街道ロマン

 古代山陰道を調べていた時のオマケみたいなお話です。

 古代山陰道は亀岡から篠山盆地に進んできます。この道は遠坂峠を越えて但馬に至りますが、丹後国府の宮津には丹後支道が篠山から分岐します。これがどうにも不可解なルートで、

    山陰本道・・・瓶割峠
    丹後支道・・・佐仲峠
 瓶割峠は鐘ヶ坂峠の少し東側なのですが、春日の国領温泉の方に下って行きます。佐仲峠は瓶割峠のさらに東側ですが、下りて来るところは国領温泉と1.3kmぐらいしか離れていません。

 瓶割峠は現在はハイキングロード、佐仲峠はド級の険道ですが地形からして古代とそう位置は変わっていないはずです。それであれば、どちらか一方の峠を下りてから春日で丹後への支道を分岐させれば良さそうにしか見えないですが、そうなっていると記録されています。

 春日からは国道176号で塩津峠を越えて福知山に至り、そこから西に進み由良川を越えて北上したと推測しています。現在は由良川沿いの宮津街道がメインみたいになっていますが、古代は国道176号で与謝峠を越えて加悦谷を通り宮津に向かっています。

 この道も近年改良されて快走路になっているのは途中まで確認しています。そこからが謎々みたいなものですが、宮津の手前の駅家でさらなる支道が伸びており、これは出石至りに出て但馬国府に通じています。

 そういう支道があっても良さそうなところですが、山陰本道の但馬国府へのルートに仰天しました。山陰本道は遠坂峠を越えて和田山に出て来るのですが、そのまま西に進みます。ほぼ現在の国道9号になるはずですが、神鍋高原の西側に回り込み、そこから山越えの支道を出して但馬国府と結んでいます。

 但馬国府は旧日高町の江原付近にあったとなっていますが、和田山から北上したのではなく、鉢伏高原と神鍋高原の間の谷間に入ってから但馬国府を目指したとなっているのです。

 ローカルなところなので、あの辺りに土地勘がないと実感しにくいとは思いますが、そうであると確認した瞬間に、

    なんでそんな遠回りをしてるねん
 これしか感想が出ませんでした。その理由はとググってみたのですが、遺憾ながら説明は見つけることが出来ませんでした。その代わりにあれこれ理由を考える楽しみが出来ました。