医療崩壊の序曲

どんな職業でもそうかもしれませんが、社会人になれば交友関係なんて案外狭いもので、学生時代のように本音を叩きつけ合う事なんてほとんど機会は無い様に思います。せいぜい仲の良い同僚と酒場でウダをあげるぐらいで、これも相手をしっかり見定めておかないと、ウダの内容で後日足許をすくわれる可能性があります。

ところがネット社会の到来で匿名で本音が語られる場が出来てきています。有名なのは何かと物議を醸す2chが有名です。なんとなく敬遠していたのですが、福島の産婦人科医逮捕事件を契機としてのぞく様になっています。書いてあることは正論、極論、暴論入り乱れの観がありますが、医者が本音をあれだけ叩きつけ合っているのをはじめて見た様な気がします。

医者という職業の見栄から、たとえ医者同士でも余程のことが無い限り議論は建前論に終始する事がほとんどです。見事なぐらい綺麗事しかならべないものです。また医者という人種は一致団結とか結束という言葉に縁の遠い所があり、どんな案件であっても自説は曲げる事はほとんどなく、ましてや他科の問題については思い切り冷淡というのもまた特徴です。

ただ医者全体が感じている共通の不満や不安というのがあり、少し漠然としていますが私も感じてはいます。不安や不満は漠然としているが故に正体が正確につかみかねていましたし、問題が大きすぎてかえって枝葉末節にとらわれ「木を見ても森が見えない」状態であったような気がします。

日本の医療制度は優秀です。優秀だけではなく「非常に」をつけても全く恥しくないものです。医療水準は分野によっては超先進領域でやや遅れを取っている部分があるかもしれませんが、全体としてトップクラスです。少なくとも病人が特殊な難病でない限り世界のどこにもヒケを取るものではありません。さらにそれは貧富の差無く全国民にほぼ平等に、安価に提供されています。

病人ごとの事情により必ずしも平等と感じてない方もおられるでしょうが、少なくとも先進国の中ではずば抜けて平等であるのだけは間違いありません。さらに驚くべき事にそれだけ高度で、平等で、安価な医療が非常に安い費用で構築されているのです。日本の医療費が先進国中でダントツに安いのもこれもまた国際統計から明白です。

安い費用でそれだけの医療水準を保っているのですが、どこかにしわ寄せが来ます。端的に言えば医者の給与待遇です。日本では医者の給与といえば高給の代名詞として取り沙汰されてますが、国際比較での額面は安価で、労働条件は途轍もないのが実情です。アメリカが日本の医療制度を調査に来てあまりの医者の待遇の凄まじさに採用は到底無理の結論して帰ったぐらいです。

それでも医者はたいした不満も漏らさず診療に従事してきたと言えます。ところが風向きがようやく変わりつつあるようです。国際的にも最低水準の医療費をさらに引き下げる診療報酬削減、「医者は高給」との意見での公立病院での給与の削減、一方で患者ニーズのためとして人数体制からして無謀な診療体制の強要、医療サイドから見て言いがかり以外の何者でもない訴訟沙汰とその無残な敗北。

2chなどの医者世論はまだまだ少数派でしょうし、劣悪化する条件でも患者のために命を削っている医者がまだまだ多数派ですが、2ch的医者世論が今後ドンドン強まる事だけは容易に予想されます。匿名掲示板の常で暴論、極論も少なくありませんが、読めば素直に共感する医者が普通の感覚です。そこで求めている事は医者として、人間としてごく普通の要求です。夜は寝たい、休日は休みたい、なんて要求が医者世界では今まで非常識とされていましたが、その感覚自体がやはり非常識であると医者も感じ始めたのです。

非常識と感じ始めた医者は普通の労働条件を要求します。一遍には無理でしょうが、医者にとっても非常識と感じられる勤務条件の職場を敬遠するようになります。高い使命感と滅私奉公は別物と区別する医者が確実に増えてきているということです。

どうなるか?近い将来、もっとも早ければ今春にも吹き出るのではないかと懸念する声もあります。あまりに劣悪な条件の医療機関への就職拒否であり集団辞職です。これがある一定の規模で起こればドミノ現象を誘発します。ただでも勤務条件の悪い職場で定員割れがおこれば、その医療機関は崩壊します。地域医療がある程度ギリギリの状態で支えていたとすれば、一つの医療機関の崩壊の影響は残存医療機関に波及し、過重な負担がかかった残りの医療機関の勤務条件は急速に悪化し、悪化したところから医者は逃げ出し、地域医療自体が連鎖で崩壊します。

悪夢のような話ですが、医療関係者の間では起こりうる事と懸念する人は少なくありません。今春に小規模でも起これば来春は規模はさらに拡大し、数年の間に地すべりのように医療崩壊がおこる悪夢が語られています。さらに悪い事に医者以外はこの危機を全く感じておらず、崩壊を加速する政策を矢継ぎ早に繰り出しています。

医者と医者以外の一般人の認識のギャップは埋めがたいものがあると感じています。心ある医者は崩壊を防ぐべく待遇改善を訴えています。ところが待遇改善を訴える医者には「わがまま」のレッテルを貼り付けて誰も省みもしません。一度行くとこまで行くのでしょうか。行かないと気づかないのではないかと思う今日この頃です。でも行ってしまうと再建には膨大な手間とヒマがかかると思うのですが、そういう心配をする人は非常に限られています。私だけの杞憂であれば良いのですが。