ツーリング日和12(第14話)隠岐のアワビ

 この旅館もお食事処だ。風香はツーリング中はサングラスにマフラーだってけど、

「遊覧船は初めてでした」

 ということは隠岐は初めてじゃないことになるな。さて今日は何が食べられるのかな、

「今日は隠岐のアワビや」

 それは楽しみ。アワビは京都貴族でも珍重された御馳走だったのはあれこれ記録に残っている。延喜式にも御取鰒、鳥子鰒、都都伎鰒、、放耳鰒、耳鰒、長鰒、耽羅鰒、短鰒、凡鰒、串鰒って残されているぐらい。そうそう鰒はアワビの事だからね。

 これらのアワビは諸国から貢納品だけど、当時の輸送状況、保管状況からして生のアワビではなく、乾燥ないし発酵させた保存食品だったはずなんだ。だから様々な名前は付いてるけど、これは加工方法とか見た目の違いと考えられてる。

 というのも、こういう加工技術は日本では滅んで行ったのがある。どうしてかだけど、今のアワビの食べ方を見ればわかるはずよ。日本人は生のアワビしか食べないとして良いのよね。

「そやな。干し鮑は中国への輸出品やからな」

 古代の隠岐が貢納していたアワビは御取鰒と短鰒だけど、これがどんなアワビだったかもはっきりしないところがある。

「コトリは熨斗鮑やと思うてるけど」

 熨斗鮑ってなにかだけど、贈答品を贈る時に熨斗紙ってあるじゃない。熨斗紙の右上に飾りみたいなものがあるけど、あれはもともと熨斗鮑だったのよ。熨斗鮑を綺麗に飾って貼り付けていたのが飾り紙だけ今も残っているのが熨斗紙なんだ。

 この熨斗鮑も今ではまず見ることが無くて、わずかに伊勢神宮への奉納品として作られているいるぐらいのはず。製法は単純に言うとアワビを細長く切って吊るして干したものだよ。それを切るのだけど長さとか切り方によって大身取鰒、小身取鰒、玉貫鰒で仕上がるんだよね。

「大身取鰒が御取鰒で、短鰒が小身取鰒みたいなもんやったんちゃうかな」

 じゃあアワビの種類が何であったかだけど、

「そこまで区別して貢納しとったかは謎やけど・・・」

 日本で取れるアワビは、クロアワビ、エゾアワビ、メガイアワビ、マダカアワビの四種類だけど、エゾアワビとクロアワビは産卵時期が違うだけで同じと見て良いはず。隠岐ではエゾアワビ以外の三種のアワビが獲れる。

 この三種のアワビだけど身が引き締まってるのはクロアワビ。今でもクロアワビが最高級品の位置にいる。これには理由もあって、

「メガイアワビは軟らかいからな」

 アワビは刺身とかで食べるのも美味しいけど、火を通す方がより美味しくなる。メガイアワビが軟らかいのは水分を多く含むからで、火を通せば身が縮んでしまうんだよね。

「その代わり刺身やったらメガイアワビの方が美味いで」

 だけど乾燥させるのならクロアワビの方が適してる。熨斗鰒にした時にもその差は出たはずだから、

「御取鰒がクロアワビで、短鰒がメガイアワビやったかもしれんな」

 これは長崎俵物、つまり中国への干し鮑の輸出でも出た気はする。干し鮑も大きい方が高いんだよね。大きな干し鮑を作ろうとすれば、少しでも身が縮みにくい大きなクロアワビが適していたはずなんだ。

 そんな話をしながら、アワビの刺身、アワビの残酷焼、アワビのシャブシャブ、さらにアワビの雑炊と楽しませてもらった。たぶんクロアワビだと思うけど、正直なところ自信が無いな。美味しければ文句ないけどね。

「中国への輸出でも出来たらエエんやけど」

 中国の海鮮三大珍味の一つされるのが干し鮑で、日本産が最高級品となってるのよね。中国って伝統的に漁業というか水産加工業は熱心じゃないとこがあるのよね。

「あれは難しいとこがあるからな」

 中国でも最高級ブランドとされるのが吉浜産の干し鮑。エゾアワビだけど、

「隠岐でもあれほどのサイズのクロアワビを安定して収穫するのは無理があるそうや」

 だから高いのだろうけど、クロアワビの養殖は難しく、また成長にも時間がかかる。江戸時代から長崎俵物に取り尽くして、隠岐で弩級のアワビを獲るのは難しいのかも。

「やるんやったら長期計画が必要やろ」

 漁業の難しいところは、煮詰めれば個人営業のところかな。海に出て魚を獲って来て売るのが漁師だけど、収入は獲れた量に比例するじゃない。だから協調して休漁期を設けたり、漁獲量を制限する合意を形成するのにどうしたって時間がかかるのよね。

 アワビを食べながらアワビの話をするのは自然だけど、コトリも感づいてるよね。風香はなにか隠してる。やはり話は戻るけど女のロングソロツーは無理がある。それに風香は隠岐を知っている。それもかなり詳しいはず。御手洗に立ってくれたから、

「中ノ島の東の道は知らんかったけど」

 あんなとこ、地元の人間か、モノ好きのツーリング客以外が走るものか。だとすると島後の人間か。

「ああそれ考えとった。そやなかったら、あの宿で会うのは不自然やんか」

 西郷には高級ホテルから安宿までそろってるのよ。女のソロツーならもうちょっと小綺麗なホテルを選ぶはず。あんな宿をわざわざ選んで泊まるのが不自然過ぎる。そう言えば風香の出身って、

「ググっても島根県しか書いてあらへんけど、隠岐も島根県やねん」

 生まれ故郷が隠岐なら里帰りしてもおかしくないけど、それならそれで実家なりに向かうはず。それに気まツーだって、いくらなんでもじゃない。

「ユッキーもそう思うか。それやったっら、目的は一つのはずや」

 それはないよ。わたしとコトリがツーリングに出かけてるのはエレギオンHDでも最高機密になってるんだ。あれが漏れるはずがない。そりゃ、サーバーに記録を残してたらハックされる可能性だけは残るけど、

「うちのセキュリティがそんなに簡単に破られてたまるか。もっとも破られてもわからんようにしとるけどな」

 そうなんだよね。知っているのはミサキちゃんとシノブちゃんだけだもの。あの二人がどこかにリークするなんて絶対にないとして良いはず。だとすれば偶然だったとか。

「そっちはあるねん。前も見破った奴がおったからな」

 結衣にも見破られたし、白羽根にも知られてしまってる。それだけでなく、白羽根経由だと思うけど、若い女二人組の、こんなバイクのツーリングには手を出すなの裏情報まで出回ってるぐらいだもの。

「あれで余計なトラブルに巻き込まれへんから放置しとるけどな」

 そこなのよね。もし目を付けて接近しようとしてるなら、エレギオンの女神の怖さを押しても接近を図ってることになる。だけど、そんなリスクを冒すような事情は今のところないのよね。

「まあそうやねんけど、一つだけあるで。風香が結婚したんはウソやない」

 コトリ、シノブちゃんを使ったの?

「隠岐牛で手を打ってくれた」

 肉が好きなのよね。

「相手は安土信夫や」

 えっ、安土って安土グループの安土なの。あそこは企業グループとしては新興だけど、オーナーの安土家は古い家じゃない。

「伝承だけやけどな」

 後鳥羽上皇が隠岐に流されたのは承久三年、一二二一年のことになる。そこから一二三九年に崩御するまで隠岐にいたんだけど、

「享年は六十やから、隠岐に流されたころで四十や」

 後鳥羽上皇は毀誉褒貶が激しいところがあるけど、半分ぐらいは後鳥羽上皇を隠岐に流した北条義時と鎌倉幕府のプロパガンダが入ってるはず。

「歴史ってそんなもんや。そやけど歌人として有名やし、御番鍛冶を置いて菊一文字の名刀を作らせてるやんか」

 かなり気宇の大きいところはあったとして良いと思う。そうなると、

「隠岐に流された後の子どもの記録はあらへんけど、なんもやっとらへんと思う方が不自然やろが」

 十九年間もあるものね。隠岐に流される直前に法皇になってるけど、法皇になったからってエッチが御法度になったわけじゃない。白河法皇なんて、

「そういうこっちゃ。そやけど記録に残ってへん。記録に残ってへんもんは無い事になるし、後からこじつけも出来る。安土家は後鳥羽上皇の子孫を自負しとる」

 安土家の家伝では隠岐を出て近江に流れ、安土で六角家の被官になり、後に信長に仕え、さらに光秀に従い云々か。怪しさ満点だよそれ。

「怪しいのは置いとく。その手の家系伝説は古い家なら転がっとるし、真偽なんか確認出来るもんやあらへん。ポイントはそれぐらい古臭いプライドを持っとるってこっちゃ」

 それなら風香の嫁イビリ体験は納得できるけど。もう離婚は成立してるじゃない。

「そうやねんけど、かなりどころでないぐらい揉めとるわ。あれこそ泥試合や」

 ふぇぇぇ、そこまでやってたのか。でもそこまで揉め抜いたら逆にスパッと切れそうじゃない。

「でもないみたいや。ここから先は風香に聞かんとわからん」

 ところでこのビールって、

「隠岐の地ビールらしいわ」

 隠岐は八朔の北限地だそうで、これに隠岐藻塩米も加えたビールだそう。隠岐藻塩米もある種のブランド米みたいなもので、

「藻塩を溶かした塩水を使うってなっとるけど、よう枯れへんな」

 これはこれで美味しいから満足だ。