先例と方便

7/8付け産経新聞より、

銚子市立総合病院が休止へ 民営化で再開めざす 千葉

 医師不足で患者数が減り、経営難が深刻化している銚子市立総合病院の運営が9月末で休止されることが7日、分かった。市は今後、民間譲渡などで存続を目指すが、再開は早くて来年4月以降になる。

 市によると、現在入院中の患者159人は休止までに順次、周辺病院に転院させる。事務職(市職員)を除く医師や看護師、検査技師ら205人の職員は整理退職となる。

 会見した岡野俊昭市長は「千葉大や日大などからの医師派遣が極めて困難。経営改善には多額の支援が必要で市の財政状況では厳しい」と休止の理由を挙げ、「今後も医師の退職が予想され、入院や救急の受け入れができず収入が大幅に落ち込む」と説明した。

 市の試算では、病院を廃止した場合の市の負担額は企業債の残金や退職金の負担金、累積赤字などを含めて約70億円に上るという。

銚子市立総合病院に関する舞台裏的な話は、ssd様の銚子はど〜よでお読みください。終わるときには、終わるような気運が噴出する様子が窺えて興味深い内容です。銚子市の病院運営に対する姿勢の問題を指摘する声が多いようですし、それは間違っていないとも思います。ですからその件はここで重ねて触れずに銚子市が病院運営を放棄した意味合いを少し考えてみたいと思います。

千葉の銚子と言われても関西人には馴染みの少ないところで、私がせいぜい知っている範囲なら、かつて銚子商業が甲子園で黒潮打線の名の下に活躍した事ぐらいです。あれも相当昔ですから、覚えている人もかなり高齢化しているんじゃないかと思います。市のホームページを見てみると人口7万人余り、そうそう漁業でも有名だったはずです。

別に銚子市が格別どうのと言いたいのではなく、全国どこにでもあるような地方小都市だろうと言いたいだけです。この様な小都市は全国にたくさんあります。またこういう小都市の殆んどは、それなりの規模の市民病院を運営しています。さらに、こういう小都市が運営する市民病院が医療の充実に果たしてきた役割は計り知れないものがあります。もちろん影の部分もタンマリありますが、そこは軽く触れる程度にしておきます。

地方小都市は僅かな例外を除いてどこも財政難に呻吟しています。なぜ軒並みの財政難に陥ったのかの問題もややこしいからスルーしますが、現実的に財政難に苦しんでいます。当然といえば解説が雑になりますが、地方小都市が運用する市民病院もまた赤字経営に喘いでいます。もともと市民病院は公立病院としての使命から、医療経営的観点からすると不採算部門を維持する役割が暗黙の了解のうちに課せられていましたから、民間病院に較べると体質的に赤字になりやすいところがあります。

体質的に赤字傾向があると言っても、医療全体が黒字傾向にある時はそれを全体でカバーするのもそんなに難しくありませんでしたし、赤字が出ても自治体の財政に余裕があれば「市民の生命と健康のため」の大義名分で余裕で補填は可能でした。赤字を補填しても維持するメリットは十分にあると考えられていたのです。

ところが長年にわたる医療費削減政策により公立病院を黒字にするのは容易な事では難しくなっています。さらに赤字を補填していた自治体の財政自体が急速に悪化し、苦しいどころか一皮剥けば破産の瀬戸際にあるところもゴマンとある状態に変ってきています。そういうところに真の評価は別にして自治体の会計手法の変更が行われ、ニッチもサッチもいかないところが続出状態が今の日本です。

つまり地方小都市にとって市民病院は財政上の単なるお荷物と化しているのです。市民病院の赤字をなんとか会計処理しないと自治体ごと破産するような状態に瀕しているという事です。とは言え、市民病院を安易に閉鎖するのは地方政治の重要問題になります。すぐに反対運動が起こり、市長や議員のクビが危うくなる寸法です。

財政のための病院閉鎖に対する反対運動を押さえ込むためには、お役所的に必要な説得材料として、

  • 先例:「どこか」が先にやっている
  • 方便:住民に医療が困らないように説得する材料
この2つが必要になります。

地方小都市の意識は周辺自治体との強烈な横並び意識があります。これだけの数の市民病院が出来たのは横並び意識の賜物ですし、横並び意識の下では先陣を切って閉鎖するリスクは非常に高いものがあります。言い方は悪いですが、財政難の中、赤字の市民病院を維持しているのは横並び意識だけと言って良いかもしれません。

横並び意識は一種の見栄ですが、本音は「潰してしまいたい」のマグマは赤字財政の中、臨界点に達しようとしています。臨界点に近づくだけで既に惨状を各地で呈しています。「潰さないために」と経営改善に乗り出したところはたくさんありますが、ごく一部を除いてさしたる成果を上げられず、かえって医師の逃散を招き病院機能自体が半身不随に陥ったところは枚挙に暇がありません。半身不随になると病院赤字の増加速度はさらに加速し、地方小都市にとって病院と言うお荷物はさらに重くなる現象を呈しています。

横並び意識が最後の砦ですが、これを打破するためには先ほど上げた「先例」と「方便」が求められます。先例に関しては、少し前に佐賀の武雄でそんな事が起こりましたが、銚子が明確な2例目になります。これで既に例外的現象でなく、先例として確立されたと言えるようになります。方便としては民間譲渡です。公立ではなくなるが、民間病院として存続するから「市民と生命と健康は守れる」と弁明できます。ここで重要なのは民間譲渡であって、中途半端に関わりが残るPFI方式ではないところです。関わりが残れば再び赤字騒動が再燃します。

ここで注目したいのは、類似先行例の佐賀の武雄の場合は速やかに民間譲渡が行なわれているようです。ところが銚子ではまず完全に閉院し、これから譲渡先を探す手法を行った事です。やや似た様な経過は舞鶴でもありましたが、舞鶴の場合は民間譲渡を決定しながらも閉院せずに譲渡先を探し、探し損ねてドタバタ劇を演じています。

そうなんです、銚子の決定が画期的なのは、方便としての民間への譲渡先が決まらないうちに閉院してしまう事です。閉院さえしてしまえば、譲渡先が見つからなくとも舞鶴のように延命策を講じる必要がありません。ある程度時間をかけて、譲渡先が見つかればそれで良し、見つからなければ無念の表情を作りながら、

    懸命の努力にも関らず譲渡先は見つからず、病院存続は断念します。
いつ発表するかはそれこそ時間をかけて「政治的タイミング」を図ってでOKになります。後は住民が困っても、一から病院を作り直す予算などどこにもありませんから、めでたく平穏にお荷物解消になります。

この先例は財政難に喘ぐ地方小都市にとっては非常に参考になると思われます。横並び意識消滅は雪崩現象とは言いませんが、五月雨現象の引き金には十分なると考えられますし、五月雨現象でも引き受ける民間病院の受け皿が十分とは思えません。新たな医療崩壊の目に見える現象がこれから展開されそうです。