女児殺害事件

誠に痛ましい事件でまず被害者のご家族の方に深く哀悼の念を捧げます。私も似た年代の女児を持つ親だけに無関心でいられません。

当たり前と言えば当たり前なんですが、再発防止策がいろいろと出されています。これだけの事件ですからこの次は防止したいと思うのは人情です。ところがこれがまた現実味の乏しい防止策ばかりで、読んでいる方としては「評論家は気楽で良いな」とぐらいにしか感じられません。

まずある評論家は「日本では後手に回りすぎている。アメリカでは性犯罪者にはGPSを装着させ、子供に近寄らせないようにしている。」とありました。こんな策が出来ないのは言うまでも無い事です。前提として犯罪者は罪を犯し、刑に服し、罪を償ったら社会に復帰できるというルールがあります。もちろん前科者として冷たい視線にさらされるのはいたし方無い部分もありますが、前科者だからといって一生GPSを装着させるルールを作るのは一朝一夕にはいきません。さらにそのGPSですが、体にでも埋め込むというのでしょうか。持って歩くだけなら、確信的に犯罪を起こすとする人間がどこかに置いておくのはごく当たり前の事です。それとそこまでしても初犯には無力です。

またこれは必ず出てくる意見ですが「地域社会の連携により子供を守る」というのがあります。非常に美しいフレーズで、一見これしか解決策は無い様にも見えますが、余りにも現実味が乏しい事にすぐ気がつきます。このフレーズにある地域社会とは、地域社会の誰に期待するのでしょうか。すぐ思い浮かぶのは小学校であれば保護者である両親でしょう。両親が当番制で通学路の要所に立ち番となり、これを監視するというのが話の趣旨である事が多いです。

両親といいながら想定しているのは母親ではないかと考えます。このフレーズでの前提は「家庭では母親が専業主婦として家を守っている」がないと実現不可能です。地域により異なるでしょうが、共働きという家庭形態は珍しいものではなく、いまや常識に近いものがあります。もっと言えばそういう社会になるように国を上げて推進してきた経緯もあります。となると大部分の家庭は母親といえども立派に仕事を持ち、父親同様そういう出務に応えられないのは自明の事です。そうなれば少数派の専業主婦の母親にのみ負担がかかり、負担ばかりがかかる専業主婦の母親から不満の声が出るのも理の当然です。

地域社会の定義を少し広げて「リタイヤ世代まで広げては」の意見もあります。これも期待し難い人々です。夏の猛暑の中、冬には雪の舞い散る中ににどれだけの人手が期待できるのでしょうか。自分の孫でも含まれていればまだモチベーションは保てるでしょうが、見ず知らずの赤の他人のためにそこまでする人がどれだけいるというのでしょうか。ましてや駆り出される理由が実際に子を持つ父親、母親が仕事で忙しいからでは、半永久的に続く立ち番に人手を動員し続けるのは不可能と思うのは私だけでしょうか。

さらにこの論議でいつも「わざ」と抜いているのでしょうが、子供の活動は帰宅後も続きます。家に帰れば一歩も家から出ないわけではありません。帰宅後に友達と遊ぶ世界はごく当たり前のものです。論議で熱中するのは授業終了後に帰宅するまでの間であって、その間に犯罪が起こると学校の責任であるから、責任問題が生じるから困るとの本音が見えていやな部分です。

結局どうしようもないとの結論になってしまいます。確信犯として女児を狙う犯罪者を防ぐ有効策は事実上無いということです。欧米諸国ではこういう犯罪者への対策にも困っていますが、営利誘拐の多発時代にもとうの昔になっています。そのため城塞のような私立学校や、行き返りがボディガードつきでクルマで送迎なんてのも当たり前の風景であります。住宅街自体もそれを囲むフェンスで覆われ、警備会社が不審者を根こそぎ入れない世界も出現しています。犯罪者に対してはそこまでの自衛が必要という事なんです。

日本はアメリカの後を追っているといわれていますが、何年か前に見たそんな風景が日本でも出現するのは、もう間近と感じさせられる今日この頃です。