尊厳誕生

【子育ちバイブル9ヶ条】vol.203 尊厳誕生(1)より逐次引用注釈を加えてみます。

こんにちは。

 「尊厳死」という言葉を、よく聞くと思います。

 尊厳死とは、人間としての尊厳を保ちながら死ぬことで、「安楽死」とは違います。

 この尊厳死は、人としての当然の権利であるとされています。

ここは日本尊厳死協会から引用します。

尊厳死とは

     傷病により「不治かつ末期」になったときに、自分の意思で、死にゆく過程を引き延ばすだけに過ぎない延命措置をやめてもらい、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えることです。
安楽死とは違います
     安楽死は、助かる見込みがないのに、耐え難い苦痛から逃れることもできない患者の自発的要請にこたえて、医師が積極的な医療行為で患者を早く死なせることです。

安楽死尊厳死の線引きはなかなか厳しいようで、尊厳死は無駄な延命措置をやめる事を意味はしますが、癌などの耐え難い苦しみから逃げる事は別としています。そういう行為は安楽死として尊厳死とは別物の定義である事が確認できます。

 この尊厳死、つまり尊厳をもって死を迎えることが人間の当然の権利であるなら、「尊厳をもって生まれること」も当然の権利であるはずです。

 ここでは、その「尊厳をもって生まれること」を「尊厳誕生」という言葉で言い表してみます。(「尊厳生」という言葉でもいいのですが、その言葉は別の意味で使う人がいるようなので、ここでは使いません)

 また、「尊厳お産」とか「尊厳出産」と言うと、その主体が妊婦さんのほうになりますので、やはり「尊厳誕生」という言葉のほうが良いのではないかと思います。

ここは「子育ちバイブル9か条」で、この日に展開する出産についてのテーマの用語説明です。使いたい用語は

    尊厳誕生
どうもなんですが尊厳誕生に関るのは
    その主体が妊婦さんのほうになりますので
妊婦と言うか産婦なんですが、これはもちろん加わるとして、他の関係者も加わると判断して良さそうです。他の関係者とは誰かになりますが、

 ここで、あえて聞きなれない「尊厳誕生」などという言葉を、なぜ使わなければならないのかというと、今の日本の出生の状況では、子どもが「人間としての尊厳をもって生まれてきている」とは、とても言い難いからです。

尊厳誕生で産婦以外に加わるものとして「子ども」が入るようです。この尊厳誕生は冒頭で尊厳死と較べて用いられています。尊厳死はあくまでも自分の意思決定によるものですが、尊厳誕生では産婦はともかく、子どもの意思はどう考えているのだろうとは疑問には思います。ここは自分で意思を表明できない子どもに代わり、尊厳誕生を行うのが産婦の務めであるぐらいの主張と理解します。

 今の通常の病院でのお産では、妊婦さんは、自分の気づかないうちに陣痛促進剤を打たれ、何の意味もない(意味がないどころか有害でしかない)会陰切開をされ、これまた有害な分娩台でお産をさせられています。

ここで論旨を整理しておくために、この「子育ち9か条」で否定している3つの項目である陣痛促進剤、会陰切開、分娩台を順に論評しておきます。


陣痛促進剤

陣痛促進剤に関する主張です。

 たとえば、陣痛促進剤は、夜間や休日には生まれないようにするために、つまり医者や病院の都合のために、よく用いられるものです。

 医者も、夜間や休日は休みたいのです。

 でも、たいてい、赤ちゃんって、夜間や早朝に生まれるものですよね。

 しかし、この陣痛促進剤を用いるようになってから、めっきり夜間や祝日土日に赤ちゃんが生まれる数は減りました。

 本来なら、どの曜日でも、均一に生まれる曜日は分かれるはずです。

 赤ちゃんが夜間や休みの日がわかってて、日にちを選んで生まれることは冗談でも考えられませんので、祝日土日に生まれる率が極端に少なくなったのは、なぜなのでしょうね?

さて曜日別、時刻別の厚労省データの最終は平成17年度「出生に関する統計」の概況になります。この調査はどうやら5年毎に行われているようですが、平成22年版には「出生の場所・曜日・時間別にみた出生」がありませんでした。まず曜日別です。

曜日 1975年 2004年
平均 5209.4 3034.8
平日 5475.2 3301.6
土曜 4995.0 2686.7
日曜 4424.3 2372.1


確かに平日に比べ土曜休日の出生数が少ないのが確認できます。平日に較べて土曜日が11.5%少なく、日曜日が21.8%少なくなっています。この差を「めっきり」とまで言えるかどうかは置いておくとして、土曜休日の出生数が平日に較べて少ない事は確認できます。次は時間別です。これはグラフにして示します。
これも指摘されている通り、とくに平日の昼間に出生数が多いことが確認できます。こうなる原因を
    たとえば、陣痛促進剤は、夜間や休日には生まれないようにするために、つまり医者や病院の都合のために、よく用いられるものです。
ここで「よく」の頻度をどの程度に想定されているかは不明ですが、皆無とは申しません。ただ「よく」が「大部分」の意味とすれば医療側にも反論があります。まず計画分娩と言っても、医療機関の都合だけではなく、生まれてくる子供のための計画分娩は多数あります。これは陣痛促進剤と逆の薬の陣痛抑制剤の時によくあります。

陣痛が早い週数に起こった場合、そのまま分娩すれば早期産であるだけでなく、未熟児になってしまいます。そのため陣痛を抑制し、妊娠期間を延長させます。しかし薬の効果にも限界があり、十分な週数まで陣痛を抑制できない事があります。この陣痛抑制剤は妊婦にとってもかなり辛い薬のようで、苦しみに耐えかねてみたいなケースもありえます。

そうなれば生まれた子供は新生児科による迅速な治療が必要になります。新生児科が少しでも余裕のある平日の昼間に出産時間を誘導するケースは決して少ないとは言い切れません。また最近では胎内エコーの発達により、出生前に子どもの大きな先天異常がわかっている場合もあります。この時も子どもは出生時より迅速な治療が必要であり、新生児科だけではなく、小児外科、小児心臓外科なども総動員するために平日の昼間に計画分娩される事もあります。

上の2点は多いと言っても、実際の統計に及ぼすほど影響があるかどうかは自信が無いのですが、もっと単純で大きな数があります。帝王切開です。日本産婦人科医会施設情報調査2009では日本の帝王切開率は18.4%となっています。5人に1人弱が帝王切開になっています。帝王切開も経腟分娩を試みた末での緊急帝王切開もありますが、多くは予定帝王切開です。

予定で行う帝王切開は当然の事ながら平日の昼間に多くなります。この曜日と時刻による出生の偏在なんですが、私が行ったものより精度の高い分析を行ったものがあります。どうしても見つからなくて、読んだ記憶に頼った私の雑な分析でお茶を濁しています。

その分析の精度は非常に高いものです。陣痛促進剤と曜日と時刻の偏在で全国を講演して回っている某中医協委員があるシンポジウムに呼ばれたときに、講演前にその分析を見せられ意見を求められたそうです。そのためか、その日の講演では時刻と曜日の偏在については「根拠が無い」として殆んど触れずじまいで終っています。


会陰切開

会陰切開に関する主張です。

 また、会陰切開は、出産時に自然裂傷したら、治りが遅くなるという間違った理屈により、慣習として行なわれ続けているものです。

 実際は、あまり自然裂傷になることはなく、また、かりに自然裂傷したとしても、メスで切開するよりも、断然、自然裂傷のほうが治りが早いし、痛みも少ないのです。

 病院で会陰切開をした人は、会陰切開をした後の苦痛、またその後の生活で、さまざまな不便と苦痛を長く感じていらっしゃる方も多いはずです。

ここは産婦人科の御意見を伺った方が良いのですが、一応やっておきます。産婦人科の基礎知識からですが、会陰切開を行う理由は、

  • 会陰部の伸展不良
  • 大きな児頭
  • 胎児の肩が通過する際の過度な会陰部の伸展
  • 急速な分娩進行
  • 会陰保護が足りない

最近では高齢初産の方が多く、会陰切開をやらざるを得ないケースが増えているとの事です。人間は加齢により体が柔軟性が失われるのは不可避であり、会陰もその例外ではないと言う事です。会陰切開を行わなければ、今度は自然断裂による会陰裂傷が生じます。これについて、

    また、かりに自然裂傷したとしても、メスで切開するよりも、断然、自然裂傷のほうが治りが早いし、痛みも少ないのです。
会陰裂傷の程度と処置についてまとめておきます。

程度 定義 処置
第1度会陰裂傷 会陰部の皮膚のみ、膣壁粘膜表面のみ(かすり傷程度) 2度裂傷までは一般的に起こりえるもので、10分もあれば縫合も終わります。裂傷部が大きいと、どことどこが元々くっついていたのかがわからないくらい裂けています。こうなるとパズルを解くように縫合するため時間もかかります。
第2度会陰裂傷 皮膚とともにその下の筋肉層まで損傷が及ぶもの
第3度会陰裂傷 肛門を絞める筋肉の肛門括約筋が断裂したもの 3度裂傷は肛門括約筋という肛門を絞める筋肉が断裂しています。肛門括約筋は肛門の周囲を取り囲む輪ゴムのような筋肉です。この筋肉が断裂すると肛門のしまりが緩くなるため、断裂した筋肉を元のように引き寄せてあげる必要があります。その後は2度裂傷と同じです。
第4度会陰裂傷 会陰から肛門や直腸粘膜までが損傷したもの 4度裂傷は直腸まで裂けているので、まず直腸の粘膜を縫合して、肛門括約筋を縫合して、その後は2度裂傷と同じとなります。注意深い縫合となるので長時間となり、大きな病院へ搬送となる場合もあります。


これがどの程度の頻度で起こるのか、また会陰切開によってどれだけ予防できるのかについて詳しい知見がございません。ただ1〜2度程度のときの会陰切開と会陰裂傷の処置の差は書いてありました。

会陰切開部だけの傷は、はさみで切ったきれいな傷なので縫合時間も短くきれいに仕上がります。

断裂部が切開によって綺麗に切れていたのと、裂傷によって引き裂かれたのではかなり違うようです。


分娩台

分娩台についての主張です。

 さらにまた、分娩台というものは、医学的にも科学的にもまったく害しかもたらさない物です。

 もちろん、妊婦さんや赤ちゃんにとっても、有害な代物です。

 実は、この分娩台、フランスの国王ルイ14世が作らせたものです。

  ルイ14世は、稀にみる変態で有名な人物で、さまざまな変態なことをしているのですが、そのなかでも、彼がどうしてもやってみたいことがあったのです。

 それは、女性の出産のシーンをまざまざと見ること。

 でも、当時なかなかそれをみることができなかった、そこで作らせたのが分娩台です。

 ルイ14世は出産の場をどうしても見てみたかったのです、リアルタイムで。

 それも、ただの変態趣味のために。

 つまり、自分の目の前で、女性の出産のシーンをみるためだけに考え出された変態道具が分娩台なのです。

 科学的には、分娩台であのような姿勢で産むというのは、極めて不自然だし、妊婦さんにとっても負担がかなり大きいわけです。

  というか、普通ありえません。

 分娩台の上に仰向けになるということは、産道が上を向いてしまいます。

 そのため、上方に産み上げないといけなくなるわけですから、まったく自然に反した、苦痛極まりない姿勢をとることになってしまうのです。

 そのような極めて不自然で不合理で非科学的な産み方を強制しているわけです、あの分娩台は。

 それも、ただルイ14世の変態趣味のためだけに。

 その変態趣味の道具が脈々と、何の疑問もなく現代まで受け継がれてきているということも、そら恐ろしいことなのですが。

国立国際医療センター産婦人科医長 箕浦茂樹氏による分娩体位の種類とそのメリットからです。

 分娩体位として仰臥位を導入したのは,1738年フランスの宮廷医Francois Mauriceauであった.彼は鉗子分娩や麻酔などの産科的処置がやりやすいということから仰臥位を提唱したのであるが,宮廷医としての権威と分娩管理が容易であるということから,施設分娩の増加と相まって,仰臥位分娩は急速に普及し現在に至っている.

ちなみにルイ14世の在位期間は「1643年5月14日 – 1715年9月1日」になっています。仰臥位が導入された背景には、鉗子分娩の発達普及があった事は間違いありません。鉗子分娩は、それまで難産で失われた生命を多数救う技術として確立されています。鉗子分娩がいつ頃から普及し始めたかですが、研修医のための必修知識に、

 産科鉗子の歴史は長く,紀元前の書物にもその図や説明が記載されている.しかしこれらは死児の牽出に使用されたものらしく,現在の生児を得るための器械としての始まりは,1600年代にChamberlen が発明した鉗子とされ,その後にさまざまな改良を経て今日に至っている.

この1600年代もどうも後半であるようで、ルイ14世のエピソードも、愛人の出産のために鉗子分娩ができる医師を呼び寄せたという説もあります。王が率先したので他の貴族もこれに習ったとしてもそんなに間違いでは無いでしょう。宮廷医Francois Mauriceauは自分で仰臥位を発明したというより、既に広まっていた鉗子分娩のための仰臥位を宮廷医の権威で確立したと解釈するほうが無理が無さそうに考えます。


今でさえそうですが、分娩が難産になるか否かは、分娩が始まらないとわかりません。そこでいつ難産になっても対応できるように、産科的な処置を行いやすい仰臥位が広まっています。もっとも仰臥位が他の分娩体位に対して圧倒的に優位なわけではありません。

 仰臥位は医療側にとっては極めて都合のよい分娩体位であるが,産婦側からみれば極めて自由度の低い姿勢であり,努責もかけにくい.そこで1954年Howard et al.によって仰臥位分娩が分娩中の母児に対して生理学的にも精神心理学的にも不利な体位であることが指摘され,出産時に産婦の上体を起こす必要性が注目され始めた.我が国においても1979年,第9回FIGO 東京大会においてウルグアイのCaldeyro-Barcia によって坐位分娩が紹介されて以来次第に普及し,現在では坐位分娩用の分娩台(椅子)が急速に普及しつつある.

こうやって坐位分娩も評価されていますが、

 分娩第1 期においては安楽椅子にいる方が産婦にとって精神的にも生理学的にも利点が多い.ベッドにいるときでも多くの産婦にとって側臥位が最も安楽な姿勢である.一方,分娩時の体位が分娩の進行や胎児の状態,痛みの感覚などに及ぼす影響については統一した見解はない.

分娩体位によるメリット・デメリットについても研究はされており、

















分娩体位 メリット デメリット
仰臥位 医学的処置が行いやすい
  • 分娩監視装置の装着が容易
  • 会陰保護が容易
  • 児頭娩出直後の口腔、鼻腔の吸引が容易
  • 人工羊水注入法が可能
  • 肩甲難産に対するMcRoberts法が容易

  • 子宮胎盤血流量の減少
  • 腹圧をかけにくい
  • 胎児の軸と骨盤入口の軸とのずれが大きい
側臥位
  • 陣痛の間歇が長いため、産婦の疲労時に休息が取りやすい
  • 子宮胎盤血流量の減少が少ない
  • 会陰の観察がしやすい

  • 娩出力の効率が悪い
  • 胎児重力が無効
  • 産婦の顔の表情がわかりにくい
坐位
  • Drive angleが大きくなり、分娩の進行がスムーズである
  • 骨産道が広がるという報告がある
  • 子宮の収縮力が強く、有効である結果、分娩第2期が短縮される
  • 子宮胎盤循環が良好に保たれる

  • 母体血圧の上昇
  • 外陰浮腫や脱肛が増える
  • 膣会陰裂傷の増加
  • 第3期出血の増加
躑踞位・半躑踞位
  • 子宮胎盤循環が良好に保たれる
  • 骨盤出口部の拡大、perineal floorの伸展が得られる
  • 腰椎と仙椎を直線的にし、第5腰椎先端と恥骨結合の距離を長くする
  • 努責しやすい
  • 会陰裂傷ができにくい

  • 躑踞位では分娩介助が困難
立位
  • 努責をかけやすい
  • 胎児の重力が最大にかかる

  • 胎児のモニタリングが困難
  • 会陰保護が困難


表を見てもらえればお判りのように、仰臥位が他の体位に対して圧倒的に優れているわけではありません。むしろデメリットの方が大きいところもあります。しかし他の体位に対して間違い無く優位な点は、医学的処置・医療介入が行いやすい点です。医学としての分娩は、難産対応が最優先され、最優先された結果、現在の「お産は安全神話」が出来上がっています。

仰臥位の他のデメリットは医療介入によるメリットで打ち消されていると考えても良いでしょう。フランスで確立したとされる仰臥位分娩が、他の国々でも広く受け入れられたのは、医療介入のやりやすさにより、難産による死を減らせる一点であったと判断できます。医療介入を期待しない分娩であるなら他の体位にもメリットはありますが、その代わりに医療介入以前の分娩のリスクが伴うと言っても良いかもしれません。

ついでですから仰臥位の欠点の一つである胎児の軸と骨盤の軸の関係についても引用しておきます。

 子宮の長軸と母体の脊柱との角度をdrive angle というが,母体が坐位をとることによりこのdrive angle が大きくなり,胎児の長軸と骨盤入口面の軸のずれが小さくなるため,分娩が進行しやすくなる.Drive angle が90度に近いほど分娩時間が短かったという報告があるが,坐位をとるとdrive angle は80〜90度になるといわれている2).

 またRussell(1969)は蹲踞位をとった場合には仰臥位に比べて骨盤出口面が20〜30%増加したとし,Gardosi et al.(1989)も蹲踞位や半蹲踞位は娩出力の増強と骨盤出口径の増大により,分娩第2 期が短縮されると報告している.しかし最近のGupta et al.(1991)の報告では,上体を30度上げた仰臥位と蹲踞位とでは骨盤入口と出口の各径線において特に有意な変化はなかったとしている.

なかなか結論が出にくい研究であるらしい事は推察されますが、とにもかくにも様々な角度からの研究が今も続けられている事は確認できます。


おまけ

ごく簡単に解説してきましたが、「子育ちバイブル9か条」には、もう幾つか主張点があります。

 さらにまた、骨盤の大きさより赤ちゃんの頭のほうが大きいから、という素人騙しの言説で、帝王切開を勧められ、場合によっては、無痛分娩などという危険極まりない処置も勧められて、一回もお産の経験などない医者の言うがまま、なすがままの状態で赤ちゃんを生ませられます。

う〜ん、個人的にはそんな言説で素人を騙す方が難しいと思うのですが、かの自然分娩の象徴たる某産婦人科医院でも、CPDは分娩できません。どうしているかと言えば、散々粘った末に近隣の医療機関に放り投げるか、悲しくお亡くなりになられます。素人でも骨盤より児頭が大きければ「どうやって通り抜けるのか?」は素直に疑問に感じると存じます。

 そして、生まれるとすぐに、さい帯を切られ、騒々しい、そしてまぶしすぎる環境のもと、赤ちゃんは乱暴に扱われ、泣くまでお尻を叩かれ、綺麗にするという名目で産湯で洗われてしまい、貴重な皮膚のバリアーをすっかり洗い流されてしまいます。

ここは興味深いところで、日本古来の伝統である産湯は否定されています。現在でも産湯に固執する施設は残っているようですが、かなり減ったと聞いています。ここについては、正確な統計情報を持たないので、産湯反対は正しい解釈としておきます。次の明るい環境の下での子どもへの処置ですが、何をもって乱暴とするのか理解が難しいところです。

つうか、どうすれば良いのかの解説が残念ながらありません。明るいところで子どもの全身状態を観察するのを否定しているのでしょうか、また乱暴に扱うとは、産声をあげない子どもに対する処置の事を指しているのでしょうか、それとも気道内に残っている羊水の吸引の事でしょうか。よく判らないところです。

 その後、保育器という名の実験隔離カプセルに押し込められ、母親のぬくもりの場から遮断隔離していきます。

ここもまた理解が難しい個所で、保育器に入る子どもはそれだけの理由があります。むしろ入らない子どもの方が大多数です。入る子どもは、呼吸障害、未熟児などの、生死に関わる理由があるのですが、どう考えておられるか、ここも不明です。


結論みたいなところ

  • こうしたお産の現場は、はたして人間としての尊厳をもってなされているのでしょうか。
  • このような分娩台、陣痛促進剤、会陰切開などによって、赤ちゃんが人間として尊厳をもって生まれてくる権利を、ズタズタに切り裂いていっているのです。

出産は命懸けで新しい生命を誕生させる厳粛な場です。その現場で何より尊重されるのはスタイルではなく、産婦及び生まれてくる子供の生命の尊重です。いかにして生命を救うかが飛びぬけて尊重される事です。後の区々たるスタイルなど、産婦の生死、生まれてくる子どもの生死に較べれば、三の次、四の次以下の意味しかありません。