自然派分娩と飛び込み分娩

11/17付Asahi.comより、

 朝来市和田山町の山あいにある朝日地区で、農業や養蜂などを営みながら自給自足の生活を実践している大森げんさん(29)、梨紗子さん(30)夫婦に10月、三男かやちゃんが生まれた。妊娠の確認以外は医師にも助産師にも頼らず、定期的な妊婦検診も一度も受けなかった完全な自宅出産。17日に産後1カ月を迎えるが、母子ともに健康だ。

 かやちゃんの誕生は10月17日午後11時ごろ。同6時ごろから陣痛が始まり、本格的に産む体勢を取り始めて3時間ほどで生まれた。「産むのは3人でもういいわ、と思うほど痛みはあったけれど、スムーズでした」と梨紗子さん。

 長男つくし君(6)を助産院で、次男すぎな君(3)を病院で産み、毎月の妊婦検診などで自分の思いとは違う出産になった経験から、「私がリラックスできたら赤ん坊にもストレスのないお産になる。体重を増やさないなど妊娠中の自己管理さえできれば家族だけで産める」と言い切る。

 大森家の田畑は農薬や化学肥料を使わず、耕しもしない自然農法。煮炊き、風呂、暖房の燃料はまき、食事は玄米に菜食が中心だ。できるだけ自然の恵みをそのまま生かす生活だ。梨紗子さんは出産直前まで田畑や家の周りの草刈り、まき割りを無理のない範囲で普段通りこなした。「山で百姓をしていると、どんどん不自然なことはしたくなくなる。自然の力で暮らしてきたからこそ自宅出産をやり通す力が私にあった」と話す。

 夫のげんさんは「適切な出産方法を選ばずに最悪の結果になれば罪に問われるのかなと思ったこともあるが、出産に向けてきちんと準備をしているので大丈夫と思えるようになった。信じてあげることが大事です」と言い、家族の理解と協力の大切さを強調する。

 母子保健を担当する朝来市の担当者は、妊娠中の適切な健康管理や異常分娩(ぶんべん)のリスクに備えるためにも、産科での受診や妊婦検診は欠かせないとしている。大森さん夫婦にも受診を勧めていたが、自宅出産の意思が固いことから様子を見守っていたという。

 梨紗子さんも「本当に家で産みたいと望み、自己管理のできる人でないと危険です」と、安易な気持ちでの自宅出産を戒める。一方で、「家で産みたい人が家で産むことができ、何かあったらサポートできるような環境があったらいいな」とも願っている。

    妊娠の確認以外は医師にも助産師にも頼らず、定期的な妊婦検診も一度も受けなかった完全な自宅出産。17日に産後1カ月を迎えるが、母子ともに健康だ。
心から良かったですねと申し上げておきます。ただ誰にでも出来ない事は仰っておられます。
    山で百姓をしていると、どんどん不自然なことはしたくなくなる。自然の力で暮らしてきたからこそ自宅出産をやり通す力が私にあった
「自然」と言うからにはやはり妊娠・出産以外の日常生活も「自然」とともに暮らす事はやはり必要条件と思います。この一家は妊娠・分娩時のみ、付け焼刃の「自然」にしたのではなく、日常生活も「自然」と暮らしているので「やり通す力」が備わったしています。これぐらい筋金入りで無いと、自然派分娩と名乗るのはおこがましい様な気がします。
    なお今日の「自然派分娩」とは、一切の医療管理を行わず自宅分娩を目指される方を指すとさせて頂きます。助産師によるものであるとか、映画の題材になった某産科医院はこれに含めません。これは比較の次元が違いすぎるからです。
ただなんですが、自然は優しい面もある一方で、非常に厳しい面もあります。誰も「自然淘汰」を優しい言葉と受け取らないと思います。自然と暮らすとは、自然の厳しい条件と共存可能なものだけです。自然生活と対比する言葉として文明生活としても差し支えないと思いますが、文明は自然の脅威を和らげ、本来の自然なら淘汰されてしまう人間を生かす側面もあります。


ソースが探し出せないのですが、確かオランダのデータだったと思います。記憶に頼って書くので誤解している部分があるかもしれませんが、オランダの分娩システムは、ある時点で医療管理によるリスク分娩と、助産師による分娩に振り分けられるそうです。ここはごく簡単には、

    ハイリスク分娩:病院管理
    ローリスク分娩:助産師管理
それでもって両者のデータを比較すると、病院管理の方が成績が良かったとなっています。病院と助産師の振り分けがどういう基準でなされているかの問題もあるでしょうが、ここは単純にハイリスク分娩の医療管理は、ローリスク分娩でのトラブル発生率を凌ぐと解釈します。それぐらい現在の産科医療は進歩していますし、日本であっても同レベルかそれ以上の水準を保っています。

ただこれぐらい産科医療が進歩しても、ローリスク分娩のトラブル回避は100%ではありません。母体が健康な方が安全な分娩につながる可能性は高いですが、高いだけで絶対ではありません。あくまでも相対的なお話であって、どれだけ厳格に妊娠中の管理を行おうとも、それでも難産になることはあり、死亡に至る事もあります。これは医療が管理しても未だに防ぎきれるものではありません。

それと産科医療の水準の高さは、計画的に管理を行ったものに効果を発揮します。土壇場で担ぎ込まれても、それなりに効果はありますが、十全な能力を発揮できる訳ではありません。だからこそ医療管理と呼ばれているわけであり、妊娠中のトラブルを早期に発見し、それへの早期介入、またはトラブルを予期した体制を予め準備する事によりリスクの軽減を行なっています。


日本の新生児死亡率は一番古い統計は人口動態総覧(率)の年次推移で確認すると、明治32年(1899年)で1000人当たり77.9人です。引用した統計を確認してもらえばわかるように、大正年間までほぼ横這いです。新生児死亡率のお隣に書かれている乳児死亡率も1000人当たり150人程度が大正時代まで続いています。新生児死亡と乳児死亡をあわせると、実に1000人当たり200人を軽く越える死亡数があった事が確認できます。

妊産婦死亡率も人口統計資料集(2008)で確認できますが、一番古い明治32年(1899年)で1000人当たり4.01人(10万人当たり409.8人)です。この二つの統計から新生児死亡率、乳児死亡率、妊産婦死亡率の1900年から2000年までの推移を表にしてみると、

Year 乳児死亡率 新生児死亡率 妊産婦死亡率
1900 151.3 73.5 3.98
1910 170.3 73.1 3.33
1920 142.1 58.1 3.30
1930 124.1 49.9 2.58
1940 90.0 38.7 2.29
1950 60.1 27.4 1.61
1960 30.7 17.0 1.20
1970 13.1 8.7 0.49
1980 7.5 4.9 0.20
1990 4.6 2.6 0.08
2000 3.2 1.6 0.06
*単位は1000人対です


劇的にデータが改善しているのは一目瞭然です。データの改善には生活水準の改善に伴う栄養状態の向上や、衛生状態の向上も寄与しているとは考えられますが、やはりその多くは産科医療による妊娠・分娩管理が大きい事に異議がある方は少ないと考えます。ただしこれはあくまでも医療による管理があった上でのお話です。無ければこの数字が2000年水準より後退するのは誰でも判る事です。

自然派分娩がどれほどのデータかはわかりません。こういうデータはあんまりなさそうで、アメリカあたりなら逆説的に存在しそうですが、私の手では見つかりませんでした。表にしたデータも、たとえ戦前のデータであっても、その多くは助産師(当時は産婆かな)以上の医療管理を受けていると推測され、医療管理をまったく受けていない自然派分娩の割合は多くないと考えられます。

非常に大雑把なんですが、それでも8〜9割程度は成功するのかもしれません。一方で医療管理を行えば99.5%以上の成功が期待できます。この差が医療管理を行わない場合のリスクになり、これを重視するか、軽視するかです。私は医師として、子の親として重視します。また医師として医療管理での分娩を重視する様に啓蒙に努めます。



さてなんですが、

    家で産みたい人が家で産むことができ、何かあったらサポートできるような環境があったらいいな
ここに書かれているサポートが、土壇場の医療利用を意味するのであれば、堪忍して欲しいところです。そういう医療の利用は一時期話題になった野良妊婦とか飛び込み分娩とさほどの変わりはありません。ある意味もっと悪質で、飛び込み分娩はそれでも分娩を医療機関で行なう意思はありますが、自然派分娩は家で粘ってどうしようもなくなってからサポートを求める事になるからです。

本当はどっちもどっちなんですが、自然派分娩と言う美しそうなキーワードでの医療機関利用はサポートで、野良妊婦から飛び込み分娩を試みるものは社会問題とするのはおかしな区切り方です。どちらもやっている事の実質は変わらず、医療機関側の負担は自然派分娩の方がかえって重い事も十分ありえます。この重いと言うのは、大多数の医療管理でより安全に分娩を行いたい妊産婦に迷惑をかける事も意味します。

ただしサポートの意味するものが、何かあった時に慰めてくれる人間を求めるのなら、少し話は変わります。そういうサポート制度を求められるなら、グリーフ・ケアの専門家にでも御相談されることをお勧めします。