど立花小鳥との件があるからやない」
 ユウタはコトリと別れた後に相本前教授、今は名誉教授と結ばれちゃったのよね。あれも聞いた時には驚いた。相本教授は一回りも上なんよ。もっともやけどユッキーが宿った時に綺麗にしてるからわからんでもない。

 ユッキーも何かを感じたのかエライ気合入れてたみたいや。大学入った時はまだ教授やったから講義で見たけど、歳の割にはビックリするほど素敵やった。見た目で言うたら、ユッキーが宿ってからほとんど歳取ってない気がする。あそこまでやるかと思たもの。

    「コトリ、手伝ってあげて」
    「やっぱり気まずいやん。だから院ではウサギやってるし」
    「そこをなんとかするのが知恵の女神でしょ」

 ユッキーも無茶言うわ。でもやらなアカンやろな。これはどう考えても女神の仕事やもんな。そやからまだ院生のコトリにこうやってユッキーが相談しに来てるんやし。

    「間に合う?」
    「何か起った時に、首座の女神で支えきれなかったら、誰も支えられないよ」
    「やっぱりシオリちゃんを道連れに引っ張り込んだんは失敗やったんやろか」

 ユッキーはじっと遠くを見ていた。

    「たぶん違う気がする。これは何かの時が来たからだと思う」

 いっつも思うんやけど、なんで女神って、こんなに平穏ないんやろか。でも、まあ考えようかもしれへん。こうやって刺激がないとツマランし。

    「ところでコトリ、そのカチューシャ、いつも付けてるの」
    「似合うやろ。大学でも、大学院でもコトリのトレードマークみたいなものやねん」
    「持ってるのはそれ一つなの」
    「うんにゃ、百個以上あってTPOに合わせてる」
    「TPOねぇ・・・」
    「今のコトリは『ウサギちゃん』だからね」

 うらやましいだろ、このウサギ耳のカチューシャ。猫耳カチューシャだってあるんやから、次の時代はウサギ耳って思てるんやけど。

    「そのバニースーツみたいなのも良く着るの?」
    「もちろんや、三十着以上持ってるで。今日のはおニューやで」
 あれっ? なんでユッキーはため息つくんだろ。コスプレ大好きのはずやねんけど。

シオリの冒険:新型イメージセンサー(2)

    「うちが委託研究されたものに、画像技術もあったのよ。正直なところエレギオン・グループの総力を挙げても解明できた部分は少しだけど、その中に受光素子技術に近いのもあるのよね」
    「あったの?」
    「そうよ。カメラとは違うけど、エランではサイボーグ技術も進歩してたんだよ。これはアラに聞いた話だけど、完全な人造人間まで作れたそうよ」

 エランなら出来るか、

    「でも完全な人造人間となると人とのトラブルもあって、宇宙船が来た頃には代用臓器技術としてのみ限定利用されてたで良いみたい」
    「わかった、人工網膜ね」
    「惜しい。眼球ごと入れ替える人工眼球だったわ」

 凄い技術だ。でも眼球ってカメラに似てるのよね。角膜というレンズを通して網膜に画像を投影し、脳で画像処理してるんだもの。

    「エランの人工眼球は網膜にあたる部分で直接デジタル信号になってるのよ」
    「へぇ、ADコンバータは不要なんだ」

 根本的に現在のCCDやCMOSと違うぐらいは想像できる。

    「ただね人工眼球として使用するには、その信号を人の脳がわかるようにする補助人工脳が必要なの」

 脳の情報伝達は神経が行うし、神経の情報伝達も電気信号だから、人の脳の電気信号へのコンバータって感じかな。

    「その補助人工脳って大きいの?」
    「小さいよ、米粒ぐらい。補助人工脳の解明は未だに悪戦苦闘状態だけど、網膜の受光素子部分はかなり解明できてるのよ」

 さすがにエランは進んでるよねぇ、よくそんな宇宙船に襲われて地球が生き残れたものだわ。

    「でもそれって国家機密なんじゃ」
    「だいじょうぶ、ちゃんと利用許可は取ってある。軍事技術じゃないから取れた。その辺は委託時の契約で細工もしといたし、与党関係者への根回しもバッチリ」

 政府相手に凄いことやってるんだ。

    「網膜部分だけでもよく解明出来たね」
    「あの時の宇宙船には医務室もあったのよね。そこに眼科の医学書もあって、そこに人工眼球の修理法も書いてあったのよ。それだけじゃなく基礎理論も書かれてたの」

 なるほど人工眼球は眼科に含まれるのか、

    「それにしても良く手に入ったね」
    「現代エラン語って誰も読める者がいないどころか、話せる者だっていないのよ。それは今も同じ。一部は読めるようになってる部分はあるけど、専門書になると完全にお手上げってところかな。だから唯一話が出来るわたしのところにゴッソリ委託されてるの」
    「ユッキーは読めるの?」
    「まあ、なんとかね」
 エレギオンHDはその子HDの上にいるスタイルだけど、数は少ないけど直接の子会社も持ってるの。その一つが科学技術研究所。世間的には科技研の方が通りが良いけど、理研さえ遥かにしのぐ研究予算が注がれてる。規模も壮大で万博やった後も空き地になっていた大阪の夢洲をゴッソリ買い取って巨大な研究所を建ててるんだ。

 科技研の強みは研究所自体のレベルも高いけど、エレギオン・グループと連携しているところなのよね。これは産み出した技術をダイレクトに商品化するのにも役立つし、エレギオン・グループの各社が持つ技術を研究所が自在に利用できるのもあるみたい。


 ここまで来るとわかるけど、エランの人工眼球研究のうち、網膜部分の実用化の目途がついた時点でユッキーは動いていたで良いみたい。ここまでエレギオン・グループは精密電子機器分野の展開は積極的じゃなかったけど、人工網膜技術を実用化すれば大きなマーケットを取れるぐらいの算段かな。

 手始めはロッコール。あれも今から考えると、あのレンズ技術は人工眼球の角膜部分の応用だったのかもしれない。わたしも開発に参加したけど、あれだけ人間の眼に近いレンズが出来上がるとは思わなかったぐらいだもの。だからだと思うけど、未だに加納志織モデルは世界一のレンズとされて、これに及ぶレンズは出てくる気配もないぐらい。

 レンズのマーケットは大きいとは言えないけど、ユッキーがマリーにカメラ部門の再建を命じていたのは、本命のイメージセンサーの宣伝のためで良さそう。おそらくだけど及川の新型センサーに一番相性が良いのがロッコールのレンズ。だって元は同じエランの人工眼球技術から出来上がった製品だから。

 マリーが作るロッコールのカメラはこれで大儲けすると言うより、レンズと及川センサーの相性の良さをアピールする実物と見て良さそう。そりゃ、市販するから誰でも買えるし、使って見ることもできる。


 及川の新型センサーは科技研で受光素子部分が実用化に近い段階まで既に開発が進んでいたから、二年足らずで完成したわ。従来のCCDやCMOSを上回る性能であったのも大きなニュースになったけど、業界の受け止め方は衝撃を越えて深刻で、競合各社は一挙にお通夜状態になったらしい。

 そりゃ及川センサーはこれまでのCCDやCMOSの技術発展上に作られたものじゃなくて、まったく新しい技術体系の上で作られてるのよね。そりゃエランの技術だもの。及川センサーを追いかけるためには、イチから開発を始める必要があるのだけど、あの科技研が二十年近く先行しているから、果たして追いつく日があるかも疑問なぐらい。

 カメラ業界も深刻そうだった。及川センサーの優秀さはすぐにわかっただけではなく、及川センサーと相性が抜群に良いのがロッコール・レンズ。センサーも作れず、レンズも作れなければ競争にならないってところかな。

 そのせいか西川と組んでネガティブ・キャンペインを張ってきた。西川も一門にロッコール・カメラもレンズも使用禁止令を出したと聞いてる。でもね、東京でいくら西川一門の力が大きいと言っても直弟子勢力は四分の一もないのよね。残りは西川に逆らうと怖いぐらいで従っていただけ。

 まずは西川の影響が及ばない関西に仕事がドンドン流れ出した。そうなりゃ、東京の写真家の生活が苦しくなるから、西川の影響の少ない連中から反旗を翻しだし、これは聞いて笑ったけど、ついにはあの竜ケ崎まで西川に反旗を翻しちゃったんだよ。まあ、食えなきゃそうなるわ。

 西川とカメラ業界の敗因はセンサーとレンズの優秀さもあるけど、相手にしたのが悪かったと思ってる。そりゃ、エレギオン・グループを敵に回しちゃったからね。先に崩れたのはカメラ業界だったもの。


 ロッコールの新型カメラだったけど名前は、

    『ロッコール・ワン・プロ』
 そんなに捻ったネーミングじゃなく、カメラ部門再建の一号機だから『ワン』で、画像処理エンジンがないロー画像専用だから『プロ』って事だと聞いた。操作系も割り切りで、基本的にお仕着せオートはなく、マニュアル機能重視ぐらいかな。

 ロー画像専用のために連写機能はイマイチ。あれだけデッカイ画像を高速連写で保存するのは無理があるだろ。オートフォーカス機能も評価は高いとは言えない。連写重視の連中には敬遠されるかもしれないけど、プロなら必要にして十分な機能と言える。

 お値段もはっきり言わなくても高いけど、まず多くのプロが飛びついた。理由は噂の及川センサーの真価を知りたかったからでイイと思う。とにかく及川センサーが搭載されている機種はこれしか存在しないからね。

 プロが使って評価しだすとアマも手を出し始めた。やはりプロが評価すると自分も使ってみたいの誘惑が出るもの。大ヒットは言えないけど、マーケットにはもうちょっと廉価版の画像処理エンジン付の普及機が欲しいの空気が醸し出されてる。

 使ってみた感想? 良かったよ。これこそ欲しかったダイレクト感だと思ったもの。わたしが使っているのも、ちゃっかり広告に使われちゃった。サトルにも感想を聞いたのだけど、

    「不思議なカメラですね。これに慣れちゃうと、今までのカメラはまるで色眼鏡を通して見てた気さえします」
 さすがはサトルだわ。このカメラの本質をついている。いや、このイメージセンサーの本質かな。さらにロッコール・レンズ以外だとイマイチ感が増幅される不思議なセンサー。とにかく一機種しか発売されなかったから、世界の写真家が集まるとみんな同じカメラだったの笑い話が出たぐらい。

 まだセンサーの製造数が少ないからこんなものだけど、これが量産されたら世界のマーケットを握るのは確実だよ。ただイイことばかりじゃないみたいで、ヒール履いて、竹馬に乗って、背伸びしてなんとか指先が届くか届かないかぐらいの先進技術じゃない。

 レンズもそうだけど量産が大ネックになってるんだって。そこの改善に全力を投入してる話だったよ。そこが克服出来たら、及川電機も世界的大メーカーに成長するはず。ロッコールもね。

シオリの冒険:新型イメージセンサー(1)

 旅行から帰るとユッキーの計画は着々と進行していった。及川電機はエレギオン・グループに入り、社長以下の現経営陣は責任を負って退陣。代わりにエレギオンHDから新たな経営陣が送り込まれてる。

 わたしのところにも新しいイメージセンサー開発の協力依頼が来て、及川電機にも出かけたんだけど、玄関のところで。

    「これは麻吹先生、ご苦労様です」
    「会長も大変だったわね」
    「いえ、もう会長ではありません。単なる技術顧問です」

 及川会長も退陣させられたけど、新しいイメージセンサー開発の総責任者的な地位に就けられたみたい。

    「老骨に鞭打たれてますが、きっと気に入ってもらえるものを作って見せます」

 及川顧問も根は技術屋なのよ。さすがに自分で開発できないけど、統括ぐらいは出来るって笑ってた。これも計算づくの人事で、なんといっても及川顧問は社内では伝説の人だし、未だに人望は篤いのよね。及川顧問が陣頭に立つだけで士気も上がるって感じかな。

    「では、こちらへ」
 研究室に案内してもらったけど、わたしの仕事は出来栄えのチェック。レンズを通して見えるものをいかに忠実に取り込むかが一つの焦点。細かい技術的なことは詳しくないけど、イメージセンサーとはレンズを通して入って来た光を受光素子が電気信号に変えるもの。

 これも意外なんだけど受光素子の電気信号はアナログで、これをコンバーターによってデジタル化するのが基本的な仕組み。単純には受光素子の改良と、コンバーターの能力アップがポイントぐらいでイイと思う。


 長いことカメラマンやってるとわかるんだけど、イメージセンサーにはそれぞれクセがあるのよね。色合いの出方とか、画像の表現に特徴があって、これをカメラマンが把握しながら、自分が撮りたいものに合わせるぐらいかな。

 だからカメラマンは得意のカメラがある人が多い。あれは得意と言うより、そのカメラのクセを熟知してるぐらいとして良いと思う。初めて使うカメラでは、どうしたってイメージしている絵と記録される画像に差が出ちゃうのよね。

 これはレンズにもあるんだけど、ロッコールで加納志織モデルを作った時には、いわゆるレンズ特性を極力排除させた。独特の風合いが出るレンズを珍重する連中も多いけど、わたしに言わせればレンズの妙なクセを嬉しがってるだけとしか思えないのよね。

 写真は見えたものを撮るのが基本。これもわたしの持論だけど、ファインダー越しに見るものと、肉眼で見えてるものは同じじゃなくてはいけないって。この辺は異論も多いけど、ファインダー越し見たら違った世界が見えるのは、カメラのクセとか、レンズのクセにすぎないと考えてるの。

 イメージセンサーの開発目標は、加納志織モデルのレンズ越しに見える画像をそのまま取り込むのが目標。この考え方も偏りあると思ってるけど、悪いけど麻吹つばさモデルだから仕方がない。

 そうそう見えるものをそのまま画像にしたのでは、写真としてイマイチの事もあるのは現実。三次元の世界を二次元で表現してるし、肉眼で見えてるものって言っても、あれだって脳内補正はかかってるのよね。

 そのギャップを埋めるのが画像処理になる。プロは自分でやるけど、最近のコンピューター処理の進歩は凄まじいから、これだっていずれ自動化されるかもしれないけど、今はまだ人の感性の方が上だと思ってるし、機械より上だからプロと名乗れると考えてる。

 わたしのコンセプトは出来るだけ明瞭に伝えた。後は節目節目にチェックを入れるだけかな。売れたらいいけど、どうなることやら。三十階の仮眠室での飲み会、もとい女神の集まる日に、

    「ユッキー、わたしのコンセプトでイメージセンサー作らせてるけど、あれでイイのかな」
    「うん、あれ。さすがにカメラはそんなに詳しいとは言えないけど、コンセプトとしてイイと判断してる」
    「ユッキー、カメラがわからないのにコンセプトはイイってどういうことよ」

 ユッキーはビールをお代わりしながら、

    「それはね、後発の場合は先発と同じ路線で勝負してもシンドイのよ。今までにない分野を切り開いてこそ認められるし、そこにビジネス・チャンスが生まれるの」

 言わんとすることはわかるけど。

    「でも新しい分野って受け入れられるかどうか未知数過ぎるんじゃない」
    「当然よ。ノー・リスクで成功をガッポリなんてこの世にはないのよ。言い方を変えればリスクが高すぎてチャレンジされないところにこそ、大成功が埋まってる事が多いのよ」
    「でも失敗したら」
    「リスク・マネージメントだね。あれぐらいの損失なんて、エレギオン・グループにしたら経費の内にも入らない」

 そりゃそうだけど、

    「それに保険もかけてある」
    「そんな保険があるんだ」
    「ないよ、保険は麻吹つばさだよ。売れっ子の麻吹つばさが絶賛したら、これからのスタンダードになる可能性すらある。この分野では先行するから、技術的アドバンテージは当分保てる」

 ここでユッキーが悪戯っぽく笑って、

    「あのイメージセンサーは画期的なものになるよ」
    「どういうこと」
    「十九年前の第二次宇宙船騒動覚えてる」

 覚えてる、覚えてる。突然神戸空港にエランの宇宙船は着陸して来るわ、光線銃みたいな物凄い武器まで持ってたのに、エラン人たちは警官に全員あっさり逮捕されちゃうわで大騒ぎだった。

    「あの宇宙船は、そのまま政府のものになったのよ」

 当然そうなるよね。えらい苦労して神戸空港から隣接する空き地に移動させて、宇宙船ごと研究所にしてる感じかな。

    「その後にあれこれ研究されたんだけど、とにかくトンデモなく進歩しているものだったから、政府だけではお手上げになったのよ。だって、そこに書かれてる文字だって解読するのにほぼお手上げ状態」

 あれからなんの発表もないけど、そうなってたんだ。

    「困った政府は民間にも研究を委託したんだよ」
    「もしかしてエレギオン・グループにも」
    「もちろんよ」
 そんな舞台裏があったんだ。