福岡の召集令状授業

先週末の記事ですが、訳の分からない趣旨の授業を行なった教師がいるようです。詳細は続報が結局無かったため一報以上の情報は得られませんでしたので、それに基づいての感想を。

召集令状なんてものが出てくるので当然の社会科の授業です。第二次大戦の下り辺りの授業の後、生徒に臨時召集令状のコピーを配り、「いく」「いかない」の選択を書かせ、その上で理由を書かせ、「いかない」と書いた生徒に「非国民」の返答を返した。その回答に生徒の一人がショックを受けて教育委員会かどこかに訴えでて明るみに出たというのが大筋のようです。

いくつか問題点はあると思うのですが、なんと言ってもどんな授業目的で臨時召集令状のコピーで「いく」「いかない」の返答を生徒に迫ったかと言う事です。目的が生徒の理解度を深めるためだったのか、それとも生徒の理解を試す試験だったのかが意味不明です。もし試験のためであるのなら「いく」が正解で、「いかない」が不正解と取れそうな反応を教師が取っています。もしそんな趣旨であれば前段の授業内容がいかにも不気味です。

召集令状には徴兵制と言う前提があります。徴兵制とは国家が他国の侵略などで危難に瀕した時に、軍隊を強制的に作る国家命令です。そういう前提の召集令状には拒否権などは無く、拒否すれば重い刑罰が待っています。喜び勇んで行く者などほとんどなく、国家の決められた命令のため、家族のために否応無く義務として従わざるを得ないものです。

召集されて戦場に送り込まれれば、これもまた召集令状で駆り集められた「敵」と命のやり取りを強制され、より多くの殺人をしたものが「英雄」として崇められる「戦争」という異常世界で働かされます。「敵」と言っても個人的に恨みがあるとか、極悪人というわけではなく、平凡な日常から戦地に強制的に送り込まれた普通の市民です。縁もゆかりも無い平凡な市民同士が殺し合いをするのが戦争です。

日本もそんな時代がありました。そんな事が必要な時代もあったかもしれません。しかし現在はそんな事と縁を切った社会を日本は築いてきたはずで、そんな社会にしようと憲法にも高らかに謳ってあるはずです。個人の思想信条は尊重しますが、少なくとも公教育の現場に於ては憲法に従って「平和な日本」を発展させ、戦争のない社会を作るように努力するような心構えを教えるのが筋だと考えます。

1枚の召集令状で日常生活から強制連行され、殺し合いの世界に放り込む社会を作らないようにしようというのが現在の憲法の趣旨であり、それを推進するのが公教育ではないのでしょうか。そこに仮定として「もし他国の侵略があり、徴兵制が復活したら、喜んでそれに従え」の授業はどこかおかしいような気がしてなりません。

今の世界はまだまだ不完全とはいえ戦争回避の国際的システムは種々に整えられています。それでも世界制服や武力による領土拡張の夢を捨てきれない国家があることは否定しませんが、昔と違い正規軍が敗北したら国家が滅亡するほど単純ではありません。圧倒的な戦力を持つアメリカがアフガンやイラクに攻め込みましたが、正規の戦闘よりもその後のゲリラ戦の方に遥かに苦しんでいます。大国ソ連もアフガン侵攻に失敗して崩壊し、後を継いだロシアもチェチェン紛争一つ解決できていません。

こういう事実は戦争の質の変化を意味していると考えます。かつては正規軍同士の決戦で勝った方が相手国を支配し、植民地化して利益をむさぼる事が出来ましたが、現在では正規軍で勝っても、その後の泥沼のゲリラ戦のほうに莫大な戦費が必要で戦争は割の合わないものになっているのです。戦争が割に合わない事自体が戦争回避の安全弁になっているとも言えます。

今日はまとまりが無くなってしまいましたが、憲法改正に異常に御執心の政治家を見ていると、どうにもこうにも日本はキナ臭い方向に動かそうとする人々が、静かに増えているとしか思えないのですがね〜。