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8/4付奈良新聞より、

手術3日後 男子死亡 - 遺族「説明なし」【県医大病院】

 先月8日に橿原市四条町の県立医科大学付属病院で心臓の手術を受けた1歳2カ月の男児が、意識が戻らないまま3日後の11日に肝不全で亡くなった。遺族には、同月末に数十枚に及ぶカルテが手渡されたが、詳しい説明はなかったという。遺族は病院側に「子どもが亡くなった本当の原因を教えてほしい」と、納得のできる説明を求めている。

 遺族によると、死亡した男児橿原市内の女性(32)が昨年5月に同病院で出産。その日のうちに先天性心臓奇形「ファロー四徴症」と診断された。ミルクを飲むと吐き戻して苦しみ、鼻孔から入れた管を通して栄養をとった以外はよく笑い、元気に成長していたという。

 今年6月半ばの検診後、病院から「手術日が決まった」と電話があり、7月6日に入院。7日は笑い声が周囲に迷惑になるからと散歩に出るほど元気で、8日朝も手を振って手術室に入ったと…

亡くなられた男児の御冥福をお祈りまします。この記事は末尾が「…」となっているのですが、この先は

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「続き」が事実上読めないとなるとWeb公開部分だけで情報を判断せざるを得なくなります。そういう事情を踏まえて後をお読み下さい。


患児の病気がTOF(ファロー四徴症)であることは記事からはっきりしています。それも術後3日目の死亡となっています。男児が死亡されたのは悼ましい事ですが、TOFの根治手術の成績は向上したとは言え、全員が助かる手術ではありません。TOFの根治手術は、人工心肺装置を使って心臓を停止し、その間に心臓を切り開いて障害のある部分を手術で矯正するものですから、想像するだけでリスクの高い手術です。

どれほどのリスクがあるかですが、日本小児外科学会のデータでは、

2000年の全国集計ではファロー四徴症根治手術の手術死亡率は2.3%

「2.3%」と書けば97.7%は成功するとも読めますが、書きようによっては50人に1人以上は死亡します。手術は一般的に安全・簡単と思われている虫垂炎の手術でも死亡率はゼロではなく、ましてやTOF根治術のような難度の高いものなら、残念ながらもっと高い死亡率は存在しますし、少なくとも私が生きている間にこれをゼロにするのは絶対に不可能です。

ではどんな病気なのかですが、日本小児外科学会からの病態説明では、

 乳幼児期に心雑音あるいはチアノーゼで気付かれることが多い病気です.チアノーゼとは,酸素化の不十分な血液が流れるために皮膚や唇が青紫色になる現象で,はじめは啼泣時や運動時に限ってみられるますが,次第に安静時にもみられるようになってきます.特徴的な所見として蹲踞(そんきょ:運動時にしゃがみこんでしまう現象で,座っているほうが立っている姿勢よりも心臓に戻ってくる血流が減少し症状が軽くなるためです)や,太鼓バチ指などがみられるます.チアノーゼが高度になると酸素化を良くしようとして赤血球数が増加するため血液の粘稠度が増し,血栓症をきたすことがあります.

これだけで「なるほど」とわかるほどの人がどれだけいるか不安なので、もう少し解説を加えておきます。TOFの心臓の障害は、

  1. 心室中隔欠損
  2. 肺動脈狭窄
  3. 右室肥大
  4. 大動脈騎乗
人間は酸素を燃料にして生きています。酸素は血液(赤血球)が体の隅々に運びます。その血液は肺で不要になった二酸化炭素を放出し、酸素を取り込んでいます。通常の血液の流れは、
    大静脈 → 右房 → 右室 → 肺動脈 → 肺 → 肺静脈 → 左房 → 左室 → 大動脈
これも基本的な心臓の解剖を知らないと頭痛がするかもしれませんから、さらに解説を加えます。心臓は人間のエンジンともポンプと呼ばれますが、ここはポンプすれば少しはわかりやすくなります。心臓と言うポンプは機能的に2つのポンプを持っています。
  1. 肺に静脈血を送る右心機能
  2. 全身に動脈血を送り込む左心機能
もちろん心臓は1つですが、右と左が壁で分けられ、違うポンプ機能を持っています。右側の右心は静脈血を肺に送り、左側の左心機能は肺で動脈に変わった血液を全身に送るわけです。肺は静脈血を動脈血に変換する装置です。簡略化して書くと
    静脈血 → 右心 → 肺(静脈血を動脈血に変換)→ 左心 → 動脈血
TOFではまず心室中隔欠損があります。心室中隔とは左右の心臓を分けている壁です。欠損とはその壁に穴が空いている事です。穴が空いていると動脈血と静脈血が穴を通して混ざり合います。ただそれだけなら、全身に血液を送る左心ポンプの方が強いので、静脈血に動脈血が流れ込むだけになります。ところがTOFでは同時に肺動脈、すなわち右心ポンプが肺に血液を送り込むルートが狭くなっています。

つまり右心ポンプは

  1. 左心から血液が流れ込む(心室中隔欠損
  2. 肺に血液を送るのにパワーがいる(肺動脈狭窄)
二つの余計な仕事が必要になり、そのため右心の心筋が肥大し、右室肥大が起こります。簡単に言えば左心より弱いはずの右心ポンプが強くなります。右心ポンプが強くなれば、心室中隔欠損の血液の流れが「左 → 右」の一方通行だけではなく、動脈血・静脈血が左心ポンプでも混ぜられるような状態になります。もうちょっと簡単に言うと、静脈血の肺を通る分が少なくなり、動脈血にならずに体に送られる状態になります。

もう一つ大動脈騎乗ですが、大動脈が本来の位置より右心側に近いところ(心室中隔欠損部に近いところ)に位置し、ちょうど右心と左心を跨る様に存在するため、左心ポンプの血液だけでなく、右心ポンプの血液も送り込みやすい状態になっています。TOFの病態生理をシンプルに書こうとするのは無謀なんですが、

  • 心室中隔欠損により動脈血と静脈血が混じりあう(大動脈に送り込まれる酸素量が減る)
  • 右室肥大、すなわち右室のポンプ機能増大により静脈血がより動脈血と混じりやすくなる
  • 大動脈の騎乗により酸素の少ない血液が全身に送られやすくなる
  • 肺動脈狭窄により右心から肺に血液が送られにくくなる
TOFの重大な症状の一つに無酸素発作があります。啼泣時や運動時に肺動脈狭窄がさらに悪化し、事実上塞がってしまう状態です。肺動脈が塞がれば血液は肺に流れる事が出来ず、酸素を取り込めなくなり窒息状態になり、すみやかにこれを解除しないと窒息死を起こす事になります。これはTOFであるかどうかの確定情報はありませんが、おそらくTOFないしはそれに近い病態生理の心臓疾患による死亡事故を解説した事があります。2007.7.30付nikkannsports.comより、

 宮崎医大病院(現宮崎大病院)で2003年、研修医の未熟な採血の結果、心臓病の長女(当時2)が呼吸困難で死亡したとして、宮崎県清武町に住む父親(42)が、大学に損害賠償を求めた訴訟の判決で、宮崎地裁は30日、約2400万円の支払いを命じた。

 判決理由で高橋善久裁判長は「研修医に経験を積ませることよりも、呼吸困難を起こす危険性を低下させることを優先すべきだった」と指摘した上で「注射針を刺す回数を最小限に抑える義務を怠った」と病院側の過失を全面的に認めた。

 判決によると、長女は03年9月12日、心臓病手術の輸血準備のため採血をされた際、研修医が2回失敗するなどして計4回の注射を受けた。長女は痛みや恐怖で号泣、その後も2回激しく泣いて呼吸困難に陥り、同日死亡した。

 高崎真弓病院長は「上訴などについては判決文の内容を検討して決定したい」とコメントした。

これについての解説は心臓病の子供の採血に書いていますので、興味のある方はお読み下さい。

物凄い大雑把にTOFの状態を書けば、血液が肺に流れにくくなり、そのため全身に酸素を送りにくくなっている状態と考えてもらえれば良いかと思います。そういう状態を助長し悪化させる異常が四重奏で存在するのがTOF「ファロー四徴症」です。患児の術前の状態が記事にありますが、

ミルクを飲むと吐き戻して苦しみ、鼻孔から入れた管を通して栄養をとった

ここから推測される状態は、ミルクを飲むだけで心臓に負担がかかり苦しむ状態とも解釈できます。



術前の患者の状態は情報不足でなんとも評価できませんし、手術そのものの情報も無いので評価できません。確認できる情報は、

意識が戻らないまま3日後の11日に肝不全で亡くなった

不幸にも2%の死亡確率に該当した事はわかります。遺族が嘆き悲しみ、この説明を求めるのは当然ですが、

遺族には、同月末に数十枚に及ぶカルテが手渡されたが、詳しい説明はなかったという。遺族は病院側に「子どもが亡くなった本当の原因を教えてほしい」と、納得のできる説明を求めている。

この記事から受ける印象は、病院側はカルテのコピーを遺族の前にド〜ンと積み上げ、ロクな説明もせずに無愛想に去っていったになっています。実際がどうであったかはもちろん不明ですが、常識的にそんな無愛想な対応をするとは思えません。手術の説明は難易度が高いものほど入念に行なわれます。心臓手術はそのもの自体が全体に難易度が非常に高く、心臓手術の易しいとされるものでも、相当な大手術と考えて間違いありません。

私は小児科医なので心臓手術の術前説明をした事はありませんが、心臓カテーテル検査の検査前説明はした事はあります。心カテの検査前の説明の心がけは「最低限、家族が涙ぐむまで説明せよ」でしたが、話に聞いた心臓手術への説明は「泣き崩れるまで説明せよ」だったはずです。それぐらい厳しい説明が必要なのが心臓手術です。

術後に本当に「詳しい説明」がなかったのなら病院側の言うまでもない手落ちですが、心臓疾患の病気の説明は簡単ではありません。なんとかシンプルにTOFの病態生理をやってやろうと思っても、上述した通りの醜態です。

「詳しい説明」をするためには、まず心肺系の解剖、生理機能の基礎知識の理解が必要です。それを理解した上で、そこに障害が起こり、それが心肺機能にどんな影響をもたらしているかの理解も基礎知識として必要です。この辺の事は医学生でも手強いところで、試験のときに知識整理がゴッチャになって、よく間違うところでもあります。

さらに知識として、心臓の障害をどういう手法で解消しようとしていたかの理解も必要になります。人為的な手段によって障害を解消しようとしているわけですから、かなりの負担を患者に与えます。人間相手ですから、機械の修理に様にはいきません。基本的な手術法は決まっていても、最後は心臓を開いてみて臨機応変に対応する必要があります。術前検査でもわかる範囲は限定されます。

何回の説明が行なわれたかは不明ですが、手術は7/8ですから、たとえ解剖を行なっていてもおそらくまだ結果は出ていません。医師が行なう「詳しい説明」は想定される死亡原因のメカニズムだけになります。想定されるメカニズムの説明も嫌でも専門的になります。どう頑張っても「素人でも簡単にわかるように」は難しいところがあります。



ここでなんですが、

    納得のできる説明
これがどういうものを具体的に求められているかは記事情報からまったく不明です。病院側の説明に理解しにくいところがあって、その部分が「納得」出来ないのであれば、その部分の説明をさらに求めれば通常は説明してもらえると思います。今どきの病院で、「後の説明は不要」と尊大にふんぞり返るところは珍しくなっていると思っています。さらに病院側も情報提供を拒んでいるわけではなく、カルテも「数十枚に及ぶカルテが手渡された」として遺族に手渡しています。

病院側の説明があり、カルテも開示されても「納得のできる説明」を求めるとして、マスコミにまで訴えた真意はなんであろうかと言うところです。遺族に不満があるのだけは記事から窺えますが、それ以上はわかりにくい記事です。もっとも引用した以外の記事は「記事の詳細は本紙をご覧下さい」になっており、ここにきっと病院側との詳細なやりとり、具体的にどこに不満があるか、または納得できない理由が書かれているとは思います。

そうでなければ、まるで遺族が自分たちが求めている説明、たとえば「病院側がミスを認め謝罪せよ」にならないからゴネていると、曲解すらされかねない記事内容になっています。個人的には遺族にはそんな邪まな意図は一片たりともなく、複雑な心臓疾患の手術の理解に難儀しているだけだと思っています。

奈良新聞も「記事の詳細は本紙をご覧下さい 」を非公開にするのは商売として構いませんが、無料公開部分で読む人に余計な誤解を招く内容にならないように注意して欲しいところです。そうしないと純粋に「真実」を確認したいだけの遺族の心情が曲解され、「訴訟でゴネる気か」と早トチリする人間も出現するでしょうし、「病院がまた悪い事をしている」と早合点する人間も出てきます。

もちろん実際にどういう展開になっているかは「記事の詳細は本紙をご覧下さい」部分の記事が不明なのでわかりません。