古代製鉄のムック1・プロローグ編

古代といわず現代でも文明の基礎とも言える鉄のムックをやりたいと思います。今日はプロローグとして基礎知識編です。


鉄の種類

鉄も専門学問として確立した分野なので詳細な解説サイトが多々あるのですが、詳細過ぎてかえって難解ってな部分が多いところです。七転八倒しておぼろげに理解した範囲での解説ですから、その点は御理解ください。鉄は自然界には酸化鉄として存在し、これを酸化還元することによって鉄器として使える鉄を得ることができます。具体的には熱するのですが、現在の高炉の中では熱せられたコークスから一酸化炭素が発生しまず、

    3Fe2O3 + CO = 2FeO4 + CO2
これがさらに
    Fe3O4 + CO = 3Fe4O + CO2
さらに
    Fe4O + CO = Fe + CO2
化学式というだけで難解そうですが、最初の酸化鉄(Fe2O3)に含まれていた3つの酸素が一酸化炭素により取り除かれて鉄(Fe)だけになるぐらいの理解で良いかと思います。ほいでもって上記した化学反応では鉄だけ残るはずなのですが、実際は炭素も鉄の中に取り込まれ残ります。他にも硫黄やリンなども取り込まれるのですが、鉄の種類を決めるのは取り込まれた炭素量によるものだそうです。

鉄の中の炭素は多ければ硬度が増す代わりに展性が落ちます。平たくいえば固くなるけど脆くなるぐらいです。ついでにいうと炭素量が多いほど融点が低くなり溶けやすくなります。鉄の分類として銑鉄、錬鉄、鋼鉄が出てくるのですが炭素量からの分類を製鉄技術史のための基礎知識より、

* 炭素
含有量
硬 度 展 性 融 点
練鉄 wrought iron

(鍛鉄、軟鉄)
大きい

(粘る)
高い
鋼鉄 steel

 
中間

(0.218-2.14%)
中間 中間 中間
銑鉄 pig iron

(鋳鉄 cast iron)
小さい

(もろい)
低い
現在の鋼鉄の分類はニッケルやクロムなどの合金も鋼鉄に入るようですが、ここは古代製鉄のムックなので炭素量だけの分類でヨシとします。用途なんですが、銑鉄は融点が低いので鋳物に使われ鋳鉄という表現もよくされます。一方で分別に難儀したのが錬鉄と鋼鉄です。これは冶金学の話になって理解が生煮えなのですが、古代の製鉄法でも銑鉄・鋼鉄・錬鉄は出来ていましたが、一番有用だったのが鋼鉄だったぐらいの話でまず良さそうです。

ところが近代製鉄(= 量産技術)で先行したのが錬鉄であったようです。そのため錬鉄が広く使われましたが、やがて転炉技術が発達すると鋼鉄に取って代わられたぐらいでしょうか。錬鉄は上の表に示すように鋼鉄より炭素量が少ない分だけ展性に優れていましたが、一方で硬度では劣り、鉄器として一番実用的なのが鋼鉄だったぐらいでここはお茶を濁させて頂きます。


鉄器文明の始まり

教科書的には鉄器文明といえばヒッタイトなんですが、ヒッタイトは紀元前19世紀ぐらいにアナトリア地方に勢力を広げ、紀元前15世紀には王国を成立させ、紀元前13世紀にはラムセス2世とカデッシュの戦いを行っています。おおまかに言えばヒッタイトの鉄器文明は紀元前15世紀頃に成立し、ヒッタイトはこれを軍事機密として保持していましたが、紀元前1180年頃にヒッタイト王国が崩壊した時に広くオリエント世界に製鉄技術が広まったとなっています。

ただなんですが「そうでない」の説も昔からあります。歴史学的には文明の発達は、

    石器 → 青銅器 → 鉄器
こう進んだとしているものが定説です。これに対し冶金学的な立場からは青銅器と鉄器は同時期、もしくは鉄器の方が先行していた可能性さえあると19世紀にレーデブーアは冶金学的な立場から主張しています。青銅器先行説の根拠は鉄の融点は炭素を含んでいても1200℃ぐらいであるのに対し、錫を含んだ青銅器なら700〜900℃ぐらいのためにまず青銅器が使われたはずだの見方です。しかし銅も錫も産地が偏在しているのに対し鉄は世界中に分布しており、さらに鉄鉱石から鉄を溶かす時にはさらに低い温度で製鉄は可能です。

それと製鉄方法も現在の製鋼所を思い浮かべると大変ですが、小規模であればかなり簡便な方法で鉄を得ることは可能です。製鉄の歴史には探検家のリビングストンやスタンレーが記録した19世紀のアフリカの製鉄の様子の描写が掲載されています。

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この程度の規模と技術で製鉄は可能ということです。銅と錫が入手できる地域なら青銅器が先行したかもしれませんが、そうでなければ鉄器が先行していたとしてもおかしくないぐらいの見方です。青銅器は銅と錫の産地の偏在のために貴重品化し、一方でどこでも作れる鉄器は実用品化して遺物として残される事が少なかったぐらいでしょうか。この辺は確認はしていませんが、鉄器と青銅器が併存すると青銅器は財宝と言うか威信財として位置づけられる傾向があるように思っています。

日本がそうなんですが、銅剣、銅戈、銅鐸などは鉄器の普及に伴って大型化して実用品から遠ざかっているように思えます。そういう傾向は日本だけではなく他国でもあってもおかしくない気はします。ただ中国は少し事情が違う気がします。

中国の鉄器は紀元前10世紀に遡り、春秋時代には農機具としてかなり普及していたようです。しかし武具として用いられ始めたのは戦国時代に入ってからとなっています。中国の製鉄技術の特徴は初期段階から鋳鉄により製品がつくられた点と諸説は一致していますが、中国初期の鉄器は鋳造であるが故に脆かったと見ることも出来そうです。つまりは武器として青銅器に劣るために、鉄器は農機具として広まったぐらいです。

中国の製鉄ですが、あれこれ読んでいて思ったのは中国では青銅器が先行した可能性は強そうな気がします。中国の青銅器技術は早い時期に鋳造まで進化し、その状態で鉄器が持ち込まれたぐらいの見方です。中国で確認できる最古の鉄器は紀元前10世紀となっていますが、これは紀元前12世紀にヒッタイトが滅び製鉄技術が拡散してからもたらされた可能性もありそうな気がしています。ともかく既に確立していた青銅と同じように鋳造することにこだわり、鍛造技術が目立たなかったぐらいです。。

でもってヒッタイトですが、鉄器文明の創始者として歴史に名を残したのは、量産技術に秀でたからではないかと私は想像しています。軍事的には青銅器武具に勝る鉄器武具を量産できた点で古代エジプトとオリエントの覇権を争うぐらいに強大化したんじゃなかろうかです。まあまあ、この辺はヒッタイトが鉄器文明の創始者でない可能性はあるにせよ、ヒッタイトが世界最初に鉄器を大規模に使って普及させたのは十分あり得ると考えています。