黄昏交差点:あいつ

 あいつは恵梨香より年上だけど、ほんまにボンボン。あいつとの関係は飲み友だち、食べ友だちにしてるけど、それだけで満足してるんだから信じられないよ。こういうのってあくまでも『最初は』で下心バリバリのはずだし、それが目的でない男なんているとは思えないもの。

 それに相手は恵梨香だよ。よりによって恵梨香だよ。恵梨香相手に下心のあった奴なんて、あの不倫上司以外に見たことも、聞いたことがないもの。クソ元夫だって、別に恵梨香を見初めたわけじゃなく、他に適当な女が結婚相手がいなかったから、やむなくやったようなもの。

 クソ元夫は犬やら、牛やら、豚とやるより、恵梨香が人間であるだけマシぐらいの扱いだった。実際に言われまくったし、豚の方がマシを何度言われたことか。それだったら、やるなと思ったけど、他に女がいないから求めやがった。そんな恵梨香との食事だけど、あんな高い店で平然と、

『お任せで』

 これが言えるのはさすがに医者だと思ったもの。でもね、ボンボンだけど根がイイやつなのはすぐにわかったよ。と言うか、あんなロマンチストがこの世にいるんだと驚いたぐらい。これは貶してるんじゃない、褒めてるんだよ。


 話は飛ぶけどあいつのオンリー・ワン感覚はコチコチの女性コンプレックスの裏返しだ。頭から女にはもてないと思い込んでるよ。中学生でナンバー・ワン・レースからさっさと身を引くのは早すぎだよ。

 その辺は美醜感覚がかなり違うのも確実にあるね。だいぶわかってきたけど、ある水準以上の美人は最初から相手にしないんだ。それも決して嫌いじゃなくて、無縁の存在と割り切ってしまうぐらいで良いはず。

 それとあのロマンチストぶり。智子も由佳も会った事なんかあるはずないけど、とくに智子は、どこをどう聞いても地味子だよ。ああいうタイプは中学・高校レベルでは洟も引っかけられないどころか、同じクラスにいたことさえ忘れられてもおかしくない。

 悪い子とは言わないし、大学以降に変わることも多いけど、もてはやされるタイプとは思えないよ。それなのにいきなり初恋の相手に選んだのにビックリさせられた。誰を好きになろうと自由だけど、普通はまず他を選ぶだろ。

 言い方は悪いけどナンバー・ワンとの初恋に破れた後のその次でも早いぐらいで、その次の次ぐらいにようやく見いだされるポジションがせいぜいのはず。なのに、あの傾倒ぶりは尋常じゃない。思い出は美化されるけど、未だにあいつの中ではダントツの超絶美少女、それも汚れを知ることのない聖女そのままだものな。

 智子だって結婚してるのだから、旦那とギッコンバッタンやりまくってるし、その時に嬌声を挙げまくってるはずだけど、そういう事は考えもしないぐらいだよ。まあ、そこまでは言い過ぎか。あいつにとっての智子は高校生のままだし、初恋の思い出に結婚後のギッコンバッタンをわざわざ加味しないものな。


 それとだけど、あいつは中学・高校時代でも、モテてたはずだよ。そりゃ、あの頃は運動部のスター・クラスが男子のナンバー・ワンになるけど、女の方がオンリー・ワンに進むのは早いんだよ。中学はまだしも、高校ぐらいになるとナンバー・ワンからオンリー・ワンにシフトする割合が増えていくのよね。

 あいつもそういう感覚の早い女には目を付けられていたで良いと思う。現実に智子にも、由佳にも迫られてるじゃないか。美佐江って子もそうで良いと思う。高校の時に、あいつがモテる実感が無かったのは智子のせいに違いない。

 智子は絶対にやってたはずだよ。あいつとの仲の公認化。この辺は学校によって違うけど、カップルにも段階があって、その最上位が公認カップル。別に公認と言っても宣言したり登録される訳じゃないけど、公認カップルと見なされたら、そうだね、結婚しているぐらいに扱われて誰も手出しをしなくなるぐらいの感じ。

 智子との交際の実態はあいつがウソを吐くはずもないからあの程度だけど、智子は女子の間では彼氏だと認めていたはず。あいつはどう見たって智子に御執心なのがミエミエだろうから、

『なるほど! そういうことか』

 こういう噂が広がるって寸法。ああいうタイプの地味子が本気を出したらそれぐらいはするよ。たぶん母親にもやってた気がするぐらい。いや、やってたはず。そうじゃなきゃ、帰宅時のデートが田舎であれだけ続くわけがない。

 そうそう地味子ってツンデレが多いんだよ。地味子は自分に自信が無いから、好きな男に話しかけられても、緊張しすぎて気の利いた受け答えが出来ないのだよね。頭の中が完全にテンパっちゃって、出てくるのはウンとかスンになっちゃうぐらい。

 表情だって笑顔なんて無理で、うつむき加減に強張った表情になっちゃうぐらいかな。そう見た目は完全にツン、それもゴチゴチのツンしか出来ないのが地味子だよ。男でも地味男なら似たようなもの。

 智子もそうだよ。あいつが一生懸命になっても、帰って来るのは緊張のあまりのツンだけ。そう本音ではデレをしたくて仕方がないのに、どうやっても出来ないぐらいかな。よくまあ、あいつは三年間も地味子のツンに耐えられたものと尊敬するよ。


 でもだよ、そんな智子が熱中するぐらい、あいつには価値はあると思うよ。今は医者だからなおさらだけど、あんな奴はそうはいないよ。愛した分の三倍ぐらい返してくれるタイプだもの。恵梨香の初婚の相手があいつだったら絶対に手放すものか。あのクソ舅、クソ姑がいても耐えられた気がするぐらい。

 これはさすがに無理があるけど、あいつなら守ってくれるはずだし、実家から恵梨香を連れて逃げ出してくれたはず。そう、そこまで敢然と愛する人を守り抜いてくれるタイプで良いと思ってる。

 それと、あいつが好きな女を聖女扱いするのは今だって基本は変わってないものな。だってだよ、この恵梨香にもそうとしか思えないところがあるんだよ。あいつは恵梨香のメシ食ってる顔を見るだけで幸せって言ってくれるけど、恵梨香はタダ飯食って肥えてるだけのビッチ。

 最初の結婚の時に他の家の娘は逃げたけど、恵梨香が逃げられなかった理由は悔しいけど逃げようにも相手がいなかっただけなんだ。このご面相とスタイルじゃね。そう、恵梨香も喪女だったってこと。

 それは自覚してる。だから上司との不倫だって、自分が取って代わろうなんて夢にも思わなかったし、そういう女だから上司も性欲発散に利用したで良いと思ってる。誰だって恵梨香相手に欲情しまっくてるなんて想像するのも難しいぐらいかな。

 だから三年やっても社内でもバレなかったぐらいと思ってるし、あれだけ恵梨香が燃え上がって、ラリって、なんだって受け入れたのも、それが恵梨香の値打ちと思ってたよ。恵梨香の女で価値があるのは今ですらビッチだってことだけ。

 これもあいつへの絶対の秘密だけど、恵梨香の給料であれだけの高級店を知っているのは不倫の上司に御馳走になったから。体へのせめてもの代償ぐらいだったと思ってるよ。体売ってたわけじゃないけど、まあ、それぐらいはね。


 恵梨香にあいつが考えてる聖女の資格はない。バツイチだし、短大卒だし、不倫歴もあるし、歳だって近すぎるしビッチだからね。あいつだって再婚するなら子どもも欲しいだろうけど、恵梨香の歳からじゃキツイところがある。というか、もっと若いのをいくらでも選べるじゃない。なのにだよ、あいつは、

『恵梨香はイイ女だよ。イイ女と一緒にご飯を食べられるだけで幸せ』

 こんなセリフがサラッと出やがるんだ。そんなもの言われたら恵梨香だって嬉しいに決まってるじゃないか。そうよ勘違いしそうになっちゃうってこと。でも無いよ、あり得ないよ。

 誰が恵梨香を好きになるものか。誰が恵梨香をベッドに誘うものか。あの不倫上司が例外過ぎたってことだよ。それぐらいはわかってる。だから冗談でもホテルに誘うな。女に対する礼儀かもしれないけど、お世辞も度が過ぎれば嫌味になるってことだよ。

 だいたいだよ、恵梨香がOKしたらどうするつもりなんだよ。冗談で済ますつもりか。それとも冗談ついでに恵梨香とやるつもりか。裸になった恵梨香に欲情できずに恥かくだけだぞ。そんなもの冗談にもなりゃしない。

 それぐらい服の上からでもわかるだろ。てめえの目は節穴か。恵梨香は美味い物を食べさせくれりゃ、それで満足なんだ。他を無理して求めるふりをするな。でも、下心がないとしたら、どうして恵梨香に飯食わせてるんだろ。ある種の慈善事業かな。女に困るようなやつじゃないからな。