効果はあってほしい

どこかのサイトで医療崩壊の「主犯は誰だ」の人気投票をやっていたかと思います。今朝確認しようと思ったら行方不明でしたが、たしかマスコミと医療訴訟は上位に来ていたかと思います。この二つだけが原因ではありませんが、目に見えて影響力が強いのだけは肯定できます。うちだけではなく、何か事あるごとに槍玉に上がり、辛辣な非難が溢れています。

「なんとかならんか」の声はそのたび繰り返されましたが、一方は圧倒的な情報発信力を誇り、もう一方は国権の最高機関のひとつですから、ネットでどれだけ憤慨しても蟷螂の斧にも及ばないと詠嘆してきた現実があります。ネットは力をつけてきていますが、まだまだ遠く及ばないと言うのが冷静な現状分析でした。

今でも力の差は歴然ですが、少し流れが変わりつつあるように思います。目にされた方も多いと思いますが、今年に入りネット世論をほんの片隅ですがマスコミが取り上げ始めたのです。あの程度の取り上げ方で何が変わると言われそうですが、これまで完全無視で、ネットなぞ井戸端会議程度と見下してきたマスコミの姿勢の大きな変化では無いかと考えています。ネットサイドが思っているよりマスコミサイドは深刻に受け止めている可能性があります。

マスコミの中でもとくに新聞社はネットの力の進展を脅威と受け止めていると考えています。ネットの発展は新聞と言うメディアを衰退、崩壊させる威力を持っています。それだけにネットに関しては信用できない与太話が飛び交う危険なところであるとのキャンペインを続けています。もちろんネットがどういう話題で盛り上がろうと完全無視の態度を貫いていたと言えます。存在を認めること自体が衰退につながるとの認識かと考えています。

それでも無視が出来なくなってきたのが現状かと思います。現場は知りませんが、新聞社とて情報源のそれなりの部分をネットに頼りはじめている可能性が強いと考えます。情報源だけではなく書かれた記事の反応をネットで密かに探っているとも考えています。表には殆んど出てきませんが、それぐらいはこの御時世やっていない方が不思議です。新聞社の公式レベルではどれほどかはわかりませんが、新聞記者個人レベルではありうることです。

新聞記者も物書きの一人です。書いた物の反響を知りたいのが人情です。ネット以前ではそれを知る方法としては、投書、電話が関の山です。批判の多い記事もあったかもしれませんが、批判の内容を知るのは新聞社のみで握りつぶせば終わりです。社内的に反省点ぐらいの広がりはなく、日々流れる新しいニュースの中にやがて忘れられます。優れた批判の投書があったとしても新聞社内から外に二次的に広がることはありえなかったと言うことです。

ただしネットは違います。批判は不特定多数の匿名者から縦横無尽に発せられます。もちろん玉石混交ですが、非常に厳しいところをえぐった批評も少なからず出て来ます。投書と違ってそれを読み共感する人間が増幅します。うちのような貧弱なサイトでは多寡がしれていますが、有力サイトなら万を軽く越えるアクセスが寄せられます。巨大掲示板となると数十万とかの単位に簡単になります。そうやって出来上がったネット世論はマスコミが無視しききれるものでなくなってきたと感じています。

こういうリアルタイムの批評の場にさらされるのは新聞と言うマスコミが誕生して初めてのことでは無いかと思っています。ネット前は少々雑な内容の記事を垂れ流しても問題となる事はなく、批評も握りつぶせば終わりで、情報の操作は思いのままであったかと考えています。それが記事の内容の端々にまで、その道の専門家がチェックを入れ、矛盾点、理解が粗雑な点に辛辣な批評が加えられ、その批評を不特定多数の目に常にさらされる状況に脅威を感じても不思議ではありません。

医療に限って考えてもそうなるだけの下地が出来上がりつつあります。医療系ブロガーがどれほどおり、その中で医療危機をもっぱらにして扱っているサイトがどれほどあるかを正確に把握している人間はいません。有力サイトには本物の医師が集っており、あらゆる診療科の専門家が各種事例に専門的な解説や議論を繰り広げています。さらにそこには医師のみではなく、訴訟問題ならプロの法曹家が意見を寄せますし、その他の問題でもその道のプロが現場の実感を持って意見を述べます。

ここで肝心なのは新聞報道へのネットサイトの批評と記事内容を比較して、ネットの方が信用できると考える人間が確実に増えつつあると言う事です。もちろん酷いまでの医師批判はまだまだ大勢力ですが、そうでないと考える勢力がマスコミをもってしても完全無視を続けられなくなってきたと考えています。

「なにをお花畑な」との批判はあるでしょうが、それぐらいは希望をもって書きたいという願望とお笑いください。そうでも思わないと日々のエントリーに張りが出ないじゃありませんか。人間、夢と希望があって初めて継続が出来るものです。来年には今日の願望がもっと実感できるようになっていますように。