前編は胎児ジストレスの診断からの帝王切開手術開始までの事実認定・注意責任義務を、ほぼ一審通り踏襲したところまで解説しました。「30分ルール」に含みを持たせるぐらいの変化はありましたが、そこまでの事実認定なら一審と同様の判決が下っても不思議ありません。なんと言っても、もともと実質審理無しの二審だからです。しかし結果は賠償額を約4割削減しています。どこが4割削減の根拠になったかですが、根拠になった一審判決文部分をまず引用します。
胎盤の病理学的感染所見は無関係と切って捨てられた部分です。ところが二審ではここが新たな焦点になります。焦点になった理由はこの点に関する新たな意見書を病院が提出したからです。意見書が主張したのは、
そもそも, 胎児は, 被控訴入母親の入院当初から, 子宮内細菌感染と臍帯胎盤の血管病変に起因して低酸素状態やアシドーシス状態にあったたものであり, 本件においては, それによって胎児に重篤な後遺障害(低酸素性虚血性脳症による痙性四肢麻痺) が発生したものであって, 控訴人病院医師の帝王切開の開始の遅れ等によって胎児に上記のような重篤な後遺障害が生じるに至ったものではない.
上記の主張は一審で切り捨てられた病理所見において十分証明できるとしたものです。これが二審の判断に大きな影響をもたらします。もたらすぐらいなら審理を行なっても良さそうなものですが、しつこいようですが実質審理は行なわれておりません。
判決文は延々と意見書からの引用の列挙がされており、これをここでも引用するのは長くなって困るのですが、判決文が直接読んでもらえないので我慢して引用していきます。
まず意見書は、
胎盤組織報告書は,著名な臍帯炎と絨毛血管炎の存在を示している。図1に示すように3度の臍帯炎とは, 胎児血から発した炎症細胞が臍帯血管の壁を越えて周辺の組織にまで浸潤した状態を意味している。すなわちこの所見は胎児白身の体内で炎症が存在していることの証拠である. 絨毛血管についても, これは絨毛内に存在する胎児側の血管を意味しており, 絨毛血管炎の存在は, 胎児側に炎症が存在していたことを明確に示すものである
病理はお世辞にも得意と言えないので、私では「なんとなく分かる」程度なんですが、わかる範囲で補足しておきます。胎児は子宮内で胎盤から伸びる臍帯でつながっています。胎盤は子宮内に付着しているのですが、胎盤内には絨毛血管と呼ばれる血管が豊富に存在し、この働きによって母体から栄養補給、ガス交換(呼吸)を行なっています。
胎盤内の絨毛血管に炎症があり、胎盤と胎児をつなぐ臍帯にも炎症があるという事は胎児に炎症が及んでいると事を示す所見であり、臍帯炎が「3度」である事がこれを証明していると解釈して良さそうです。この「3度」ですが、医学的表現では慣習的に症状の程度を4段階で分類する事が多く、「かなり強い」と解釈すれば良いかと思います。間違っていたら訂正お願いします。
本件の胎盤では, 臍動脈・絨毛血管・臍静脈のすべてに3度の亜急性ないし慢性の炎症を認めており, 臍帯から胎盤に入りまた臍帯にもどるすべての血管で中等度の炎症が存在していたことが明瞭に示されている。
これは上記所見のさらに解説で、胎児と胎盤に関連する
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臍動脈 → 絨毛血管 → 臍静脈
本件では生後72時間以内の児の血中IgMが38であるので, 子宮内感染は存在したことになる
新生児の感染でのIgMの基準は感染から5日後で20mg/dl以上であり、72時間以内で38mg/dlなら当然ことですが子宮内で感染を起していた証拠になります。病理所見とIgM所見を合わせて、
胎盤臍帯の血管病変が亜急性ないし慢性の変化であったという所見こそ, 「分娩前から胎盤に異常が発生していた」と考えることに極めて高い蓋然性を与えるものである
分娩前から感染があればどうなるかですが、
本件胎児は子宮内感染発症していること, そしてその臍帯胎盤の血管には分娩前から存在していた広汎な炎症所見が認められていることが明瞭に示されており, また臍帯胎盤の血管病変は児の神経学的後遺症と高率に合併するという報告があることから, 本件の児の神経学的予後と胎盤病変の存在が関係する合理的な根拠が存在すると考えられ
つまりと力むほどの事ではないですが、子宮内感染が患児の重篤な後遺障害に大きな影響を間違い無く及ぼしていると結論付けています。これは日本産婦人科学会誌からの引用ですが、
一般に,子宮内細菌感染症は絨毛羊膜炎, 羊水感染, 臍帯炎一胎児感染の三つに分類される. 絨毛羊膜炎は絨毛から羊膜にかけて細菌が侵入した状態で, 炎症反応の主体は母体である. 羊水感染になると細菌は羊水内にまで侵入し, 炎症反応の主体は母体のみならず胎児も含まれる. 臍帯炎にまで進行すると炎症反応の主体は胎児となる
これもまた臍帯炎まで進行すると感染の主体は胎児であるとの記述です。さらにさらにアメリカ産婦人科医会・アメリカ小児科学会編「脳性麻痺と新生児脳症」も引用し、
実は判決文に引用されている文献は網羅しきれていないのですが、これらの事から、
上記によれば, 本件において, 胎児(被控訴入患児) は被控訴人妊婦の入院当初から子宮内細菌感染と臍帯胎盤の血管病変に起因して相当程度の低酸素状態及びアシドーシス状態にあったものと認めざるを得ないものである。
そして, そうである以上は, 上記の状態は, 控訴入の前記アの「本件分娩監視装置の胎児心拍パターン(乙A6) の検討から, 胎児(被控訴人患児) が平成9年2月24日午後7時30分の本件分娩監視装置の装着時から既に低酸素状熊とアシドーシス状態にあったことが推測できる。」との主張について判断するまでもなく,平成9年2月24日の本件分娩監視装置の装着時においても継続していたものと推認することができる。
引用ばかりなんですが、一審判決で「無関係」と断定された胎盤病理所見との因果関係をある程度認める展開となっています。ここからも事実認定は二転三転していき、まず、
しかしながら検査結果報告書によれば, 臍帯炎はSNF(亜急性壊死性臍帯炎) までには至っておらず, 絨毛膜羊膜炎もなく, そして, 本件において被控訴人患児に残存した後遺障害である痙性四肢麻痺はジスキネジア型脳性麻痺と並んで分娩中の急性低酸素症による脳性麻痺の2つの典型例の1 であること(乙B9の136頁), などを考慮すると, 本件において, 上記のとおり, 胎児は被控訴人妊婦の入院当初から相当程度の低酸素状熊及びアシドーシス状態にあったものと認められるものの, それのみが原因となって胎児に実際に生じた現在のような重篤な後遺障害(低酸素性虚血性脳症による痙性四肢麻痺) が残存するに至ったもの, 換言すれば, 胎児に実際に生じた現在のような重篤な後遺障害の全面的なあるいは専らの原因となるほどの慢性的な低酸素状態及びアシドーシス状態が入院当初から胎児に存在していたもの, とは認め難いものというべきである。
子宮内感染の影響は認めるが、感染の程度が裁判所の事実認定として重篤な後遺障害のすべての原因であるとは認定できないとまずしています。では否定したかと言えばもう一度「しかしながら」が重ねられます。
しかしながら, 上記のとおり, 本件において, 胎児(被控訴人患児)は, 被控訴人妊婦の入院当初から子宮内細菌感染と臍帯胎盤の血管病変に起因して相当程度の低酸素状態及びアシドーシス状態にあったものである. そして, これが胎児に実際に生じた現在のような重篤な後遺障害(低酸素性虚血性脳症による痙性四肢麻痺) と無関係であるとは認められない。
「しかしながら」が2回重ねられた結果、子宮内感染は重篤な後遺障害のすべての原因ではないが、原因の一つであるとようやく事実認定されることになります。ここで判決文はもう一度引用文献を列挙し直した後に、
被控訴入妊婦の入院当初から胎児(被控訴人患児) に存在していた子宮内細菌感染と臍帯胎盤の血管病変に起因する相当程度の低酸素状態及びアシドーシス状態が素因として存在し, これが寄与して胎児に現在のような重篤な後遺障害(低酸素性虚血性脳症による痙性四肢麻庫) が残存したものと認めるのが相当である。
グルグル話が回った感じがしますが、裁判所の重篤な後遺障害に関係すると認定したものは、
この二つの因子がいずれも関係しているとなります。グルグル回るうちに子宮内感染症だけではないとする結論部分の説明として、仮に上記の点をしばらくおくとしても(すなわち, 被控訴人妊婦の入院当初から胎児(被控訴人患児) に存在していた相当程度の低酸素状態及びアシドーシス状態が胎児に実際に生じた現在のような重篤な後遺障害に全く寄与していなかったとしても), あるいは, 上記の点に加えて(すなわち, 被控訴入妊婦の入院当初から胎児(被控訴人患児)に存在していた相当程度の低酸素状態及びアシドーシス状態が胎児に実際に生じた現在のような重篤な後遺障害に寄与したことに加えて), 本件においては, 控訴人病院医師が前記4(2]の注意義務の履行を怠ることなく帝王切開術の準備を具体的に開始していたとしても, 少なくとも帝王切開術自体の開始はそれを行う事を決定した午後9時45分ころまでは行われなかったのであり, 仮に前記4(2)に述べたところにより帝王切開術を行うことを決定してから30分以内である午後10時8分ころに帝王切開術を開始したとしても, 既にその時点では, 胎児に実際に生じた現在のような重篤な後遺障害(低酸素性虚血性脳症による痙性四肢麻療) を残存させるような深刻な低酸素状態及びアシドーシス状態には至っていなかったにしても, かなり強い低酸素状態及びアシドーシス状態に陥っていたと認めることができるものである。
かなり持って回った言い方なので解説が要りますが、ここでの「仮に」はまず2点です。
- 被控訴人妊婦の入院当初から胎児(被控訴人患児) に存在していた相当程度の低酸素状態及びアシドーシス状態が胎児に実際に生じた現在のような重篤な後遺障害に全く寄与していなかったにしても
- 被控訴入妊婦の入院当初から胎児(被控訴人患児)に存在していた相当程度の低酸素状態及びアシドーシス状態が胎児に実際に生じた現在のような重篤な後遺障害に寄与したことにしても
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子宮内感染による影響があっても無くても
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子宮内感染による影響ががあっても無くても、さらに30分以内に帝王切開を行ったとしても
既にその時点では, 胎児に実際に生じた現在のような重篤な後遺障害(低酸素性虚血性脳症による痙性四肢麻療) を残存させるような深刻な低酸素状態及びアシドーシス状態には至っていなかったにしても, かなり強い低酸素状態及びアシドーシス状態に陥っていたと認めることができるものである。
ここは病院側の注意管理義務についての部分ですが、正直なところ自分の読解に自信がもてません。あえて読み取るならば、
- 子宮内感染の影響で胎児は低酸素状態及びアシドーシス状態はあった
- そういう状態も影響して21:40に2回目の遅発性一過性徐脈があり胎児ジストレスの診断が下った
- そこからたとえ30分以内に急速遂娩を行なっても状態は良くなかった可能性は認められる
- 良くない可能性はあるが子宮内感染の影響は決定的でなく(そういう風に事実認定)、30分以内であればここまで悪くなかったとも考えられる
- だからやはり被告産科医が21:00でなく21:45に帝王切開術の開始を決定したのは遅すぎ注意責任義務は生じる
- しかし30分以内であれば後遺症が残らなかったとは言い切れない
上記のア及びイの事情を総合考慮すると, 被控訴人らはその損害の4割を自己において負担すべきであり、残額6割を控訴人に請求することができるものというべきである。
つまり患者側の子宮内感染の責任を4割認めている判決という事になります。産科医サイドとしては「6割も助かる根拠は?」との声も出そうですが、そういう判決だから仕方がありません。
CP訴訟はあんまりと言うか殆んど読んだ事は無いのですが、子宮内感染の影響の事実認定はこれまでどうだったのでしょう。もしこれまで余り事実認定されていなかったのなら「画期的」とも言えない事はありません。一方で「30分ルール」がここまで持ち出されたことは今後に悪影響は必至です。僻地の産科医様のコメントですが、
このような論文があります。
「緊急帝王切開術に要する時間の実態一大阪府下病院調査より−」
(産婦人科治療 2007 vol.94 No.2 p197-200)
http://obgy.typepad.jp/blog/2007/12/post_1341_9.htmlあの大阪府でさえ所謂30分ルールの実施できる施設は,56施設中わずか2施設に過ぎなかったという論文です。
また近々、神奈川県内での同様の調査結果が出る予定で、そちらのほうは資料を手に入れ次第、ブログにてあげさせていただく予定ではありますが、30分以内で帝王切開できる施設は1施設も存在しなかった、という結果だったと漏れ聞いております。
「30分ルール」が実施できない施設においては、遅発性一過性徐脈の疑いが出た時点で緊急帝王切開手術の準備に奔走しなくてはならなくなります。もちろん時刻に関係なしです。スタッフが招集されスタンバイされても2回目の遅発性一過性徐脈が現れず回復したなら、そのまま待ちぼうけです。準備のための人件費その他はどこにも転嫁できませんから、そのまま病院負担です。召集されたスタッフも分娩終了までひたすら待機で一晩中なんて事も十分ありえます。
まだそれでも今回の胎児ジストレスは通常2回目は30分後以降に起こる事が多いらしいので、スタッフの負担を除けばまだ対応は物理的に不可能ではありません。しかし他の急速遂娩を必要とする急変にまで「30分ルール」を持ち出されたら撃沈です。また物理的に可能と言っても現実として乏しくなる一方の医療資源では可能なのは「机上では」「精神論では」になります。
いずれにしても実質審理無しで下された判決にしては物凄い内容だと改めて感じます。