私は抵抗勢力か?

昨日の神戸新聞社説を読んでのものです。テーマは「医療改革大綱/中長期課題に耐えうるか 」というものです。原文は与党の改革大綱への評価で、まずまず最大公約数的な意見で無難なものです。ほとんどは気にする事も無い文章ですが、総合評価とも言うべき部分で妙に引っかかります。ここだけは原文を引用しておきます。

全体としては、各方面への“配慮”というお定まりの決着というほかない。ただ、これまで族議員や関係団体、官僚が大きな影響力を握っていた構図をある部分崩したことは評価されていい。

これもスンナリ読めば「小泉改革」の成果への評価でしょうが、どこか間違っている気がしないでもありません。文中に言う族議員とは自民党厚生族でしょうし、関係団体とは日本医師会の事を指し、官僚とは厚生官僚であることは明らかです。この3グループはたしかに医療行政に大きな影響を及ぼしていました。どのグループも立場こそ違え、自らのグループへの利益、利権を確保しようとしていたのもこれまでの経緯で明らかです。

それが部分的に崩れて誰が新しく影響力を持ち、それが果たして正しい方向への導き手になるかについての論評が抜け落ちています。原文だけ読めば新しく影響力を持った勢力ないしグループは無条件に善の勢力であると定義してあるかのようです。巨額の金銭が動く政治がらみの事に清廉潔白、公平無私のグループが大きな影響力を持つことなんてあり得ないとまず断言しておきましょう。

ではこの社説が暗示している新しい勢力は誰かという事になります。この医療改革の大本の流れを作ったのは言うまでもなく経済諮問会議です。それを後押ししているのは小泉首相であり、財務省です。それ以外の新しい勢力は私の知見の中にはありません。そんなに手放しで喜ぶほど正しい勢力なんでしょうか。

「正しい」という用語は使い方により変化してしまいますが、この新しい勢力の絶対的な正義は「財政再建」です。このテーマはまず基本的に今の日本の情勢では間違っていない事は認めます。膨大な財政赤字の解消は国家的課題であることは誰の目にも明らかであるからです。その手法として歳出削減と歳入拡大が挙げられる事もこれ以外に方法も無いので論議の余地はありません。

ここで国民が歳出削減に期待しているのは何でしょうか。無駄な公共投資や公務員の定数削減、国会議員なんかも減らして欲しい筆頭です。目に見えて分かりやすいものとしては、完成しても赤字が必至の高速道路や、そんなに作って誰が使うか意図不明の空港なんかがすぐにも頭に浮かびます。そういう歳出削減をして欲しいのであって、年金、健康保険を始めとする社会保障まで手を引かれた「小さな政府」の実現を国民がどれほど望んでいるかは疑問に感じてしまいます。

医療分野もそうです。総選挙大勝、小泉首相の政治基盤が磐石となり、虎の意を借りる狐のように発言力を増した経済諮問会議と財務省は、国民の健康と生命を守る絶対基盤である医療に対してトンデモ理論を唱え、それに反論するものに対し「抵抗勢力」とレッテルを貼り付けてふんぞり返っています。象徴的なのは「病気は好況になれば増え、不況になれば減る。医療も経済活動に連動する」です。この理屈がいかに矛盾に満ち満ちているかはもう何回もBlogに書いたので繰り返しませんが、ほとんど紙一重まで寄り切られそうになっています。

「現役並みの高所得がある高齢者にも公平に負担を」はまだ理解できますが、「公的保険でカバーできない部分への民間保険の創設を」はいったい何を言いたいのかよくわかりません。国民は公的保険を払うのは嫌いだが、民間保険ならいくら払っても大好きだととの理論でしょうか。それよりなにより「自己負担の増加により受診抑制をする」なんて事が正義のように語られる世界のうすら寒さに恐怖します。「金が無い奴は受診などするな」と言っているのと同じなのですが、それに誰も異を唱えない、それが正しい事だと信じてるグループが正気だと思うのに困難を感じます。

医療界での旧勢力も好ましからざる事を多々積み重ねてきましたが、社説が歓迎する新しい勢力もまた正気の集団とは思えません。新しい勢力は医療をすべて算盤勘定に置き換えるだけの思考法しかなく、100%現場を見ていない連中の帳尻あわせ議論しかありません。私は社説が期待する新しい勢力は「破壊勢力」としか見えません。でもこういう意見は「抵抗勢力」なんでしょうかネ。