夏への扉

 この作品は世界三大SF作家の一人とされるロバート・A・ハインラインの名作です。日本でハインラインと言えば夏への扉が代表作としてすぐ思い浮かぶほどですが、wikipediaより、

『夏への扉』は特に日本において人気の高い作品であり、SFファンのオールタイム・ベスト投票では、度々ベスト1作品になっている。 しかしアメリカにおいては『月は無慈悲な夜の女王』と『異星の客』がクローズアップされることが多く、『夏への扉』は日本での限定的な人気にとどまっている。

 この辺は感性の違いでしょうか。あんまり書くとネタバレになるので注意が必要なのですが、この作品はタイムトラベル物になります。タイムトラベルとなればタイムマシーンになりますが、設定として面白いのは、未来に行くのは通常技術の延長線であるコールド・スリープを用い、過去に戻るのは一度限りの大冒険にしている点です。

 未来に進むコールド・スリープを用いてのロマンスが後半の伏線でもありますが、ハインラインはロリコンじゃないかと感じたのは白状しておきます。だって男は30歳、女は11歳ですからね。年齢差は巧妙に埋められますが、それ以前があるわけでして。

 その辺は個人の感想ですから置いといて、あれが男女逆だったら成立するかです。当時はしないと思ったものですが、そうでもないのがこの世の中であるぐらいは勉強させて頂きました。色んな形の愛があるぐらいにしておきましょうか。


 それとこれも時効ですから白状しておきますが、この作品を読む前に、この作品をモチーフにした山下達郎の曲を先に知っていました。曲は好きだったのですが、歌詞の世界がイマイチ、いやほとんど理解できなかったのです。

 夏への扉を読んだのも、タイトルが達郎の曲と同じであったのに興味が魅かれただけで、読み終わってやっと、この小説をモチーフにした曲だと初めてわかった次第です。だって曲中で印象的に繰り返される、

    リッキィ・テッキィー・タビー
 これが実は人の名前だったと小説を読んで初めてわかったぐらいです。ついでに曲中で印象的に登場する猫のピートの存在価値も。

 
 他に興味深いところとして、この作品は1956年の発表ですが、面白いのは作品の『現在』の設定が1970年で、そこからの『未来』の設定が30年後の2000年にしている点です。私が読んだのは1970年代の後半ぐらいで、2000年も経験し、もうすぐ2020年です。

 時が過ぎ去るのは早いものだと改めて感じています。

とらえられたスクールバス

 日本のSF作家の草分けは押川春浪や海野十三ですが、さすがに読んだことが・・・一冊ぐらいあるかもしれないぐらいです。やはり戦後に現れたSF第一世代と呼ばれる、星新一、小松左京、筒井康隆以降になります。この世代の作家には他に、半村良、光瀬龍、平井和正、豊田有恒らがずらっと並びます。

 これらに伍して活躍されたのが眉村卓です。作品リストを見ていると、結構読んだものが多いのもわかります。私がSFをよく読んだのは中学から高校ぐらいですが、この頃はSFジュブナイルと呼ばれる中高生向きの作品が多いというか、ブームだったせいもあると思っています。

 この辺は家庭的な事情もあって、これは今でもある程度ある気もしますが、

    マンガ << 小説
 こういう序列が強固としてありまして、うちではマンガを読むことは宗教的禁忌みたいな状態だったのです。その代用品って訳でもありませんが、SFジュブナイルを読んでいたぐらいでしょうか。余談ですが小説のジャンルにも、
    大衆文学 < 純文学
 これが強固にありまして、本を読むのなら純文学を読めとうるさかったものです。この辺は言う親の方が大衆文学も読んでいましたから、禁止にはなりませんでしたが、二言目には、
    「また下らない本を・・・」
 かなりどころでない嫌味を言われ続けたものです。お蔭で純文学と銘打ってあるだけで大嫌いになり、村上春樹は1ページも読んだことがありません。


 そんなことはともかく、眉村卓が先日亡くなられています。これも作品リストを眺めながらの感想ですが、眉村卓は1960年代から活動が始まり、1970年代、1980年代が旬ぐらいで良さそうです。そう私の思春期から青春時代にあたる事になります。

 もちろん2000年代まで息の長い活動を続けられていますが、代表作はなんだろうと漠然と考えていました。どうやら晩年の妻に捧げた1778話の評価が高いようですが、それは司馬遼太郎の代表作を街道を行くにするような違和感があります。

 ずらっと並ぶ作品リストを見ながら改めて思ったのは佳作は多いですが、代表するような大ヒット作は無いような気がしました。これは異論もあると思いますが、小松左京と言えば日本沈没みたいな大ヒット作です。

 小松左京の日本沈没が大ヒットしたのは作品の優秀さもあるでしょうが、映画が大ヒットしたのもあるはずです。たとえば筒井康隆の代表作の一つが、どうしても時をかける少女になるような関係とすれば良いでしょうか。

 そういう意味では、ねらわれた学園が上がって来るのですが、これがなんとも中途半端な気がしています。野生の証明で注目を浴びた薬師丸ひろ子の出演作で、監督は大林宣彦、主題歌は松任谷由実の守ってあげたいです。ヒットしたのは間違いないのですが、今でも多くの人の記憶に残る作品かと言われれば疑問が残ります。

 というのも薬師丸ひろ子の次作があのセーラー服と機関銃になります。大林宣彦作品も尾道三部作が有名ですが、この後の活躍になってしまうからです。


 ですから私は時空の旅人をあげたいところです。こちらに関しては恥ずかしながら映画を先に見ました。竹内まりやの印象的な主題歌もあり、作品としては良く出来ていたと思います。ああいう世界はアニメでないと描き切れない気がしています。

 ただし原作がどれだけ読まれたかはチト疑問が残ります。これも恥ずかしながらですが、時空の旅人の原作が、とらえられたスクールバスであるのを知ったのはかなり後だったからです。この辺は、現在と情報量がかなり違いますからねぇ。

 それと原作はかなりの長編です。私の記憶も怪しいところがありますが、当時で文庫本三冊あったはずです。長編が悪いわけではなく、私も長編小説は好きですが、この作品もSFジュブナイルの範疇で良いはずですから、対象である読者の中高生には少々長い気がします。

 それとSFジュブナイルとしながら、設定というかストーリーがかなり捻ってありまして、途中まで悪と思われていたクタジマ・トシトがラストで、これも一つの善であるみたいなものになっています。

 そういう設定は後のSF作品に多く使われるようになりましたが、当時の中高生に単純に善悪の評価が定まらないというか、その立場によって善にも悪にもなりうる設定は難解じゃなかったかと今なら思っています。

 題名は映画化後に時空の旅人に変わったそうですが、これも今のメディアミックスによる抱き合わせ販売戦術からするとウソみたいに書店に行っても、さほど熱心に売られていた記憶が残っていません。


 それはともかく、日本のSFの黎明期に活躍された偉大な作家の御冥福をお祈りします。彼らの活躍が今に至る日本のSF作品の隆盛の礎になったのは間違いないからです。

百億の昼と千億の夜

 かつてSFジュブナイル(これも昭和の死語になっているようですが・・・)にはまった時期がありまして、その時の勢いで読んだのが「百億の昼と千億の夜」です。たしか中学ぐらいだったはずですが、読んだ感想は、

    なんじゃこりゃ!
 SFジュブナイルの期待を大きく裏切る代物でした。早い話がジュブナイルじゃなかっただけですけどね。とにかく複雑な展開で、古代の幾つもの場所で起った不思議な話というか経験が、現在(というか、設定としての未来)に結びつくものです。

 そこから前半に大きく投げかけられた謎というか、問いに対しての冒険が始まるのですが、初読の時は正直に言うと追い切れませんでした。根性出して文字だけは読み切りましたが、それだけだったで良いと思います。とにかく読めば読むほど気持ちが暗くなるだけでなく、最後まで期待していたカタルシスもなく、

    なんじゃこりゃ!
 中学生には少々難しかったかもしれません。それでも妙に気になる本で、高校の時に何度か読み返して、
    こんな話だったんだ!!
 ようやく全貌を把握した時に茫然としたことを覚えています。あんまり書くとネタバレになるのですが、当時(今でさえそうですが)は難解な物理用語、深遠たる仏教的世界観がサラサラと散りばめられているのに驚かされたものです。

 原作を読まれても良いと思うのですが、これを萩尾望都が漫画化しています。これも調べると私が高校を卒業する頃に一度刊行され、もう一度大学時代に出されています。最初の物は目に付かなかったか、近所の本屋に置いてなかったか、はたまたレディス・コミックに並べられていたのか不明ですが読んでいません。

 二度目の時はなぜか買っていますが、実に良く描けています。最初からこれを読めばわかったと思ったものですが、こればかりはどうしようもありません。興味のある方はマンガから読まれても良い気がします。

 
 さて現在の小説の連載は当分ストックがありますが、ちょっと行き詰まり傾向です。平たく言うと新作が書けなくなっています。月に1作以上のペースで書いてたのが無理があったとも思いますが、何を書いてもそれまでの作品と似たり寄ったりになってしまうのです。

 そんな時にふと思い出したのが、百億の昼と千億の夜です。これをモチーフにして書いてみたのですが難航中。ラストは気に入っていますが、ラストまでの話が書いた自分でさえ、

    難解過ぎてつまらん
 それも長過ぎてつまらないのなら、まだ改善の余地がありますが、これが100ページ程度の短編。相当手間をかけましたが現時点ではお蔵入り。

 話の展開上、量子物理学の話を扱わないといけないのですが、これが手強いったらありゃしないです。小説ですから大づかみぐらいの理解で良いのですが、一番お手軽のはずのwikipediaでさえ尻尾を巻いて逃げたくなる代物です。

 いつの日か練り直したいとは思っていますが、それが出来るかどうかは・・・手を付け直すならお正月休みかな。

続カメラのお話

 カメラを買って楽しんでいます。カメラは子どもの時から親のカメラも含めて使ってますが、当時で言うバカチョン・カメラばかりで、カメラの勉強などロクロクやったことがありません。白状しておくと絞りとシャッター速度の関係の理解も怪しかったぐらいです。

 今のカメラもオート設定はありますが、さすがにそれではつまらないと思い、絞り優先で使う知識をまず仕入れています。これだってF値を決めればカメラが自動的にシャッター速度とISO値を決めてくれますから、セミ・オートみたいなものですが、ちょっとはカメラ好きに見えるかと思っています。

 F値の理解もシンプルで、小さくすれば被写体深度が浅くなり、大きくすれば深くなるぐらいです。被写体深度と言えば格好が良いですが、浅くなればピントの合う範囲が狭くなり、深くなれば広くなると言い換えても良いぐらいでしょうか。

 露出はコンデジにも付いていましたが、この機能を使うには液晶パネル上であれこれする必要があったので、ほとんど使ったことありませんでしたが、今度のカメラはダイヤル一つで使えます。露出ってなんだになりますが、これも数字が大きくすれば画面が明るくなり、小さくすれば暗くなります。 どういうメカニズムかですが、絞り優先ならシャッター速度が変わるようです。

 絞り優先にしてから意外と重宝しているのがMF。近接撮影でボケ写真を撮る時にAFでは時に合わせて欲しいところになかなか合わなかったり、そのためにピントの設定をあれこれイジル必要があるのですが、MF使うとラクな事があります。

 ホワイトバランスも今までなんのための機能かと思ってましたが、写真の風合いのためとやっと知りました。これぐらい機能を覚えたら、あれこれカメラを操作して撮っているように人には見られると思いますから、本格派に見てもらえるかもしれません。たぶんですけどね。


 カメラやレンズを買う前も買った後もネットで情報集めをしていたのですが、なにかデ・ジャ・ブーを見ているようでした。あれこれと同級カメラとの比較が書かれているのですが、昔のカー雑誌とかパソコン雑誌を読んでいるようでした。いわゆるスペック厨の感じです。

 でもどうなんでしょうね。比較記事で血眼になって書いてある差なんてわかる人がどれだけいるかです。それぐらい各メーカーの画質は向上していて、そうそう革命的な差が出ると思いにくいところがあります。上で書いた他にも様々な機能が今どきのカメラにはありますが、まず使いそうにないものばかりです。

 この辺も感性が老化しているのかもしれません。でも、とりあえず今のカメラに満足しています。言うほど使ってはいないのですが、紅葉が綺麗でしたからお目汚しに、

20191119082748

 ついでにもう一枚、

20191119082949

マスターピースの夢

 小説を書いている者の野望として、いつか世間をあっと言わせる傑作を書いてやろうがあります。もちろん、傑作が売れることによって夢の印税生活を期待しているのがセットですけど、

 でもまあ、世の中そんなに甘くはありません。文章を書くのにもトレーニングが必要で、処女作が傑作になってベストセラーになることなど妄想に過ぎないと思っています。でも、そんな話が一つぐらい転がっていないかと考えて思いついたのがマーガレット・ミッチェル。彼女はあの名作、

    風と共に去りぬ
の作者です。私の曖昧な記憶なら彼女が発表した作品はこれ一つで、書き上げた作品もこれだけだったはずです。そこでwikipedia程度ですが確認してみます。


 まず彼女が素人かどうかですが、地元の新聞社の日曜版のコラムニストをしています。私だってブログを書きていますが、あっちはプロか・・・ただ、コラムは基本的に短めの記事のはずです。つうか、新聞に紙面を何枚も使った長文記事が掲載されないるとは思えません。

 彼女が執筆のタイミングは踵の骨の骨折の治療のためとなっています。私だって踵にヒビが入った事がありますから、ここは互角(のはずもありませんが・・・)ですが、私があの時に覚えたのは片松葉の使い方なのは大きすぎる差があります。

 そんな目くそ鼻くその差は置いといて、wikipediaより、

彼女は最終章から書き出し、章を飛び飛びに書き進めるなど、独特な執筆手法を取っていた

 彼女が最初に書いたのが最終章なのは知っていましたが、あちこちを断片的に書き進めていたのはかなりの驚きです。これは小説家や作品によって異なるでしょうが、ある程度ストーリーが固まっていても、頭から順に書くことが多いと思うからです。

 そうするのは、書き進めているうちに新たな構想が浮かんできて、どうしても話が変わる部分があるからだと思っています。ラストだって腹案が出来ていても、そのラストに持って行く過程で変わる部分があると思っています。

 そんな芸当が出来るのは、映画的な手法になります。映画はまずシナリオがあり、シナリオに沿って撮影が進められます。順撮りと言って、頭から順番に撮影される事もありますが、ロケとかセットの都合で、様々なシーンをバラバラに撮るのもよくある事です。

 そうなると彼女は執筆前にかなりしっかりしたストーリー、いや映画のシナリオに近い堅牢なものを持っていたことになります。それもですよ、あの長編です。たしか文庫本で5冊ぐらいあったはずです。そんな芸当が出来る小説家もいるでしょうが、私では想像も付きません。(較べるなの声は置いておきます)

 作品自体は三年ぐらいかかったようですが、夫には時々見せたようですが、結局しまい込んで誰にも見せることはなかったようです。また、この作品の後にバリバリ書いたかと言えば、wikipediaより、

1929年にはくるぶしは完治し、小説もほぼ完成していたが、彼女自身は創作活動への意欲を失っていた

 ある種の燃えつき症候群みたいな感じでしょうか。彼女はタイプライターで書いていましたが、その原稿の量は、

小柄な作家の背の高さ以上の分量があった

 すげぇ。それが偶然に偶然が重なった結果、編集者の目にとまり1936年に刊行されています。これも驚いたのですが、

小説は1936年に完成したが、彼女は最後まで第1章を書かなかった。

 なんと書きだしは最後の最後に書かれたようです。この後に彼女が作品を書いたかどうかですが、

生涯で発表した作品は『風と共に去りぬ』のみで、彼女の遺志により未発表の原稿は破棄されたと言われる

 書きかけたものがあったかもしれませんが、すべては失われてしまったようです。

 私も読んだことがありますが、南北戦争を壮麗な絵巻物のような情景描写と、スカーレットから見た細やかな心情描写、生活描写が生き生きと描かれている作品です。映画も名作ですが、原作を読むとダイジェスト版の感じがします。


 私の推測に過ぎませんが、彼女の頭の中には、それまでの人生の中で既に小説は出来上っていたのじゃないかと思います。小説というか、彼女の物語として。それが病気療養というキッカケで小説と言う作品に仕上がったぐらいです。

 悔しいですがこんな芸当は私では無理です。数撃つ内に当りが出るのを期待します。