ツーリング日和23(第32話)国領温泉

 ティータイム休憩を終えて走って行くと国道一七六号に入ってくれる。おニューのルートでのチャレンジだったけど、ここまでは順調だ。

「篠山市街の北側ぐらいです」

 ここから鐘が坂トンネルを越えて柏原に向かうルートがポピュラーだし、

「柏原では御馳走になりました」

 美玖はあの時もパフェだったけど、今はもっとパフェだよ。ただそのルートも混んでる時は混んでるんだよな。とくに柏原から氷上ぐらい。今回はここも回避できないかとルートを探していたんだ。

「あの橋を渡った先の信号を右です」

 あそこか。黒豆の郷ってのが曲がった先にあるみたいだな。ここも良さげで、下調べしたところではずっと二車線みたいなんだ。バイクだから道の狭さはクルマほど気にはならないとは言え、広い方が快適だし、走りやすいのは間違いない。

「ずっと一車線半とか、もっと狭い道から二車線に出た時はホッとします」

 その気持ちは良くわかる。どうしてもいつクルマが対向車として来るかピリピリするものな。センターラインのある二車線だったら、そのストレスが全然違うもの。ここも長閑な田園地帯で良さそうだ。

 左右は山だから谷間になるのだろうけど、進んで行くと段々に谷が狭まるパターンだろう。どれぐらいの峠道なんだろ。

「それなりにあるとは予想していますが・・・」

 篠山の北側にあるのが多紀連山で今日はその北側に行く予定だ。むちゃくちゃ高いとか険しいって程でないにしろ、山をどこかで越えないとならないのはお約束だ。今走っているのは県道九十七号だけど基本的に宮田川に沿って走ってる。

 山道でも川沿いであればそれほどの急な坂道はないだろうの予想だ。それと途中から左に曲がるのだけど、

「そちらも竹田川沿いですから・・・」

 山越え、峠越えというより谷間を走り抜けてくれる期待かな。登りになって来たけど集落と田んぼは続くな。大きな池が右手に見えて、青色の道路案内が見えてきたからそろそろだな。直進したら国道九号に向かい、左折したら県道六十九号になり国道一七六号に向かうとなっている。

 この辺も分水嶺というか分水界になってるそうだから、この道の最高峰になるはずだけど、これだったら走るのに全然問題がないどころか、快走路として良いと思うぞ。県道六十九号に入ってもそうで、

「福知山方面に行く時に使えます」

 良い裏道だ。どうしてこんなに走っていないか不思議なぐらいだ。歴史的にはどうなんだろう。

「これだけ田んぼや集落がありますから街道的なものがあっても不思議はないと思います」

 この辺の大名は柏原藩しかないはずだから、参勤交代ルートに使わなかったのかな。

「柏原藩なら鐘が坂峠を越えて篠山に行き、そこから園部に向かって山陰道かと考えます」

 そんな気がする。今日のルートの方が平坦とは言え、遠回りになるもの。昔の人のルート設定は険しさより距離が優先だもの。柏原藩なら篠山街道を歩くだろうな。

「街道にならないと宿場町が置かれず、宿場町がないと宿屋もないのが江戸時代の原則になります」

 たしかに。宿場町以外でも泊まれるところもあるけど、これは藩の方針で変わるし、

「そもそも春日あたりの人が篠山に行くだけなら途中で泊りを必要としないどころか、日帰りで行きかねません」

 現代人の感覚とは全然違うのは美玖の言う通りだ。さてと、ここからが最後の難関だな。道路案内があれば良いのだけど。無ければ舞鶴道を潜ったぐらいで右折する予定だけど・・・舞鶴道の手前にあったぞ。

「曲がります」

 この信号を左折だ。曲がったら曲がったで舞鶴道を潜るみたいだけど、宿への案内看板があったぞ。ここの右の道に入ろう。

「はい」

 集落の間を抜ける道だけど、こんなところにホントにあるのかって感じがする。たぶんだけど集落が切れたその先ぐらいのイメージだけど、

「ここです」

 はぁ、たしかに駐車場って書いてあるし、その隣に宿らしい建物がある。宿の前に行くとそっちにも駐車場があるから停めさせてもらって玄関から宿の中に。なんか懐かしい感じがする。

 玄関は集落の民家に向いてるけど反対側は旅館の庭になっていて、ロビーからも部屋からも楽しめる趣向で良さそうだ。二階の部屋に案内されたけど、

「こういう部屋って、いかに旅館に泊まるって感じで好きです」

 畳敷きの和室に床の間があって、障子の向こうの縁側に二人用の机とテーブルの配置は古典的だけど、こういう作りって妙に落ち着くんだよな。

「最近の旅館は、この配置を変えるのを競ってます」

 そんな気がする。それはそれで悪くないけど、期待通りもまた良しだ。というか和室の基本的な造りはこの旅館の客室の気がする。

「昭和の旅館です」

 あっさり切って捨てるな。ここは寛政六年に出来た丹波志にも記されている温泉で、その頃から山之神湯として湯治に利用されていたとなっている。大正年間には十軒を越える温泉宿が建ち並ぶぐらい栄えていたそうだけど、今はこの一軒だけが残ってるのか。

「衰えた理由は?」

 わかんないよ。強いて言えば温泉に期待するものが変わったのじゃないかな」

「温泉に期待するものですか・・・」

 日本人は温泉が好きだけど、その理由の一つが温泉の効果だ。とにかく昔の医療水準は低すぎた。時代劇のアイテムに出て来る南蛮渡来の妙薬なんてあるはずもないし、蘭方と言っても漢方より病気の治療効果で言えば低いんじゃないかな。

 そんなレベルの低い医療さえ受けられるのは一握りだ。それ以外の大多数の庶民が頼りにしたのが温泉療法だ。こっちの方がそれこそ万病に効くからな。だから湯治場として発展した側面がある。

「今だって美肌効果とか・・・」

 温泉の効果を否定しているじゃない。けどな、その効果のために長期宿泊なんてしないだろ。今の温泉効果の位置付けは、そういう効果もあるお風呂ぐらいに過ぎないよ。今の温泉に期待するのは、ぶっちゃけ物見遊山だ。

 温泉宿に入り、美味しい食事を頂き、リラックスしてついでに温泉も入るぐらいだろ。ついでに言えばセットで周辺観光の楽しみも入ってくる。もっと言えば旅行の楽しみのエッセンスの一つに過ぎない。

 この温泉も湯治場として発展したはずだ。大正期から栄えたとなっているけど、大正期さえ医療水準はそんなものだったと言っても良いと思う。まだまだ医療より温泉の方が優勢だったぐらいだ。

 だけど医療も発達したし、高度成長期にもなれば庶民だって豊かになる。そんな時代にこの温泉は宿泊先に選ばれなかったぐらいで良いと思う。

「なるほど、湯治客は病院に通うようになり、観光客は足を運ばなかった」

 今でこそ高速道路も出来ているけど、昭和の、しかも三十年代とか、四十年代の下道で京阪神からこんなところに泊まりに来るのは余程の物好きしかいないだろうが。今だってだぞ、

「篠山がそれなりにメジャーな観光地になってはいますが、泊りがけで篠山観光に来るのは少ないはずです」

 篠山からだって近いとは言いにくいし、この温泉の近くの観光と言っても魅力が高いとは言いにくいじゃないか。言い方はキツイかもしれないけど、ここの温泉地単独で観光客を引き寄せる魅力を作り出せなかったから衰退したのだろ。

 他にも要因はあったと思う。昭和の四十年代ぐらいまで旅行と言えば団体旅行がメインだったんだよ。だから団体旅行に適した温泉地が栄えたとしても良いかもしれない。そういう点でもこの温泉は時代に合ってなかったとしか言いようがない。

 だけど旅行のトレンドはまた変わった。今は個人旅行の時代だ。そういう点ではこの温泉がまた変わる可能性はいくらでもある。宣伝だってそうだ。かつてはマスコミに広告を打てるところしかやりようがなかったけど、

「ネットの時代になりましたから、ユーチューバー、いやインフルエンサーの動き一つで・・・」

 この規模だから余裕で変わる。それに今だってこれだけの旅館を作れるぐらいの客は集まってるはずじゃないか。たとえば十年後にまた来たら、

「旅館の前にしゃれたカフェとか出来てるかもしれません」