黄昏交差点:恵梨香

 恵梨香だよ、フルネームは浜崎恵梨香。たく、あいつはボクで済まそうとするけど、名前は神保康太。あたしもあのバーは長いから顔だけは知ってたんだよね。あのバーは週末は賑わって入れないこともあるぐらいだけど、平日は空いてるんだよ。

 あの日は有休消化を命令されて休みだったんだけど、突然休みにされたって使いようがなくて、買い物に行ってから軽く夕食を済ませてバーに寄ったぐらいだったんだ。天気は曇りだったんだけど、夕方から怪しくなり、恵梨香がバーに入った後ぐらいから本降りというより、嵐みたいになってたよ。

 そのせいかバーには恵梨香だけ。マスターとバーテンさんの三人であれこれ話をしてたんだけど、そこにあいつが入ってきた。それこそこの世の終わりみたいな顔してた。ゲッソリして憔悴してたんだよね。

 なんとなく声を掛けたら、なんと離婚協議の真っ最中。それも奥さんの浮気が原因だった。あれは話すというより、愚痴こぼされたぐらいかな。外の天気は大荒れだし、平日だったから、その日は他のお客さんは誰も来ず、二人であれこれ話したのが出会いのキッカケ。

 その時に連絡先とかも交換したんだけど、まさかあいつから連絡が来るとは思わなかった。あの場限りと思ってたからね。連れて行かれたのが三宮本通りのフレンチ。エスカルゴ食べたかな。

 それからも恵梨香の何を気に入ったかわからないけど、定期的に食事に行くようになり今に至るぐらいだよ。一応は口説いてくれたけど、このまま友だちの方が気楽で良いと言ったら、あっさり了承されたぐらいの関係。


 だからじゃないけど恵梨香はあいつにウソついてる。ずっと独身だったと言ってるけど、実はバツイチ。それぐらいのウソはたいしたものじゃないし、恵梨香の結婚は言いたくもないし、思い出したくもないトラウマみたいなもの。

 恵梨香は淡路の生まれで、地元の短大から、地元の信用金庫ってコースだった。地元的にはエリートとは言えないけど、一番お堅いコースぐらいとしても良いと思ってる。あれは二十三歳の時だった。

 あいつも田舎みたいだけど、恵梨香のところはもっと田舎。縁談が舞い込んじゃったのよね。相手は農家。結構な家で、江戸時代は庄屋だったとからしい。もう村なんてとっくの昔になくなってるけど、いわゆる村一番の旧家ってやつ。

 一方の恵梨香の家はあっちから見ると水呑み百姓らしい。いつの時代かと思うような感覚だけど、そういうド田舎だってこと。そこの息子が恵梨香を見初めたらしい。恵梨香は嫌だったよ。だって一回りも以上も年上だもの。

 まだ初心だったと思う。無理やり見合いをウンと言わされて、会ったらあったで向こうがOKだから喜べってさ。とにかく村の有力者だから恵梨香が断ったら大変なことになるからと親戚に総出で説得されて逃げられなくなってた。辛うじて仕事を続ける条件だけ認めてもらって花嫁にさせられた。

 それでもだよ。出会いは不本意だけど結婚してから幸せになるってパターンだってあるじゃない。その点は頭がお花畑だった笑っちゃうよ。そう、いざ嫁になっちゃうと、コチコチの農家の嫁扱い。

 とくに姑からは家風について徹底的にイビられた。これも結婚してからわかった事だけど、向こうから縁談を持ち込んでたのに姑は息子の結婚に反対というか、恵梨香との結婚は大反対だったみたい。堪忍してくれよの世界だよまったく。

 とにかく恵梨香のすべてが気に入らなかったみたいで、ご飯を作ってもネチネチと嫌味を垂れまくり、掃除も、洗濯も文句のつけまくり。二言目には、

『あんたみたいなハズレを嫁にしているのに感謝しなさい』

 お風呂が一番最後なのはともかく、お湯が抜かれたり、電気を消されたりは日常茶飯事だった。そうしておきながら、

『嫁は跡取りを産むのが仕事』

 孫産め、男産め、早く産め、まだかまだかを口癖のように。これは姑だけでなく家族どころか一族全員から言われまくった。仕事を続けているのも不満で、

『農家の嫁は家業を助けるのが仕事。子どもを産んだらすぐに仕事辞めろ、いや今すぐ辞めろ』

 これでも旦那が味方ならなんとか頑張れたかもしれないけど、

『早くお母さんの言うとおりにならないと』

 あんなところで良く嫁やってたと思うよ。姑の嫌がらせはテンコモリの嫌味からドンドンとエスカレートしていった。恵梨香の洗濯物は汚されるし捨てられる。恵梨香の食事に髪の毛とか、ゴミみたいなものが入るのが日常的になり、

『いつまで経ってもゴミみたいな料理しか作れないクズ嫁ね。あんな親からじゃクズしか生まれないのは当然』

 あれは結婚してから一年ぐらいしてからだった。そこまでは自分が言われる分は我慢してたけど、親まで貶されたのに半分切れた。そこに夫が、

『ここまで覚えが悪いのは遺伝だろう』

 恵梨香は切れた。完全に切れた。黙って食卓をひっくり返し、

『ゴミなら食うな』

 そこからは徹底的に大暴れしてやった。台所に走り込み、みそ汁の入った鍋を姑以下にぶっかけ、実家まで逃げ帰った。そこから、そりゃ大変な騒ぎが延々と続いた後にやっとこさ離婚成立。あいつにあれこれアドバイス出来たのはその時の経験を活かしたものだってこと。

 これも墓場までもっていく秘密だけど、実は妊娠していた。どうしたかって、あんなクソ姑、クソ舅、クソ夫の子なんて欲しいとも思わなかったから、さっさと堕ろしたよ。あんなクソ一族の血なんて消えてなくなるのがこの世のためじゃない。

 心配していた実家への嫌がらせは言うほどなかった。そりゃ、スピーカーのようにどんなに酷い仕打ちをされたか吹聴しまくったもの。あっちも鬼嫁を吹聴してたけど、村内世論的には、

『あの家ならそうだろう。今どきあれじゃ、だれも嫁には来んじゃろ』

 これも後から知った話になるけど、他の家の年頃の娘さんは逃げ回っていたらしい。縁談が来ただけで即座に他の男と婚約、結婚みたいな感じ。要領が悪かった恵梨香の家が逃げきれずに人身御供に出された感じかな。

 勤め先も理解があって、以後は淡路の本店勤務はなく阪神間に点在する支店勤務。なんか結婚なんてコリゴリになって仕事に励んでたで良いと思う。短大出身じゃたいした出世もしなかったけど、一応は主任って肩書をもらっている。短大出なら上がりぐらいのポジションで良いと思う。


 今でも悔しいのが恵梨香の初めてがクソ元夫だってこと。離婚してから口直しはさせてもらった。これも誰にも秘密だけど上司との不倫。お互いに結婚する気はゼロの純アレだけの関係だった。

 アレってさ、とくに女の場合は愛する相手じゃないと感じにくいってよく言うじゃない。恵梨香もそうだと思うけど、それってぶっちゃけ、入れて欲しい相手だと思うんだよ。だから結婚時代は痛かったし、感じるなんてどこの世界の話だと思ったぐらい。

 入れて欲しい相手はイコールで愛する人になりそうなものだけど、それだけじゃ全開にならないと思うのよ。純粋に愛する人じゃ、アレの時にどうしたって照れが出るんだよね。アレ自体でも結構な行為だけど、それ以上はやったら行けないというか、やろうとも思わないぐらい。

 これが不倫で、なおかつ純アレだけの関係となると、そういう縛りというかタブーを越える時があるぐらいで良さそう。恵梨香はタブーを吹き飛ばして新たな扉を開いて飛び込んでいったもの。

 アレしか考えない関係って、アレのみを追及するとひたすら刺激が欲しくなるって言うのかな。愛し合うじゃなくて感じ合うのが目的になって、ドンドン新しい刺激に貪欲になるのよ。

 それでね、刺激を追及していくとアブに暴走しやすいんだよ。アブに走らないようにするタブーがなくなってるぐらいでもイイと思う。もうアブなことをされる、いやそれを求められて進んで受け入れることに興奮しまくるぐらいかな。だから考えられることは殆どやったんじゃないかな。

 不倫上司も嫁には出来ないことを恵梨香に爆発させてた気がする。手始めはおもちゃだったけど、そりゃ見せられた時は抵抗があったよ。でも受け入れないと関係が終わっちゃうし、それで与えられる刺激への期待とか、それで感じる姿をさらすことの興奮にワクワクする自分がいた。

 おもちゃを受け入れた時に完全に一線を越えて新たな世界に飛び込んだと思う。後はもう、求められるままになんでもだった。クルマでもやったし、青天井もやった。SMだって受け入れたよ。

 あいつの元嫁がよがり狂った後ろも求められた。こんなところでするのは知識にもなかったし、アブに狂いかけていた恵梨香でも嫌がったし、抵抗もした。でも完全にラリってたね。

 だんだんとこれを受け入れればどんな事になるのかの期待感の方が強くなっちゃって、あははは、受け入れたよ。最後は欲しいとまで思っちゃったもの。一度受け入れたら、しばらくは後ろばかり求められたっけ。後ろが前同様になんの抵抗もなく受け入れ感じるまであっという間だったよ。

 後ろが普通の行為になった後に不倫上司が熱中したのは恵梨香の限界への挑戦。どこまで女は感じられるかぐらいかな。まず目指されたのが失神。最初に失神させられた時のことは今でも覚えてる。数えきれないぐらいイキまくった後に意識が飛んだ。

 これだって飛ぶ感覚を一度覚えると、簡単に飛べるようになるまですぐだった。でも不倫上司は満足しなかった。その先をさらにひたすら追い求められた。あれはラリってた恵梨香でも強烈過ぎた。失神したって叩き起こされるし、叩き起こされた時には、体がバラバラになりそうで、感じるじゃなくて壊される感じだったもの。

 いくら刺激を求めて感じるためと言っても、体が完全に悲鳴を上げていた。そりゃ、暴れたよ。我慢なんて出来るレベルじゃないんだもの。さすがに、やめてくれって悲鳴もあげまくったもの。

 そしたらギッチリ拘束された。太ももと脛をグルグルと縛られて、手も後ろ手で縛られ、手と足も繋がれたんだよ。その上になにか穴のいっぱい空いたプラスチックのボールを咥えさせられた。ボールには革ひもがついていて、頭の後ろで縛られたから外れようがないのよね。

 どうなっただけど、恵梨香の女を防ぎようもない無防備な姿勢を変えられなくなってた。口だって息は出来るけど、声にならず涎を垂れ流しながら呻るだけ。そうされた上であらゆるおもちゃがフル装備にされた。おもちゃのスイッチが入ると死ぬんじゃないかと思うぐらいの狂乱状態になったんだ。

 それさえも恵梨香は受け入れた。進んで縛られたよ。縛られたら狂乱の時間が来るのを百も承知で縛られたんだよ。あの縄が狂乱の世界に恵梨香を連れて行き、普通じゃ味わえない世界に繋ぎとめてくれるから。そうだよ、そこまでされても、それを求める恵梨香がいた。

 クスリは使われなかった。たぶん不倫上司も手に入れるツテがなかったからだと思ってるよ。あれば絶対に使ってた。でも使われなくとも完全にラリってた。禁断の不倫の蜜にさ。不倫だから連日なんて無理だから、独りの夜はセルフで狂ってたし、それじゃ全然足りず不倫の日を待ちわびていた。

 恵梨香の体は完全に変えられた。そりゃ、変わるよ。でも変えられたのを喜ばしいとさえ思い込んでた。ああそうだよ、あの時は幸せだったんだ。恵梨香は結婚時代の暗くて、辛い記憶をよがり狂うことで癒してた気がするからね。

 あいつの元嫁を笑えないよ。だから不倫で燃え上がったあいつの元嫁の気持ちもある程度はわかる。燃えりゃあれぐらいやるさ。禁断の不倫の蜜は最高の媚薬だし、恵梨香も中毒になるぐらい啜りまくってた。

 上司とは三年ぐらい続いたけど、お互いの異動と、子どもが出来ちゃって堕ろすことになったのを契機に関係も終わりにした。さすがにあれだけやれば上司の奥さんに感づかれそう、いや感づかれたんだと思ってるよ。手切れ金を出してきたけど断った。

 別にカネのためにやってんじゃないし、純アレの関係だから奥様の座が欲しかったわけじゃないし、愛人だったつもりでもない。自分の女を満足させるためだったから。そう恵梨香は筋金入りのビッチだってこと。

 ビッチにさせられ、ビッチの世界を知ったことにあの頃は後悔はなかった。あれはあの時の恵梨香に必要だった。そりゃ、歪み切った世界だったけど、あの頃は、ああなることが恵梨香が女である存在価値みたいに感じてた。

 まあ、悲惨な結婚生活時代に恵梨香の女どころか、恵梨香の人としての存在価値を否定されまくった反動みたいなものだよ。恵梨香だって一人の男をこの体で喜ばせ、満足させることが出来るぐらいかな。

 そりゃ、不倫が終わった後はしばらく大変だったけど、男漁りに突っ走ることはなかった。なかったと言うより、誰も相手にしてくれなかっただけかもしれないけどね。だからビッチだけどやったのはクソ元夫と不倫上司だけ。

 今はそれで良かったかどうかは微妙だな。やっぱりどう考えても黒歴史だものね。不倫をやったのも、ビッチになってしまったのも。でもまあ、これも人生だよ。思いっきり開き直って、ビッチにもなれる特殊技能者ぐらいで納得しようとしてる。どうせアラフォーの恵梨香の女なんか、もう使われることもないしね。