医療費削減と経済成長率

いくら書いても最終的に削減されるでしょうが、声だけは上げても罪にはならないでしょうから書いておきます。

病気の発生率、発生数はそう簡単には操作できません。少なくとも今の世の中で「増やそう」と発想する人間は少ないでしょうから、減らそうとすると大規模な予防活動が必要になります。当然のように巨額の予算が必要で、なおかつそれだけの予算を注ぎ込んでも予算に見合うだけの成果が必ずしも得られるかどうかは、やってみなければわかりません。ただし少なくとも「減らそう」と思えば何かをする必要があり、何もせずに自然減を期待しても何も起こりません。

また病気の数は経済活動で左右されるものではありません。好景気になったからといって病気が増えたり、不景気になったから病気が減ると言うこともまたありません。ある程度関連するのは生活水準で、国が豊かになって上下水道、ゴミの処理などが整備されるとそれに関連する大規模な伝染病は減少します。ただしある一定水準以上の生活水準が維持されていれば、その中での好景気、不景気で病気の数は変わりません。正確な統計は知りませんが、少なくともバブル全盛で日本中が好景気で沸き立っている時と、バブル崩壊後の平成大不況時で病気の数が変わったことを示したデータはなかったかと記憶しています。

一方で人口構成の高齢化は間違いなく病気の発生数を上昇させます。すべての人間が免れえないものに老化現象があり、これによる病気の発生数の増加はどんなに努力しても防ぎ得ないものがあります。さらに老化現象による病気はしばしば重症化し、慢性化し、それこそ棺おけまでご一緒せざるを得ないものが数多くあります。

財政再建のために医療費削減が「正義」のように唱えられています。その削減指標に「経済成長率」を前面に押したてる不可解さを指摘します。医療費と経済成長率がどんな関係があるというのでしょうか。医療費と言うからそろばん勘定の話になりますが、病気の発生率・発生数と経済成長率にどんな密着な関係があるというのでしょう。まずそれを経済諮問会議の面々はわかりやすく誰でも納得できるように説明すべしです。

私は医者であり、ある意味専門バカの一員ですが、医学にも公衆衛生学という分野はあります。公衆衛生学は乱暴に言い切ると社会と医療の関係を研究する学問です。通常の医学が一人の患者の病気をどうしようと言うに対して、公衆衛生学は社会と病気の関係がどうなっているかを研究する学問です。卒業してそれなりの年数が経ってしまい変わった部分はあるかもしれませんが、私の知る限り「景気が良くなれば病気が増え、不景気になると病気が減る」なんて学説が証明され、発表され、少なくとも医療関係者の常識になっているとは聞いたこともありません。いったい経済諮問会議の皆様はどういう論拠を持って「経済成長率と病気の発生数は連動する」か説明できるか聞いてみたいものです。

病気と言うのは経済成長率と無関係に発生します。いくら不況になっても減りませんし、ましてや好景気になったから増えるものではありません。また患者は一部の例外を除いて好きで病院に通いつめているわけではありません。治れば行きたくありませんし、一生縁がないのがある意味理想ともいえます。患者は必要だから通院します。苦しみを少しでも和らげるために通院します。それは「国の財政が苦しくなったから遠慮してくれ」と言われてもやめられないから通院します。

近代国家における医療とはなんなんでしょう。国民が不意の病気になったとき、安心できる医療を提供するシステムがそうだと考えます。日本は曲がりなりにもそういうシステムを完成させています。またこういうシステムは好景気で国庫が潤っている時は容易に維持できます。しかし真価を発揮するのは不景気で国民が苦しむ時に安心感を持って提供する事ではないでしょうか。

医療費削減の方針は値段を吊り上げて受診をあきらめる患者を増やすの一点だけです。これは医療の原点からすると時代に逆行しているとの発想はないのでしょうか。近代の医療は、医療を受けられずに苦しむ患者に平等に医療を行なうシステムを築く事に全力を傾注してきたはずです。

根本発想の出発点が全く間違っている議論が、世間で大手を振って濶歩している現状を憂慮します。