どうも苦手な分野なので逃げようと2日間努力してきましたが、やはり世間的にも関心は強いですし、私自身もどうしても興味があるので延長戦をします。ただしどうしても知見不足の分野なので、その辺は御容赦ください。
介護保険の成立は大雑把に言うと、医療保険の高齢者の介護に関する分野を分離させ、それによって医療費全体を抑制しようと言う目的があったかと記憶しています。この時点で予算の制約が決まっていたとも考えます。それと出来た時からかなり複雑な報酬体系で、その上で何度もアクロバチックな改訂を短期に繰り返しています。
複雑な制度改変を繰り返した背景は、大々的に民間資本の参入を行なったために、参入した業者が制度を研究し、もっとも利益の上がる介護方法を見つけ出し、それによって介護費用が増大するたびに押さえ込むを繰り返してきたからだと考えています。同様の事が医療では30年以上かけて行なわれていますが、介護では2000年導入以来、たった7年に凝縮されて行なわれたと見ます。こんなに早く展開したのは、医療で厚生労働省が経験済だったのと、医療に比べると介護は直接生死に関わる度合いが少ないからではないでしょうか。
介護保険導入で厚生労働省的な誤算の一つが施設介護希望者が非常に多かった事があるとされています。これはもちろん家族の希望が強いことと、介護事業的にはその方が収益が高いという二つの側面があります。介護施設が出来るごとに介護保険が圧迫される構造があるようで、結果として施設建設に大きなブレーキを厚生労働省はかけています。
厚生労働省の本音としては、介護は家で家族がするもので、そのお手伝いを部分的にするのが介護保険という発想と考えています。施設介護なんて例外的な存在のように位置付けていたと考えています。つまり高齢者介護は在宅で家族介護が大原則であり、24時間365日のある部分だけカバーするのが介護保険という考え方です。その程度の制度だから大して費用はかからないはずと言う考えです。
高齢者介護を自宅で家族が行なう基盤が既に失われている事について、厚生労働省は完全に知らん顔をしています。社会情勢、家族環境が変わったことを完全に無視して「家で家族がする」のドグマに基づいて医療政策は進められていると考えます。介護だけではなく医療もそのドグマを適用し、療養病床の6割削減を既に決定し、急性期病床も半減プランを着々と練っています。溢れた患者は美しい在宅家族看護のバラ色の世界を用意していると言う事です。
去年の10月に厚生労働省審議官宮島俊彦氏が神戸新聞の取材で療養病床を大幅削減する3つの理由を挙げています。
- 病院ではなく、自宅などで療養したり、亡くなったりする環境を整える必要があること。約50年前までは自宅で亡くなる人が全死亡者の約八割を占めていたが、今は逆に約八割が病院や診療所でなくなっている。できるだけ終末期は自宅で療養したいという人が約六割いるという調査結果もある。
- 医療提供体制の変換が迫られていることだ。老人医療無料化の『副作用』として、本来、福祉で対応すべき高齢者を病院で対応してきた歴史的経緯がある。高齢者の長期療養を自宅で対応できるようにすれば、長すぎる平均入院日数を短くし、医師や看護師を人材不足が深刻な小児科や産婦人科に回すことができる。
- 調査の結果、療養病床にはほとんど医療の必要性のない患者が約8割もいることが分かった。介護施設や在宅に向かわせるべきだ。
- 介護施設
- 在宅
その肝腎の在宅ですが、宮島氏はこう力説しています。
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二〇〇〇年度に始まった介護保険制度で、在宅介護サービスは充実
とは言うものの実体はそんな状態とは程遠い事は皆様良く御存知かと思います。コムスン事件に見るように公的介護は今後は医療保険以上の速度で締め上げが続いていく事が確実視されます。公的保険のカバーする領域が目指すものは、在宅で家族が主役になって介護するほんの補助だからです。それ以上の役割を介護保険に担わせる発想は無いと考えてよいと思います。
それでは困る人のために出てくるのが混合介護です。医療保険でも導入必至の観測が強まっている私的保険と公的保険のミックスした介護です。介護領域であるなら医療に較べても格段に容易に導入される事は言うまでもありません。さらに医療に較べて介護は直接生死に関わる度合いが低いですから、一旦導入されれば医療以上の速度で、公的部分の割合が縮小し、私的部分が飛躍的に増大する事もほぼ確実です。
そうは言っても十分な私的保険に加入できる人間は限られる事になります。そこでの未来図は、
- 高級優良施設で優雅な老後を送る者
- 貧弱な公的介護+私的介護+在宅療法で老後を送る者
- 貧弱な公的介護+無償の家族介護+在宅療法で老後を送る者
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貧弱な公的介護+無償の家族介護=ドクター・キリコ