松本発言をお手軽に考える

政治の事なんで肩の力を抜いて書いてみます。まず問題の発言を伝えるニュースです。

短いですから文字を起こしておきます。

発言者 発言内容
アナウンサー こんばんは。松本龍復興担当大臣が就任後始めて今日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責しました。
アナウンサー 宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで、顔色が変わります。
松本大 先にいるのが筋だよな
アナウンサー 数分後、笑顔で現れた村井知事が握手を求めようとしますがこれを拒否。
松本大 終わってから
アナウンサー 応接室に緊張が走ります。そして要望書を受け取ると、松本大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。
松本大 県でコンセンサス得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ、ちゃんとやれ。
松本大 いま後から自分が入ってきたけど、お客さんが入ってくる時は、自分が自分が入ってきてからお客さんを呼べ。いいか。長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ。わかった。
村井知事 はい
松本大 しっかりやれ。今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、みなさんいいですか。書いたらその社は終わりだから。
アナウンサー 松本大臣のこの言動は波紋を呼びそうです。


色々と話題や議論になっているようですが、
    今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、みなさんいいですか。書いたらその社は終わりだから
これはあえてスルーします。もう良いかと思います。今日触れたいのは、
    お客さんが入ってくる時は、自分が自分が入ってきてからお客さんを呼べ。いいか。長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ。
これは礼の問題と考えます。ただし私は小笠原流の礼法に詳しいとか、儒礼を研究したとかはありません。華道や茶道も詳しくありませんから、そのレベルの与太話と思って頂ければ幸いです。


礼の根本は序列をつけるところから始まると考えています。つまり上下の礼です。対等の礼は原則として無いとして良いと思っています。実質的に対等であっても、何がしらかの理由をつけて上下の序列をつけます。そうやって付けられた序列の差の大きさによって儀が定まるのが礼と解釈しています。対等の礼はなくとも序列が非常に近い、つまり紙一重の礼は存在します。

礼の序列はかつては身分差がありましたが、現在なら役職差になりましょうか。会社関係ならわかりやすくて、役職がまずあり、次に役職経験年数、その次に入社年数、その次に年齢差がぐらいが序列の基本になります。入社年数と年齢も終身雇用が崩れかけているとも言われていますから、どっちが優先されるかは現在なら微妙かもしれませんが、冠婚葬祭のような儀礼の場では入社年数が優先されるような気がします。

今回の県知事と国務大臣の序列はどうでしょうか。正直なところ役職での上下差は私では判断がつきません。実質では「国 > 県」みたいなものがありますが、儀礼の場においては公式に定められているかどうか存じ上げません。


礼の序列ではそういう応用問題は良く出てきます。序列体系の違う人物の序列を定めるのも礼の問題になります。これは司馬遼太郎の小説の中のお話ですが、竜馬が行くの中でそういう場面が何度か出てきます。土佐藩の参政である後藤象二郎と竜馬の対面の場を覚えていますが、これも序列で関係者は頭を悩ます事になります。

竜馬の身分は一介の浪人であり、後藤は土佐藩の参政です。これだけを取り上げれば後藤の序列が圧倒的に上ですが、竜馬は私設海軍の主であり、浪人であるがために土佐藩の序列関係に属しません。その上で、後藤は竜馬に「お願いする」と言う立場にあります。そこで用いられた解決法として、上座は竜馬にしながらも、下座の後藤は着流しで礼を軽くする方法が用いられたと司馬遼太郎は書いています。実話かどうかは知りません。

もう一つ時勢が押し詰まって、土佐藩の大監察であった佐々木三四郎と竜馬の対面シーンもあります。これも後藤の時と同様の問題が生じたのですが、竜馬はとっとと上座に座り、後から入った佐々木は少し驚きながらも先に上座に座っている竜馬に対し、「どうぞ坂本先生は上座で宜しく」とします。これは佐々木が自分の体面を保つために、自分が自発的に下座につくとしたパフォーマンスとされています。


かくも礼における序列は厄介なんですが、県知事と国務大臣に役職上の上下差が付け難いとなれば、それ以外の要素で序列をつける必要があります。松本大臣が持ち出したのは「長幼の序」つまり年齢差です。頑張って好意的に解釈すれば、役職やその他の条件で上下差が付けられないから年齢差で序列を設定したと見れます。

ただ年齢差は礼の序列の中では小さいほうです。松本大臣は自衛隊の例を出していますが、自衛隊での序列は、

    階級 > 先任 > 年齢
こういう感じと思っています。自衛隊の内部もそんなに詳しくはありませんが、常識的にそんなところでしょう。いくら「長幼の序」と言っても、軍隊での階級差は絶対です。今日は例に引くのが俗っぽいものばかりですが、トップガンと言う映画がありました。トップガンだったと思うのですが、愛と青春の旅立ちだったかもしれません。

どっちでも良いのですが、鬼教官の軍曹がパイロット希望者を徹底的に絞り上げます。やがてパイロット希望者は卒業するのですが、卒業して任官されると教官だった鬼軍曹より階級が上になります。任官されるまでまさしく鬼のように君臨していたのが、正式に階級が任命されると同時にシャチホコばって上官への敬礼を行います。

これが軍隊における礼と秩序かと思っています。年齢差は最後に持ち出される序列で良いと考えています。序列差は礼の基本ですが、序列差が小さいほど礼の使い方は軽くなると考えます。年齢以外の序列が設定できない中での「長幼の序」の序列はそういう位置付けになると考えています。

もう少し言えば、何か序列を作る差が無いと礼を行う上で不便なので、最終的に便宜的に用いられるものぐらいとしても語弊はないと思っています。もちろんTPOでこの辺は様々に変わりますから、一概には言えないところです。


今回の礼の形式は会談です。会談も序列にうるさいところで、座る席の位置、出迎えの方式とかで礼の軽重が演出されます。これは将棋の世界ですが、対局者の座る位置も序列によって上座と下座に分かれます。古典的な盤外戦では、実績・年齢とも上回る挑戦者が、年若い名人に対し、故意に早く対局場に着いておいた上で、上座に座るみたいなものが将棋マンガ(月下の棋士だったかな)に描かれていたりします。当然の様に一悶着あるのですが、これで対戦相手の神経を撹乱しようとする戦術です。

会談場への先着問題もうるさいところで、早く着いて出迎えたほうが序列が下みたいなものもあるそうで、先着問題でトコトンもめると、同時入場とか、肩を組んでの入場みたいな方式も取られる事があると聞いた事があります。

松本大臣が問題にしたのは先着問題と考えています。年齢による序列で上位にある大臣を待たすとは論外であるの論法であるのは良くわかります。ここは微妙にも感じますが、待って出迎えた方が礼としては申し分は無いと思います。ただ現在の礼において著しく非礼とか、無礼にあたるかと言えばどうかとは思います。

松本大臣は自分の立場を「客」としています。客が訪れた時に先に応接間に案内し、湯茶の接待を行ってから「主」が登場する形式は、礼においてやや薄くなりますが、著しく礼にもとるかどうかは議論のあるところだと感じています。この辺は、この辺は松本大臣が持つ礼の感覚もありますから、とりあえずは知事がやや礼を欠いたぐらいにしておきます。


私はもう一つの礼の側面を考えます。客である松本大臣には客としての礼も生じるかと思います。いわゆる主客の礼です。主は客を誠意を持ってもてなすのと同時に、客は主の接待に感謝するぐらいでよいでしょうか。礼の根本は人間関係の円滑化ですから、可能な限り場を円滑に運用するのに協力する責務が生じると思っています。

そういう協力の中で主の面子を潰さない様にするはあると考えています。松本大臣の礼の感覚では「長幼の序」に基く先着問題は途轍もなく大きいようですが、礼には無数のローカルルールもまた存在します。ローカルルールはローカルでは優先されますが、客として招かれた人物はローカルルールに従うのが礼の原則の一つと思っています。

たとえば、沖縄では「かりゆし」と言う衣装が公式の場でも用いられます。なかなか華やかなデザインなんですが、これは沖縄であるから公式行事で通用するローカルルールであり、沖縄以外で用いれば礼に欠く事もありえます。また沖縄で客として招かれた他県人が「あんな服装は認めない」とするのは今度は礼に欠くと言うものです。


話があちこちに飛びましたが、強引にまとめると、

  1. 礼の序列は年齢差と言う最も小さな序列で松本大臣が上位
  2. 礼の上位者が出迎える形式を取らせたのは県知事として若干礼として欠ける可能性はあったかもしれない
先着問題ですが、これを極端に大きく松本大臣はしましたが、客であるならこれを無難に収める努力と協力がなかったと私は感じます。元の序列は小さいのですから、礼の上位者が少し譲れば場は収まったはずです。少し譲って主の面目をつぶさない様にするのも客としての礼と私は思います。そりゃ、喧嘩を売りに来たのであれば話は違いますが、そういう性質の会談ではなかったはずです。

針小棒大なる言葉がありますが、ごく素直に受け取って小さな瑕疵を大げさに言い立てているように感じている者は少なくないと思っています。いわゆる「ヤ」のつく自由業の方が頻用される「因縁をつける」みたいな感じです。


ま、九州の人間だから東北の地名などよくわからないとも公言されていますから、礼についても松本家の礼は日本標準ぐらいと考えておられるのかもしれません。それにしても復興担当相が東北の地名を良く知らないと言うのは、外務大臣が「外国の事はよくわからん」とか、文部科学大臣が「教育の事はよくわからん」とかに等しい発言と思うのですが、これはオフレコにはされなかったようです。

もっとも辞められた法務大臣も似た様な失言が問題視されていましたから、政治家感覚では大した問題ではないようです。個人的には現在の政治状況、いや現在の日本で復興担当相は非常に重要なポストであると思っていますが、この辺も感覚の相違が大きいようです。

一説には「有能な方」の評価もあるようですから、これからの御活躍を期待しております。