マスコミよ これでもヒマか 夏の夜

どうも下手な川柳で申し訳ありません。元歌はもちろん「円城寺 あれがボールか 秋の空」で、'61の日本シリーズで、小池のエラー、寺田の落球、そして審判の判定に激怒した南海のエース・ジョー・スタンカにまつわるエピソードにまつわるものです。この話を書き始めると今日のエントリーは終わってしまうので、機会があればまた後日にさせて頂きます。

奈良死産騒動で「ベッドが空いていた」と非難の槍玉に奈良医大が挙げられています。産経新聞に至っては論説で「妊婦たらい回し また義務忘れた医師たち」とまで酷評しています。本当に奈良医大の産科医たちは非難に値するほどの事を行なっていたのでしょうか。病院の勤務実態はなかなか表面化しにくく、ましてや特定時日の勤務実態なんて調べようも無いのですが、非難に曝された奈良医大公式HPに事件当日の勤務実態を公表しました。もう御存知の方は多いかと思いますが、私も後追いながら分析してみます。


時刻
当直産科医の状況
19:06前回帝王切開した患者A(妊娠36週)が出血のため来院 診察終了後、患者A帰宅
19:45重症患者B(妊娠32週)妊娠高血圧のため搬送入院、病状管理に努める
23:00重症患者Cの手術終了(9:00〜手術開始)医師一人が術後の経過観察を実施
23:30患者B 早剥のため手術室へ搬送、緊急帝王切開実施(00:08終了)
00:32患者Bが病室に帰室 重症であったため、医師一人が朝まで術後の処置等におわれながら、他の患者への処置等を応援 当直外の医師1名も、重症患者の処置応援にあたり2:30頃まで勤務
02:54患者D(妊娠39週)陣痛のため緊急入院、処置
02:55救急隊から1回目の入電(医大事務当直より連絡があり、当直医一人が事務に返答)「お産の診察中で、後にしてほしい」
03:32患者E(妊娠40週)破水のため緊急入院、処置(患者Eの入院により、産科病棟満床となる)
04:00開業医から、分娩後に大量出血の患者Fに関する入電があり、搬送依頼あるが、部屋がないため他の病棟に交渉を開始
上記の直後に救急隊から2回目の入電(医大事務が説明したところ電話が切れる)「今、医師が、急患搬送を希望している他医療機関医師と話をしているので後で電話をしてほしい」
05:30産科満床のため、患者Fを他病棟に緊急収容
05:55患者Dの出産に立ち会う その後も、患者Fの対応におわれる
08:30当直者2名は一睡もしないまま、1名は外来など通常業務につき、他1名は代務先の医療機関において24時間勤務に従事


この夜の当直医は2人です。そこに多忙で人手が足りないため応援医師1名が2:30まで勤務しています。この様な体制で、この夜の救急応需は、
  1. 出血で前回帝王切開患者A(妊娠36週)で外来受診
  2. 妊娠高血圧の重症患者B(妊娠32週)搬送入院
  3. 陣痛のため患者D(妊娠39週)緊急入院
  4. 破水のため患者E(妊娠40週)緊急入院
  5. 分娩後に大量出血の患者F搬送入院
この上で
  1. 別の重症患者Cの手術が23:00に終了し。
  2. 重症患者Bが胎盤早期剥離を起したため、緊急帝王切開を23:30〜00:08に行い。
  3. 患者Dは分娩
当然ですが14時間もの大手術の重症患者Cの術後の監視は必要ですし、胎盤早期剥離の重症患者Bの緊急帝王切開を「大学病院で行う」準備にも忙殺されたでしょう。もちろん分娩になった患者Dの立会い、破水を起している患者Eの監視も欠かせません。さらにさらに分娩後の大量出血の患者Fは産科病棟満床のため他病棟に収容の交渉を行い、もちろんそれに対する治療も1秒を争うものです。

ここに書かれている状態が忙しいかどうかですが、「忙しい」なんてものではありません。ちなみに、

  • 「普通に忙しい」なら陣痛と破水の患者を緊急入院させ分娩させるレベルです。
  • 「かなり忙しい」は胎盤早期剥離で緊急帝王切開を行うレベルです。
  • 「猛烈に忙しい」は分娩後の大量出血の処置に当たる事です。
私は小児科医なので、この忙しいのレベル分けが産科医の感覚とずれていたら「是非」ご訂正ください。この夜は、忙しいの3段階レベルが団体さんで訪れていますので、「忙しい」を越えて「地獄の一夜」と表現しても足りないかと思います。そのうえ、この地獄の一夜を過ごした当直医2名は、
    当直者2名は一睡もしないまま、1名は外来など通常業務につき、他1名は代務先の医療機関において24時間勤務に従事
これでも私も元勤務医ですから、これにやや近い状態の経験があり、この勤務を読んでも「御苦労様だな〜」と平和な感想を言う事は不可能ではありません。しかし本音で言えば、狂気の勤務状態です。一つ処置を間違えば生死に関わるギリギリの状態の緊張と、その処置にギリギリの時間しか与えられず、そのうえ次から次に「これでもか」の新たな重症患者の到来です。

今回は例の死産妊婦の救急要請との関連が問題視されていますが、


2:55 第1回入電時応援医師は帰宅しており当直2人体制。23:00に緊急手術が終わった重症患者Cと0:08に手術が終わった緊急帝王切開患者Bを中心の病棟管理を1名が行ない、もう1名は2:54に緊急入院した患者Dの診察中。
4:00 第2回入電時分娩後大量出血の緊急搬送要請あり、病床確保に1名は追われる。もう1名は3:32に緊急入院した破水患者Eと、5:55に出産となった患者Dの処置に追われる


私は医師の目から見ても「断った」のは妥当な状況判断と思います。また返事も「拒否」ではなく、本当に手が回らないので「後にして欲しい」です。こんな状況で搬送されても、まともな治療が行なえないの正しい状況判断です。医師は自分の力の限界を心得るのも重要な資質であり、無闇矢鱈に引き受けて患者の生命健康を損なってはならないからです。

それともっと重要な事は、二人は当直医です。夜間勤務医ではありません。医師の当直については平成14年3月19日付基発第0319007号「医療機関における 休日及び夜間勤務の適正化について」として、厚生労働省労働基準局長名で行政通達がなされており、

 常態としてほとんど労働する必要がない勤務のみを認めるものであり、病室の定時巡回、少数の要注意患者の検脈、検温等の特殊な措置を要しない軽度の、又は短時間の業務を行うことを目的とするものに限ること。したがって、原則として、通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと。

これに奈良医大の産科医の労働実態が適合しているかどうか御判断頂きたいと思います。

  • 「措置を要しない軽度の、又は短時間の業務」・・・どうしたって読めません。
  • 「通常の労働の継続は認められない」・・・・・・・・・・・それどころかバリバリで継続しています。
  • 「救急医療等を行うことが稀」・・・・・・・・・・・・・・・・・これが稀なら、なんでも稀になります。
  • 「一般的にみて睡眠が充分とりうるもの」・・・・・・・彼らは一睡もできていません。
通達無視の、当直とは名ばかりの違法夜間勤務が行なわれているのです。違法夜間勤務が行なわれている産科医に対し、産経新聞論説は、

 それにしても、痛みをこらえる患者をたらい回しにする行為は許されない。理由は「手術中」「ベッドがない」といろいろあるだろうが、患者を救うのが医師や病院の義務である。それを忘れてはならない。

この論説を読んで何回か774氏様が寄せてくれたインパール作戦時の軍司令官牟田口廉也中将の訓示を思い出します。インパール作戦は御存知の通り、極めて杜撰な作戦計画の下、前線の実情を知ろうともしない後方の司令部の無謀な作戦指示で大惨敗を喫した作戦です。投入兵力8万6千人に対して、帰還時の兵力は僅か1万2千人まで減少、戦死者3万2千人余り、戦病者は4万人以上(一説には餓死者が多数)とされ、ノモンハン事変と並ぶ旧帝国陸軍の愚戦の象徴です。

牟田口軍司令官の訓示は、1944年7月3日に作戦中止指令が出された1週間後に行なわれています。つまり惨憺たる結果を受けて行なわれた訓示です。高木俊郎著「抗命 インパール作戦―烈師団長発狂す」(文芸春秋、1966)P248から引用します。

 しばらく待たされていると、軍司令官が出て来た。そして、あるいは激しく、あるいは悲痛な声をあげ、時には涙声さえまじえて、山上の垂訓ならぬ訓示を始めたのである。

 「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなけれぱならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にはならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕で行くんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる。毛唐の奴ばらに日本が負けるものか。絶対に負けやせん。必勝の信念をもってやれ。食物がなくても命のある隈りやり抜くんじゃ。神州は不滅であることを忘れちゃいかん」

 この声涙共にくだる一時間余りの長広舌のため、あちらでも、こちらでも脳貧血を起して卒倒する者が続出した。高橋、薄井の両参謀も倒れた。それでも彼はいっこうに山上の迷言狂訓をやめようとはしなかった。神州不滅論も時により結構だが、栄養失調の私達将校には立って居ること自体が懸命の努力なのである。大尉以下の下級者には、人間が食うような物は何一つ当らないのだ。ようやくにして訓示も終り、彼は専属副官を従えて軍司令官宿舎の方へ帰って行った。私達は救われた思いで、それぞれの瀬降りへ帰ったのである。

私たちは牟田口軍司令官の訓示を狂気の沙汰と感じます。それがごく普通の感覚です。しかし産経の論説は牟田口軍司令官の訓示と、どれほどの差があると言うのでしょうか。インパールで牟田口軍司令官は「無茶口」「鬼畜」とまで言われていますが、産経論説にもこの言葉が十分当てはまると私は思います。