常位胎盤早期剥離

5/3付読売新聞より、

病院 「急変予測できず」
妊婦・胎児死亡 遺族は提訴検討

 静岡厚生病院(静岡市葵区北番町、265床)は2日、同病院で4月27日に手術を受けた静岡市駿河区の妊婦(24)と10か月の胎児が死亡する医療事故があったと発表した。玉内登志雄院長は「典型症状ではなく、急激な悪化を予測できなかった」と述べ、想定外の事態だったことを強調したが、遺族は病院の対応に不信感を募らせている。

 同病院によると、妊婦は初めての妊娠で、昨年9月から同病院に通院。妊婦は、死亡する約14時間前の27日未明、陣痛が出たため同病院に電話したが、応対した看護師や助産師が「痛みは強くない」と判断、いったん自宅待機となった。

 同日早朝、再び陣痛が強くなり入院。胎児の心音が確認できず、呼び出された産婦人科医が、分娩前に胎盤が子宮内ではがれる「胎盤早期剥離(はくり)」と診断、帝王切開したが、胎児は死亡していた。手術後、妊婦も血圧が急激に低下し、大量出血を起こして死亡した。

 胎盤早期剥離は妊婦の1%程度にみられ、胎児に酸素が供給されないため、胎児死亡率は30〜50%と極めて高い。妊婦も出血を起こすことが多いが、死亡率は一般に10%未満で、妊婦、胎児とも死亡するのは「妊娠5000〜1万例中に1例」(玉内院長)とまれだという。玉内院長は「胎盤早期剥離は予防できず、早期発見するしかない」と言うが、「死亡2日前の診察では異常は見られなかった」ともしている。

 妊婦の父親(55)は読売新聞の取材に、「事故当日、病院は『出血はさほどなく、(死亡の)理由はわからない』と言っていたのに。今の時代に、母子ともに死亡するなんて信じられない。提訴も検討したい」と話した。

医療系ネットを賑わしている記事ですが、この事件では分からないところがかなりあります。治療に関して医療側に不手際があったかどうかです。経過が比較的詳しく掲載されている5/2付静岡新聞には、

大量出血の妊婦死亡、胎児も助からず 静岡の病院

 静岡厚生病院(静岡市葵区北番町、玉内登志雄院長)は2日、陣痛を訴えて来院した静岡市内の妊婦(24)が大量に出血し、死亡する医療事故があったと発表した。胎児も助からなかった。病院と遺族はそれぞれ、静岡中央署に届け出た。同署は司法解剖するなどして過失の有無について任意捜査を始めた。
 同病院によると、妊婦は分娩(ぶんべん)予定日を3日すぎた4月27日午前0時ごろ、陣痛が始まったと同病院に電話連絡。対応した看護師、助産師は問題がないと判断し、自宅待機を伝えた。妊婦は約6時間後に再度電話で訴えて来院し、同日午前8時すぎに医師が診察したところ、既に胎児の心拍は無かった。
 母体は、胎児がまだ子宮内にいるのに胎盤がはがれてしまう症状「胎盤早期剥離(はくり)」が確認された。緊急帝王切開を行い、子宮内から死亡した胎児を取り出した。母体は3リットルを超える大量の出血があり、輸血を含む5リットル以上の輸液で対処したが、けいれんや意識レベルの低下が起こり、妊婦は同日午後1時40分ごろ死亡した。
 妊婦は昨年9月に同病院を初めて受診し、死亡2日前の4月25日の診察では母子ともに異常はなかったという。
 玉内院長は「母子ともに亡くなった結果について遺族におわび申し上げます」と述べた上で、「現段階では医療過誤との認識はない」と話した。
 病院の届け出を受けた静岡中央署は病院関係者から任意で事情を聴き、カルテなどの提出を受けた。


ここからエッセンスを取り出すと、

  1. 4月25日の診察では母子ともに異常はなかった
  2. 4月27日午前0時ごろ、陣痛が始まったと同病院に電話連絡
  3. 対応した看護師、助産師は問題がないと判断し、自宅待機を伝えた
  4. 妊婦は約6時間後に再度電話で訴えて来院
  5. 午前8時すぎに医師が診察、胎児心音の停止を確認、常位胎盤早期剥離を診断
  6. 緊急帝王切開を行ったが午後1時40分ごろ死亡
実はこれでも殆んど分からないのですが、
    母体は3リットルを超える大量の出血があり、輸血を含む5リットル以上の輸液
この記述は記者の聞き違いによる間違いであろうと判断されています。帝王切開時の出血は羊水と入り混じり正確な出血量の測定は困難です。また3リットルの出血に対し5リットルの輸血輸液を行なっているのであれば、それだけでは死因となりません。産科関係者の推測では常位胎盤早期剥離に伴う産科DICのコントロールが上手く行かなかったのではないかと推測されています。

ここで常位胎盤早期剥離の基礎知識をおさらいしたいと思います。これについては小児科医の私の解説より専門家である「ある産婦人科のひとりごと」氏の常位胎盤早期剥離についてを読んでもらった方が遥かに良いのですが、ごく簡単にまとめておきます。

  1. 通常出産後に剥がれる胎盤が妊娠継続中に剥がれてしまう病気
  2. 胎盤が剥がれたところに胎盤後血腫が形成されDICを起す
  3. 胎盤が剥がれると胎児への酸素の供給が断たれ死亡する
  4. 時期はいつでも起こりえる
  5. 発生時期の予測は不可能
  6. 発生頻度は全妊娠の0.44〜1.33%
  7. 母体死亡率は4〜10%、児死亡率は30〜50%
症状の進行は比較的ユックリ進むものから急激に進行するものまで様々であるともされています。静岡新聞の経過で死亡2日前には異常なかったなんて事はごく普通の事です。常位胎盤早期剥離は、
    予測不能で、突然起こり、母子ともに死亡率が高い病気である
ちょっと大雑把過ぎますが、この程度の理解でも必要にして十分かと思います。典型的な症状は、
    動けなくなるぐらいに激烈な下腹痛で、お腹は板のように硬くなる
こう書いてあれば見つけやすそうな気もしますが、この激烈な腹痛の程度も様々で、最前線の産科医の実感では「最後は第六感」であるとされています。ギリギリで発見できた体験談を読んでも、「何か嫌な感じがして」とか「どうも胸騒ぎがして」検査したら発見したという話がゴロゴロ転がっています。ましてや陣痛と重なれば判断は微妙にならざるを得ないと思います。

この事件の経過で結果としてどうしても目に付いてしまうのが、

    対応した看護師、助産師は問題がないと判断し、自宅待機を伝えた
遺族は提訴も検討しているとしていますので、当然問題視されてくると思います。ここも詳細なやり取りが不明なので言い切れない部分ですが、予定日を3日過ぎた妊婦の腹痛を陣痛と判断してもさして不思議無いと思います。陣痛が起こって不思議無い時期の妊婦の腹痛を、即座に常位胎盤早期剥離と結びつける判断の方が飛躍しているとすれば言いすぎでしょうか。逆に言えば腹痛があればすべて常位胎盤早期剥離の可能性を考えて受診せよになってしまいます。もちろんどういうやり取りがあったかの情報を待って判断する必要があるのは言うまでもありません。

それと記事の表現が気になります。

    死亡率は一般に10%未満で、妊婦、胎児とも死亡するのは「妊娠5000〜1万例中に1例」(玉内院長)とまれだという
もう一度常位胎盤早期剥離の統計数字を並べますが、
  1. 発生頻度は全妊娠の0.44〜1.33%
  2. 母体死亡率は4〜10%
  3. 児死亡率は30〜50%
全妊娠で考えると母体死亡率は低く取って、
    0.44%(全妊娠の発生率) × 4%(母体死亡率) = 0.018%(全妊娠に対する死亡率)
約5500人に1人です。これを高くとれば、
    1.33%(全妊娠の発生率) × 10%(母体死亡率) = 0.13%(全妊娠に対する死亡率)
約770人に1人です。つまり約770〜5500人に1人は常位胎盤早期剥離で妊娠により母体は死亡する事になります。胎児死亡率も同様に計算すれば、約150〜760人に1人死亡します。これもまとめると、
  • 全妊娠での母体死亡率:約770〜5500人に1人
  • 全妊娠での胎児死亡率:約150〜760人に1人
ここで胎児と母体の死亡ですが、病態から考えて胎児は死亡しても母体は生存する可能性の方が高いと考えます。つまり胎児は生き残っても母体だけ死亡するケースは多くないと考えても良いんじゃないでしょうか。もっともこれについても正確な統計が無いので「わからない」としておきます。

何が言いたいかと言えば、全妊娠からの比率を見れば母体死亡率は約770〜5500人に1人ですが、常位胎盤早期剥離が起こってしまえば

  • 母体は10〜20人に1人は死亡
  • 胎児は2〜3人に1人は死亡
この事件では不幸にして母体も胎児も死亡しましたが、これは決してレアケースとは言えません。それぐらい怖い病気である事の視点が数字のマジックで隠蔽されているように感じてなりません。なおかつ常位胎盤早期剥離は、予防も予期も不可能な病気だからです。大袈裟に言えば一旦発病すれば、胎児はまさに五分五分の世界であり、母体だって相当な高確率で死と向き合わなければならない病気なのです。

マスコミ記事は大きな影響があります。医療関係者以外が病気の解説を読むのはマスコミ記事がやはり一番多いと考えられますが、疾患の解説を行なうのなら出来るだけ正確な内容を望みます。記事の表現では常位胎盤早期剥離では「まれにしか死なない」の誤解をもつ読者が現れることを危惧します。医療関係者として伝えて欲しい事は、いかに常位胎盤早期剥離が怖い病気であるかです。

それと異状死に関する医師法21条問題や異状死の届出だけで報道を行なう必要があるのかについては、昨日のコメント欄で既に論議されていますので、今日はあえて触れませんでしたのでその点は御了解ください。