ミサトの不思議な冒険:クレイエール・ビル三十階

 ミサトは決心した。この状況を覆せるとしたらエレギオンの女神を頼るしかないって。ここまでになっちゃうと、エレギオンの女神だって無理かもしれないけど、頼れるものはなんでも頼らいないと。

 クレイエール・ビルはポートアイランドにあるんだけど、ミサトも行くのは初めて。かなり古いビルだそうだけど、とにかくあのエレギオンHDがあるところだから、活気に溢れてる感じがする。

 問題はどうやってエレギオンの女神に会うか。だってだよ、雲の上のおエライさんだから、タダの大学生が訪ねても会ってくれるかどうかわからないもの。ミサトも裁判から火事騒ぎで心身ともにズタボロ。新田先生に鍛えられた平常心もガタガタ。

 考えてたのは受付で死ぬ気で粘って会ってもらうだけだった。広い玄関ホールに入ると立派な受付があり、面会希望を告げたのだけど予想通り、

 「月夜野も、夢前も、霜鳥も予めアポイントメントの無い方にはお会いできません」

 加茂先輩達からアポイントメントが必要な事は教えてもらっていたけど、これもとくに初めての人は誰かの紹介みたいなものが必要そう。エレギオンの女神の知り合いと言われても思いつきもしなかったんだよ。だから、ここでとにかく粘るのがミサトのすることのすべて。でもいくら頑張っても、

 「アポイントメントのない方との御面会は申し訳ありませんが出来ません」

 こっちだって尾崎家のすべてがかかっているから、必死になって食い下がったけど、

 「アポイントメントのない方との御面会は申し訳ありませんが出来ません」

 霜鳥常務の言っていた約束はウソだったのだろうか。でも親父は、女神は必ず約束を守ると言ってたはず。今、助けてもらわなくていつ助けてもらうっていうのよ。時刻は正午を回ったみたいで、昼休みに出かける社員の群れがエレベーターからどっと出て来てた。

 ミサトも空腹だった。もう不安と焦燥でご飯が喉を通らない状態。今日も朝ごはん抜き。絶望と空腹で目眩がしてる。なんか意識がふっと遠くなる気がして・・・

 「ミサトさんやんか」

 倒れかけたミサトを誰かが抱き留めてくれたみたい。なにか体にスゥッと力が送り込まれた感じがして意識が戻ってくれた。振り向くと、

 「コトリさん!」

 シノブさんや霜鳥常務の顔も見えた。霜鳥常務は受付の人を叱っているみたい。

 「・・・選りもよって特別リストを見落とすとは不注意にも程があります。今日のここでの仕事は結構です。もう少し勉強して頂きます」

 それからミサトに向かって、

 「尾崎さん、本当に申し訳ありませんでした。当方に手違いのあったことをお詫び申し上げます」
 「ミサキちゃん、シノブちゃん、予定変更や。お昼は三十階にする」

 ふと見ると受付の人の顔が真っ青になってた。そっか、エレギオンHDのトップ・スリーの前で重大な失態をしたってことかもね。でも、良かった。女神はミサトとの約束を忘れていないよ。

 でもさっき三十階って言ったよね。ここの三十階って、ただの三十階じゃないはず。ミサトですら聞いたことがあるエレギオンHDの心臓部、現在のミステリー・ゾーン。

 『コ~ン』

 エレベーターはどこにも止まらずに三十階に直行したのだけど、ここはなんなのよ。朱塗りの木橋があって、向こうに門みたいなものがあるじゃない。さらにビルの中に家が建ってるってどういうこと。見るからに立派な玄関から、豪華なリビング。ソファに座らされたミサトに、

 「あり合せしかないけど勘弁な」

 これのどこがあり合わせって料理が次々と、腹減ってたミサトはガツガツと。ちょっと落ち着いてから、

 「それでどうしたんや」

 ニコニコと微笑む優しそうなコトリさんの顔を見たら、もう耐えられなくて、

 「うぇ~ん、どうか助けて下さい・・・」

 涙でグショグショになりながら懸命になって話した。何度も詰まったし、ちゃんと話せなかったりしたけど、コトリさんたちは我慢強く聞いてくれた。SSKのこと、理不尽な言いがかりの事、そこからの裁判、自宅の放火、裁判所の一審での完敗・・・

 「シノブちゃん、頼むで。どれぐらいかかる」
 「必ず翌朝までに」

 そういうと部屋から出て行っちゃった。コトリさんは、

 「裁判やけど任せてもらうで。それと今日は泊っていってな。もうちょっと聞きたいけど仕事もあるし。ミサキちゃん、家への連絡と着替えを用意したって」

 コトリさんと霜鳥常務も仕事に出かけて行って残されたんだ。でも、久しぶりに落ち着いた気分。三十階のどこに行ってもいいし、冷蔵庫の中とかのものは自由に食べて良いと言われたけど、それにしても、ここはなんなの。

 豪華なシャンデリアとグランド・ピアノがある広々としたリビング。キッチンと言うより厨房みたいな台所。お風呂も広くて、ジャグジーとサウナまで付いてるじゃない。どこもピカピカに磨き上げれらていて、チリ一つないものね。

 家の周りも苔がビロードのように広がる庭。そこにせせらぎが流れて、鯉まで泳いでるし、時々鹿威しが鳴り響いてる。渡り廊下の先にあるのは茶室だよあれ。アスレチック・ルームとか、ビリヤードやダーツが置いてある娯楽室、さらに大きなスクリーンの映写室、まるで美容室のようなドレッシング・ルーム・・・

 ぶっちゃけ、お屋敷みたいなものだけど、ここはクレイエール・ビルの中のはず。ここが世間であれこれ言われるエレギオンHDの心臓部ってこと? することもないから、テレビを見ていたけど不思議な気分。


 十六時頃になって誰かが入って来たから、コトリさんたちが帰って来たと思ったんだ。リビングのドアが開くと、

 「尾崎、何があったのだ!」

 見ると麻吹先生と新田先生。顔を見た瞬間にまた涙が止まらなくなっちゃった。コトリさんから連絡を受けて来てくれたんだ。麻吹先生たちにも事情を話したのだけど、

 「どうして、わたしに相談しなかった」
 「御迷惑だと・・・」

 そしたら麻吹先生は、それこそ憤然として、

 「尾崎はわたしの可愛い教え子だ。教え子が困っていれば助けるのが師匠の仕事だ。そんなに頼りにならないと思われていたのなら、わたしは悲しいぞ」

 新田先生も、

 「尾崎さん、あなたを弟子同様に扱うと言ったのをお忘れですか。これは指導も弟子同様ですが、なにか困ったことがあれば相談に乗るもの弟子同様です」

 それから泣きじゃくるミサトを優しく抱きしめてくれた。ずっと、ずっと、ミサトが落ち着くまで。落ち着いてきたミサトに、

 「コトリちゃんが引き受けてくれるからには安心しろ。たとえ米軍相手でもなんとかしてくれるはずだ」

 火事から大学にも行けなくなって、ずっと一人ぼっちの感じだったんだよ。親父もお母ちゃんも憔悴しきって口もきけないぐらいになってたし。世の中のものが全部灰色にしか見えなかった。すべての人に見捨てられ、希望が全部なくなってしまった感じ。でもいたんだ。こうやって助けてくれる人が。ミサトのために何とかしてくれようとする人が。

 「あったり前だろう。誰が尾崎を見放すものか。オフィス加納の総力を挙げても必ず助けてやる。それが麻吹つばさの弟子だ。おっと、尾崎は弟子同様の教え子だがな」
 「そうですよ。尾崎さんは、この新田まどかの可愛い、可愛い教え子でもあるのですから」