第六段階仮説の修正

自分のブログなんですが、どこで書いたか判らなくなる事がしばしばありまして、ある題材で下書きを書いていて、参考情報をググったら自分のブログで既に書かれていたなんて冗談みたいな事があります。5年も書いていたら、そういう笑い話みたいな事も起こります。

今日も医療崩壊受容の5段階説の初出を探していたのですが、これがなかなか手強くて、やっとこさ見つけ出しました。自分でも感心しているのですが、初出は2007年5月5日で、ゴールデンウィークの最中に書いていたようです。前後を確認するとゴールデンウィークの間も休みなしで書いていたようで、あの頃は熱かったと懐かしんでいます。

医療崩壊受容の5段階説は説明するまでもなく、エリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間(On Death and Dying)」に書かれているキューブラー・ロスモデルをもじったものです。この本が出版されたのが1969年、ロスが亡くなったのが2004年ですから、オリジナルの息の長さは画期的だったとしか言い様がありません。

ロスのモデルも、ロス自身がそう書いているように万人に当てはまるものではありません。それでも現在であっても一定の説得力をもって存在しています。なんと言っても簡明で判りやすくて、当てはまるケースが実際でも数多くあるからです。ここで私のもじりの医療崩壊受容の5段階説を再掲しておきます。


段階
末期癌の段階説
医療崩壊への意識
第一段階
否認
医療崩壊の存在自体の否定
第二段階
怒り
トンデモ医療訴訟やお手盛り医療改革への怒り
第三段階
取引
こうすれば医療崩壊を防げるの提案の摸索
第四段階
抑鬱
何をしても無駄だのあきらめ
第五段階
受容
生温かく滅びを見つめる涅槃の境地


ロスの5段階説は5段階で終ります。なぜなら前提が末期癌ですから、5段階目に到達すれば次に訪れるのは死になるからです。まあ5段階目に達しなくとも死は訪れるのですが、とにかく5段階目の「受容」でモデルは終了します。

一方で医療崩壊の受容段階はロスモデルに準じて作りましたが、受容段階に至った医療者であっても「生き続けている」もしくは「医療に従事している」訳ですから、第六段階以降があるはずだの予想を立てていました。第六段階の予想を立てたのがやはり2007年の5月末なんですが、恥しいですが再掲しておきます。

    第六段階:覚醒・・・出来る範囲で医療崩壊に対し行動を起し始める
この予想ですが、あれから3年半以上が経って、どうも外れているような気がしています。とりあえず医療情勢は3年半前に較べて良くなったとは思えません。お座なりのような対応は行われましたが、全体の状況からすれば焼け石に水状態として良いでしょう。にも関らず、医療崩壊現象へのかつての熱気は確実に低下しています。


ロスのモデルは個人に当てはめたものですが、私の受容説は集団に当てはめたものです。医師が医療崩壊に気がつくと、受容段階を登り始めるわけです。階段は5つですが、早く登り始めたものは終点の五段階目に早く到達する事になります。ただ集団モデルですから、遅く登り始めたものは下の段階に幅広く分布する事になります。

受容説の熱気は下の段階、三段階目ぐらいまでは熱気が渦巻く事になりますが、第四段階に入ってしまうと熱気が一遍に醒めるのが一つの特徴です。第四段階が第五段階に登っても熱気はなく、醒めた反応しか起こらなくなります。私の予想では、いつまでも醒めた反応に留まるわけはなかろうと考えていたのですが、3年半の経過は登るものが徐々に枯渇し、登ったものは醒めたままであるというのが現実のように感じます。

将来予測と言うのは本当に難しいものです。観察として幻の第六段階で行動している者もいそうにも見えますが、あれは第五段階を通り抜けたのではなく、むしろ第三段階に意識が留まっていると判断した方が正しそうに感じています。もちろんロスモデル同様に例外はたくさんあるのでしょうが、ステップとしての第五段階の先は途轍もなく高いように考えられます。ロスはやっぱり偉かったと思います。


私の予想が一番外れたのは、仮説の第六段階の「覚醒」があくまでも全体行動につながると予想していた点です。ところが第五段階の受容を通り抜けると、医療崩壊を前提事実として受け入れてしまったままであったと言う事です。論理的にはそうなるはずで、受容段階は医療崩壊と言う事実を「受け入れる」過程ですから、五段階を経た者は医療崩壊を否定しない事になるからです。

どうも医療崩壊を受容すると言うのは、「医療崩壊を防ぐ」とか「なんとかしよう」の認識や行動を払拭してしまうと考えた方が良さそうです。言い方を変えれば、医師の全体行動によって医療崩壊に対処しようと言う意欲を捨て去った認識状態とした方が良さそうです。

全体行動と言うか、外向きの運動は、派手ではありましたが確かに労多くして、実りの少なかったものだったと思っています。まったくの無駄ではなく、それなりの成果と言うか、局所戦での戦術的成果はありましたが、戦略的にはさほどのものであったとしても言い過ぎではないでしょう。つまり外向きの運動で戦略的な成果を挙げることは非常に困難である事を受容していくのが五段階と考えます。

論理的帰結として外向きの運動による戦略的成果を期待できないとなれば、外向きの運動をあきらめ、内向きの運動に転換するはずです。


内向きの運動と言う表現がもう一つなんですが、あえて言えば全体の運動としての一挙の成果を狙うのではなく、個人として出来る範囲での個々の改善運動とすれば良いでしょうか。医療崩壊現象の中での個人としてのサバイバルでも良いですし、もうちょっと積極的にそういう状況で自分のポジションをより有利にする行動としても良いかもしれません。

個人の立ち位置は様々ですので、その戦略目標は各人各様になります。各人各様になってもそれなりの共通項には問題意識を抱きますが、なかなか一つの問題に集中する様な現象は減ると言う事です。それだけ利害関係が多様化します。そういう状況では従来の五段階説のとくに3段階目みたいな狂的な熱気状態ではなく、もっと冷え冷えとした青白き情念みたいな状態に転化していると見ます。

仮説としての修正は、

    第六段階:覚醒・・・医療崩壊を冷静に理解し、その中での自分のポジションを確保する
もしこのブログが続いていたら、今日の仮説をまた検証したいと思います。