教育基本法

内容はいろいろあるはずですが、焦点になっているのは「愛国心」のようです。国を愛する心を子供に教育すべしの趣旨を、どういう表現で盛り込むかが大問題のようです。愛国心が大問題になるからには、現在の日本では愛国心の低下が社会問題になっているという事でしょうか。愛国心の低下した人間が年毎に急増し、その人々が引き起こす問題が教育現場から叩きなおさなければならない現実があるのでしょうか。

こういう問題で引き合いに出されるのは定番のアメリカです。アメリカでは国旗や国家を求心力に愛国心を表現しています。日本もそうあらねばならないとの主張を良く聞きます。私はその主張を聞かされてもピンときません。アメリカと日本では国や民族の構成、成り立ちがかなり違うと考えるからです。アメリカは大量の移民から成り立った多民族国家です。移民は自分のアイデンテティを出身国に求めます。文化の軸足を出身国に置きながら移民先の国家に参加するスタンスを取ります。そういう移民者をアメリカ国民として統合同化させるためにアメリカの愛国心教育は成立したと考えます。そうでもしないと国としての求心力を保てないからだと考えています。

日本はどうかといえば、古代はともかく、少なくとも現在の日本人は先祖代々日本人である事になんの疑いもありません。どんな名も無き庶民であっても調べれば江戸時代ぐらいまでの系譜はたどる事が可能で、調べられる限界の祖先とてその何十代も前から日本に住み、暮らし、生きていた事であろうことは誰もが確信しています。日本人はアメリカ人と違って無条件で日本人である事を信じているという事です。つまり日本人は日本人である事になんの疑念も無く、アメリカ人のように「お前はアメリカの市民である」と殊更に強調されなくとも、意識すらなく日本人である事を確信しているという事です。

アメリカの愛国教育はアメリカ人でない人にアメリカを愛してもらう教育と考えます。出身国よりも、今住んで暮らしてもらっているアメリカに忠誠を尽くしてもらいたいと考えている教育が基本発想ではないかとも考えています。アメリカという国を愛してくれないとアメリカ人が存在しないと言い換えても良いと思います。

日本人は自分が何人であるかに疑念がありません。無条件に日本人と考えている人は、これもまた何の疑念も無く日本という国家に帰属します。日本人にとって愛国心は意識して持つものではなく、水や空気のようにあって当然というか、そういう意識さえも無く、生まれつき体に染み込み、血や肉となっているように私は思います。例えればアメリカは養子で成り立っている家族であるが故に家族の結びつきに非常な努力を要します。日本の場合は血縁関係であるがために、家族である事には意識しての努力すら必要ない状態と見ます。

おそらくアメリカの為政者から見ると日本はなんと国民を統合しやすい国家であると考えるんじゃないでしょうか。アメリカではまず国民がアメリカ人であることから教えていかないといけないのに、日本では誰もが自分が日本人である前提からスタートするのですから。

そんな日本で愛国心を強調する教育の目的はなんなんでしょうか。政府の言う愛国とは国の何を愛せよが真の目的なのでしょうか。そもそも政府が言う国とは何を具体的に指しており、国を愛する事で何をさせたいと考えているのでしょうか。どうにも言葉の「てにはを」論争に終始していますが、私のような下々には血相を変えて愛国心論議をしている意味合いがよく理解できません。

少なくとも私は日本人であり、日本という国に住み、日本を母国として愛しています。日本を捨てて海外に移住するとか、他国人にあえてなろうとも思いません。政府や政治には必ずしも満足はしていませんし、こんなブログで不満を書き並べたりしますが、日本が良い国になって欲しいの基本は巌の様に核心部として存在し、揺るぐ事はありません。誰も敢えて口に出して言いませんが、その程度の愛国心は誰でも持っていると思います。その程度では教育基本法に謳う愛国心として不十分なものなのでしょうか。