「異例」の検証

7/1付読売新聞(Yahoo !版)より、

受け入れ拒否2時間半、事故の車椅子の女性死亡

 さいたま市で29日夜、車椅子の女性(38)が乗用車にはねられ、30日に死亡した。

 女性は12の病院に受け入れを断られ、処置を受けた病院に搬送されるまで約2時間半かかっており、さいたま市南消防署は「搬送に2時間半もかかったのは異例。死亡との因果関係を検証する」としている。

 同消防署や埼玉県警浦和署によると、女性は同市見沼区大谷、無職星野美穂さん。29日午後10時15分頃、同市南区曲本の市道を1人で横断中に、市内の男性(73)が運転する乗用車にはねられた。救急車は同26分に現場に到着したが、受け入れを求めた8病院が「専門医がいない」、4病院が「処置が困難」として断ったという。受け入れ先がようやく決まり、搬送されたのは翌30日午前0時55分で、女性は同日午後2時頃に腰の骨折による出血性ショックで死亡した。

亡くなられた38歳女性の御冥福をお祈りします。今回の記事で検証したいのは、

    女性は12の病院に受け入れを断られ、処置を受けた病院に搬送されるまで約2時間半かかっており
ピックアップする問題点は2つで、
  1. 「12の病院に受け入れを断られ」つまり照会回数13回です。
  2. 搬送に2時間半もかかった
データ元は、
照会回数13回

重症救急の実績で調べてみます。

総搬送件数 照会13回以上
合計数 発生率 月平均
H.19 21376 74 0.35% 6.2回
H.20 20646 77 0.37% 6.4回
H.21 20544 72 0.35% 6.0回


これだけでは多いか少ないか比較対照するのが難しいので、総搬送件数が比較的近い愛知と神奈川と千葉のデータを示しておきます。

都道府県 総搬送件数 照会13回以上
合計数 発生率 月平均
愛知 H.19 16772 0 0.00% 0.0回
H.20 19346 2 0.01% 0.2回
H.21 19067 8 0.04% 0.7回
神奈川 H.19 23700 18 0.08% 1.5回
H.20 26414 12 0.05% 1.0回
H.21 25801 7 0.03% 0.6回
千葉 H.19 15521 39 0.25% 3.3回
H.20 16566 17 0.10% 1.4回
H.21 17642 12 0.07% 1.0回


もう一つついでですから、消防庁の照会回数データには「21回以上」の分類があります。

埼玉 東京 埼玉+東京 全国
H.19 12 94 106 123
H.20 8 56 64 77
H.21 16 36 52 66


照会回数については地域の医療事情が絡んでいるため、回数だけではなんとも言えませんし、記事でも照会回数についてはそんなに触れていませんから、私もアッサリこれぐらいのデータ提示に留めさせて頂きます。


搬送に2時間半

この2時間半が具体的にどこからどこまでの時間かですが、救急車の搬送時間の統計は、

  • 救急要請から現場に到着するまでの時間
  • 現場で搬送先を探す時間(現場滞在時間)
  • 救急要請から病院に到着する時間
この3つに分けて集計されています。少なくとも公表データはそうなっています。記事にある
    処置を受けた病院に搬送されるまで約2時間半
こういう現場到着から病院到着までの集計はあまりされていないのです。消防庁の内部資料としてあるかもしれませんが、消防白書でも掲載されていません。そうなると記事のこちらの部分が気になります。
    救急車は同26分に現場に到着したが・・・(中略)・・・受け入れ先がようやく決まり、搬送されたのは翌30日午前0時55分
至極微妙な表現ではありますが、0時55分とは「受け入れ先がようやく決まり」とあるように、現場到着から搬送先が決まり救急車が動き出すまでの、現場滞在時間ではないかと推測します。事故現場に10時26分到着で0時55分出発ですから、現場滞在時間は厳密には2時間29分になります。1分や2分と言われそうですが、消防庁の集計は150分以上で区切っていますから、分類上は「90分以上150分未満」になるからです。

でもここは150分以上をまず調べてみます。照会回数と同様に愛知、神奈川、千葉との比較表にして見ます。

都道府県 総搬送件数 現場滞在時間150分以上
件数 発生率 月平均
埼玉 H.19 20550 4 0.02% 0.3回
H.20 20606 7 0.03% 0.6回
H.21 20544 19 0.09% 1.6回
愛知 H.19 19312 2 0.01% 0.2回
H.20 19487 1 0.01% 0.1回
H.21 19070 6 0.03% 0.5回
神奈川 H.19 25664 6 0.02% 0.5回
H.20 26040 11 0.04% 0.9回
H.21 25801 9 0.03% 0.8回
千葉 H.19 15230 3 0.02% 0.3回
H.20 17065 4 0.02% 0.3回
H.21 17642 5 0.03% 0.4回


平成20年までは比較した他の県とさほどの差はありませんが、平成21年のデータはかなり悪化しているのは明らかだと思われます。この150分以上の現場滞在時間なんですが、全国では
    平成19年:65件
    平成20年:73件
    平成21年:89件
こうなっていますが、都道府県別の平成21年の集計を示しておきます。

順位 都道府県 件数
1 埼玉 19
2 東京 14
3 神奈川 9
4 愛知 6
5 千葉 5
6 北海道 4
7 栃木、新潟 3
9 群馬、岐阜、三重、大阪、奈良、広島、福岡 2
15 青森、宮城、茨城、静岡、京都、兵庫、和歌山、島根、愛媛、高知、佐賀、鹿児島 1


平成21年の現場滞在時間150分以上の1位は埼玉であり、発生率も全国1位です。また全国の150分以上の現場多剤事例発生の21.3%を占めています。東京より多いのはちょっと驚きましたが、成績的にはダントツとして良いでしょう。

もう一つ「2時間半」が病院までの到着時間を含むとした場合の統計です。これは詳しいデータはないのですが、少しラフですが、現場滞在時間が120分〜150分未満のものが該当すると見なします。

順位 都道府県 件数
1 埼玉 19
2 東京 15
3 神奈川 9
4 千葉 5
5 愛知、福岡 3
7 群馬、奈良、岡山 2
10 北海道、宮城、栃木、新潟、岐阜、静岡、三重、京都、大阪、広島、山口、愛媛、高知、佐賀、宮崎、沖縄 1


総件数が76件ですから、埼玉は全体の25%を占め、やはり東京さえ凌ぐダントツの全国1位です。そいでもって
    さいたま市南消防署は「搬送に2時間半もかかったのは異例。死亡との因果関係を検証する」としている。
埼玉が「異例」であるなら、他の都道府県は異例未満である事になります。ただこれは他の都道府県との相対比較であって、見方を変える事も可能です。埼玉の現場滞在時間150分以上の発生率は平成21年度実績で0.09%、これは約0.1%、つまり1000件に1件程度です。もうちょっと言えば99.9%以上は2時間半未満ですから、このレベル自体が絶対比較として「異例」の表現の可能性もあります。

言い換えれば相対比較で全国最悪の埼玉でも、発生頻度的にはようやく「異例」レベルと表現しているとも受け取れそうです。


世の中は皮肉なもので、発生頻度が低いほど「新聞沙汰」になる法則と言うのがあります。滅多に無い事はニュースになり、逆にある一定頻度以上になればニュース価値は失われ、日常茶飯事であるとして見向きもされない現象です。なんとなく平成21年の埼玉の実績が全国ダントツの優秀成績になれば、「たらい回し」とか「拒否」みたいな報道も根絶しそうな気がします。

逆に関係者が血の滲む様な努力を重ねて、さらに発生頻度を減らしても「まだ残る悲劇」として、起こっただけでセンセーショナルな事件として大々的に報道され続ける様な気がします。産科における死亡率の低下が良い例です。死亡率ゼロが常識になり、根絶できていない事が社会問題みたいな扱いです。

まさかと思いますが、関係者の努力により成績が劇的に改善したら、「私らしい搬送スタイル」みたいな現象が起こるのでしょうか。世の中は思わぬ方向に進む事が多々ありますから、可能性だけは指摘して検証を終らせて頂きます。