ツーリング日和20(第8話)バイク女子になるぞ!

 今日はサヤカに相談と頼みがあって会ってる。

「バイク女子ねぇ・・・」

 あきれたように答えるな。女がバイク乗って何が悪い。

「マナミに似合ってない」

 バイクに乗るのに似合うとか似合わないなんか・・・無いとは言えないだろうけど、そもそも似合う女ってどんなだよ。

「格好の良い女だよ」

 あれか、スタイル抜群で、皮のツナギぐらいをびっちり着込んで、

「金髪のブロンドでレイバンのサングラスでっかいハーレーに跨ってる」

 うん、あれは似合ってると思うけど、そんなバイク女子なんかホンマにおるんかいな。いないとは言わないけど、それって単にモデルみたいな女がバイクに乗ってるだけだろうが。

「マナミにハーレーは似合わない」

 ほっとけ。これだって親からの遺伝だからどうしようもないだろうが。マナミは顔がブサイクなのは自覚があるけど、スタイルだってよろしくない。まず背が低い。女だから高ければ良いってものじゃないけど、

「チンチクリンよね」

 うるさいわ。そこまでチビじゃないぞ。それとだけどスリム体形でもない。

「子豚型かな」

 殺したろか。が、言い返しにくい。どうにも肉が付きやすい体質なんだよな。そりゃ、日ごろの努力が足りないと言われればそれまでだけど、

「結婚時代の痩せてた写真も見せてもらったけど、あれって細くなって良くなったというよりゾンビみたいだった」

 そこまで言うか。親友だろうが。もうちょっと言葉を飾りやがれ。マナミが悪いなりにもマシに見えるのは今の、

「子豚型」

 口をワイヤーロープで縫い付けてやるぞ。それとも溶接してやろうか。とにかくハーレーは乗らない。

「それは賛成だけど、バイクに乗りたいって死にたいの」

 バイクが危険そうな乗り物であるのも否定はしない。そりゃ、クルマと比べたら体を剥き出しにして走ってるものね。あんな状態で転んだら痛いだろうし下手すりゃ死ぬかもしれないけど、ホントに危険の塊だったら販売どころか製造だって禁止されてるはずだろ。

 そもそもだよ、バイクに比べたら安全そうなクルマだって年間でどれだけ死んでるかじゃないの。バイクに乗れば死ぬのだったら、そもそもあれだけ走ってるわけがないだろうが。

「そりゃ、電車だって飛行機だって事故があれば死ぬけど、選りもよってバイクとはね」

 うるさいわ。とにかくバイクに乗りたいの。

「わかった秋野瞬にかぶれたんだ」

 うむむむ。バレたか。秋野瞬はツーリング小説で大人気なんだ。マナミだけでなくあれを読んでバイクを乗りたくなったのは多いはず。それぐらいバイクやツーリングの魅力を紹介してくれているんだもの。

「わからないでもないけど、流行物に弱いね」

 ほっとけ。サヤカだってそうだろうが。そんなことは置いといてサヤカにわざわざ相談に乗ってもらっているのは、どのバイクにするかを選ぶのに付き合って欲しいからなんだ。だって一人で行くのは寂しいじゃないの。

「バイクって言うけど、そもそもマナミは免許持ってないじゃない」

 そうなんだよね。学生の頃にクルマの免許を取るように親に勧められたけど、あんなものが必要とは思わなかったのよね。クルマも田舎に行けば生活必需品で、一家に一台どころか一人に一台なんだけど、都会ではもてあますとしか思えなかったんだもの。

 バイク女子になりたいのなら自動二輪の免許を取らないと行けないのだけど、クルマと違ってバイクには普通免許みたいなものはないぐらいは調べた。クルマにだって中型とか大型免許はあるけど、

「あれってバスとかトラックのためのものじゃない。普通免許があれば軽自動車からランボルギーニまで乗れるから欲しがる人なんて少ないと思うよ」

 そうだと思う。問題の自動二輪免許だけどあれはエンジン排気量での区分になってる。

 原付・・・五〇CC未満まで
 小型・・・一二五CC未満まで
 中型・・・四〇〇CC未満まで
 大型・・・制限なし

 ここも正確には小型と中型は普通自動二輪免許で、大型は大型二輪免許だし、原付も五十CC未満が原付一種、小型は原付二種になる。自動二輪免許でクルマの普通免許に近いのは強いて言えば大型二輪免許だけど、

「だったらそれ取ったら良いじゃない」

 簡単に言うな! こんな区分があるってことは、当たり前だけど上位免許ほど取るのに難度が上がるだけじゃなく、時間もおカネもかかるんだ。それとだぞ、クルマは普通免許さえあればランボルギーニはともかくアルファードだって、エルグランドだって運転できる。

 これじゃわかりにくいか。アルファードやエルグランドみたいな大きなワゴン車だって体格とか体力に関係なく運転できるんだ。でもバイクはそうじゃない。バイクは乗り手を選ぶんだよ。

「たしかにね。マナミにハーレーは物理的に無理よね」

 あんなものに乗れるわけがないだろうが。だから乗りたいバイクに合わせて自動二輪の免許取得を考えることにしたんだ。そのためにはまずどのバイクに乗るか決めないと話が始まらないだろうが。

「話はわかった。付き合ってあげる」

 持つべきものは友だと思った。サヤカを誘ったのは別にバイクに詳しい訳じゃない。サヤカの持ってるコネが欲しいだけ。

「連絡はしといたよ」

 サヤカとバイク屋に。初めて入るな。自信はないけどかなりの大型店で良さそうだ。だって街で見かけるバイク屋はもっとこじんまりしてるものね。サヤカが店長から挨拶を受けてるな。これでド素人でも鄭重に扱ってくれるはず。

 こっちが大型バイクか。これは大きいよ。見るからに重量感があるし、エンジンだってゴツイ。これぞバイクって感じだし、いかにも走りそうだけど、

「マナミには無理そうね」

 御意だ。バイクは走らせる時はエンジンだけど、クルマとの最大の違いは人力で動かさなければならない部分があるところなんだ。たとえば駐輪場から引っ張り出すとか、停車してる時だって自分の足で支えないといけない。だけど大きくなるほど車体だけじゃなく重くなるから、

「こっちが二五〇CCだけど、こんなもの乗れそう?」

 む、無理そうだ。日本では色んな規制の関係で二五〇CCの人気が高いらしいけど、それでもこんなに大きいんだ。街中で見た時にはそこまで感じなかったけど、近くで見るとタンクの存在感なんて半端ないわ。

「スーパーカブって今でもあるんだ」

 何を言ってるんだ。スーパーカブはホンダの、いや日本が誇る世界の名車だぞ。今だって郵便配達とか、新聞配達に使ってるだろうが。とはいえスーパーカブはパスだ。どうしてもね。

「スクーターにしておけばお手軽なのに」

 だから目指しているのはバイク女子なんだって。バイク女子がやりたいのはツーリングだ。そりゃ、スーパーカブやスクーターでツーリングをしてる人も知ってるけど、ここは形から入りたい。

「これなんか良さそうじゃない」

 クロスカブって言うのか。なになに、ホンダは小型バイクのバリエーションを増やすためにカブエンジンの派生モデルを展開してるのか。クロスカブも悪くないけどこっちのハンターカブもなかなか良いじゃないの。

 だけど無骨だな。無骨さがアピールポイントだと思うけど、バイク女子が乗るのだぞ。もうちょっとオシャレっぽいのはないのかな。

「だったらこれは。愛嬌あって可愛いじゃない」

 ダックスと言うのか。名前の通りダックスフントをモチーフにしてるデザインみたいだ。これなら女の子が乗っても似合いそうな気がするけど、こっちにもあるぞ。

「これも可愛い」

 モンキーって言うのか。猿というか小猿って意味だろうけど、これも見るからに可愛い感じがする。どこが猿なのかわからないけど、スタイルはオーソドックスな感じなのがまた良いよ。

 やっぱりバイクは丸目が良いと思う。タンクカバーも丸みを帯びたのがあって、リアにはショックアブソーバーがにょっきりみたいな感じ。こんなもの個人の好みだけの話だけど、

「グロムとかCB125Rは一目で却下だったものね」

 こんなもの見た目九割で選ぶものだろうが。モンキーのデメリットはタンデムが出来ないのか。言われてみればシートが少し短いかも。タンデムなんかする気もないから、よっしゃこれに決めたぞ。

ツーリング日和20(第7話)恩返しみたいなお話

 サヤカには感謝してるけど一つ疑問がある。サヤカは幼馴染ではあるけど、ここまでしてくれたのは意外だったんだよな。

「人はね、施した恩と受けた恩では温度差があるものなのよ」

 それはあると思う。いくらこちらが恩を施したつもりでも、受けた方からしたらなんでもないと言うか、当然と言うか、恩には感じてもすぐに忘れ去るってやつだろ。

「そういのを忘恩の徒っていうのよ」

 難しい言葉だな。

「恩知らずの薄情者ってことよ」

 でもそんなのが世の中多いだろ。

「まあそうなんだけど、逆だってあるんだから」

 あれかな、鶴の恩返しの世界みたいなものか。

「ちょっとずれてる気もするけど、それに近いかな」

 だとするとサヤカはマナミからなにか恩を受けたことになるはずだけど、そんなものあったっけ。仲が良かったのは間違いないけど。そしたらサヤカは昔を思い出すように話し始めたんだ。

「サヤカがあそこに引っ越してきたのは三歳の時だったんだ」

 だったっけ。

「その時のサヤカはとにかくワガママ姫だったんだよ。ワガママ過ぎてみんなの嫌われ者だったで良いと思う」

 そんなこと良く覚えてるな。でも言われてみてちょっと思い出した気がする。サヤカの家は裕福だった。そりゃ、子ども心で見てもお屋敷って感じだった。今でもあるはずだけど、前を通るたびに掃除がさぞ大変だろうと思ってたものな。

「サヤカは三人兄妹の末っ子だったんだけど、兄が二人だったでしょ。さらに兄とは十歳以上離れてたのよ」

 それは知ってる。サヤカのお兄さんに初めて会ったのは小学校の高学年だったけど、叔父さんかと思ったぐらいだったものね。

「その辺はあれこれ事情もあったのだけど、末っ子の娘だったからとにかく甘やかされて育ったんだ」

 だからワガママ姫だったのか。でもそんな記憶はないぞ。

「マナミは忘れちゃったみたいね。そりゃ、強引だったし力づくも良いとこだったからね」

 はて、何を言いたいやら。

「マナミはね、それこそ強引に遊びに連れ出してくれたのよ。それも遊びに行けば崖から突き落とされるわ、川に投げ込まれるわ、田んぼに放り込まれて泥だらけにされるわだったじゃない」

 あのなぁ、それは誤解があるぞ。それにだぞ、それじゃ、まるでマナミがイジメっ子みたいじゃないの。

「最初はそう思った。マナミが遊びに誘いに来るのが恐怖だったぐらい」

 そんなこと言うけど、ホイホイ出て来たじゃないか。

「そんなものマナミってあの頃のガキ大将で、どれだけ怖かった事か。逆らったら何されるかわかったものじゃないから出ない訳にはいかなかったのよ」

 男の子の遊びが好きだったのは否定しないけど、

「サヤカがワガママなんて言おうものなら怒鳴られたし、引っ叩かれた」

 そんな事もあったような・・・でもサヤカだって楽しそうに遊んでいたはず。

「マナミは怖かったけど、あれってサヤカに子ども世界のルールを教えてくれたと思ってる。そのルールをなんとか覚えたら、今度は優しくて頼れる人になったんだ」

 ようわからんな。

「ボヤ事件覚えてるよね」

 ちょっと待て。それもマナミの汚点とか黒歴史みたいなものじゃないか。マナミの家にはなぜかマッチがあった。親父がタバコを吸うためのはずだけど、なぜかライターじゃなくマッチだった。その着け方を教えてもらったのだけど、あれはあれで子どもにとってはある種の技術だった。

 覚えたらマッチを擦るのが楽しくなって持ち出して遊んでたんだよ。でさぁ、マッチに火が着いたらなにかに火を着けたくなるじゃない。すぐに火遊びになったんだよな。マナミなりに注意はしてたけど、

「物置小屋に火が着いちゃったのよね」

 あの物置小屋はなんだったんだろ。田んぼの間にポツンとあったけど、どう見たって使われてる形跡はなかったし鍵だってなかった。だから子どもの秘密基地として使ってたのだけど、火が大きくなり過ぎて手が付けられなくなったんだ。

 誰が持ち主なのかはっきりしないようなものだったし、ボロ小屋と言うより廃墟みたいなもので、中にだってゴミしかなかったからそれだけは良かったのだけど、それはもう怒られたなんてものじゃなかった。それこそ親父からボコボコにされたもの。

「サヤカも怒られたけど、あの時にマナミは、責任はすべて自分にあるって頑張ったじゃない」

 しょうがないだろうが。マッチを持ち出したのはマナミだし、

「でもあそこで火遊びしようと言ったのはサヤカだよ」

 だったっけ。

「なのにサヤカのことは口にも出さなかった。あの時にマナミは信じられると思ったの」

 昔過ぎる話だ。結局みんな怒られたし。

「それだけじゃないの。ああやってマナミがサヤカを受け入れてくれたからワガママ姫じゃなくなったんだ。マナミがいなかったら高慢なワガママ姫のままだった」

 それはなんとも言えないけど、サヤカの話を信じれば、少しは役に立ったぐらいは言えるかも。

「だからね、マナミから電話があった時に、なにがあっても助けようと思った。それだけじゃない、あのマナミが助けを求めてくれたのよ。ここで立たなきゃ女が廃る」

 人って様々だな。まあサヤカがそう感じ、動いてくれたなら素直に受け取っておこう。サヤカがいなかったら、あんなに上手く離婚できたかわからないもの。

「あんなものサヤカの人生を変えてくれたことに比べたら何もしてないのと一緒だよ」

 そう言うけど、離婚できた後もサヤカにはお世話になってる。こっちは実質的に天涯孤独だし離婚騒ぎでもなんにも取れなかったから無一文みたいなもの。

「あんなもの返すのはいつだって良いって言ったでしょうが」

 それに住むところも、生きて行くための仕事だって必要になる。

「当然のセットみたいなもの」

 そうは言うけど、このマンションを手配してくれたし、仕事だって世話してもらったじゃないか。お蔭でやっと落ち着いて暮らせるようになったものね。

「マナミ、もし何かあったら、すぐに相談してよね。マナミのためだったら地球の裏側からだって飛んでくる」

 次が無い方を願ってくれ。あんなもの一度経験すれば十分だ。でもこのシチュエーションでサヤカが男だったら惚れてただろうな。恋に落ちて結婚したって不思議じゃないだろ。

「それを言うならマナミが男だったら飛び込んでたよ。まあ、子どもの時は男だと思ってたのもの」

 あのな、女に見えなかったって言うのか。いくら子どもでも女にしか見えなかったはずだぞ。

「だからこの際だから性転換して男にならない。そしたらお嫁さんになってあげる」

 アホ言うな。マナミは女として生まれて来たし、女であることに不満はないぞ。それにだぞ、そもそも女から男にどうやって性転換するんだよ。

「出来ると言うか性転換手術として保険適用にもなってたんじゃないのかな。もっともどうやって男のアレを作るかわからないけど」

 男から女だったらちょん切って穴掘ったらなんとかなりそうだし、それやった男がいるぐらいは知ってる。タイはそういう手術で有名だったはずだ。だけど女から男への性転換もあるはずだよな。

 でも女から男になると穴を塞いだら一丁上がりにならないはず。男になるんだったらアレが必要になるはずだ。たしかにどうやって作るのだろ。そうだそうだ、アレにはタマタマもセットだ。なんか難度がどんどん上がるじゃないか。

 そうなると移植が出て来るけど、あんなもの提供する男なんているのだろうか。だってちょん切ったら二度と生えてこないだろうし、歳取ってもう使わなくなったからってちょん切らせる男がいるとは思えないもの。

「提供者となると、やっぱりいらなくなった人ぐらいしか考えられないよ」

 なるほどその手があるか。まだ若いはずだから都合は良さそうだけど、そうなると性転換手術って男と女がペアでやるのが原則とか。どっちも同じぐらい希望者がいるはずだから数だけは合いそうだ。

「でもそんな話は聞いたことがないな」

 そんな話はマナミには無縁だからもう良い。マナミは女だし、男が好きだし、子どもだって産んでる。クソ野郎には散々な目に遭わされたけど、次だって相手にするのは男だ。次が見つかればの話は神棚に上げさせてもらう。

「やっと元気が出てきて安心した。マナミはそうじゃなくっちゃね」

 サヤカの中のマナミのイメージはどうなってるんだよ。それでもこれって褒められてるのよね。なんかスッキリしないけど、どっちでも良いか。理由はともあれサヤカは親友だ。

「親友と言うよりポンユウかな」

 なんだそれは。朋友って書くらしいけど麻雀友だちみたいなものか。でも麻雀はやらないし、やったこともない。サヤカはやるのかな。

ツーリング日和20(第6話)後ろの秘密

「ところでさぁ、ホテルもトイレもバックだったでしょ」

 ラブホはバックだけどトイレは座位だ。後ろからやられるのは変わらないけど、同じじゃないな。そんな細かい違いはともかく、あんなシチュエーションで他の体位でやれるわけないじゃないの。

「それはわかるけど、マナミだっていきなりバックとか座位をやれた訳じゃないでしょ」

 サヤカが何を聞きたいかわからないけど、最初は正常位だ。バックとか座位でロストバージンした女なんていないんじゃないかな。体位のバリエーションは四十八手なんて言われてるけど、最初からすべてを極められるはずがないだろ。段々にあれこれ広げて行くものだ。

「とくにトイレなんか自分で腰を振ってるじゃない」

 あれも正確に言うとだね・・・

「やっぱりそうなんだ。マナミって妙なところで律儀と言うか、嘘を吐けないと言うか、正確性にこだわるところがあるじゃない」

 それは無いとは言えないけど、何を聞きたいんだよ。

「元夫が露出趣味に走り出した頃にはマナミだって感じてたはずよ。だから応じたんでしょ」

 そ、それは無いとは言えないけど、

「そこまでになってるマナミが、入れられる所をわざわざあんな言い方してるのが気になるのよ。それって普通の意味のバックじゃないはずだ」

 それはサヤカの気にし過ぎだって、

「でもだよ・・・」
「そう言うけど・・・」
「白状したらラクなれるから・・・」

 ・・・なんてサヤカはしつこいんだよ。警察の尋問かよ。ああ、わかったよ。そんなに聞きたいなら話してあげる。まずだけどあのクソ野郎の後ろへの執着はとにかく凄かった。関係を結んでしばらくしたら求めやがったぐらいだからな。

 だからだと思うけど愛撫の時も後ろへの責めは執念深いなんてものじゃなかった。あんなものどこで覚えたのかと思ったけど、やっぱりその手の風俗だろうな。そういうところがあるぐらいは知ってるからね。

 でもあれはちょっと好奇心レベルを超えてたな。なんかさ、クソ野郎は童貞を後ろで捨てたんじゃないかと思ったぐらいだったもの。

「童貞って後ろでも捨てれるの?」

 知らないよ。ロストバージンするには突っ込まれるしかないけど、童貞の正しい捨て方なんて聞いたことないもの。そんな事はともかくずっと求められてはいた。

「だから許した」

 あのね、誰が後ろに突っ込まれたいものか。後ろだぞ後ろ。いくら求められたって断固拒否してた。当たり前だろうが。あんなところを誰が使わせるものか。

「それはそうだけど・・・」

 でも来ちゃったんだよ。いわゆる倦怠期ってやつ。マナミじゃないよクソ野郎にだ。それで恐怖にかられちゃったんだ。マナミが男を繋ぎとめてるのはアレしかないじゃないか。それを失なったら捨てられ、逃げられるとしか思えなかったんだ。

 あの時は本当に必死だった。なんとかクソ野郎に振り向いてもらおうと悩みに悩んだんだよ。でもあれをする以上の手立てなんか思いも付かなかったし、その肝心のあれが倦怠期になってしまってる。

 切迫感と焦燥感で頭がおかしくなってた部分はあったと思う。で、ちょっと考えたんだ。後ろがメインのエロ小説とかエロ漫画ってあるじゃない。サヤカだって読んだことあるでしょ。

「BLだね」

 BL世界だったら初めてだってすんなり入るじゃない。入るだけでなくあんなに気持ち良さそうだし、入れられたらすぐに溺れ込むじゃない。

「そういう風に描いてあるけど」

 後ろは女だって男だって同じのはずだろ。男がああなれるのなら、女だって変わらないはずだって。それでも嫌だったよ。だけどさぁ、明日にも逃げられそうな危機感の前に決心したんだ。クソ野郎が求めてやまないものを満たすしかないって。

 それだって躊躇いまくった末だったのよ。他の手段でなんとかなるなら、そっちを選んでたもの。あれこそ万策尽きてって感じで差し出して開いたんだ。

「良かったの?」

 そんな訳ないだろうが。ロストバージンより十倍ぐらい強烈な体験で、ぶっ壊されるとしか思えなかった。あんなところに入れるものじゃないよまったく。

「じゃあ懲りた?」

 そんな事すら頭になかったんだ。あったのはこれでクソ野郎が満足してくれるかどうかだけ。だから必死だった。地獄のような時間がやっと終わって、クソ野郎が嬉しそうにしているのを見て喜んだぐらいだったもの。

「だから・・・」

 強烈過ぎる体験だったけど、クソ野郎の後ろへの執着は強烈だったし、一度許すと次からは拒めなくなってしまうのよ。クソ野郎を繋ぎ留めたい一心しかなかったから、やられ放題にやられたよ。

「で、どうなったの」

 サヤカも好きだねぇ。男の後ろだってマナミが経験したのと同じでひたすら痛くて辛いだけのはず。でもさぁ、痛くて辛いだけだったら誰が開くものかって話になる。あれはそれだけじゃないからBL世界が成立してるんだよ。

 女の前と同じってこと。最初は痛くて辛くとも、その先に夢と希望の伝承があるから開くんだよ。どんな伝承だって? そんなもの感じて良くなるしかないだろうが。その伝承をどんな女だって知ってるじゃないの。

 だから痛くて辛いものだってどれだけ聞かされてもロストバージンに臨むし、やったら本当に痛くて辛くたって、次を望まれると応じるじゃないの。ロストバージンで懲りて二度やらない女の方が珍しいもの。

「そ、そうよね」

 BL世界の原理も同じだって経験したかな。回数を重ねれば痛みも和らぐし、痛みが和らげば感じるが出て来るんだ。その感じるが高まればどうなるかぐらい知ってるから、そこに向かって努力を積み重ねるぐらいだよ。

 感じるが高まって、高まってついにイケた時はちょっと感動したかな。もちろん女なら誰もがそうなるかなんてわかんないけど、マナミはそうなった。嬉しかったな。ついにクソ野郎が望む状態になれたし、恐怖の倦怠期から脱出できたってね。

「男って後ろでも感じさせたいんだ」

 あったり前でしょうが! 男はね、やる時に征服感を求めるじゃない。前だって自分のモノで感じさせ、イカせる事が出来れば征服感が満たされるのよ。後ろなんてなおさらだよ。たぶん前より征服してやったの満足感は高いに決まってる。

「じゃあ、その代わりに女は二倍楽しめるとか」

 それは違うと思う。そりゃ、最後のところは人それぞれだろうけど、あんなとこ使うものじゃないと思う。だって使用用途が違うところじゃない。あそこは出すところで入れるところじゃないよ。

「だろうね。そんなに良いなら女は喜んで開きまくるものね」

 マナミだって望まれに望まれた末だし、あれだけの危機感と焦燥感に追い詰められ、他に取る手段がないからやむなくだもの。あんな状態にそうそうはならないと思うよ。

「そこまでダメになったら普通は別れるよ」

 その通りだよ。あの時のマナミは別れる選択肢が無いと思い込んでたのよね。だから最終手段として差し出したし、開いたんだよ。笑うなら笑って良いけど、今はあのクソ野郎なってしまったけどあの頃は最愛の男だったんだ。

 それこそ全身全霊で愛していた。良く言うじゃない、そんな男にはすべてを捧げ尽くすって。BLで男が後ろを開くのだって後ろしか捧げて開くところがないからのはず。

「女なら前があるものね」

 それで良いと思う。いくらすべてを捧げると言っても前までだ。マナミの不幸はたまたま後ろに異常に執着のある男を愛してしまった事だろうな。

「元夫は別格なところがあるとは思うけど、男ってそんなに後ろをやりたがる生き物なのかなぁ?」

 好奇心的な興味がある男はそれなりにいそうな気はする。そういう風俗だってあるぐらいだもの。けどさぁ、後ろが変態行為ぐらいは常識でしょ。だから本音では興味がある男がいても、自分が変態と思われたくないから普通は口にも出さないと思うんだ。

「女は?」

 後ろを商売にしている女はいるけど、あれだって商売上のもののはず。そりゃ、世の中広いから後ろに異常に興味がある女だっているかもしれないけど少ないと思うよ。それこそ知らんがなの世界だけど。

 サヤカの言う通り後ろも良くなって二倍楽しむ女もいるとは思う。けどさぁ、最初からそうなりたくて、前に引き続いて後ろを男に自ら望んで求める女なんてレアだろ。女の後ろって、どこかで無理やりとか、強引にとかが無いと開くものじゃないと思うもの。

「マナミが後ろを開かざるを得なくなったのは黒歴史だけど、そんな悲惨な経験だってひょっとしたら役に立つ・・・」

 さすがにその先は言うな。使えるどころか開発済にされてしまったけど、やっぱり使いたくない。

ツーリング日和20(第5話)十年の後悔

「それにしてもだけど、元夫って相当な趣味だよね」

 ああそうだ。とにかくマジの性欲マシーンそのものだった。マナミだって初めての男と言うより、あのクソ野郎しか知らないけど、あれはどう考えたって普通じゃない。とにかくケダモノのようにやりたがった。

「ケダモノだって発情期以外はやらないよ」

 だよな。良く性欲の強すぎるのを馬に例えたりするけど、馬だって発情期以外はやらないはず。考えてみれば年がら年中発情できるのは人間だけかもしれない。あのクソ夫の性欲レベルは年中発情している馬ぐらいだろう。

 そりゃ、もう狂ったようにやりたがった。やりたがったじゃなく、やりまくられた。あの性欲力と言うか、体力だけは尋常じゃなかったな。性欲オリンピックがあったら余裕でメダル候補だろ。

「そんなに・・・」

 あれは実際にやられてみないと実感できないと思うよ。

「モテたの」

 うんにゃ。マナミだって他人の事を言えないけど、あのクソ野郎がモテるとは思えないな。

「まさかの童貞と処女の組み合わせ」

 マナミは初めてだったけど、あのクソ野郎は違うと思う。それぐらいはわかるよ。だけどその相手が素人だけだったかどうかは疑問だな。少なくとも全員が素人じゃないだろ。その辺は確認できなかったけど、

「素人じゃないって買ってたの」

 そんな気がする。プロならカネさえ払えば出来るじゃない。だけどさぁ、逆に言えばカネがないと出来ないじゃない。女を買うって安いとは言えないはずなんだ。だからマナミが恋人になれば、

「安上がりに無限にやれる」

 そんな感じはあったかな。ああいうのを貪るようにって言うのじゃないのかな。他で例えればユーチューブ漫画なんかで出て来る食い尽くし系だろ。それにマナミもヴァージンだったじゃない。男って処女が大好きだから異常に燃えるって言うでしょ。

「どうしてあんなに処女が好きなのかなぁ」

 あれこれ理由は書かれているけど、雪が積もってるところに最初に足跡を残せるぐらいじゃないの。とにかく他に男を知らないからイチからすべて教え込めるのも楽しいらしいよ。

「会社の新人教育を面倒がる男は多いのにね」

 あははは、そうだよね。あれになるときっと違うんだろ。その辺はそんなものだとしかぐらいにしかわからないけど、あのクソ野郎は桁外れの異常な性欲をマナミに炸裂させまくりやがった。

 ああそうだよ、それをあのクソ野郎の愛だと思い込んでたし、あのクソ野郎に感じるようになるのも嬉しかった。女と男の関係だって初体験だから、そういうものだって頭から信じて疑わなかったもの。

 求められたら応じるのが当然だし、それこそが相手を満足させ喜ばせるすべてだってね。誰にだって黒歴史の一つぐらいあるだろ。

「恋は盲目ってやつ?」

 それもあるけど少し違うかな。その辺は自信がないけど、とにかく苦心惨憺してやっと捕まえた恋人じゃない。逃がしてなるものかが大きかった。

「それにしてもだけど・・・」

 あれがあのクソ男の性格なのか、どこかで仕入れた情報なのかはわからないけど、変態趣味は確実にあった。

「SMもありそうじゃない」

 あったらさすがに結婚してなかったな。あれだけ激しかったけどオモチャすら出て来なかった。これは素直にそういう趣味がなかったでも良いと思うけど、ひょっとしたらオモチャを使う時間も惜しかったのかもしれない。

 それでもSM系じゃなかったけど変態趣味はあったな。あれはSMというより羞恥系になるのかな。あのクソ野郎はトンデモないところでやるのが好きだったんだ。一種の露出狂で良い気がする。不貞行為の決定打になったラブホの行為もそうだ。

 あのクソ野郎は、わざわざラブホの窓を開けやがるんだよ。あんなとこを開けるなんて信じられるか。それだけでも相当なものだけど、開けた窓際にマナミを立たせるんだ。それもだぞ、そうしておいて後ろから突っ込みやがるんだ。

 あんなところであんなところをだぞ。誰かに見られそうと言うか、見た奴は絶対にいたはずだ。だって突っ込まれたからって終わりじゃない。そこからガンガン突きまくってくる。それもフィニッシュするまでだ。

 言っとくが一回限りとか、たまにじゃないぞ。ホテルでは毎回だ。それもあの性欲マシーンが一発なんかで終わるはずがないだろうが。きっと今だって変わっていないと思ったからあの作戦を提案したんだよ。

「他には?」

 トイレも好きだった。それもレストランのトイレだ。大きなレストランなら男女は別だろうけど、小さところなら男女共用じゃない。そこに連れ込まれてやられるってことだ。

「それって食事もしてるよね」

 ああデートの食事だよ。食事が終わればまるでセットとかコースみたいにやられたよ。あのクソ野郎が座ってマナミが腰を下ろすんだけど、それもあんなところであんなところへのドッキングだよ。もうわかると思うけどフィニッシュしてくれないと終わらないから、必死で腰を振ったものさ。

「だったらクルマでも・・・」

 あるに決まってるだろ。ドライブデートのお決まりみたいなもの。それも人目がないところならまだしも、観光地の駐車場でやらかしやがる。まあ駐車場なんて乗り降りしかしないところだから、必ずしも気づかれるものじゃないけど、何度か不審に思って覗かれた人と目が合って参ったもの。

「じゃあ、アオカンも」

 やるのはやった。けどさぁ、冬は寒いじゃない。春秋だって日によっては夜は冷え込むのよね。だったら夏って事になりそうなものだけど、今度は藪蚊に襲われる。だから三回ぐらいで終わってくれた。

「そんな相手を・・・」

 言うな。愛してしまった。わかってるよ。サヤカから見たら反吐が出そうなハズレ男だろう。マナミの夢はあれこれ変わったけど、最終的には平凡な結婚だ。だけど、だけどだよ、それさえハードルが途轍もなく高かった。

 そんなもの見ればわかるだろ。これでも生まれ時から付きあってるからな。どこからどう見ても一円ブスだ。一円ブスって意味を知ってるか。一円しか価値がないじゃないぞ、これ以上崩せないぐらいブサイクって意味なんだよ。

 クソ姑からも言われまくったし、遺伝だとまで抜かしやがった。そこまで侮辱されても言い返せなかったぐらいだ。だってどう見たって遺伝だろうが。親父はマントヒヒだし、お袋だって高校のときのあだ名はミタだぞ。

 ミタって家政婦のミタのミタだ。あれを演じてるのは男だぞ。それも男のように背が高いって理由ですらない。お袋もチビだったからな。ミタってあだ名の由来は、それぐらい色気もクソも無かったって事なんだ。

「ちょっと落ち着いてよ」

 落ち着いてるって。だからあのクソ野郎で満足した。あれでも男だ。こんなチャンスは二度と巡ってくるものか。露出狂ぐらい我慢できる範疇だ。あれぐらいは我慢しないと男なんて捕まえられないのがマナミだ。

 露出狂がしたいなら合わせる以外にないだろうが。やりまくりたくないなら、満足するまでやらせる以外にどうしろって言うんだよ。望まれたらどこでもなんでも開いたよ。それ以外に何ができるって言うんだ。

 五年も耐えたのだってそうだよ。次が無いからに決まってるだろ。それだけしか価値がない女だってこと。それでもね、やっぱり後悔はしてる。そこまでする価値がない男だったのはサヤカの言う通りだもの。

 この十年なにやってたんだろうね。ハズレ男に血道を挙げまくり、気が付いたらもう三十四歳だ。いや、三十五歳だって足音を立てて近づいて来てる。

「四捨五入したらアラフォーだ」

 うるさいわ。サヤカだってそれは同じだろうが。それでも無理やりでも良く言えば一通りの経験だけは出来た。ロストバージンだって出来たし、あれで感じることも出来たし、イクとこまで行けたもの。

 さらに言えば妊娠だって出来たし、結婚も出来たし、子どもだって産めた。ついでに離婚までのフルコースだ。それが黒歴史になったのは運命だろ。しょせんは望んだらいけない夢だったのさ。

「そんなことがあるものか!」

 ビックリした。突然大きな声で怒鳴るなよな。

「マナミはそんな女じゃない。それで終わるはずがないだろ。もっともっと幸せになれるはず、いやならなきゃいけない女だ。マナミの不幸はハズレ男に入れ込んだからだけ。それぐらいの失敗は誰にでも起こりうることだ」

 誰にでも起こりうるのは否定しない。結婚して夫婦になるってまさに異次元ワールドだった。そもそも相手の男がハズレかアタリなんか夫婦にならないとわからない部分が多すぎると思ったもの。

 もちろん夫婦になって付いてくる余計なオマケもね。ありゃ、オマケと言うより、ガンみたいなものだ。ガンには悪性と良性があるって聞いた事があるけど、良性だって無い方が良いぐらいかな。悪性だったら目も当てられないと言うより死ぬよ。

 結婚なんてクジ引きみたいなものだってよくわかった。そのクジがアタリかどうかは夫婦という逃げ場を封じられた立場にされてやっとわかるみたいなもの。マナミ与えられたクジは生まれて来てたった一本だけ。

 ようやくありついたクジに飛びついて大喜びで引いたら大ハズレだったのは参った参った。もっともそんな一本クジだってもう引く事すらないな。

「マナミが引いた結婚クジは大ハズレだったけど、そもそも三分の一はハズレだ」

 三組に一組が離婚するからね。

「残りの二本だってアタリって訳じゃないだろうが」

 醒めきった夫婦関係を惰性で維持してるところも多いらしいよね。そういうところが熟年離婚とか、老年離婚をするのだろうけど。

「それより何よりマナミには新しいクジを引く事が出来るのよ。それはバツイチ女のみが引けるクジだ。そうよ、マナミはバツイチから幸せを掴むシンデレラストーリーを経験する義務がある」

 あのね、それってどこに書いてある義務なんだよ。

「どこにも書いてないならペン貸して。この壁に書いとく」

 そんなところに書くな!

ツーリング日和20(第4話)作戦決行

 あっちはこちらが離婚のための準備に入ってるなんて夢にも思ってないから作戦はサクサク進んでくれた。クソ姑への作戦は暴言の録音だ。よりインパクトがある方が良いはずだから軽くだけ煽ったら、

「こりゃ、凄いですね」

 一週間もあればザクザク獲れまくってくれた。弁護によれば必要にして十分で質も申し分がないとか。質って言葉にちょっと引っかかったけど、表現として他に言い様がないかもね。これでクソ姑対策はOKだ。

 問題はクソ夫の方だ。それでも油断し切っているし、マナミを見下しきっているから尻尾なんて丸見え状態と同じだ。ピンポイントで決定的な証拠が手に入ってくれた。しっかしまあ、よくこんだけやってるよ。

 でもやるか。クソ夫には浮気三昧出来る秘密がある。秘密は大げさだけどマナミの両親は高速のトンネル事故で亡くなってるじゃない。だからその時の賠償金はあるし、少ないけど遺産だってある。それをだよ、

「嫁の財産は夫の財産であり、この家の財産だ。嫁には無用のものだ」

 神経衰弱状態だったからロクロク抵抗も出来ずに取り上げられちゃったんだよね。これでクソ姑は贅沢三昧していたし、クソ夫は浮気三昧に耽っていたんだ。あのクソ夫が軍資金も無しに浮気なんか出来るはずがないからな。それを聞いたサヤカは怖いぐらいの顔をして、

「そんなものは奪い返す」

 弁護士もそう出来るって言ってた。少々時間がかかったけどいよいよ宣戦布告だ。弁護士を連れて離婚宣言をしてやった。まるで鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしてたな。きっとあいつらにしたら飼い犬に手を噛まれたぐらいなんだろう。

 そのまま家も出たよ。とりあえずって言ってサヤカがマンスリーマンションを手配してくれたのはありがたかった。そこから離婚交渉に入ったのだけど、やはり一筋縄では行かなかった。あっちも弁護士を立てて来やがったんだ。カネが絡むとそうなるみたいだな。相手の弁護士なんだけど、

「アバランチ先生ですか・・・」

 妙な名前の弁護士だな。日本人じゃないのかなと思ったけど、SNSで有名らしくて、アバランチはハンドルネームで良いみたいだ。サヤカも知ってるみたいでこっちの弁護士に、

「アバランチ如きに負けたら承知しないからね」

 こっちの狙いはやはり短期決戦。そうできるように準備をしてるからね。狙いはクソ夫による有責離婚で慰謝料ゲットだから、天王山はどうやってクソ夫に浮気を認めさせるかになる。ちなみに浮気は法律用語で不貞行為と言うらしい。

 あっちだって弁護士まで立ててるから不貞行為は認めないで対抗してくるはずだ。おそらくスマホとかのデータは消してしまってるはず。他もあれば可能な限り消すなり、隠すなり、処分しているはずだ。そんな事は想定済みだからまずはラブホ写真を喰らわせた。

「いつの間に・・・」

 そんなものクソ夫が能天気だからに決まってるだろうが。これで決まったかと思ったのだけど、まさか、まさかのクロスカウンターを持ち出しやがった。性交不同意契約書だ。あんなもの本当に持ち出すとは魂消たもの。

 だけどね。それへの対策だって出来てるんだ。そうモロ動画だ。いやぁ、良く撮れてるよ。音声こそ録れてないけど、ピントもばっちりで励んでる顔もくっきりハッキリだ。まさしくダブルクロスでお返しだ。

 いくら性交不同意契約書を振りかざそうが、その契約を履行してなかったらタダの紙切れだ。これは効いたみたいでアバランチ弁護士もやられたって顔になってたぐらい。モロ動画にさらなるカンターなんて出来るはずがないだろ。

 ここからはさらなる追い打ちだ。クソ姑の暴言による精神的被害の話になったけど逆上してたな。まさか自分に飛び火すると思ってなかったみたいだもの。

「あれは嫁への躾です。感謝してもらっても良いぐらいだ」

 ヒステリックに喚いてたけど、暴言の録音を流してやったら黙り込んでくれた。マナミの遺産や亡くなった両親の賠償金の返還も了承させて、あとの細々したことは弁護士の仕事だ。これで完勝と言いたかったけど、

「あれで良かったのですか」
「そうよ、草の根を分けても探し出し、根こそぎ毟り取らないと」

 なんとなんと、夜逃げしやがったのだよ。なんかアバランチ弁護士の差し金の気もしたけど、もしそうなら伝説のトリプルクロスだ。でも、もうそれで良い気になっちゃったの。あいつらはほぼ破滅したようなもののはず。

 マナミも安月給だったけどクソ夫も安月給だ。舅は死んでるし、マナミも退職していたから収入はクソ夫の安月給のみだ。あいつらが贅沢三昧、浮気三昧出来た軍資金だったマナミの両親の遺産も交通事故の賠償金だってもう殆ど残ってないはずだ。

 もうちょっと言えば、貧乏人があぶく銭を手にしたら歯止めが利かなくなる。一度覚えた贅沢は忘れられないぐらいだ。だから多くもない貯金も使い果たしていてもおかしくないし、借金すらあるかもしれない。

 夜逃げの時に家も売り払ってるけど、あれだってどれだけになったかは疑問だ。一軒家ではあったけど、建物はボロかったし敷地も狭い。なによりクルマも入れない行き止まりの路地の奥の立地だ。それを夜逃げの時に叩き売ったようなものだからしれてるはず。さらに言えば夜逃げと同時に元クソ夫も失業だ。

「もう一撃で破滅に追い込めたのに」

 離婚の慰謝料と両親からの遺産、さらに両親の交通事故の賠償金なんて払おうと思ったら、

「だから闇金に借金させて、マグロ漁船とか、ベーリング海のカニとか、中国の汚染地帯の清浄作業を択ばせる手筈も進めてたのに」

 それ怖いって。サヤカなら本気でやりそうだもの。

「それに子どもだって一緒に連れ去られてるじゃない」

 親権も取れたのだけど持ち逃げされた。あれももう良いかって気になってる。だってだよ、マナミの血も入ってるけどクソ夫とクソ姑の血も入ってやがるんだ。

「そう言うけどマナミは・・・」

 それは言うな。息子はクソ姑に完全に取り込まれてた。だってだよ、クソ姑をお母さんと呼び、マナミは嫁だった。息子の頭の中では嫁とは母でもなんでもなく、同居人どころか家政婦、いやなにをやっても良い奴隷ぐらいになってたんだ。クソ姑の尻馬に乗って罵るのは日常だし、殴ったり蹴ったりもそうだ。

「でもでも・・・」

 さすがに心が冷えた。無理やり取り返して母子関係にする自信がなかったかな。もちろんわかってるよ。諸悪の根源はクソ姑だし、息子だってまだ四歳だ。

「だから力づくでも」

 息子は文字通り命を懸けて産んだ子だ。なんだかんだあっても我が子なんだ。だからあえてこのままにしておく。最後の情けだ。もちろんクソ夫や、クソ姑のためでない我が子への情けだ。

 息子だって成長する。そしたら、いつの日かこの離婚の真相を知る日だって来るかもしれない。その時に母の最後の思いを知ってくれたら嬉しいな。無理かな。逆に心の底から恨まれるかもね。それだって受け止める覚悟ぐらいはある。

「マナミ・・・」

 慰謝料は浮気相手からも取れるのだけど、あのクソ夫、ロクな女を相手にしてなくて、慰謝料請求送ったらみんな逃げて雲隠れしてしまいやがった。あれが民事の限界だって弁護士さんは言ってたな。

 刑事なら警察が探してくれるけど、民事なら自分で探さないといけない。裁判所だって支払い命令みたいなものは出してくれるけど、人探しまではやってくれないもの。すべてを放り出されて逃げられたらお手上げって感じかな。

「その代償ぐらいはあるけど」

 逃げたって支払いが消える訳じゃない。元になったクソ夫だってロクなところに再就職なんか出来るものか。まあ、ノコノコ顔なんか出そうものなら支払いを請求されるだけだから、二度と会うことはないのがこっちのメリットかもしれない。

「離婚したってストーカーになるのは多いらしいからね」

 これも弁護士さんから聞いた話だけど、泥沼状態で離婚したのに復縁に執念を燃やすのが多いんだって。そんなに復縁したいのなら、そもそも離婚になるような事をやらなきゃ良いのに。そういう連中の心理は理解を越えるよ。


 あ~あ、離婚こそ出来たけどまさに痛み分けになっちゃったな。なんにも取れなかったから、サヤカに用立ててもらった弁護士費用もすぐには返せなくなっちゃった。

「あんなもの誰が返してくれなんて言うものか。本当は返してなんか欲しくないけど、それじゃ、マナミが嫌がるのは知ってるから十年先にしとく」

 それはいくらなんでも、

「じゃあ、五十年先だ。文句は聞かないから」

 ありがと。ありがたく受け取らせてもらう。五十年も待たせる気はないけどね。