古代製鉄のムック6・余談編

製鉄の話を調べていた時の余談です。


ダマスカス鋼とはインドで作られたウーツ鋼をダマスカスで鍛えて剣にしたものです。ダマスカスで作られた鋼ではないのでウーツ鋼で作られたダマスカス剣と言うべきなのでしょうが、慣例によりダマスカス鋼として扱います。このダマスカス鋼が西洋社会に知られたのは十字軍遠征で、この時の戦利品・略奪品の中にダマスカス鋼があったぐらいです。ダマスカス鋼については既に伝説化している部分が多いのですが、

    もし絹のネッカチーフが刃の上に落ちると自分の重みで真っ二つになり、鉄の鎧を切っても刃こぼれせす、柳の枝のようにしなやかで曲げても折れず、手を放せば軽い音とともに真っ直ぐになる
13代目石川五右衛門斬鉄剣を思い起こさせる剣ですが、丈夫でよく切れるだけではなく

20170526073545

刀身に独特の縞模様があり、切れ味と美しさから欧州貴族のステータス・シンボルとしても珍重されたとなっています。このダマスカス鋼ですがwikipediaより、

高品質のダマスカス刀剣が最後に作られた時期は定かではないが、おそらく1750年頃であり、低品質のものでも19世紀初期より後の製造ではないと考えられる。

製法は一子相伝の秘法とされ、現在では忘れ去られたとなっています。実は現代でもダマスカス鋼の包丁とかナイフは作られていますが、これはダマスカス鋼の刃紋に似るように鋼を折り返したり、モザイクのように複数の素材を組み合わせて鍛接・鍛造されたものです。もちろんこれはこれで美しく、丈夫でよく切れるのですが、本物のダマスカス鋼はそういう鍛接を経ていない物になります。ダマスカス鋼の詳しい製法は伝承されていませんが”ダマスカス鋼”の謎に迫るには

紀元前9世紀に、小アジアにあったバルガル神殿の年代記には、この鋼の作り方を次のように述べてある。

    「平原にのぼる太陽のごとく輝くまで熱し、次に皇帝の服の紫紅色となるまで筋骨逞しい奴隷の肉体に突き刺して冷やす、・・・奴隷の力が剣に乗り移って金属を硬くする」
奴隷の肉体に突き刺すのは“焼入れ”の意味があるのだろう。中世にはこの焼入れを「赤毛の少年の尿の中で行う」ことを勧めていたという。

これじゃ、どうにもってところです。他にも「7種の金属の混合物から出来ている」てのもあり、これがキッカケになってダマスカス鋼の研究からステンレス鋼の発明に至る話になり興味深いですが長くなるので割愛します。それでもダマスカス鋼の製法の秘密は長年の研究の末にかなり解き明かされており、ロシアの冶金学者アノーソフ(by ”ダマスカス鋼”の謎に迫る)によれば

ダマスカス鋼の模様は、溶けた鋳鋼がるつぼでゆっくり凝固するときの内部結晶作用によって生じたものである。これは後にチェルノフによって科学的な説明がなされた。すなわら鋼が凝固するとき、最初に炭素濃度の低い高融点の鋼が結晶になるがそれは樹枝状晶である。つぎに低融点の炭素を多く含む小結晶が樹枝状晶の間を埋める。

こうして一方は硬く、一方は粘りのある結晶の複雑なからみあいが生ずる。ダマスカス鋼の鍛練はこの樹枝状晶をこわさないように、ただこねる程度にすることが必要だったのだ。また組織だけでなく刃を作る特殊な技術にも秘密があることが判明した。

そう書かれても「そうなんだ」ぐらいにしか理解できませんが、ダマスカス鋼は西洋のシュトック炉のようなもので作られたと考えられています。つまりは直接製鋼法です。直接製鋼法で作られた鋼鉄は隙間の多いスポンジ状の構造になっており、これを鉄として使うには通常は熱して叩いて隙間を鍛接します。ところがダマスカス鋼は鍛接作業を行わず坩堝で溶解したと見て良さそうです。鉄は炭素含有量によって融点が変わりますから、溶けた鉄が冷やされて固まる時に

  1. まず炭素含有量の低い錬鉄部分が固まり樹枝状になる
  2. 次に炭素含有量の高い鋼鉄部分が樹枝状の間を埋めて固まる
ぐらいに理解したら良さそうなのですが、そうなると疑問点が出てきます。銑鉄の融点は1200℃ぐらいですが、錬鉄ととなると1500℃ぐらいになります。それだけの高温を得るだけの技術があったにも関わらず低温の直接製鋼法に留まった点です。ウーツ鋼は紀元前9世紀のバルガル神殿の年代記にも記され、紀元前4世紀には西洋にも名声は聞こえアレキサンダー大王にウーツ鋼のインゴットを贈った記録もありますが、日本のたたら製鉄同様に間接製鋼法に進めるだけの高温技術がありながらそこには進まなかった事になります。

もう一つはそこまでダマスカス鋼の製法の秘密が解き明かされているのなら、鍛接による疑似ダマスカス鋼を作るのではなく、本物のダマスカス鋼を現代ならそれなりに量産しても良さそうなものです。この辺については本物のダマスカス鋼の原料の鉄鉱石にはパナジウムが多く含まれており、パナジウムが上記した作用に大きな役割は果たしたとされています。ダマスカス鋼が18世紀半ばに姿を消したのはパナジウムを含む鉄鉱石の枯渇が原因であろうともされています。それはそれで筋道が通った話ですし、現在でもパナジウムを使って高張力鋼などを作っています。ただなんですが、現代のナイフや包丁に本物のダマスカス鋼を使わないのは何故だろうってところです。

まあ必ずしもすべてを解き明かすのが良い訳ではないので、残りはロマンとしておきましょう。


日本刀

日本刀も製作時期によって古刀と新刀に分けられるそうです。この古刀と新刀を分けるのが原料の違いになります。日本のたたら製鉄

    ズク押し・・・銑鉄製造
    ケラ押し・・・錬鉄・鋼鉄製造
この2つの手法がありますが、安土桃山期から江戸初期ぐらいにケラ押しによる錬鉄・鋼鉄製造法が多くなります。このケラ押しで取れる鋼鉄が玉鋼で、その玉鋼を使って作られた日本刀が新刀とされています。現在も日本刀は作られていますが、ケラ押しによる玉鋼からのものです。

では古刀はどうだったかですが、これが良くわからないってところです。日本の製鉄法の源流は中国の銑鉄製造技術であり、だからこそズク押しが可能になっているのですが、一方で中国を経由しない直接製鋼法も入っていたと十分に考えられます。ほいでもって鉄需要的には供給サイドの問題もあって中国のように鋳物主体にならず、錬鉄や鋼鉄を鍛造する方が多くなっています。そのためにズク押しで作った銑鉄を脱炭素化して鋼鉄や錬鉄にするための大鍛冶場システムに発展しています。

何が言いたいかですが、日本刀には錬鉄や鋼鉄が必要ですが、古刀は銑鉄から作ったものを使っていた可能性もありますが、一方で直接製鋼法で作っていた可能性もあります。つうかどちらも使っていた可能性がありそうぐらいです。だからどうしたみたいな話なのですが、一般的に日本刀の評価は、

    古刀 > 新刀
これも実はホンマにそうかの議論もあり、古刀の象徴ともいえる正宗も評価が確立した時点で既に神格化され、実用品と言うよりステータス・シンボルになっていたと考えられるからです。そこのところの議論は果てしないと思うのである程度置かせて頂いて、新刀と古刀に差があるとすれば技術も可能性はありますが、鉄自体に差があった可能性はどうだろうと思っています。銑鉄・鋼鉄・錬鉄といっても原料と製鉄法によって差が出ます。たとえば古刀の名刀とされるものは、その鉄自体が優れていた可能性もあるんじゃなかろうかです。

ダマスカス鋼は「どうも」レベルですがダマスカスの鍛冶職人の技術が卓越していた訳ではなく、原料であるウーツ鋼が優れていたとしても良さそうです。たたら製鉄で作られていた鉄も古刀の時代と新刀の時代で同じであったかは調べようのない話になりますが、ひょっとしたら鎌倉期に作られていた鉄がダマスカス鋼みたいに優秀な鋼であった可能性もゼロじゃないと思います。それぐらい製鉄は微妙なところがあるのがこれまで古代製鉄をムックした感想です。