ちょっとハイキング

密かな趣味の山歩き。冬は膝が痛むので中断していましたが、春三月になってボチボチと低めのヤマから再開しています。3/5に置塩山で今年の始動で、昨日は利神山に登ってきました。どちらも山と言うほどのものではないのですが、鈍った体に心地よい汗をかかせる位には歯応えがあります。

利神山は山頂に城跡があります。もちろん建物は無く石垣だけが残っていますが、これが異様なぐらいに立派な代物なんです。三層の天守閣があったと伝えられる本丸を中心に、二の丸、三の丸、それ以外にも立派な曲輪が幾つもあり、ぎっちり石垣で構築されています。この城自体は近世城郭の作りだったそうで、天守閣だけではなく、二層の隅櫓をいくつも持ち、石垣の上には白塀が延々とめぐらされ、もちろん瓦葺であった事は言うまでもありません。瓦であった証拠に城跡に無数の瓦の残骸が今も散らばっています。

地元の人の手入れも素晴らしく、登山道はもちろんの事、城跡の草刈も手入れがしっかりなされています。しかし手入れだけでは限界があり、石垣の崩壊が無残にもかなり進んでいます。登山道の入口に「危険」の看板が立っており、無視して登ると崩れ方の度合いはたしかに「危険」でした。いつ大規模に崩れても不思議は無い状態なのは、見ただけでわかりました。

麓の町は平福と言って兵庫では少しは知られた美しい町です。もともとは城下町として発展し、廃城後は宿場町として栄えたとの事です。宿場町であった証拠に本陣であった跡があります。町の作り自体も街道を中心に軒を並べる形になっており、明治時代の絵図を見るとびっしりと商店があったことがわ苅ります。昭和初期の絵図も残っており、昭和初期でもそれなりの商店街であった事をうかがわせます。

現在でも立派な旧家がたくさん残っていて、昔を偲ぶ事は容易です。また住人もこの町並みを守るために、新築であってもおの景観を壊さないようなデザインにしているのには感心しました。なんとか観光で町おこしをしようという気持ちが痛いほどわかるのです。

おそらく目標は飛騨の高山とか、そこまでいかなくても丹波の篠山ぐらいを考えているのではないかと思います。ただし町自体の衰え方は著しくて、古い立派な家はたくさんあるのですが、空き家の数がすごく目立ちます。かつてびっしり軒を並べていた商店街も、今ではほんの数えるほどが地元の人のために辛うじて生き残っているだけで、覚えている限りでは、小さな食料品店が2、3軒、散髪屋さんが2軒ほど、後は肉屋さんと建具屋さんと木工所が1件づつあったぐらいです。

他は釣具やさんが1軒あって妙に感心していたら、後で資料館の人に聞くとおばあさんが一人でやっているらしく、これも遠からず閉店になるかもしれません。昔を偲ばせる店は味噌の醸造元が今でも1軒健在なのと、ひなびた町には不釣合いなぐらい立派な料理旅館がありました。

平福も町の西側にできたバイパスの道の駅にはそこそこ人が集まっているのですが、そこから平福の町に回遊する観光客は極端に少なかったですね。町は全部歩いても30分かからないぐらいの規模なんですが、ほとんど誰にも出会いませんでした。理由を考えていたのですが、町並みは必死で維持しているようなんですが、それ以上は手が回らないのが原因のような気がします。

平福の観光を考えると、城跡を整備し容易なアクセスルートを作る事。町並みの中に回遊するための目玉になるポイントを幾つかもうける事でしょう。見て回るところがあれば人はひと通り見ようと思いますし、観光客が一定の人数で回ると、それを目当ての店が作られていくとは思うのですが、あそこまで町が枯れると先立つものがどこにも無いというところだと考えています。

城に登って、町をぐるっと回る観光ルートの開発の構想ぐらいは私が言うまでもなく、案ぐらいはきっとあるとは思うのですが、過疎と高齢化に苦しむ町ではそんな予算はどこにもないと言ったところでしょうか。またこの町も平成の大合併で辺縁の町になってますから、町としての予算は中心部にかけられるでしょうから、今以上の整備は困難なような気がします。

昨日町を歩いても住人の努力にも関わらず、ゴーストタウンの気配が確実に忍び寄っています。「もったいないな」とは思ったのですが、個人でどうにも出来るわけはなく町を後にしました。また何年か先にも訪れるとは思うのですが、せめてもの発展だけは祈っておきます。